ã¤ã³ãã«ãããéå¤ææ³ã®æ²æ» â女æ§ã¸ã®é度ãªæå¾ ã®å¸°çµã¨ã¯â
Transcription
ã¤ã³ãã«ãããéå¤ææ³ã®æ²æ»
â女æ§ã¸ã®é度ãªæå¾
ã®å¸°çµã¨ã¯â
インドにおける野外排泄の撲滅 ―女性への過度な期待の帰結とは― 大石 美佐 京都大学地球環境学堂 国際航業株式会社海外事業部 E-mail: misa_oishi@kk-grp.jp キーワード: 公衆衛生、トイレ普及、野外排泄、インド、ジェンダー 1.背景 近年、目覚ましい経済発展が世界の注目を集めているインドであるが、農村部や都市ス ラムでの公衆衛生の改善は、未だ大きな課題である。そのことを端的に示すのが、世界に 類を見ない野外排泄率の高さである。WHO とユニセフが全世界を対象に行った最新の調 査では、日常的に野外排泄をする世界の人口数(10.08 億人)のうち、約 60%(約 5.97 億 人)をインドが占めている。野外排泄率の高さ、及び遅々として進まない野外排泄撲滅は、 インド政府の国勢調査にも顕著に表れている。2001 年と 2011 年の国勢調査の結果からは、 戸別トイレを持たない世帯の割合は 63.6%から 53.1%に約 10 ポイント改善したに過ぎず、 2011 年の戸別トイレを持たない世帯 53.1%のほとんど(49.8%)が、公共トイレを利用す るでもなく、野外排泄を習慣としていることが明らかとなり、「携帯電話の普及率より低 いトイレの普及率」としてメディアでも大々的に取り上げられることとなった。 また、インドにおける 5 歳未満児の死因の第 3 位が下痢症であり、その主な原因は排泄 物の雑菌に汚染された飲食物による経口感染であるとも言われている。野外排泄の習慣に よる戸別トイレの普及率の低さは、インドのミレニアム開発目標における保健指標の達成 を阻害する大きな要因となっている。加えて、野外排泄をするために人目の避けられる場 所や時間帯を選ぶ必要があるなど、多くの女性がジェンダーに基づく暴力(gender-based violence)の危険に晒されていると言われており、近年、公衆衛生の観点に加えて、女性の 安全の観点からも、野外排泄の撲滅の重要性が声高に叫ばれている。 このような状況を受け、インド政府も、1980 年代後半よりトイレ普及率の低い農村部を 対象に、戸別トイレの設置を促す補助金政策を展開してきた。また、2014 年 5 月に発足し たモディ政権においても、引き続き積極的に戸別トイレの普及を推進するとし、世界銀行 をはじめとする国際機関からの支援を受け、野外排泄の撲滅を目指している。 国を挙げて戸別トイレの普及、野外排泄の撲滅を目指してきたインドであるが、2014 年 には、独立系研究機関 r.i.c.e の調査研究により、戸別トイレの建設が必ずしも野外排泄の 撲滅に繋がらないという興味深い事実が示された。r.i.c.e が実施した SQUAT 調査は、野外 排泄が問題とされる北インド 5 州を対象とした調査であるが、男性や年配層を中心に戸別 トイレがあるにも関わらず、それを利用せずに野外排泄を行う人々の存在を明らかにして いる。インドにおける戸別トイレの普及、野外排泄の撲滅の研究に関しては、i)建設と利 用を区別した分析、および ii)ジェンダーの視点からの分析が重要になることを端的に示 している。 実際には、インドにおける戸別トイレの普及、野外排泄の撲滅に対し、ジェンダーとい う要因は、どのように、どの程度関わっているのであろうか。その点を定性的、および定 量 的 に 明 ら か に し た 研 究 は 、 極 め て 少 な い 。 本 発 表 で は 、 自 身 が 参 団 し た 国 際 協 力 機構 (JICA)の「インド国トイレ整備に係る情報収集・確認調査(204)」での調査結果、及び、 先述の SQUAT 調査の結果をもとに、ジェンダー要因が、建設を決定付ける動機として、 どのように、どの程度かかわっているのかを定性的、および定量的に示すことを試みる。 2.調査内容とその結果 (1) JICA/ Knowledge, Attitude and Practice (KAP)調査 2014 年 11 月、ラジャスタン州ジャイプール市近郊、ウッタル・プラデシュ州バラナシ 市近郊、タミル・ナドゥ州ティルチラッパリ市近郊の 3 州の 3 地域都市の 451 世帯を対象 に排泄習慣及びトイレ利用に係る意識を調べるため、KAP 調査を実施し、定量的な情報収 集を行った。各都市での調査に際しては、調査地を都市部、都市周辺部、農村部に分類し、 調査を実施した。実際の調査対象エリアについては、各州のトイレ整備に関わる事業を担 う行政官にも相談し、決定した。 数多くあるトイレ普及に係る既存研究が関心の対象としている「トイレ導入を促す要因」 に関連して、KAP 調査では、戸別トイレを所有する 283 世帯に対し、なぜ戸別トイレを整 備することにしたか、その契機となった出来事について質問をしている。下表の通り、「世 帯の女性のプライバシー・安全のため(220)」という回答が最も多い。「世帯の女性のプ ライバシー・安全のため(220)」、「妊娠中の女性のため(115)」および「子供が大き く(思春期相当)なったため(103)」という女性に係る項目だけで、全回答(783)の 56% を占める。 表1 戸別トイレ建設の契機 (複数回答) 補助金が出たため 人に強く勧められたため 十分な貯蓄があったため 病人・老人がいたため 世帯の女性のプライバシー・安全のため 妊娠中の女性のため 子供が大きく(思春期相当)なったため 社会的なプレッシャーを感じたため 新しい家を建設することになったため 近隣住民がトイレを建設したため 結婚や葬儀といった儀式・儀礼を契機として 村外からの来客があったため 戸別トイレ建設の契機 都市部 都市周辺部 1 6 12 46 63 35 28 5 10 0 12 4 2 4 11 37 61 28 30 1 15 0 0 4 農村部 合計 49 8 14 73 96 52 45 5 6 0 11 9 52 18 37 156 220 115 103 11 31 0 23 17 上記は戸別トイレを持つ世帯に対しての聞き取りの結果であるが、同調査では、戸別ト イレを持たず、公衆トイレを利用する 62 世帯及び野外排泄(Open Defecation: OD)を習慣 とする 102 世帯に対し、今までに戸別トイレの建設を検討したことがあるか、また、戸別 トイレ建設を最終的に決断するのは誰かについても質問している。その結果からは、164 世帯の約 4 分の 3 の世帯が建設を検討したことがあること、また、実際のトイレ建設に係 る意思決定に関し、妻が意思決定者である場合はほとんどないことが分かった。 表2 戸別トイレ建設検討の有無 (現在の排泄習慣・場所) 建設を検討したことがある 建設を検討したことがない 合計 ラジャスタン州 (OD) 22 10 32 表3 戸別トイレ建設に係る意思決定者 (現在の排泄習慣・場所) 世帯主(夫) 世帯主(夫)と妻 妻 世帯全員 合計 世帯の女性構成員と 戸別トイレの建設検討の有無 ウッタルプラデシュ州 (OD) 29 6 35 (OD) 30 5 35 タミルナドゥ州 (公衆トイレ) 41 21 62 合計 (n) 122 42 164 (%) 74.4% 25.6% 100.0% 戸別トイレ建設に係る意思決定者 ラジャスタン州 (OD) (%) 22 68.8% 2 6.3% 2 6.3% 6 18.8% 32 100.0% 図1 ウッタルプラデシュ州 (OD) (%) 28 80.0% 6 17.1% 0 0.0% 1 2.9% 35 100.0% (OD) 17 0 7 11 35 タミルナドゥ州 (公衆トイレ) 26 3 9 24 62 全体 (%) 44.3% 3.1% 16.5% 36.1% 100.0% (-) 93 11 18 42 164 (%) 56.7% 6.7% 11.0% 25.6% 100.0% 潜在的ニーズ及び意思決定権の世帯内格差 男性構成員の間では、 現状に対する不満の度 合いに差があり、戸別 トイレ建設に対する潜 在的需要にも差が生じ ていると考えられる。 女性は戸別トイレに対 する潜在的ニーズを持 ちながらも、自分の決 断でトイレ建設を進め られる状況にはないこ とが分かるが、そのよ うな中、ある世帯は建 設を決め、ある世帯は 建設には至らない。こ の差は、どのようにし て生じているのであろ (注) Jenkins, Marion W., and Val Curtis. 2005. Achieving the ‘good life’: Why some people want latrines in rural Benin. ”Social Science & Medicine”61 の Fig. 1. Model of motivation for latrine adoption in rural Benin をもとに筆 者作成 うか。表 1 によれば、 建設に至った世帯の多くは、その契機を世帯の女性構成員のためと回答していることから、 それらは意思決定者である男性が、女性ニーズや要望に理解を示し、女性に対する投資を 積極的に行う世帯であると考えられるのではないだろうか。その一連の流れを概念的に示 したものが、Jenkins and Curtis (2005)のベニンにおけるトイレ普及の動機モデルを発展させ た図 1 である。トイレの建設に関連して、世帯内での潜在的ニーズの差、及び意思決定権 の遍在を理解することの重要性を示しているが、トイレ普及に関する多くの既存研究は、 この点を明示的に取り上げておらず、ジェンダー要因に係る定量的な分析は手薄である。 (2) r.i.c.e/ SQUAT 調査 本報告では、上記の JICA/KAP 調査の結果から得られた「女性のニーズや要望に理解を 示し、女性に対する投資を積極的に行う世帯であるかどうかが、戸別トイレ建設の重要な 要因である」という仮説に関し、SQUAT 調査の結果を定量的に分析し、野外排泄の問題が 特に深刻な北インド諸州においても同様の傾向が見られるかどうか検証する。 SQUAT 調査では、野外排泄の問題が特に深刻なビハール州、マッディヤ・プラデシュ州、 ラジャスタン州、ウッタル・プラデシュ州、及び比較分析のため選定された首都デリー圏 に隣接するハリヤナ州の合計 5 州の農村部を対象に、層化 4 段階抽出法による標本調査を 実施している。調査実施期間は 2013 年の 11 月から 2014 年の 4 月までであり、標本世帯数 は全 5 州で 3,235 世帯に及ぶ。 実際の分析に際しては、被説明変数を「トイレを建設したか、していないか」とする 2 項選択モデルを念頭にロジット分析を行う。一般的なロジットモデルは以下の通りである。 p j (0) = 1 / 1 + exp(f(x j )), p j (1) = 1- p j (0) f(x j )は、既存研究等より有力とされている説明変数に、本仮説を検証するための説明変数 を加えたもので、以下の通り表される。 f(x j ) = a 0 + a 1 宗教 j + a 2 カースト j + a 3 土地所有 j + a 4 世帯の所得水準 j + a 5 水へのアクセス j + a 6 補助金へのアクセス j + a 7 教育水準(世帯主) j + a 8 教育水準(女性) j + a 9 世帯の女性の数 + a 11 世帯の老人の数 j + a 10 世帯の子供の数 j j 仮説の検証に際しては、 「女性に対する投資」を教育水準(女性)が示す女性への教育投資 で代替させる。詳細な、ロジット分析の結果については、発表時に説明することとする。 3.結語 衛生改善事業においては、政府や国際機関等によって、事業の持続性を高めるとして受 益者の参加の重要性が強調されてきた。中でも、女性は世帯内の衛生改善の要となる点や、 女性の積極的な関与が事業効果の持続性を高める点が指摘され、総論としての衛生改善活 動における女性の果たす役割については、疑問をはさむ余地のない中、インドにおいても、 給水・衛生事業における女性の参画の重要性が、政府の開発計画等の政策文書においても 銘記されるなど、政府機関や援助機関の女性達への期待は非常に高い。こういった考えは、 関連する政府の啓発映像や NGO の有名なキャンペーンなどにも顕著に表れている。 ロジット分析の結果からは、女性に対する投資への積極性が、戸別トイレ建設にどの程 度重要であるかが示される。北インド諸州においても、JICA/KAP 調査が調査対象とした 地域同様に、重要であることが明らかとなった場合であっても、その結果が示すことは、 単に女性の役割やニーズを強調することの重要性ではないであろう。今だ、戸別トイレを 建設していない世帯は、女性ニーズに対する理解が十分でなく、かつ女性への投資にも消 極的であると考えられる。そのような世帯に対して、いくら女性ニーズを強調しても効果 は限定的であろう。今後、そのような世帯の女性達にも裨益するような衛生事業を展開し ていくためには、ジェンダー戦略の転換が必要といえる。 ローカルな文脈におけるリプロダクティブ・ヘルス観と健康行動 ―西ネパール山岳部の農民女性を事例として― ○ 宮本 圭 日本福祉大学大学院博士課程 E-mail:freedom_27kei@yahoo.co.jp キーワード:ネパール、農民女性、リプロダクティブ・ヘルス観、健康行動 1. はじめに 1994 年にリプロダクティブ・ヘルス/ライツの概念がカイロ会議で発表された。人口開 発におけるマクロ・レベルからミクロ・レベルへの政策転換を経て、個人の性と生殖の権 利が認められ、この概念を遵守するような具体的な行動が各国で取られるようになった。 しかし、女性が妊娠や出産について意思決定権を持たないことや男児尊重による多産、専 門技能者が付き添わないお産等による高い妊産婦死亡率や、時に生命の危機や重度の合併 症をもたらす女性性器切除・割礼(FGM/C)などの問題は引き続き起こっており、リプロ ダクティブ・ヘルス/ライツは古くて新しい課題である。 ネパールは保健指標、ことに母子保健指標が不良であるため、国家リプロダクティブ・ ヘルス政策を軸に必須妊産婦ケア・サービスの強化・拡大等による取り組みを行ってきた。 しかし、妊産婦死亡率は生産 10 万対 180(2010 年調整値)と未だ高い。その原因には、 専門技能者不在の自宅分娩率の高さや危険な人工妊娠中絶、保健サービスへのアクセスの 低さがある。また、東高西低と地域格差が大きく、西部ネパールではヒンドゥイズムや父 権社会が有する価値観、コミュニティの伝統的規範・慣習などが女性の健康に広く影響を 及ぼしながら、施策上では地域的特性は鑑みられていない。 そこで、本報告では、西ネパールの住民の健康観・リプロダクティブ・ヘルス観を明ら かにすることによって、ローカルな社会的、文化的文脈において効果的なリプロダクティ ブ・ヘルス改善のあり方を検討する 1 。 2.調査方法と調査地概観 (1)調査方法 現地調査は 2011 年 9 月 6 日から 10 月 1 日まで、ジュムラ郡ディリチョール V.D.C. 2 で 実施した。 1 本報告は、2012 年 3 月に 日本福祉大学大学院に提出した修士論文の一部を加筆・修正したものである。 修士論文では、ネパールが女性の保健改善に住民自らが行動するためのプログラムとして導入した女性 コミュニティ・ヘルス・ボランティア(FCHV)を事例として扱ったが、本報告では FCHV を含む住民 のローカルなリプロダクティブ・ヘルス観に焦点付けして報告を行う。 2 V.D.C とは、Village Development Community 村落開 発委員会と言われる、ネパールの地方行政の一 単位である。 1 調査母集団はディリチョール VDC における全母親、全女性コミュニティ・ヘルス・ボ ランティア(Female Community Health Volunteer、以下 FCHV)、全既婚男性、全保 健スタッフ、全伝統治療師・伝統的産婆である。対象者のサンプリング方法は目的サンプ リング法で、当調査においてはそのうちの雪だるま式サンプリング法を用いた。その際、 インフォーマントが最初のインフォーマントと同じネットワークに属する人々となり、サ ンプルの多様性が限られるという欠点(ハルドン 2001、p.240)を補うため、地域のス テークホルダーから得られた情報をもとに、二人以上のインフォーマントを窓口にサンプ リングを行った。 調査手法には、キー・インフォーマント・インタビュー、参与観察、フォーカス・グル ープ・ディスカッション(Focus Group discussion、以下 FGD)を用いた。 ①キー・インフォ-マント・インタビュー 対象は、サブ・ヘルス・ポスト(Sub-Health Post、以下 SHP)スタッフ、保健職、FCHVs、 リプロダクティブ・ヘルス関連の問題を抱える女性やその家族を対象に、健康観、健康問 題、その際の健康希求行動について聞き取りを行った。 ②参与観察 キー・インフォーマント・インタビューと並行して、FCHVs の活動場面と住民の受診 場面の参与観察を行った。SHP の参与観察時、利用状況の情報収集も実施した。 ③FGD 前述①②を補う手法として FGD を用いた。対象は、既婚男性グループ、既婚女性グル ープである。主な議論内容は、一般的な健康観及び健康希求行動、リプロダクティブ・ヘ ルスに関する健康観、健康問題とその健康希求行動、その選択理由である 3 。本調査では、 農繁期で参加者を集めることが困難なため、既婚男性、既婚女性の各 1 グループのみの実 施となり、参加者数はそれぞれ 7 名、6 名であった。 得られたデータの分析は、質的分析を用いた。ローカルな言語や社会慣習・準規の理解、 言及された問題の確認は SHP の准看護師助産師(Auxiliary Nurse Midwife、以下 ANM) に行い、その後、共同研究者と共に情報のカテゴリー化等、質的分析を行った。 ④倫理的配慮 研究の実施にあたっては、日本福祉大学修士コース国際社会開発学部の倫理委員会、 Nepal Health Research Council(NHRC)の倫理承認を得た。現地ではインタビュー、 参与観察、FGD いずれの対象者にも口頭・文書で研究目的、倫理上の留意点について説明 し、インフォームド・コンセントの得られた住民のみを対象とした。自署に問題がなかっ た対象者からは書面へ自署を得た後、調査を行った。 (2)中西部ネパール・ジュムラ郡ディリチョール V.D.C.の概観 ジュムラ郡は首都カトマンズより空路で二日所要する僻遠の地にあり、標高 2,076m か ら 6,229m の高低差に富む山岳部にある。亜熱帯モンスーン気候で乾季と雨季があり、気 3 リプロダクティブ・ヘルス という用語は、地方の村ではネパール語としても知られていないため、SHP の ANM に相談した結果、「女性の健康問題」を同義語として問いに用いた。 2 温の年間格差は小さいが、日較差は大きい。乾季には積雪も深く極寒となるため、親戚縁 者のもとに避寒するものもいる。年間降水量は 748mm と首都の 3 分の一程度にとどまる。 ディリチョール V.D.C.は、ジュムラ空港から 4 時間ほど徒歩で移動したチョウダビセ川 上流に広がり、人口は 3,673 人で、全世帯数は 619 戸である(2001 年人口センサス)。王 侯・軍人カーストであるチェトリが人口の 85.9%を占め、残りの一割を職人カーストの一 つであるカミ(鍛冶屋)が、少数派としてシェルパ・タクリがいる。ディリチョール V.D.C. では基本的なインフラ整備はされておらず、水汲みは女性の主要な日課であり、自然光に 依存した生活で、情報へのアクセスはラジオ中波方法に限定される。 主産業である農業の生産力は低い。数年前に稲熱病が流行してから稲作は行われなくな った。ヒマラヤ山脈中での生活文化の変換線が冬の降雪下限線である標高 2000m (石井 1994、p.21)と重なると言われるが、ジュムラ郡はこれより高地となるため、ヤクや羊の 放牧と、ジャガイモやシコクビエ、トウモロコシの栽培が主になる。換金作物はリンゴで、 その卸価格はジュムラ空港周辺市場で 1 キログラム 30~60 ルピーである(2011 年 9 月、 報告者調査)が、昨今は冬季に断崖絶壁の高山へ出かけ、冬虫夏草で現金収入を得る男性 住民もいる。家屋は陸屋根、石積み壁を特徴とする。こうした生活様式のちがいが、住民 の宗教と結びついて、冬季降雪の下限線がヒンドゥー教文化の上限線となり、ラマ教文化 の下限線となっている(石井 1994、p.22-23)。ディリチョール V.D.C.もヒンドゥ教、チベ ット仏教、土着宗教、キリスト教などが混在しており、各集落中心部には伝統治療医ダミ の寺があり、年に一度のダミの祭りはディリチョール V.D.C.での最大の祭りとして村人で 賑わう。そして、元来地理的条件によって不利な社会環境にあったディリチョール V.D.C. は、1996 年から 10 年間続いた内戦の影響を受け、伝統的コミュニティが脆弱化した。 ジュムラ郡を含む中西部ネパールは栄養、出生時平均余命における国内平 均と の格 差、 子どもの死亡率の高さ、15 歳から 49 歳の女性の子宮脱 4 の発症率の高さ、下痢症の流行、 ダリットにおける死亡率の高さなど、多くの課題を背負っている(Mid-Western Regional Health Directorate 2011, p.140)。ジュムラ郡では首都に比較すると、妊婦検診初回受診 率、産後にビタミン投与を受ける割合は低く、3 歳未満児の栄養失調児の割合は首都の 2 倍以上である。避妊法の利用率は国平均 44.2%よりやや低く 41.45%、一人の女性が産む 子どもの数は 3.5 人とやや多くなっている。また、そうして生まれた子どもの 1000 名中 97 名が 1 歳未満で、5 歳になる前に 122 名が死亡しおり、これら乳児死亡率・5 歳未満児 死亡率はいずれも国平均の 2 倍を超えている。ネパールの保健課題の一つに不適切な人材 配置があるが、中西部ネパールは医師・公衆衛生師の充足割合がそれぞれ 43.83%、40.0% と低いため、村人が苦労をして受診しても必要な診断・治療を受けることは困難である。 3.調査の結果と考察 4 子宮脱(出症)とは、出 産の損傷や高齢のため骨盤底の筋肉や筋膜組織の弛緩および緊張性低下によ って起こる子宮下垂の状態。その程度により第 I 度か ら第 III 度に分類され、第 III 度になると下垂子宮 の膣部が膣口の外に出ている状態を呈する。その合併症は感染症をはじめ様々あり、治療には器具の挿 入や外科的手術などが適応される(D.C. Dutta 2008, p.199-209)。 3 調査では、ディリチョール V.D.C.における女性住民のリプロダクティブ・ヘルスおよび 周辺の現状、その知識と健康希求行動、そして、その健康希求行動の基にある住民の健康 観・リプロダクティブ・ヘルス観が明らかになった。 (1) ディリチョール V.D.C.における保健概況 ① ディリチョール V.D.C.の SHP の状況 ディリチョール V.D.C.には SHP があり、医師補 HA、補助ヘルスワーカーAHW、母子 ヘルスワーカーMCHW、ANM2 名の計 5 名が勤務している。当 SHP は規定人数が配置さ れているうえ、母子保健ケアを専門とする ANM2名は SHP そばに居住してるため、24 時間分娩ケアが提供されている。が、SHP の管理者である HA は村には居住せず、月例レ ポートの作成時のみ出勤してくる等勤務実態は乏しい。その影響で、倉庫にある医薬品が 必要時にも使用できない等の問題を生じていた。 ② ディリチョール V.D.C.の SHP の受診状況 受診者は乾季(ネパール暦バイサーク月、ジェスタ月、アスウィン月)に比し、雨季(同 アサール月、スラワン月、バドラ月)で多かった。アスウィン月を除き、他の月では女性 の受診者が男性のそれより多かった。雨季のアサール月(西暦 6/7 月)の受診者 570 名の うち何らかの治療を受けた 450 名の内訳を見ると、第一位は腹痛 71 名(15.8%)、第二位 は下痢症 52 名(11.6%)、第三位が喘息 42 名(9.3%)で、その後に外傷、不明熱、頭痛 が続く。件数は少ないが、性器不正出血や骨盤内炎症性疾患も各 1 名いた。乾季のバイサ ーク月(西暦 4/5 月)の受診者数は 298 名で、そのうち治療を受けたのは 146 名であった。 多い順に、第一位が風邪・発熱の各 46 名(31.5%)、第二位が頭痛 12 名(8.2%)、第三位が 外傷 10 名(6.8%)で、他に腹痛、様々な身体痛であった。 600 570 557 323 309 500 400 300 200 100 298 175 123 247 175 106 69 0 図 248 男性 213 155 58 女性 85 51 34 合計 ディリチョール V.D.C.の SHP 受診者数(ネ パール暦 2068 年バイサー ク月~アスウィン月) 出所:ディリチョール V.D.C. SHP 診療台帳より報告 者作成 4 ③ リプロダクティブ・ヘルスに関する受診状況 2011 年 9 月 10 日の妊婦検診受診者総数は 28 名で、平均年齢は 21.0 歳であった。ほぼ 半数の 15 名(53.6%)が 20 歳以上の妊婦で、残る 13 名(46.4%)が 20 歳未満であった。妊婦 検診受診回数別では 1 回目が 5 名(17.9%)、2 回目が 11 名(39.3%)、3 回目が 9 名(32.1%)、 5 回以上が 3 名(10.7%)であった。28 名の初回妊婦検診のタイミングを妊娠月数別にみる と、最も多かったのは妊娠 4 カ月から 6 カ月で、16 名(57.1%)を占めた。妊婦検診の主な 理由は多い順に「休日になるから」 「友人に会えるから」 「鉄剤がもらえるから」で、 「胎児 の発育をみてもらう」「問題がないかみてもらう」は少数であった。 ネパール暦バイサーク月からバドラ月の約 5 カ月間に SHP であった分娩件数は 16 件で ある。そのうちの 6 件はディリチョール V.D.C.の住民であるが、残りの 10 件は周辺 V.D.C. の産婦による分娩であった 産後検診は、各地域を担当する FCHV により実施されることになっているが、実践され ていなかった。 (2) ディリチョール V.D.C.におけるリプロダクティブ・ヘルスに関する状況 ディリチョール V.D.C.で若年婚をした男女が、妊娠や出産についてどのような知識・認 識を持ち、対処しているのかが伺われる事例を示す。 <語り1> 「うん、結婚したよ。だって 15 歳は大人でしょ 。 aamaa(母親)が(15 歳 になったから)もう結 婚しなくっちゃって、そう言ったよ。 srimaan (夫) は今、上に仕事に行っちゃった。だから、こ こ(実家)で弟たちの面倒をみてるの。弟が三人。妹は一人だよ。いっぱいでしょ。 aamaa は強い から、子どもがたくさんできたって。私は子ども、い ないよ。いつ欲しいかはわかんない。srimaan が決めるのかな。誰が決めるの?今は(家族計画は)何もしてない。Depo とか 、 cakki (経口避妊 薬のピル)は聞いたことはあるけど、よく知らない、わかんない… srimaan が知 ってるかな。どこ から生まれるかは知ってるよ、 yogi (女性性器)でし ょ。あとはよくわかんない。」(スリジャナ、 女性・15 歳、チェトリ、農 家) <語り2> 「(地域担当の FCHV が、今も妊娠しているんだよね?と聞くと、)うん。去年から、3 回目。結婚 も去年だよ。2 回もだめだ った(流産した)。2 回とも畑にいるときにおなかが痛くなって、それで 終わり。子どもは必要でしょ。 aamaa も srimaan も 、みんな言うから、必要なんだよ。今度は大 丈夫?(今は)おなか痛くないよ。次におなかが痛くなったら?わかんない。ディリチョールの病 院(サブ・ヘルス・ポスト)に行くの?妊婦検診も行った方がいいって(担当の FCHV の方を向い て)言われたけど、まだ行ってない。」(カルパナ、女性・16 歳、妊娠 5 カ月、チ ェトリ、農家) <語り3> 「(妊婦検診で児の発育が不良であることから ANM に食事などの様子を聞かれると、)学校の試験 はあるのに、何も食べられない。明日も試験なのに。野菜も、 roti (パン)もお茶もみんな気持ち 5 悪くなるから。吐きそうになる。 srimaan も学生(19 歳)で、うちに一緒に住ん でる。自分で(決 めて)結婚したけど、…大変、辛い。子どもができると思わなかった。…どうしよう、試験。何か 薬、ください。家に帰ったら、水汲みに行かなくちゃいけないし、やることがたくさん。」 (アスタ、 女性・18 歳、チェトリ、学 生) <語り 4> 「子ども、一人いるよ。だってもう 15 歳だから ね。 (子どもがいるのは)当たり前だよ、大人なん だから。 srimati( 妻)も同い 年だよ。15 歳になってすぐ に結婚したんだよ。子どもは 4 カ月、 chora (息子)だよ。だから、休みをもらったら会いに行くんだ。俺は結婚もして、 chora もいて、お金 も稼げる、だって大人だからさ。」(ランバハドゥール、男性・15 歳、チェトリ、警察派出所の料理 人) これら四つの語りから以下のことがわかった。第 1 点に、男女ともに 15 歳が成人とみな される年齢である、第 2 点に、女性が妊娠・出産することは強さの証とされ、年齢に関わ らず望ましい、あるいは当然のこととみなされている、第 3 点に、15 歳という早い年齢で 結婚する女性は十分な知識や準備のないまま妊娠や出産にいたり、その決定は男性に依存 している点である。 仮に妊娠・出産に及んでも、子どもを失うという不幸に遭遇した場合、母親である女性 は別の困難に直面する事例について、SHP の ANM からの聞き取りを行った。 <語り5> 彼女は妊娠 39 週に SHP で正常に男児を出産した。その直後自宅へ戻り、児共に元気に過ごしてい たが、生後 10 日目す語か ら児は発熱、下痢がはじまり、生後 11 日目には母乳 を殆ど吸う力を失っ た。熱は続き、泣く元気もなくなり、生後 14 日目に は自宅で息を引き取った。児の体調が悪くな ってから、SHP には一度も連れてきていない。みなすぐに良くなると思っていたという。児がなく なって数日したころに母親の様子が変わった。部屋から一切出てこなくなり、食事も取れなくなっ た。独り言を部屋の片隅で話し続けたり、庭の花を食べたり、体をぼりぼり掻いたり、外に出たが らず、変わった行動が続いている。クリシュナの様子が変わったのと前後して、srimaan は妻に「家 に居るな」と追い出そうとしている。時には力づくで外に引っ張り出したり、引き摺り回したりし た。理由は、家に授かった chora を死なせたためという。今のところ sasu(姑)が食事や身の回り の世話をしてくれていて、クリシュナは家から追放されずに済んでいるが、夫の怒りは変わらず、 誰が訪問しても彼女と会わせてもらえない。sasu から の話で、様子を知ることしかできない。精神 が混乱した状態になってからもう 1 カ月以上経つ。( クリシュナ、22 歳・女性、 チェトリ、 buhari (嫁)・農家) 語り5は、寵児を失ったことをきっかけに心身に変調をきたしたが、いずれの保健サービ スへのアクセスも勧められないだけでなく、家庭内の居場所を失いかけていた。 buhari( 嫁)である女性のリプロダクティブ・ヘルスの現状と、それに関わる sasu(姑) の伝統的考え方や対応の一例を示す。 6 < 語り6> 「(報告者:「きれいな 赤ちゃんですね。」)そうでしょ、まだ生まれたばっかり。今日で 14 日目だ よ。ここで生まれたん だ と ( と 、 住 居 の 2 階 を 指 さ す )。 だ っ て 夜 中 の 12 時 半 だ よ 、 生 ま れ た の 。 夜中、夜中。日中だったら(SHP に)行ってたよ。buhari がいつからおなかが痛 くなったかって? 知らないよ、何も言わなかったもの。ふつうに畑で仕事してたからね。今は一年で一番忙しいんだ (赤 よ。 (お産は)一人で buhari が産んだんだよ。そう、だ って黙ってるから知らなかったんだよ。 ちゃんが)生まれた時にギャッて声をあげて、みんな、それで気がついたんだ。その後は私が手伝 ったんだよ。(お産は)楽だったんじゃないかな。(報告者:「 今 、 buhari は ? 」) 畑 に 行 っ て る よ 。 シコクビエの畑を見に行ったんだ。大丈夫、見に行っただけ、重いものは運ばない。(お産後)1 週 間もすれば畑には行くんだよ。私もそうしてきたし、みんなそうしてるよ。それにお産の後、少し ぐらいは出血するでしょ。すごい出血したらよくないけどね。 (話しているところへ、シコクビエの 穂を積んだ doko(竹籠)を担いだ嫁が帰ってくる。)ほら、元気でしょ。 sasu は畑 にいかないもの さ。 sasu は赤ちゃんを見て いる役。私の時もそうだったし、 sasu になってこうし て孫の面倒を見 るのが楽しみだったんだよ。嫁がいない人は畑仕事も、水仕事も、何でも自分でしなくちゃいけな い。」(プラミラ、女性・38 歳、チェトリ、 sasu 、農家/家族で商店・茶店も経営) 語り 6 から、第 1 点に嫁の妊娠やお産、産後の過ごし方に対して姑の関心が低い、第 2 点 に嫁は同性である姑にも妊娠や出産について相談しない、第 3 点に姑は嫁としてこれまで 自分が体験してきた、あるいは村で一般的な嫁の在り方が踏襲されている事実がわかった。 次に、妊娠・出産周辺および直接妊娠・出産に関わらないリプロダクティブ・ヘルス問 題についての事例を述べる。まずは、妊娠・出産、家族計画のいずれにも困難を抱える事 例である。村中の女性が doko(物を運ぶための背負い籠)を担ぎ、次々と収穫したトウモ ロコシやシコクビエを運んでいるなか、その女性は道端に doko を置いてぼんやりと石積 みの上に座っていた。 <語り7> 「うん、しんどくな ったから休んでいるところ。お産がすんですぐは調子がよかったんだ。けど、 最近まただめ(調子が悪い)。 (報告者: 「どんな風にですか?」)熱があるし、めまいもしている。 休めって?そう言われたって、うちには働く人がいないんだから、どうしろって言うの。sasu は もう年寄り(推定 58 歳) だから働けないし、他は子どもだけ。子どもたちはまだ4歳、3歳、 1歳。手伝いなんかできない。邪魔するだけ。男なんか当てにできないし…。この間、郡病院に 三日入院したの。入院はおっぱいが張って居たくなるし、お金もないし、長くは入院してられな かった。肺炎だって。で、退院して帰って来たばっかり。仕事を始めたら、またぐるぐるめまい がするし、すごい kamjori (虚弱)。(薬を買いに行き、休息することは、可能かと問うと)家で お金を持ってるのは男性だけだよ。それでみんな raksi (ネパール製蒸留酒の一つ)に使っちゃ う。私たち女にあるのは仕事だけ。(子どもの話をしながら、家族計画について聞くと、)ない、 ない、何もしてない。子どもも、もう要らない。cakki を 飲んだ時には出血したし、すごい kamjori になったんだ。Depo でも 出血した。IUD のときはお なかが痛くなったし、だから、もうどれも しない、今だって、下腹が痛いし、kamjori だし、めまいがするんだよ。ケ・ガルネ?」 (サビナ、 7 女性・21 歳、チェトリ、農 家) 語り7からは、労働力のない家庭の女性が日々の生活が困窮状態にある場合、第一に、心 身が不調であっても自由に身体を休めることができない、第二に、受診や売薬へのアクセ スが困難である上、長い期間安全で、満足のいく家族計画の選択ができていない農民女性 の現状がわかった。 家族計画の利用・選択における女性の意思決定が困難な事例もある。SHP の妊婦検診に 聴 覚 障 害 の あ る 30 代 女 性 が 来 た 。 よ く 聞 こ え な い 彼 女 に 大 声 で 村 落 ヘ ル ス ワ ー カ ー (Village Health Worker、以下 VHW)や母子ヘルスワーカー(Mother and Child Health Worker、以下 MCHW)が話しかけ、すでに子どもが 3 人いること、いずれの家族計画も使 用していない(らしい)ことがわかり、同席していた他の妊婦らも加わり、これ以上子ど もを持つことは彼女のためによくないと結論付けられ、彼女や家族の意向は聞かれないま ま、避妊注射薬 Depo が投与された。 さらに、女性がリプロダクティブ・ヘルスに関連する健康希求行動を自ら選択・決定で きず、長期間健康問題に対し、何の対処も取られていなかった事例を紹介する。FCHV・ ANM とティルク村の FCHV 宅屋上で話をしているところへ、ティルク村の山側から一人 の女性が訪ねてきた。 <語り8> 「… yoni (女性性器)から何か出てくる。…2 年 くらい前から。この間のお産の前からちょっと変 で、そのままにして今の子どもを産んで、そしたら、なんだかいつもでてくるようになった。誰 にも言ってない(相談してない)。今日ここに(ANM や報告者が)来てるって聞いたから。 doko を担いだり、畑を耕したりしてると、もっと出てくるみたい、自分では見えないからよくわかん ないけど、いつも何かが挟まってる感じ。 srimaan は 知らない、話せないし。(FCHV は報告者 と ANM に、女性の夫が聾 唖者であることを教えてくれた。)そう、だから、srimaan には(どう したらいいかを)聞いてない。何も知らないし。 ( srimaan は)働きには時々行く けど、殆ど家に いる。知り合いもいないし。(ANM が他の症状を聞く と)下腹もずっと痛くて seto pani roog も (ある)。」(ミラ、女性・30 歳、カミ、農家) アルコールに依存し、日常生活に支障をきたしている夫による DV に苦しむ事例は、相談 相手・機関を持たない上、離婚は tulo manche(強い、偉い人)以外にはできないと考え、 一人で苦悩していた。 <語り9> 「本当に cinta laagnu(心 配がある)なの。去年から 1 年で 10 キロ体重が減った のよ。酒びたり で、酒を飲んでは暴力をふるう。あっ、srimaan が。どんどんひどくなる。今は飲まないと何もで きないから、ただ家で横になってて、一度飲み出したらもうどうにもならない。あっちこっち歩き 回ってけんかしたり、転んで怪我したり、橋から落ちたり、問題ばかり…。私のところにあるお金 はみんな酒代に消えちゃう。どうしてこんなことになったのか…ケ・ガルネ?本当にもうどうして 8 いいのかわかんない。離婚?そんなこと、ここではない。ここらで離婚した女性(ヒト)は、マオ イストの彼女だけ。彼女は特別。彼女は tulo manche だから。今日はディリチョールに泊まるの。 これで上(自宅のあある村)に帰らなくていいから、ゆっくりできる。」 (ディルガ、38 歳・女性、 チェトリ、母子ヘルスワーカー) 最後に、村の女性としての性やジェンダー役割を嫌悪し、自立の道を模索中の女性の例で ある。村で一般的な若年婚を拒否し、友人女性と仕入れや仕入れたものを 4、5 時間かけ て村まで運ぶこと、売り上げた現金管理まで行う未婚女性が、村にただ一人存在した。 <語 り 10> 「学校 は 2 年生で やめた。親に行かなくていいって言われたし、勉強もわからなくな っ た か ら 。 その後は、ずっと家の手伝いをしてた。女の人の仕事はたくさんあるから。インドンお出稼ぎに 行ったこともある。1 年働 いたけど、 saano manche だから、お金全然もらえなくて、本当はも っと長くいるはずだったけど、早く帰ってきた。することはここと一緒。畑仕事もしたし、工場 でも働いた。大変なこともあったけど、自分でお金を稼ぐのっていいよね。ここらでは女の人は お金も自分でかせげないし、自分で何も決められない。私はそんなのいや。キラン(近所に住む 男性)の奥さんは、いつもキランが raksi とか、賭け ごとにお金を使っちゃうって泣いてる。昨 日ここにも来て、『キランに何も売らないで』って、頼んで行った。長い髪も嫌い。 格 好 だ っ て 、 あんな(女性のサリーやクルタ・スルワール)のは好きじゃない。 (短髪にキャップジャンパーに、 ジーパンをこしまで下げて履いている)この方が好き。店は 8 カ月前に始めたば かり。女だけで 店をするって、新しい考えだよね。時々、市場に仕入れに行ったり、おもしろいよ。私は、結婚 しない。父も母も早く、早くって言うけど、『あんまり言うと家を出てってやる』っ て 言 っ て る 。 30 歳まで結婚しなかったら 、ここらでは(女性は)もう結婚できないって言われてるから、それ まで一人でいるつもり。男の人も好きじゃないし。女なのが変な感じ。学校に行く頃には女の格 好もしたくないし、生理がきたり、胸が大きくなるのはすごい変な感じがしてた。男の恰好をし て、誰も何も言われなくなって、今はこれでいい。」(ウッタラ、女性・18 歳。チ ェトリ、 小売店経営) (3) ディリチョール V.D.C.における住民の健康観・リプロダクティブ・ヘルス観と健康希 求行動 ① 住民の一般的な健康観と健康希求行動 FGD の男性参加者 7 名はみな、自分は健康であると答えたが、それと対照的に、女性の 参加者 6 名は全員が健康でないと答えた。男性が健康の基準として「働ける」「食べられ る」をあげたのに対し、女性のそれは「悩みがない」 「痛みがない」 「家族の世話ができる」 「家の仕事ができる」であった。また、女性が自分は健康でないと答えた理由は、下腹部 痛、腰背部痛、膣分泌液の異常といった症状を数カ月単位で有していたためであった。 さらに、健康でなくなったと感じた時に取る行動としては、男性は SHP や売薬の利用、 それで治癒しない場合、あるいは精神の病・原因不明の憑物の場合は伝統治療医を利用す ると答えた。また、時として薬草の内服も行うと答えている。これに対して、女性の行動 9 は身体的・精神的問題のいずれにおいても基本的には伝統治療医と SHP の利用に限定さ れ、これら二つの受診先を行ったり来たりしていた。 ② 保健職および伝統治療医からみた住民の健康観と健康希求行動 SHP に勤務する ANM、ディリチョール V.D.C.に 2 件あるうちの一軒の薬局を経営する 医療助手(Community Medicine Auxiliary, 以下 CMA)、伝統治療医ダミへの聞き取りを 行った。 <語り 11> 「 SHP に来るのは殆ど が女性。ここはただから。畑仕事をちょっと休んでここまで来るのは可能。 でも、お金がかかるサービス、薬局で薬を買うとか、郡病院に行くとかは、女性が自分で決められ ないから、そこから先(のサービス利用)は無理。というより、女性は仕事が多すぎ、産後だって、 特に何か栄養のあるものを食べるとか、ネワールみたいに産後 1 カ月休んで、マ ッサージを受ける とかの特別なケアはないし、この女性は本当に厳しい。」 「薬を飲んだら、それですべてが解決すると思ってる、清潔にするとか、栄養を取るとか、もっと 予防できることはあるのに、薬だって正しく飲まないし、無駄にもしてると思う。無料だからかも しれない。少しでもいいからお金を払ってもらって、その効果余暇、副作用とかも考えて、大切に 薬を使うことも知ってもらう必要がある。FCHV も村 に人も同じようなところがある。」(ソバ、女 性・23 歳、チェトリ、ANM) <語り 12> 「女性と男性ではとて も違います。男性はちょっ と し た 傷 、 頭 痛 で も す ぐ に 薬 を 買 い に 来 る け ど 、 女性は何日も、何週間も経ってから来ます。いつも遅れてくる。ここでは女性は現金を扱えないか ら、薬を買うのにも、ちょっとしたお金を使うのにも夫の許可がいるんです。まあ、ここでは女性 がお金を使う習慣もないんですが。5ルピーでさえ、どのくらいの価値があるのかわからないとか、 お金が数えられない人も少なくないと思います。最後に来た患者の3人ですか?男性は切り傷、頭 痛、熱ですけど、女性の場合はもっと重症で乳房膿瘍の切開後の消毒、喘息、下痢で してた、確か。 乳房膿瘍の人はかなりひどくなってから来ましたよ。SHP に行っても切開はでき ませんから、お金 がかかってもここに来ましたね。今日も消毒に来ました。もっと早く来れば早く良くなるのに、女 性はいつも来るのが遅れてしまうんです。それは、お金の問題以外に、 (診察を受けるのを)受診が 恥ずかしいせいもありますね。ここで点滴を受ける人もいますよ。点滴はボトル一本で 80 ルピー、 他に点滴セットが必要ですから、まあ、大体ですけど 200 ルピー位かかります。( 大変ですね。)村 人だって必要なら払いますよ。そう言えば、点滴を受け る人はみんな女のひとですね。抗生剤でも、 栄養剤でも、脱水を治すためにもします。 (木製の長椅子をさして )そこに数時間横になっていくん ですよ。他に女性で多い病気ですか?皮膚の病気に、月経困難症とか、性器の不正出血もあります。 病気の理由は、そうですね、女性の場合は何より働き過ぎです。あとは清潔の問題もあると思いま す。下着をつける習慣もないですし、それで地べたに座ることも多いですから。生理用のナプキン なんて、勿論ありません。布を挟むだけですね。どんな時にダミに行くかというと。原因はわから ないけど突然病気になった時とか、DV とか、精神の 病気とか。僕は行きませんけど、村人はよく 行きますよ。ここに来るのは、SHP で薬が手に入らな い人が多いと思います。」 (ドゥルバマン、男 10 性・26 歳、CMA、薬局開 業歴 2 年) <語り 13> 「熱が出たり、頭が痛 くなったり、おなかが痛くなってくるのが多いね。こういうのは bhut (死 者の霊)がついてなるから、これには米と灰を混ぜたものをかけて治すんだ。それで治らなければ ディリチョール(の SHP に行く)、その次は郡病院だね。他には、精神的におかしくなったときに 来るよ。治し方は同じだね。でも、病気は治せないよ 。これは病院に行かないといけない。 (病気を 治すのは)医者の仕事。」 「女のひとの問題は、そうだね、お産に関係するのが多いよ。 (妊娠中の)頭痛、意識が混濁すると か。こういうのは dhewata (神)の仕業だね。 paatheghar niskhane (子宮脱 )もい るよ。(その理由 は)お産でしょ。お産が大変だったり、重い物を運んだり。ここいらの女のひとはたくさん仕事を するからね。私が治せるかって?治せないよ。病院に送るね。 seto paani bogne もいるよ。それは kamojori( 虚弱)だからなるんだよ。raagat bogne(性 器からの不正出血)も同じ理由。でも、raagat (出血)は危険だから、病院(SHP)に行かせる。」 「お産も手伝うかって?するよ。頼まれればね。お産の時は五人必要だね。一人は水を運んで来る 人、一人はお湯を沸かす人、一人は tel(油)を体に塗 る人、他はお産を手伝うね。砂糖水を飲ませ るのもお産を簡単にするよ。これまで 7 人のお産を取 ってる。 (次々と女性らの名前をあげ、)FCHV のチャンドラのお産も取ったんだよ。チャンドラは殆ど死にかけた。一時、意識がなくなったんだ からさ。だけど、私が何とかして助けたんだ。」(ケマ、女性・52 歳、チェトリ、 農家とダミの 兼業) 語り 11~13 によって、第一に、女性住民のサービス利用は費用負担の有無に関係して選 択され、その受療タイミングに影響を受けていること、第二に、住民が持つ薬への過信と 非効果的な服用の実態、第三に、村の女性は身体変調を感じたら薬をもらいに SHP に行 くとしながらも、分娩から精神の不調など幅広い健康問題で伝統治療医を利用している現 状が明らかになった。 ③ 農民女性が日常で認識しているリプロダクティブ・ヘルス問題と健康希求行動 女性自らが認識している性・生殖器関連の病気として、子宮脱、生殖器感染症、骨盤腹 膜炎、産科漏孔、性器不正出血、尿路感染症、DV があげられた 5 (表、参照)。子宮脱に ついては、 patheghar niskhane 、 patheghar jaune 、 aan khasne 、 aan niskhane とネパ ール語で四通りにも表現されており、いずれのネパール語表現も、子宮が骨盤の中に収ま っている解剖学的正常を逸脱し、膣から外に出てしまった現象を捉えていた。生殖器感染 症については膣分泌液の性状により、白い水 seto paani 、あるいは、臭い水 ganaune paani が出る病気、骨盤腹膜炎は女性の下腹部痛や腰痛を生じる病気、産科漏孔については尿が 漏れる病気と具体的な表現を用いて共通認識がなされていた。 こうした問題の原因として共通にあげられたのは、働き過ぎや栄養不良、それに加えて 5 ネパール語による病名・症状名と英語診断名との対応は、SHP で診察・診断し ている ANM にインタ ビュー後に確認をした。 11 表 住民が認識するリプロダクティブ・ヘルス問題と健康希求行動 ネパール語による病名・症状名 診断名 住民が考える原因 働き過ぎ 栄養不良 健康希求行動 kamjori その他 労働軽減 休息 栄養摂取 SHP その他 受診 patheghar niskhane ○ ○ ○ ( 子 宮 が 出 て く る 病 気 )/patheghar jaune( 子 宮 が 出 て い く 病 気 )/ aan 子宮脱 khasne( 体 が 落 ち る 病 気 )/ aan 多産 ○ 清潔 多いものを運ぶ 股を広げて座ら debwi(女神)がつ ない いた 無料キャンプで niskhane(体が出てくる病気) の手術 seto paani roog(白い水の出る病気) ○ 原因不明 ○ ○ ○ ○ 生殖器感染症 ganaune paani roog(臭い水の出る病 無料キャンプで の手術 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 骨盤腹膜炎 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ pissab chuhine roog(尿が漏れる病気) 産科漏孔 ○ 原因不明 ○ ○ ○ ○ raagat bogne(出血) 性器不正出血 ○ 栄養不良 ○ pahelo pisaab hune ra pisaab polne 尿路感染症 ○ 原因不明 ○ 夫の暴力 DV 気) talo peto dhukhcha( 下 腹 部 痛 )/ kammar dhukhcha(腰痛) ○ ○ ○ raksi(酒) ○ ○ ○ 鉄剤の内服 ○ なし 仕事がない 原因不明 出所:聞き取り、FGD より報告者作成 12 虚弱 kamjor i であった。子宮脱については多産、重い物を運ぶという西洋医学診断に一致 して原因を捉えていた一方、女神 debwi がついたために子宮脱になったという回答もあっ た。 女性住民が考える主な健康希求行動は、労働の軽減や休息、栄養摂取、SHP 受診であっ た。子宮脱に関する健康希求行動として他に、清潔を保つことや、股を広げて座らない、 無料キャンプでの手術を利用すると考えていた。無料キャンプでの手術は、生殖器感染症 でも健康希求行動の一つにあげられた。DV に対する健康希求行動は「なし(行動を取ら ない)」であった。 (4)考察 本報告では、ディリチョール V.D.C.における住民の健康観・リプロダクティブ・ヘルス 観が明らかになると共に、それらと国際的なリプロダクティブ・ヘルス/ライツ概念とに ずれがあることがわかった。 ディリチョール V.D.C.の住民のリプロダクティブ・ヘルス観の主な特徴は 3 点である: a.15 歳を性・生殖行動が開始されるのにふさわしい成人とみなす、b.妊娠・産褥期の女性 は通常と変わりなく、特別な配慮は不要、c.女性の生殖器疾患の原因の一つを kamjori (虚 弱)とし、治療の要否の決定や受診機関の選択をするのは夫と考えている。そして、リプロ ダクティブ・ヘルスの実態として、a-1.15 歳周辺での結婚とそれに伴う若年妊娠・出産が 常態的にある、b-1.妊娠中や産後も水汲み・畑仕事の労働に従事し、産後検診は利用され ず、流産や子宮脱事例も少なくない、c-1.生殖器疾患の治療までに月単位の未受診期間が ある、c-2.女性は男性に相談しないで受診できる無料の保健サービス(SHP 受診)と伝統 医療を往来していることがわかった。以上より、ディリチョール V.D.C.においては女性の 地位の低さや、身体機能が成熟する前の結婚や妊娠、出産を普通とみなす社会準規の存在、 そして、生活を維持するため妊娠期から産後も軽減されない労働負担とそれを当然とする 伝統的価値観、病気の原因を kamjori とするリプロダクティブ・ヘルス観の理解が、不可 欠だといえる。女性が健康価値基準として用いる「強い」 「弱い」は、農村で生きる存在と しての価値基準となっているとも考えられ、女性の健康改善を図る際にはこの点への介入 が必要だとも考えられた。 レイニンガーは、 「人間の営むすべての文化が、安寧、健康、病気の状態を知り、説明し、 そして予測するために、なんらかのケアの形態、パターン、表現、構造をもっている」 (レ イニンガー 2012、p.25)とした。ケアがいずれの文化、いずれの集団においても、文化 に基づいて構築されているという文化ケアの肝要性を再認識しなくてはいけない。そして、 実践に際しては、 「 支援事業の実施=何かを教える→教えるべきことがある→教えるべきこ とさえやればそれでいい(小國 2011、p.133)」といった開発支援事業の現場の雰囲気の 見直しや、「支援事業の実施=何かを伝えたり、学んだりする→持ち込める情報もあるが、 何が有効かは学ばないとわからない→お互いにギブアンドテイクの関係である(小國 2011、p.133)」ことを心に留めておかなくてはいけない。また、佐藤の「「開発のことば」 は「人々のことば」であるか(佐藤 2011、p.159)」を借りて表現するならば、保健プロ グラムで用いられる言葉が人々のことばと成り得ているのかということへの問い直しがあ 13 る。さらに、佐藤を引用して、 リプロダクティブ・ヘルスとは、「生殖と性に関する健康」という意味であるが、その達成に は性についても自己決定できることが必要である。それには日常生活での自己決定そのものがで きなければならない。(佐藤 2011、p.158) ディリチョール V.D.C.の女性のリプロダクティブ・ヘルス改善においても、ディリチョー ル V.D.C.というローカルのリプロダクティブ・ヘルス観に立脚し、その社会が積極的に認 容する、具現的な対策が必要だと考えられた。 4.結論 今後、西ネパールという地域特性に根ざした、住民が実践するリプロダクティブ・ヘル ス改善のために、実践する住民が話し、共感できる言葉やその地域に適した手段を用いた 取り組みが不可欠である。情報へのアクセスに乏しく、識字を有さない成人女性の割合の 高い当該調査地においては、住民によくわからない言葉やリーフレットで一律的な概念・ 取り組みを振りかざしても、一過性の効果しかもたらさない。それに代わり、年に 1 回、 住民が楽しみにするダミのお祭り(での演劇)、生活で身近な相談相手であり、女性の避難 場所となっているダミ、インフラ整備の行き届かない地域における中波放送等の上手い活 用方法を住民と共に考えていく。 そして、その日の食料確保が最優先課題になっている地域では、 「食べること」を達成せ ずに、 「健康でいること」を説くことに共感を得ることはあり得ない。複数の女性が健康問 題を kamjori (虚弱)、sano manche (小さい、弱い、力のない人)と関連付けて捉えている ことから、これら価値観へ影響を与え得る取り組みは重要である。そうした取り組みが、 これまで農民女性が信じてきた「強い」「弱い」や「大きい」「小さい」といった、固定化 した二項対立的価値観に多様性をもたらし、個々の女性やそれを取り巻くコミュニティの あり方を自ら変容させていく可能性を有する。 参考文献リスト 石井溥編、1994、『もっと知りたいネパール』、弘文堂、251 頁 小國和子、2011、「6 カンボジア農村でかかわりを考察する」、小國和子・亀井伸孝・飯 嶋秀治編、 『支援のフィールド・ワーク 佐藤峰、2011、「第 7 章 開発と福祉の現場から』、世界思想社、121-138 「人のことば」と「開発のことば」をつなぐ試みー開発援助に おけるコミュニケーションを再考する」、佐藤寛・藤掛洋子編、 『開発援助と人類学 冷 戦・蜜月・パートナーシップ』、明石書店、154-176 頁 ハルドン・A.、S.ファン・デル・ヘースト他、2001、石川信克・尾崎敬子監訳、『保健と 医療の人類学』、世界思想社。 マデリン M.レイニンガー、2012、稲岡文昭監訳、『レイニンガー看護論 文化ケアの多 様性と普遍性』、医学書院 14 D.C.Dutta.2008.Textbook of Gynaecology, first edition . Kolkata:New Central Book Agency(P)Ltd. Mid Western Regional Health Diectorate.2011. Annual Report Mid Western Regional Health Directorate 2067/2068(2010/2011) . Kathmandu: Ministry of Health and Population 15 開発主義体制下のエチオピアにおける 保健医療政策とHIV陽性者・障害者のニーズ 西真如 京都大学 E-mail: nishi@jafore.org キーワード: HIV 陽性者、エチオピア、開発主義体制、障害者、保健ニーズ 1. はじめに 本報告では、エチオピアで生活する HIV 陽性者および障害者の生活の質を向上させるための 取り組みについて、同国の保健医療政策との関わりに着目して検討する。エチオピアの保健医療 政策は近年、ポスト MDG の政策目標に関する議論の文脈において低所得国のモデルケースと見 なされることがある (Balabanova et al. 2013)。しかし実際には、エチオピアの保健医療政策はトップ ダウン型の国民動員による保健指標の向上に重きを置くものである。この手法は、HIV を含む感染 症対策としては効果的であるものの、陽性者や障害者の多様な健康ニーズに応えることを通してか れらの生活の質を向上させるという視点を欠いている。障害の社会モデルを前提とした開発アプロ ーチの視点から、エチオピアの保健医療政策およびその背景にある同国の開発主義体制の問題 点について概観することが、本報告の目的である。 与党エチオピア人民革命民主主義戦線(EPRDF)による事実上の一党体制のもとにある同国政 府は、過去十年間の急速な経済成長を背景として、一種の開発主義体制の構築を目指してきた。 ここでいう開発主義体制とは、国家が開発の資源を独占して国民の福利の向上を目指した大規模 な公共投資をおこなうと同時に、市民社会を政策決定の場から排除し、社会経済開発における非 政 府 組 織 の役 割 を厳 しく制 限 する体 制 のことである。開 発 資 源 を政 府 が独 占 する傾 向 のもとで、 HIV 陽性者や障害者の生活の質を向上させるために当事者の組織が果たす役割は厳しく制限さ れてきた。ただし同国のふたつの当事者運動を比較するならば、HIV 陽性者団体が全国的な活動 ネットワークの形成に成功し、厳しい政策環境の中でも政府との一定の交渉力を発揮してきたのに 対して、障害者団体はより厳しい状況に置かれている。本報告では、ふたつの当事者運動にこのよ うな違いが生じた要因についても触れる。 2. エチオピアの保健行政と HIV 陽性者・障害者のニーズ 開発主義体制下のエチオピア政府は、保健衛生に関する基礎的な知識を国民に伝達する役割 を担う保健普及員の全国配置を軸として、保健分野への投資を推進してきた。2005 年に発表され た政 府 の第 四 次 保 健 セクター開 発 計 画 (HSDP-IV)では、保 健 普 及 員 の養 成 と配 置 が最 重 要 課 題と位置づけられ、2009 年までに 3 万人を超える普及員が全国の農村に配置された (Koblinsky et al. 2010)。エチオピアの保健普及員は、有給で雇用される地方政府職員であり、地域住民の健 康を改善するための基礎的な保健知識・情報の普及活動をおこなう (Workie and Ramana 2013)。 保健省が目指すのは、基礎保健に関する知識を国民に届けるための一貫した制度づくりである。 同省は 2012 年から、保健普及員と連携して地域で活動する「開発部隊」の組織化を進めている (Kesetebirhan 2013)。開発部隊とは、政府がすべての国民を地域開発の取り組みに動員する目的 でつくらせる、近 隣 組 織 の一 種 と考 えて良いだろう。開 発 部 隊の構 成 員 となるのは女 性であり、彼 女らはそれぞれの地域 で活動する保健普及員 の指導を受けて、保健 分野を中心とする政府の開 発プログラムの普及のために無 償で貢献することが求められる。開 発部 隊の活 動状 況は、地方 政 府が設置する専門の調整委員会によって監視されることになっており、これら委員会の報告は連邦 政府に集約される。 行政上は、保健政策の実施は地方政府の任務であり、保健普及員の活動も地方政府の保健当 局の指揮下に置かれる。しかし実際には、保健普及員および開発部隊の活動は、政府の政策メッ セージを国土の隅々にまで届けるための一貫したシステムを構成しており、その活動は調整委員会 を通じて、政府の監視下に置かれるのである。このようなシステムは、全ての国民に等しく保健サー ビスを提供するという目的を超えて、政府が(すなわち与党 EPRDF が)開発の人的・制度的資源を 独占的にコントロールする体制を、社会の隅々にまで張り巡らせるものだと理解することができよう。 保健普及員と開発部隊からなる地域保健の枠組みは、事実上の一党体制をしく EPRDF が築き上 げてきた開発主義体制の一翼を担うものと考えられる。 同 国 政 府 の保 健 政 策は、トップダウン型 の画 一 的な介 入 が有 効な分 野 では、実 際 に国 民 の生 活の質の改善に貢献してきたといえるだろう。たとえば HIV 感染症の分野においては、予防に関す る知識や医療の普及で新たに HIV に感染する者が減少するとともに、HIV 治療の急速な普及によ って、HIV 陽性者の生活の質が大きく向上したのである。政府は HIV 感染症対策で顕著な成果を 挙げてきたのに対して、障害問題では政策目標を示したのみで、障害者の生活の質を向上させる 具体的成果に至っていない。これはひとつには、制度上の問題として理解することができる。HIV 対 策を主管する保健省が、保健所という拠点および保健普及員という人員を全国に展開している、つ まり国民生活に直接働きかけるチャネルを有しているのに対して、労働社会福祉省は、それに匹敵 するような実施機関を持たない。エチオピアの社会福祉行政は、実質的に政策立案の機能しか持 たないのである。 もっとも当時者の生活の質につながる開発という視点からは、エチオピア政府による HIV 対策・ 障害対策は同様の問題を抱えていると言うべきだろう。エチオピア政府による HIV 対策の顕著な成 果は、国 民 全 般を対 象 とした予 防と治 療の分 野 において達 成されたものであり、全般 的な健 康 指 標の改善には結びつくが、個々人が抱える多様な健康ニーズには無関心である。保健普及員の活 動は疾病予防に重点を置くもので、HIV 陽性者の生活を個別に支援する訪問ケア (Home-based Care) の よ う な 活 動 は 視 野 に 入 っ て お ら ず 、 同 様 に 障 害 者 の 生 活 支 援 を 目 的 と し た CBR (Community-Based Rehabilitation, コミュニティに根ざしたリハビリテーション) のような取り組みも 視野に入っていない。エチオピアの保健政策およびその主軸である保健普及員活動は、感染症対 策のようにトップダウン型 の情 報 提 供 によって国 民 全 般の健 康 指 標を改 善する取り組みでは有 効 であるが、個人によって異なる多様な保健ニーズに応えるような取り組みは前提とされていない。 3. 当事者の運動 次に HIV 陽性者と障害者の当事者団体の取り組みについて、報告者が 2013 年 8 月から 2014 年 12 月までの間に次の四団体を対象として実施した聞き取り調査にもとづき検討する。 エチオピア HIV 陽性者ネットワークのネットワーク(NEP+):2004 年に設立され、500 の陽性 者 団 体 が参 加 するネットワーク組 織 である。全 国 の陽 性 者 団 体 の意 見 集 約 および活 動 資 金の配分に関わっており、連邦政府に対しても一定の交渉力を持つ組織である。 ファナ HIV 陽性者協会:南部州グラゲ県で活動する HIV 陽性者団体であり、訪問ケア活動 など地域に密着して当事者の生活を支える活動を実施してきた。 エチオピア身体障害者協会:身体障害者の全国組織として設立されたが、ネットワークハブ としての機能を十分に果たしていない。構成員が必要な優遇措置を受けられるよう、公的機 関を含む各種機関に宛てたサポートレターを随時発行している。 ワレダ 5 障害者権利協会:アジスアベバ市内のワレダ 5 地区で生活する障害者の権利団体 として近年設立されたが、現状では組織化率が低く活動のリソースは極めて限られている。 以下では、(1)当事者団体のネットワーク化、(2)国際的な資金へのアクセス、(3)政府との交渉力、 および(4)当事者の生活の質の向上につながる取り組みの四点に注目して上記団体の活動を比較 する。 まず(1)から(3)の点については、HIV 陽性者運動と障害者運動とのあいだには顕著な違いが見ら れた。HIV 陽性者運動についてみると、NEP+が「ネットワークのネットワーク」体制の頂点に立つこと でエチオピアの HIV 陽性者運動を代表する地位を築いており、ファナ協会のように地域で活動する 陽性者団体は、資金と知識の両面で NEP+のサポートを受けて活動している。NEP+はグローバル 規 模の活動 リソースにアクセスを持つと同 時に、活 動を規 制する法令の解 釈では政 府 に対して強 い交渉力を発揮している。これに対して障害者団体は、NEP+に匹敵するような強力 なネットワーク ハブを持たず、組織 間 の協調関 係 も確立されていない。国 際的な身 体 障害 者運 動 のネットワーク やリソースからは孤立しており、また政府の政策に対して交渉力を発揮するというよりは、政府の指 導下でそれぞれ与えられた役割を果たそうとする傾向がみられた。 続いて(4)当事者の生活の質に直接結びつく取り組みについてみると、HIV 陽性者団体と障害 者団体のいずれもが、深刻なリソース不足に直面している。HIV 陽性者団体であるファナ協会は、 グローバルファンドおよび NEP+のサポートを受けながら、訪問ケア活動など陽性者の生活の質を支 える活動を積極的に実施してきた。しかしファナ協会は、生活上のさまざまな困難を抱えた構成員 に対して必要なケアを提供するだけのリソースを持っていない。2014 年になって訪問ケア活動への 資金提供が打ち切られたことで、クライアントの生活状況を確かめるアウトリーチ活動の機会が失わ れてしまった。障害者団体についていえば、エチオピア身体障害者協会のサポートレターのように、 ニッチな分野で重要な活動をおこなってきた事例があるものの、当事者の生活の質を支えるための リソースの不足は深刻である。 エチオピアにおけるふたつの当事者運動のあいだに上述のいくつかの点で顕著な違いが生まれ た背景としては、国 際的・国内 的な活 動環 境の違 いを指摘して良いだろう。国際 的な活動 環 境の 違いは、HIV 陽性者運動が世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)という卓越し た資金提供機関に支えられているのに対して、障害当事者運動にはそれに匹敵するパートナーが 見あたらないということである。NEP+はグローバルファンドの資金配分メカニズムに参画することによ って、国際的な資金へのアクセス、政府に対する交渉力、および国内の陽性者団体に対する求心 力を同時に高めることができた可能性が高い。 他方で国内的な活動環境の違いは、エチオピアにおける開発主義体制の成立と関係している。 NEP+が活動を開始した 2004 年は、グローバルな HIV 陽性者運動が大きな盛り上がりを見せてい た時 期であった。当 時 のエチオピアには、市 民 社 会 活 動 をおこないやすい政 治 的 環 境 があり、国 際的なリソースへのアクセスに対する障壁が低かった。これに対して障害問題は、2010 年頃からよう やく重要な社会的課題と認識されるようになったのだが、このときエチオピアにおいては既に開発主 義体制への転換が進み、市民社会に対して敵対的な政策環境が出現していた。とりわけ 2009 年 に連邦政府が施行した「慈善および協会活動に関する法令」 は、開発 NGO や当事者団体を含む 市民社会の活動資金に厳しい制約を課している。エチオピアの障害者団体は、この法令によって 国際的な活動資金へのアクセスを実質的に封じられている。 4. 考察 エチオピアの現政権は、保健分野の取り組みに多くの政治的・財政的・人的リソースを投入しな がらも、トップダウン型の制度デザインを強く指向し、HIV 陽性者および障害者の多様な保健ニー ズに応える意思を持たない。保健省が全国展開している保健普及員の活動には、訪問ケアや CBR のような生活支援の取り組みは組み込まれていない。したがって当事者のニーズを受け止め、その 生活を支える努力は、当事者の運動に委ねられている。当事者が抱える多様なニーズを最もよく理 解し、最も適切なケアを提供できるのは当事者自身であるという考えにもとづくならば、当事者の生 活支援を当事者団体に委ねるという政策判断は、ひとつの見識であるようにみえる。問題は、政府 が陽性者や障害者の生活支援を当事者団体に委ねながら、当事者団体の活動に必要なリソース を提供していないことである。また政府が開発のリソースを独占し、市民社会活動に敵対的な政治 的環境をつくりだすことによって、実質的に当事者団体の活動を困難にしていることが問題なので ある。 とりわけエチオピアの障 害者 運動は、国際 的なリソースへのアクセスを得られていないことによる 制約が大きい。同国の開発主義体制が当面のあいだ続くとして、そのもとでエチオピアの障害者運 動が置かれた状況を変えるためには、保健省との連携のもとでグローバルファンドの資金にアクセス している NEP+の経験が参考になるだろう。エチオピア身体障害者協会あるいはその上位団体であ るエチオピア障害者協会連合のような組織が、障害者運動のネットワークハブとして主管官庁であ る労働社会福祉省と連携し、同省を経由して国際的な資金にアクセスするような仕組みをつくれな いだろうか。ネットワークハブの形成によって障害者運動がより大きな交渉力を獲得すれば、政府の 政策策定や法令解釈に対して影響を与えることも可能になろう。 参考文献 Balabanova, Dina et al. 2013. “Good Health at Low Cost 25 Years on: Lessons for the Future of Health Systems Strengthening.” The Lancet 381 (9883): 2118–33. Kesetebirhan, Admasu. 2013. “The Implementation of the Health Development Army: Challenges, Perspectives and Lessons Learned with a Focus on Tigray’s Experience.” Quarterly Health Bulletin (Federal Democratic Republic of Ethiopia, Ministry of Health) 5 (1): 3–7. Koblinsky, Marge et al. 2010. “Responding to the Maternal Health Care Challenge: The Ethiopian Health Extension Program.” Ethiopian Journal of Health Development 24 (Special Issue 1): 105–9. Workie, Netsanet and Gandham Ramana. 2013. The Health Extension Program in Ethiopia. Washington DC: World Bank. ケニアにおける障害者の法的権利と当事者運動 ―ろう者の運動をとりかかりとして― ○宮本 律子(秋田大学) E-mail: miyamotor@gipc.akita-u.ac.jp キーワード:障害学,ケニア,障害者法制度,ろう者,開発 1.はじめに ケニアの障害者に関する学術的研究は,全体としてあまり数は多くない。根拠となるデー タが 2008 年に初めて実施された全国規模の障害者調査の結果が公表されるまで,存在しな かったからである。その後この調査のデータがインターネット上でアクセスできるようにな り,政府発表のデータに基づく研究報告がなされるようになってきた。一方,日本語文献は, 障害者政策や法制,当事者団体の活動などの全体像をとらえた調査研究はこれまでほとんど なかった。 本発表では,これまで発表されたケニアの障害者と法的権利に関わる文献資料と,最新の センサス (2009)とケニア全国障害者調査(以降,障害者統計 2008 )をもとに,ケニアの障 害者の権利に関わる法整備の変遷を,国レベルと当事者レベルで考察する。その具体的な例 として,ろう者をめぐる状況と当事者運動を見ていく。障害学における「障害」のとらえ方 は,障害の原因を個人の身体的機能の不全のみに帰し,障害者の社会参加の度合いは医者や 福祉施設を含む医療システムによって決定されるとみる「医学・リハビリモデル」から,障 害を個人の属性ではなく,個人と社会の関係から定義し,変革を求められるのは個人ではな くむしろ社会の側であり,どのような生活を送るかを決定するのは当事者である障害者の側 であると考える「社会モデル」へと変化してきたのであるが(杉野 2007,1-13;森 2013, 928),ケニアでも,世界の他地域と同様,慈善運動を出発点とする医学・リハビリモデルか ら社会モデルへと障害者をめぐる制度や運動が変わってきたのがよくわかる。ただ,国連の 貧困削減目標と障害者とを有機的に結び付けた「開発と障害者」という観点からの政策はま だ途上にあることを提示してみたい。 2.ケニアの障害者の概況 ケニアで初めての全国規模の障害者統計 (2008) によると,ケニア全体の障害者数は全人 口の 4.6%で,性別では男性 50.7%,女性 49.3%,障害の種類別では,身体障害が 34.1%でも っとも多く,次に視覚障害(30.2%),聴覚障害(11.7%)の順となっていることがわかった。男 女別に障害の種類別ごとの比率を表したものが表 1,障害者の多い 3 つの州の割合示したも 1 のが表 2 である 。 表 1 障害者統計(2008)(種類・性別による割合) 障害の種類 身体障害 Physical 視覚障害 Visual 聴覚障害 Hearing 言語障害 Speech 精神障害 Mental 自立生活困 難 self-care その他 Others 計 男性 (%) 女性 (%) 表 2 障害者統計(2008)で障害者の割合が高い州 障害者 全体に 占める 割合 (%) 順位 州(Province) 比率 ニャンザ Nyanza コースト Coast 6.8% セントラル Central 5.2% 49.7 50.3 34.1 1. 44.7 55.3 30.2 2. 50.9 49.1 11.7 3. 54.7 45.3 4.0 54.3 45.7 5.8 55.2 44.8 8.8 45.5 54.5 5.4 50.7 49.3 100 5.2% (州は 2012 年以前の旧制度による) (出所:NCAPD & KNBS [2008:22]に基づき筆者作成) 3.ケニアの障害者をめぐる運動と法制度の変遷 (1)慈善運動 記 録 さ れ て い る も の で 最 も 古 い 障 害 者 の た め の サ ー ビ ス は ,1946 年 の 救 世 軍 教 会 (Salvation Army Church)による盲人プログラムである。 (2)リハビリテーション 宗教団体の慈善活動が活発になるに従い,次第に英領ケニア政府もこれらの学校に教師や 経済的援助を行い始め,運営にもかかわるようになった。1950 年代には,植民地立法府に より,障害者への特別なサービスを提供するための法令が作られた。これらの法令により 1953 年ケニア身体障害者協会,1956 年ケニア盲人の会,1958 年にケニアろう児の会が設立 された。また,政府主導とは別に,様々な非政府団体も活動を始めた。例としては,Sight Savers, Sense International, Leonard Cheshire Disability, Handicap International などのヨーロッ パ,特に元の植民地宗主国であったイギリスの人々が主導する形のリハビリテーション型の 活動であった。ろう者に関するものとしては 1961 年に,オランダの修道女会と宣教師のグ ループによってケニア西部に二つの初等ろう学校が建てられた。 (3)当事者による運動 ケニアの障害者自身が社会参加を求めるものとしておこなわれた運動の中で特筆すべき出 2 来事が 1964 年におこった。障害者のグループがナイロビのステートハウス(現在の大統領 官邸)の前で夜を徹してのデモを行い,当時の大統領ジョモ・ケニヤッタに対して,障害者 が社会参画から疎外されている状況を改善してほしいと求めたのである (Disability Rights Promotion International. 2007:32) 。これに対して,ケニヤッタ大統領は同年,ケニアの教育 システムを植民地型からアフリカ独自の制度へと変革させることを目的として調査報告する 諮問機関 Ominde Commission を創設させた。この諮問機関はその後のケニアの教育制度を 形作る重要な答申をしているが,障害者に関係のあることとして,(1) 障害から生じる問題 に対する気づき(awareness) (2) すべての年齢の子供の交流,発達,教育に関わる障害の影響 に関して教師が知識を持つ (3) 障害者のためのサービスの質およびその実施の方法の向上に 向け政府が調整する,などが重要であると述べている。この報告の結果,障害者問題への取 り組みが徐々に広がっていく。1971 年には職業リハビリ担当部署が政府内に作られ,産業 リハビリセンターが全国 11 か所に開設された。その 4 年後には特別教育部門が教育省に作 られた。 その後,およそ 20 年間は障害者の当事者運動はあまり活発ではなかったが,この 1964 年 のデモを発端に始まった特別教育を受けた障害者たちが,力を蓄えていく時期だったと考え られる。1980 年代前半,ケニアのろう者として初めて博士号を取得した Ndurumo がアメリ カ留学から戻り,ケニアのろう教育の施策づくりの中核を担うようになった。1980 年代後 半になると,世界的に障害者自身のアドボカシー運動が盛んになるのと並行して,ケニアで も当事者による団体の設立が始まる。1989 年,およそ 130 のコミュニティ・ベースの障害 者団体が集まり,ケニア障害者統一連合(UDPK)が設立される。UDPK は非政府系障害者団 体の統括組織(umbrella body)であり,政府の障害者関連の政策・企画・評価に対するモニタ ーの役割を担い,障害者のアドボカシー活動において強い発言力を持つ。UDPK の積極的な ロビー活動の結果,1993 年,法務長官がケニアの障害者に関わる法制度の整備を担うタス クフォースを任命した。タスクフォースは国内を回り,障害者や非障害者からの意見を聴取 し,3 年後の 1997 年に法案をまとめ法務長官に答申した (The draft Bill to the Attorney General.1997)。これが 2003 年,ケニア初の障害者の人権を保護する障害者法(The Persons with Disabilities Act: PDA)として結実する。 4.障害者法(The Persons with Disabilities Act: PDA)の成立 2003 年に制定された障害者法(PDA)は,障害者に対するすべての差別を撤廃し,障害 者の人権を守るための全部で 49 条からなる法律である。PDA はケニア国政府が国連障害者 条約を批准する前年の 2004 年 6 月に発効した。 5.新憲法のもとでの障害者の権利 3 長期にわたる大統領の一党独裁体制崩壊後,長い準備期間と政治的紆余曲折を経て, 2010 年 8 月 27 日,ケニア新憲法が公布された。そして,障害者団体の地道なロビー活動の 結果,新憲法には障害者に関する条文も明記された。障害者の権利は次のように認定されて いる。 (1) 障害者は以下のような権利を有する: (a) 尊厳と敬意をもって処遇され,屈辱的ではない取り扱いを受けること (b) 障害者自身の利益に資する程度に応じて社会に統合された障害者用の教育機関にア クセスすること (c) すべての場所,交通機関および情報に合理的にアクセスすること (d) 手話および点字,そのほかの適切なコミュニケーション手段を使うこと (e) 障害から生じる制限を克服するための機器や設備にアクセスすること (2) 国家は,選挙および任命による組織のメンバーに少なくとも 5%の障害者が選ばれる という原理の漸進的実施を保証する(出所: The Bill of Rights 第 4 章第 54 条) 2013 年,新憲法下で初めて実施された総選挙で,史上初めて障害者を含むマイノリティ 代表の 14 名の指名議員(上院 2 名,下院 12 名)が選出された。上院に指名された 2 名の障害 者代表は肢体不自由・視覚障害各1名であり,下院議員の 12 名の指名の理由は明らかにさ れ て い な い が , 少 な く と も , ケ ニ ア 障 害 者 議 員 協 会(Kenya Disabled Parliamentarians Association : KEDIPA)に所属している議員は 3 名(アルビノ 1 名・肢体不自由 2 名)である。 国レベルへの障害者代表の選出はケニアにとって大きな前進である。 6.おわりに ケニアの障害者の権利の獲得の道筋は,慈善や福祉の受益者から,医学・リハビリの対 象へ,さらに,変わるべきは障害者個人ではなく,個人を取り巻く社会的環境であり,それ を変えるべく自らの意志で社会参画へという流れであった。2003 年に障害者法ができた後 も,それを着地点とするのではなく絶えず改正を加えてきたように,新憲法成立後も,障害 者の権利が擁護されるための具体的施策について今後議論が重ねられていくことだろう。そ の議論の中に障害者が入るということが開発の点から考えて最も重要である。新憲法により 立法の場に障害者の代表者を送り出すことができるようになり,また,手話や点字が公共の 場で用いることが定められるようになったことで格段の進歩が期待できるが,憲法はそれを 支える法律と政策によって実現される。公用語となり,法律が整いつつある手話に関する実 態を見るだけでも,障害者の社会参加のための政策の実施(例えば、手話通訳の資格認定制 度やその養成組織など)は,今後,まだまだ時間がかかるのではないかと思わざるを得ない。 日本語参考文献 杉野昭博 [2007] 『障害学 理論形成と射程』東京大学出版会. 森壮也・山形辰史 [2013]『障害と開発の実証分析―社会モデルの観点から』勁草書房. 4 アフリカにおける障害者とビジネス ―コンゴ川の国境貿易を例に― 〇戸田美佳子(国立民族学博物館) E-mail: toda@idc.minpaku.ac.jp キーワード: 中部アフリカ,身体障害者,生計,国境 1.はじめに アフリカ中部の大河コンゴ川下流の両岸には,世界でもっとも近接した二対の首都キン シャサとブラザヴィルが発展してきた。この両都市の港では,植民地期のベルギー領コン ゴ(キンシャサ)とフランス領コンゴ(ブラザヴィル)の時代から国境貿易がはじまった。 そして現在,コンゴ川流通の一端を担っているのが,両都市に暮らす身体障害者である。 彼らは国境をまたぐ移動をおこなうことで,現金収入をえてきた。 本発表では,2013 年 11 月および翌 2014 年 11 月にブラザヴィル市とキンシャサ市で 実施した現地調査に基づき,どれくらいの障害者がコンゴ川の国境貿易を担っているのか, 彼らの生計維持基盤はどのように維持されてきたのかを明らかにする。そして,彼らの国 境ビジネスが政策によってどのような影響を受けているのかを,2014 年 4 月にブラザヴ ィル市警察当局のオペレーションによって引き起こされた河港の変化に着目し,国家の統 制や規制の強化が障害者の生活に与える影響について考察する。最後に,コンゴ川におけ る障害者の国境ビジネスから見えてくる彼らの生計活動の特徴から,アフリカにおける障 害と開発の在り方を模索していく。 2. コンゴ川国境貿易と障害者割引制度 (1) コンゴ共和国の障害者政策 1990 年代の第一次,第二次コンゴ戦争により急激な社会変動に晒されたコンゴ民主共 和国や 2000 年代初頭まで内戦を経験したコンゴ共和国では,国内外の政治の混乱によっ て公の社会福祉は長く放置されてきた。 コ ン ゴ 共 和 国 は , 1992 年 に な っ て 初 め て 障 害 者 に つ い て の 法 律 と な る 「 障 害 者 の 身 分・保護・地位向上に関する法」を制定した。同じくして国務長官のもとに,障害者問題 を管轄する部署が設置された。その後,この部署は今日の社会問題・人道援助・連帯省と して独立した省庁になった。このように 1990 年代に障害者政策が進んだ背景には,コン ゴ共和国の大臣も務めたことがある障害当事者によって 1987 年に設立された全国コンゴ 障害者団体連盟の働きがあったといわれている。 コンゴ共和国では障害者手帳を支給すると法律で明記されているもののその運用はいま だに開始していない(隣国のコンゴ民主共和国においては,憲法第 49 条に障害者に関す る条文があるのみ)。その代わりに,コンゴ共和国とコンゴ民主共和国では,障害当事者 団体が発行するカードが利用されている。実質的に障害者が利用できる公的サービスは, この障害者団体によるカードを提示することによって利用できる公共交通機関(国営鉄道 およびフェリー)の割引制度のみとなっている。この限られた障害者サービスのなかで, 障害者の生活の糧となっていたのが,障害者割引制度を利用したコンゴ川を挟んだ二国間 の国境ビジネスであった。 (2) 障害者への優遇の始まり 2013 年 11 月当時,両都市は約 4 キロメートルの川幅を頻繁に走るフェリーや高速ボー トによって連絡されていた。両都市では,木材や燃料などの大型貨物船の発着地であるポ ート(Port)と一般の乗船客のためのビーチ(Beach) と呼ばれる港が国営企業によって 運営されていた。そしてこのビーチは,視覚障害者や車いすに乗る身体障害者といった大 勢の障害者トレーダーで溢れかえっていた。 ビーチで働く 50 代から 60 代の古参によると,1970 年代初頭,障害者による河川流通 が始まったという。ちょうどその頃に,マタディ号という大型フェリーが登場し,身体障 害者はベロ・バック(vélo bac)と呼ばれる運搬用の三輪車にまたがり大量の物資を輸送 することができた。そして旧ザイール時代に遡る障害者への優遇(faveur)措置の存在が 現在の両コンゴの障害者ビジネスへと繋がっていた。 2013 年 7 月 2 日付の新聞『テール・アフリカ』では,キンシャサで広く知られている 「第 15 条(Article 15)」―通称「デブルイエ・ヴ(Débrouillez-vous―自分でなんとか やっていけという意味)」―とよばれる生活戦略が,物乞いに代わる障害者の職業を生み 出してきたと報じている。「デブルイエ」とは,フランス語圏アフリカ諸国で広く使用さ れている用語で,(国や社会はあてにならないという諦めのなかでも)臨機応変にその場 を切り抜け,自分がなんとかやっていくということを表現している。旧ザイール時代,こ の「第 15 条」の用語および通称「デブルイエ・ヴ」と呼ばれる活動は,インフォーマル 雑業,そして機知と賄賂の表現としてキンシャサ市民に広く認知されるようになっていく。 そして旧ザイールの経済が混迷を極めていた 1980 年代中頃に,故モブツ大統領が国民へ の 演 説 の な か で “ デ メ ル デ ・ ヴ ( Démerdez-vous― 自 ら 上 手 く や っ て )” と い う 言 葉 を 用 い て,国に頼らずに生活していくように国民にメッセージを送ったと言われている。旧ザイ ール時代,経済状況は苦しく,障害者に対する公的支援をする金銭的余裕は国になかった のだろう。そういった状況のもとで,国家が敢えて明文化しないままコンゴ川における障 害者の優遇を暗黙の了解として執り行ってきた。こうして,キンシャサの障害者は社会に 支援を求めるのではなく,自らビーチでデブルイエし,生活を成り立たせてきた。 他方,コンゴ共和国には障害者を優遇する仕組みは公に存在していなかった。但し,コ ンゴ共和国のビーチでは隣国のコンゴ民主共和国に合わせ,非公式に障害者へのさまざま な優遇を実施するようになってきたという。 3.コンゴ川河港で働く障害者 2013 年 11 月,ビーチではブラザヴィル船とキンシャサ船の二隻のフェリーが毎日運航 朝 8 時から 18 時まで運行し,日に 1000 人を越す人びとが国境を行き来していた。そし てその半数 を占めるの が,障害者 であった。 キンシャサ では,一般 の乗客の運 賃は 1 万 8000 コンゴ・フラン(20 ドル)であるのに対し,障害者はその半額の 9000 コンゴ・フ ラン(10 ドル)が適用されていた。一方,ブラザヴィルでは,障害者と非障害者は同じ 5500CFA フ ラ ン ( 約 11 ド ル ) の 運 賃 が 適 用 さ れ て い た 。 ま た 両 国 の 障 害 者 は 介 助 者 (guide) として非 障 害者を同 伴 すること が でき,そ の 介助者に か かる費用 は 通行許可証 (laissez-passer―72 時 間以内の滞在が認められる)発行手数料だけとなっていた。この 障害者付き添い制度(guide handicapés)は,国境を越えたい多くの住人にとって,厳重 な国境のコントロールをすり抜ける方法として利用されてきた。当港職員はこの状況を 「それが彼らの仕事だから」と言い,暗黙の了解をしていた。さらに両国の障害者は荷物 を輸送する際の関税も優遇されていた。まず障害者は荷物二個まで関税をかけられない。 加えて非公式ではあるがそのほかの関税にも明らかな減免を受けていた。 このような両ビーチにおける障害者割引制度を使用して,障害者が各々の機能的な障害 に合わせた仕事を営んでいた。ひとつ目は,ビーチの仕事のなかでもっとも規模が大きく 有名な仕事である輸送荷物の仲介業であった。ブラザヴィル・ビーチでの仲介業は,ブラ ザヴィルに暮らす身体障害者が中心になって組織したアソシエーションが独占的に担って き た 。 ふ た つ 目 の 仕 事 は , 運 送 業 者 ( transporteur) と 呼 ば れ る , 前 述 し た 障 害 者 付 き 添 い制度を利用し,大幅な割引が適用される介助者として一般客を運搬する仕事であった。 この仕事は,主に両コンゴの視覚障害者が担っていた。みっつ目は,キンシャサとブラザ ヴィル の物 価の違 いを 利用し た小 売業( commerce) で あった 。最 後のよ っつ 目は, これ まで紹介してきた国境貿易や運搬とは異なる,ビーチ内で乗船客の荷物を運搬する仕事で あった。そのポーター業はろう者が担っていた。ろう者は 7~8 人のグループとなって, ろう者仲間と一緒に仕事をしていた。 コンゴ川における障害者の国境ビジネスは,政府に頼らず生活を成り立たせてきたコ ンゴ人の生き残り術のひとつとして生まれ,公的な機関や関係者と関わることで長期にわ たるビジネスを維持してきた。ただし,障害者の国境ビジネスは変動するアフリカの社 会・経済状況のなかで常に不確実性を内在してきたように思える。そして 2014 年,障害 者が担ってきたコンゴ川の国境貿易は大きな転機を迎える。 4.コンゴ川の障害者ビジネスと国家 2014 年 4 月 4 日 ,コンゴ共和国では内務大臣の承認のもと,警察によって「バタ ・ ヤ・バコロ Mbata ya Bakolo(リンガラ語で,弟への平手打ちの意)」作戦と名付けられ たコンゴ民主共和国籍の不法滞在者のキンシャサへの強制送還が始まった。それによりビ ーチで 30 年以上続いてきたブラザヴィルとキンシャサの人びとと物資の行き来が 2014 年 4 月以降停止していた。 コンゴ共和国の警察は,ブラザヴィルとキンシャサのビーチで利用されてきた両コンゴ 国籍のための通行許可証が,キンシャサから犯罪者の入国を許してきたと発表し,これま で 30 年以上続いていたビーチにおける通行許可証での移動を全面的に禁止した。2014 年 5 月 21 日より,両国ではパスポートおよび査証の取得が国境を渡るために義務化された。 富裕層および外交関係者は高速ボートや飛行機を利用していまだに国境を行き来すること ができるが,一般市民に対する査証の発行が制限されており,現状では市民はブラザヴィ ルとキンシャサ間を移動することができなくなっている。そしてビーチで働いていた障害 者トレーダーたち 100 人近くが,ビーチの活動の再開を,外に出ることなくただ家で待っ ていた(2014 年 11 月時点)。 5. おわりに 障害者の国境ビジネスは,障害をもっているからこそ,ある種の特権を得てきた。そし て障害者が組織してきた団体が「公認」されることで諸権力から保護され,煩雑で不透明 な国境貿易のなかで正当な立場を主張することで仕事を勝ち取っていった。このように, 公的な言説を現実化することで組織の運営が実践されてきた。これまでのアフリカの都市 研究のなかで指摘されてきた日常的な制度に対する「抵抗」のなかで読み解かれる集まり とも,共通する問題を解決するために相互に支え合う自助グループとも異なった集団や組 織であり,敢えて表するなら現代的なアフリカのギルドのようであった。 コンゴ川の国境ビジネスを担ってきた障害者は,さまざまな立場や地位,階層からなる 重層的なアフリカ都市社会の暮らしの難しさと危うさを私たちに伝えている。全体の機会 の平等や経済の自由化が進む規制の緩やかな社会では,コンゴ川の障害者ビジネスは誕生 しなかったであろう。他方,2014 年 4 月以降に突如として国家の統制が進み,規制が厳 しくなると,障害がある,ないに関わらず,人びとの生活は立ち行かなくなってきた。た だ国の制度や経済の問題は,非障害者以上に障害者個人の生活に多大な影響を与えていく ことは確かだ。 最後に,コンゴ川における障害者の国境ビジネスから明らかになった生計活動の特徴か ら,アフリカにおける障害と開発にむけて課題と展望を述べておきたい。コンゴの障害者 は国境をまたぐ移動をおこなうことで,現金収入をえるというしたたかな生計戦略を実践 してきた。このように,障害者の生活の糧となる資源のなかには,空間的に広がりをもっ ていることで生まれるものがある。国家や地域社会を越えた,アフリカの障害者の生業維 持基盤がそこにはある。国家の枠を超えた障害者の移動を含めた「障害と開発」のパラダ イムづくりが,今,アフリカでは求められているのではないだろうか。 フィールドワークをとおした実証研究によって障害者の資源を描き出すことで,その 地域特性が明らかになってくるかもしれない。このような事例研究の積み重ねによって, アフリカの障害者の生活圏を浮き彫りにすることは可能だろう。そうして初めてアフリカ の障害者の生計活動に応じた「障害と開発」の実現へ接近するのではないだろうか。 南アフリカの障害者政策 ―民主化後の「パラダイムシフト」と障害者権利運動の役割― ○牧野久美子 日本貿易振興機構アジア経済研究所 Email: Kumiko_Makino@ide.go.jp キーワード:南アフリカ、障害者運動、障害者政策、障害と開発、社会保障 はじめに 1994 年の民主化後、南アフリカ共和国では、基本的人権の保障を明確にうたった新憲法 を基礎として、アパルトヘイト体制下で差別を受けてきた人々の社会的・経済的地位の向 上を目的とするさまざまな政策や法律の整備が進められてきた。その過程において、障害 者政策もまた、 「パラダイムシフト」ともいえる根底的な変化をとげた。アパルトヘイト体 制の障害者政策が、もっぱら障害を医療・福祉の問題として扱っていたのに対して、民主 化後の政府は、障害の社会モデルやメインストリーミングを障害者政策の方針として公式 に採用し、政策決定過程への障害当事者の参加も進んだ。さらには、雇用におけるアファ ーマティブ・アクションや、黒人の経済力強化(BEE)政策のなかで、黒人、女性となら んで、障害者も歴史的に不利な立場に置かれてきたために配慮が必要なグループという特 別の位置づけを与えられた。こうした障害者政策の変化をもたらす原動力となったのは、 南アフリカの障害当事者の運動であった。 本報告では、南アフリカの障害者法制・政策の 枠組みについて俯瞰するとともに、南アフリカの障害者権利運動が民主化後の障害者政策 形成にどのように関わってきたのかについて 、イシューとしては多くの共通性をもちつつ 異なる展開を遂げてきた、HIV 陽性当事者運動との比較も念頭におきながら検討する。 1. 障害者法制・政策枠組み (1) 憲法 民主化後の 1996 年に制定された現行憲法の権利章典では、第 9 条で、「人種、ジェンダ ー、性別、妊娠、婚姻上の地位、民族的・社会的出自、肌の色、性的指向、年齢、障害、 宗教、良心、信条、文化、言語、出生」を理由とする不当な差別を禁止して いる。また、 憲法第 9 条 2 項では「平等実現を促進するために、不当な差別による不利益を被ってきた 人や、人的カテゴリーを保護し、あるいは地位を高めるための立法その他の手段がとられ なければならない」とされ、後述する積極的格差是正策の根拠となった。 (2) 障害者政策の全体枠組み 民主化後の障害者政策において最も重要な文書は、1997 年制定の全国総合障害戦略白書 (INDS)である。INDS は、政府のあらゆる部門の立法や改革において障害をメインスト リーミングするためのガイドラインとして策定されたもので、 開発過程に障害者が主体的 に関わるという開発アプローチの視点を明確に打ち出した点に特色があった。 INDS は、 過去の障害者政策が「障害の医療モデル」に基づき、障害者を社会のメインストリームか ら孤立させてきたと批判し、今後の障害者政策においては 「障害の社会モデル」を採用す ることを明示した。また、インクルーシブな開発枠組みのなかで障害者の開発に関わるニ ーズを認識し、それに応える必要性が強調された。 (3) 個別の立法・政策 南アフリカには障害に特化した単独の法律はなく、関連する 法律は多岐にわたるが、こ こでは南アフリカの障害者政策の特徴をよくあらわす、①差別禁止・積極的格差是正、② 社会保障、の二つの分野についてその概要を紹介する。 ①差別禁止・積極的格差是正 2000 年に制定された平等促進・不当差別防止法は、障害者が社会で活動するうえで必要 な設備を否定したり除去したりすること、政府が定める環境のアクセシビリティに関する 行動憲章に違反すること、障害者が平等な機会を享受するのを不当に制限するような障害 物を除去しない、あるいは障害者のニーズへの合理的配慮を怠ること を差別として禁止し た。さらに、積極的格差是正策として、1998 年の雇用均等法で、障害者の雇用促進(アフ ァーマティブ・アクション)、職場における合理的配慮の提供義務 が規定された。また、歴 史的に不利益を被り、経済の主流から排除されてきた人々の経済参加を促進する黒人の経 済力強化(BEE)政策のなかで、黒人障害者の管理職登用や技能開発などが評価される仕 組みが採用されている。 ②社会保障 南ア フリカ に は一般税収 を財源とす る 社会 手当制度 があり障害 者もその対 象とな って いる。南アフリカの障害者手当は、新興国のなかでも大規模なものであり、 障害者の生計 にとって重要な役割を果たしている。他方で、医学的なアセスメントによって障害者手当 の受給の可否が決定されることの問題点も指摘されてきた。すなわち、インペアメントゆ えに働けないことに対して手当が支払われるため、障害者の就労促進につながらず、かえ って労働へのインセンティブを損なうという問題である。 3. 障害者運動と障害者政策 (1) 南アフリカの障害者団体 南アフリカ の代表的な障害者団体として 、「南アフリカの障害者」( DPSA)と、南アフ リカ障害者連合( SADA)がある。DPSA が障害横断的な障害当事者団体として、加盟が個 人単位であるのに対して、SADA はさまざまな障害者団体の連合体という位置づけ である。 (2) 障害者政策の転換と障害者運動 DPSA は、アパルトヘイト体制下の 1984 年に、障害者インターナショナル(DPI)の誕 生・発展に見られる世界的な障害者の当事者運動と、南アフリカ国内におけるアパルトヘ イト体制からの解放を求める動きとの、双方の影響を受けながら、障害横断的かつ人種横 断的な障害当事者運動として誕生した。1990 年にアパルトヘイト体制に対する解放闘争を 率いてきたアフリカ民族会議( ANC、現与党) が合法化され、民主化の兆しが みえると、 DPSA は解放闘争のなかで障害者となった活動家を通じて ANC に積極的にアプローチし、 新憲法に障害者の権利を明記し、アパルトヘイト後の変革課題のなかに障害のイシューを 組み込むことを求めた。また 1991-92 年に「障害者権利憲章」を作成し、障害による差別 禁止や障害者の当事者代表性の確保を要求した。DPSA は、障害者の権利や障害による差 別禁止を憲法に明記させるために、他の運動と も共闘した。なかでも性的指向による差別 禁止を憲法に盛り込むことを要求した同性愛者権利運動が、障害者権利運動の主張を強力 に支持したとされる。結果として、新憲法のなかでは、障害、性的指向とも、不当な差別 事由の例として明記された。その後の INDS 策定にも障害者運動出身者が深く関わった。 INDS のなかで、医学モデルから社会モデルへの「パラダイムシフト」をもたらしたのは 障害者団体の力であることが述べられ、さらに、「障害の社会モデルにおける中心 概念は、 障害者団体を通じた障害者の当事者代表性の原則である」ことが明記された 。DPSA は障 害者政策の策定・実施・モニタリングの鍵となる公的機関に多数の当事者代表を送り込む ことに成功してきた。 (3) 障害者運動の政策的関心の所在:障害者手当をめぐる議論を中心に 差別禁止と当事者代表性は、差別的なアパルトヘイト体制からの解放をめざす政治闘争 と、専門家支配からの解放をめざす世界的な障害者運動との闘争という、二つの解放運動 が交差するなかで生まれた南アフリカの障害者運動の特徴を現す二大原則であった。それ に加えて、障害を開発の問題として扱うこと、障害者の開発参加をすすめることも、民主 化後の南アフリカの障害者運動が重視してきた点である。ここで開発参加とは、具体的に は、障害者が就業によって生活するに足る所得を得ることが想定されてきた 。障害による 差別禁止・合理的配慮義務、アファーマティブ・アクション、障害者の雇用目標、BEE と いった、障害者運動が強い関心を寄せてきた政策は、すべて 障害者が働いて生計を立てる ことができるという目標と密接に関連したものである。 しかし、失業率が高いなかでの障害者の 就労促進には限界がある。南アフリカの政治、 経済の中枢で活躍する障害者の存在感は大きいが、障害者全体のなかでは彼らは圧倒的に 少数派であり、就労していない大多数の障害者は障害者手当を主要な所得源としている。 障害者手当の障害者世帯の生計にとっての重要性を考えると、興味深いのは、 DPSA が障 害者手当にはあまり関心を払わず、むしろ 障害者手当を含む社会手当を、 「福祉政策」とし て開発と対立するものと捉えているように見えることである。 社会手当は社会開発省の管轄だが、同省はもともと福祉省と呼ばれていたものが改称さ れた経緯がある。2014 年から社会開発省が障害者政策を統括することになったが、それに 対して DPSA のスポークスパーソンは、そのような発想は障害を福祉の領域に押し込める 固定観念に基づく、時代に逆行するものであると批判し、障害者が 欲しているのは社会手 当ではなく、働いて家族を養うことができるようになることだと発言した 。 「社会手当では なく雇用を」という主張は、障害は福祉の問題ではなく開発の問題であるととらえる「社 会モデル」の認識枠組みの帰結といえよう 。南アフリカでは民主化後、社会手当を社会的 投資の意味合いをもつ開発的な政策と位置づけなおし、子どもを中心に支給範囲を拡大し てきた経緯があるが、上記発言にみられる DPSA の社会手当観はそれとは異なる。 障害者手当をめぐっては、2010 年に慢性病患者を障害者手当の対象から外すことを社会 開発省が検討していることが明らかになり、波紋を呼んだ。とくに激しく反応したのは HIV 陽性者の当事者団体で、障害者手当の打ち切りは多くの HIV 陽性者の治療継続を難しくし、 生命を危険にさらすことになると、公聴会で障害定義の見直しを強く求めた。他方で障害 者団体は、障害の社会モデルの用語法に沿って、条文中できちんとディサビリティとイン ペアメントを区別して用いることを要求し たものの、慢性病の問題については特に追及し なかった。結局、議論の末に障害者手当に関する文言の修正はまるごと撤回された が、こ の間の議論からは、HIV 陽性者団体と障害者団体の、障害者手当をめぐる 立場・関心の隔 たりが明らかになった といえよう 。また、両者は政策要求のアプローチも異な り、DPSA が与党 ANC とのつながりを利用して当事者代表を政府内各所に送り込むことで政策的影 響力を確保する戦略をとってきたのに対して、 HIV 陽性者の当事者運動団体である治療行 動キャンペーン(TAC)は、独立した市民社会組織として、大衆的な示威行動や、政府を 相手取った裁判などを通じて公的な医療支援の充実を図ってきた。障害者運動と HIV 陽性 者運動は、権利ベースアプローチに基づき、新憲法の権利章典に要求の根拠をおく点では 共通しつつ、要求の強調点や、要求実現のための戦略は大きく異なって きたといえよう。 おわりに 本報告では、民主化後の南アフリカにおける障害者政策と障害者運動の関係を検討した。 南アフリカの障害者運動の先頭に立ってきた DPSA の関心や戦略は、アパルトヘイト体 制からの解放という南アフリカ固有の文脈と、 DPI の誕生・発展という世界的な障害者運 動の文脈の、双方を映し出すものである。 DPSA は、アパルトヘイト後の変革課題のなか に障害のイシューを組み込むこと戦略によって、障害者は、黒人、女性とならんで、差別 禁止や、積極的格差是正の対象として特別な地位を与えられるようになった。同時に DPSA は、 「私たちのことを私たち抜きで決めるな」というスローガンで表現されてきた、世界的 な障害者運動が重視する当事者代表性の原則に基づき、公的機関に障害当事者代表を送り 込むことも重視してきた。 進歩的な障害者政策の枠組みが実現した一方で、それが南アフリカで暮らす障害者の生 活にどれほど直結する成果に結びついているかは、議論の余地がある。 障害者の就労がす すまないなかで、多くの障害者は障害者手当に頼る生活をしているが、 障害者運動は「福 祉政策」である障害者手当に強い関心を示さない。そこには、障害をもちながら高等教育 を受ける機会を得た層が中心の DPSA のリーダーシップと、フォーマル雇用とは縁遠い草 の根の障害者との意識の溝も垣間見える。 主要参考文献 森壮也編 2008『障害と開発:途上国の障害当事者と社会』アジア経済研究所 . 森壮也編 2014『アフリカの障害者:障害と開発の視点から』調査研究報告書、アジア経済 研究所。 Bugg, Mpingo Ahadi. 2001. Claiming Equality: South Africa's Disability-rights Movement Within the Nation's Struggle for Democracy, PhD Thesis, Yale University. Rowland, William. 2004. Nothing About Us Without Us. Pretoria: UNISA Press. アフリカの「障害と開発」 森 壮也 JETRO アジア経済研究所 E-mail: soya_mori@ide.go.jp キーワード: 障害,開発,アフリカ,HIV/AIDS,多様性 1.はじめに アフリカ諸国は近年まで紛争を経験し,そこには,現在も政治・社会的に不安定な状況 にある国が多々ある。そうした中で障害者はどのように開発に関与し得ているのだろうか, また開発への関与から排除されているのだろうか。東南アジアや南アジアでの「障害と開 発」分野での知見は,この地域における彼らをも包摂した開発に寄与しうるのだろか。本 セッションはこうした疑問に答えるため,サブサハラ・アフリカ i 諸国研究の蓄積を基盤に, アフリカ地域における障害と開発の政策と実情を明らかにした上で,各国での問題点の違 いや共通する課題について分析することを目的としている。本セッションでは,アフリカ 全域ではなく,中東に含まれることの多い北アフリカを除くサブサハラ・アフリカ諸国を 取り上げる。中でも特に東アフリカからエチオピアとケニア,西アフリカからコンゴ民主 共和国とコンゴ共和国,南部アフリカから南アフリカを取り上げる。各報告では,障害を 個人の責任や医療の問題としてとらえる従来型の障害の個人・医療モデルではなく,障害 を社会の問題としてとらえる障害の社会モデルの観点がベースとなる。アフリカについて の分析は,これまでアジア経済研究所の「障害と開発」に関わる研究の中で明らかになっ てきたアジア地域における実情とは異なる様相も見せており,2015 年からのポスト MDGs を考える際にも,より広い視野を提供してくれる。 2.国際的な流れと「アフリカ障害者の 10 年」 1981 年の国際障害者年以降,世界的な障害者の完全参加と平等に向けた取り組みは, ii 途上国においても積極的に行われた。特にアジア太平洋地域では国連 ESCAP がリ ー ダ ー シップをとって, 「アジア太平洋障害者の 10 年」が 1993-2002 年に実施された。この取り iii 組みはタイやマレ ー シア,シンガポ ー ルなどで大きな成果を挙げ,その後,残りの CLMV 諸国を対象に 2003 年から 2012 年までの第二次 10 年 が実施され,さらに第三次の 10 年 が仁川戦略文書を元に, 2013 年から 2022 年までの 10 年間を対象期間として現在実施さ れている iv 。こうした成功の背景には同ブロックの全体的な経済発展もあると考えられる が,日本や中国などの国々が中心となって積極的な支援が行われたこともある。 このような地域的な取り組みは,アジア太平洋のみならず,世界的に実施されてきてい 「アフリカ障害者の 10 年」が最初,1999 年 vi -2009 年に る v 。しかし,アフリカ地域では, 設定されたが,事務局のコ ー ディネ ー ションの問題により,この期間に同地域で進展はほ とんどみられなかった(長瀬 2006 )。その後,改めて第二次アフリカ障害者の 10 年が 2010-2019 年の期間で現在,実施されている。その中間年にさしかかる 2013 年 -2014 年 にあたって,現在の課題を整理することは,開発課題に明確なビジョンを与えることにも なる。アジア太平洋地域での成果がどこまでアフリカ地域に応用可能なのかも検証しない とならないだろう。 3.アフリカの障害と開発へのアプローチ アジア諸国に比べて,アフリカ諸国は貧困問題,HIV/AIDS 問題の大きさ等,開発に関 わる問題がさらに大きい地域である。このことはアジア諸国のような経済成長を背景とし た政府による政策的介入を,容易に期待できない環境があることを意味する。そうしたア フリカ諸国が抱える開発への壁は,障害当事者にとってどのように影響しているのか,ま たそれらの問題への処方箋はあるのか,問われている問題は多い。 以上の問題意識に鑑み,本セッションの各報告では,アフリカ地域における障害当事者 団体へのアクセスについての言及や社会の枠組の中の障害( Disability )を見出すことを, 共通主題とした。ベースとなった研究会では,各国の地域研究の蓄積をベ ー スに,障害学 の枠組みで統一的に把握することを目指した。すなわち,これまで単発で出て来たアフリ カ諸国の障害者についての研究を,改めて障害を障害者個人や医療の対象に還元してしま う「障害の医療・個人モデル」ではなく, 「障害の社会モデル」の観点からまとめた。つま り,社会の問題として機能的障害がある時に障害者が直面する障壁を Disability と呼んで, 社会のあり方を考えるという「障害の社会モデル」を念頭においた形にし,障害当事者に 見えている社会とは何か,国家や地域社会などの社会と障害当事者はどのような関係を築 いてきているのか,といったことを明らかにしようとした vii 。言い換えれば,障害を医学 の問題やリハビリテーションの問題にしてしまうのではなく,社会の発展の中で障害の意 味も変わってくることを重視した見方を取ろうとしている。このため,障害当事者たちの 活動が実際にどのように各国で異なっているのか,また各国の政策における障害観の違い についても,これを統一性が取れていない問題とするのではなく,むしろアフリカの多様 性と各国の発展段階を示すものとして受容しようとしている。 ここでは,これまでアジア地域で試みられてきた,地域研究における「障害と開発」の アプロ ー チをサブサハラ・アフリカ諸国に敷延していく。比較対象とするアジア地域では, 政府と当事者団体との関わり方が「障害と開発」のアプローチでは,非常に重要であった。 しかし,アジア地域には,開発途上国の中でも,これまで経済成長を実現してきた国々, また現在,経済成長の途中にある中進国などが多かったため,政府と当事者との間の関係 を分析することで,障害当事者団体が発展しうる背景を説明できたことが理由として考え られる。しかし,アフリカ諸国においては,必ずしも政府の役割に多くを期待することは, 少なくとも財政的にはできない。したがって,国際 NGO との連携やアフリカ連合( AU ) のような地域間協力の枠組などが,障害者をも包摂する開発のあり方を考える際には,ア ジア以上に重要なファクタ ー になってくると考えられる。アフリカ大陸は,南北東西に大 きな広がりを見せており,それだけにアフリカそのものを「障害と開発」に寄せる形であ っても,ステレオタイプ的に論じることはできない。ここでは,そうした多様なアフリカ を前提とした上で,アジアにおける「障害と開発」に関わる諸発見や実態を念頭に,アフ リカでのそれがどのように異なるのか考察していく試みを行う。 4.各報告の要約 本セッションのエチオピアの事例では,HIV 陽性者と障害者が主として取り上げられ, ポスト MDGs の議論でモデルとして取り上げられているエチオピアの保健医療政策が,当 事者ベースの支援でありながら,障害者については成功していないと指摘し、その政策的 要因について考察する。コンゴ民主共和国とコンゴ共和国の事例では,両国の間に流れる コンゴ川での障害者たちによる交易活動の実態と生計を支えた仕組みが解明された。東ア フリカのケニアの事例では,2009 年の最新のセンサスや障害者等系を元にケニアの障害者 の実態を報告すると共に,同国の障害者法制の変遷と障害当事者たちの関わりを特に 2010 年憲法に焦点をあてて取り上げる。南部アフリカの南アフリカのケースでは,アパルトヘ イト体制からの民主化という同国の歴史が障害者施策にも大きな影響を与えていること, その根底にあった同国の障害当事者運動について明らかにしている。 5.おわりに-アジアの障害と開発との違い アジアにおいては,マクロ経済の成長や豊かな税収に支えられた政府による支援を,開 発の参加者としての障害者にも如何に公正に配分していくか,そのためのアクセシビリテ ィ環境を整えて行くかということが「障害と開発」でも重要な課題であったが,アフリカ ではストーリーは若干,異なってくる。政策の整備は必要ではあるものの,そこのみに必 ずしも期待できない国も多いという問題や HIV/AIDS というアジア以上に深刻な問題,ア ルビノのようなアジアでは深刻な問題にはなっていない障害などが人命に関わる問題とし て登場することなど,アフリカならではの「障害と開発」が取り組むべき課題もこれらの 研究を通じて明らかになってきている。 「障害と開発」というのは,森(2008)でも論じられているように,一義的には,開発 途上国の障害者の問題についての事実の発見であり,そこからの論考である。しかし,そ れのみではなく,特に開発論が課題とする「貧困削減」に「障害学」による障害当事者の 観点からの社会の見直しというアプローチから迫ろうというものでもある。 アジアにおいては,その主たる処方箋は,強く社会への介入を行う財政力もその背景と なる国全体の経済成長も見られたことから,政府による障害者政策にいかに障害当事者を 参加させ,彼らのニーズを当事者の観点から政策に反映させるかという課題に行き着いた。 またアジアでは,先進諸国での処方箋をそのまま用いるのではなく,依然,先進諸国と比 べて相対的には弱い政府の財政力から,中央集権的な処方箋のみではなく,村落コミュニ ティの発展の中に障害者を組み込む CBR 戦略や,都市部で成功例を積み重ねつつある自立 生活運動のように分権的にコミュニティを活用して,開発課題の中に障害課題を組み込む 道が各国で探られてきていると言える。政府による障害者支援策の充実と地域コミュニテ ィ開発への障害者の包摂がアジアの特徴であったと言えよう。HIV/AIDS と障害への対応 も国によってかなり差があることや,政府の制度が比較的整っているなか当事者団体主体 で障害者対応が進んでいる南アのような国から,エチオピアのように開発主義体制での積 極的な関与がメインの国,政府の関与が比較的希薄で障害によっても差が目立つ東・西ア フリカの国,それぞれ違いも見えてきた。また障害者政策がアジアでは,国連 ESCAP の イニシアティブで障害当事者団体も巻き込みながら,政府主導で進んでいるのに対し,ア フリカでは,それとは若干,方向が異なる可能性も見えてきている。 今後は,これらのアフリカの「障害と開発」の特徴のあぶり出しをアジアの状況との比 較も念頭に置いてさらに進めていくこととしたい。アフリカにおける「障害と開発」の研 究は諸外国では取り組みの歴史があるところもあるが,日本では,まだ端緒に付いたばか りである。本セッションが,同分野の日本での今後の研究の深化につながることを期待し たい。 参考文献 2006. 「アフリカ障害者の 10 年の課題と展望」『アジ研ワ ー ルド・トレンド』 No. 135 ( 2006 . 12 ), 32-33 。 長瀬修 森 壮 也 2008. 『 障 害 と 開 発 - 途 上 国 の 障 害 当 事 者 と 社 会 』 ア ジ ア 経 済 研 究 所 研 究 双 書 No.567。 i ここで,サブサハラ・アフリカ諸国とは,以下の国々を指す(国名 ABC 順)。アルジ ェリア,アンゴラ,ベニン,ボツワナ,ブルキナ・ファソ,ブルンディ,カメルーン, カーボベルデ,中央アフリカ共和国,チャド,コモロ,コンゴ,コート・ジボワール, コンゴ民主共和国,ディブチ,エリトリア,エチオピア,ガボン,ガンビア,ガーナ, ギニア,ギニア・ビサウ,ケニア,レソト,リベリア,マダガスカル,マラウィ,マ リ,モーリタニア,モーリシャス,モロッコ,モザンビーク,南アフリカ ii UNESCAP=国連アジア大平洋経済社会委員会(UN Economic and Social Commission for Asia Pacific) iii Cambodia, Laos, Myanmar, and Vietnam といったアジア大平洋地域の中でも他の国々 に比べて経済発展の支援を集中して行うべきとされている国々。 iv 仁川戦略文書については,UNESCAP(2014)を見よ。 v 地域的な取り組みとしては,「アジア太平洋障害者の 10 年」の他には,「アフリカ障 害者の 10 年」の他,アラブ地域障害者の 10 年(2003 –2012)がこれまで実施されてい る。 vi アフリカ障害者年の開始年については,国連文書では,2000 年となっているが,ア フリカ連合(AU)の公式文書では,1999 年開始となっている。 vii 「障害の社会モデル」を開発論の中で論じたものとして,森(2008)や森(2015)が ある。 インドのトイレビジネスと社会運動のハイブリッドによる社会開発 -スラブ・インターナショナル(Sulabh International)の事例から鈴木真理 法政大学大学院 E-mail:mari.suzuki.2y@stu.hosei.ac.jp キーワード:トイレ、社会運動、Manual Scavenging、尊厳ある仕事、公衆衛生 1. はじめに インドには手作業でヒトの排泄物を処理する必要がある乾式トイレ(dry toilets)が未 だに多く存在する。この直接手で排泄物を扱う作業(manual scavenging)は法律(Act 1993)で禁止されているが、乾式トイレがある限り違法な manual scavenging の仕事は なくならない。この作業を請け負っているのが、不可触民(以下、指定カースト)の「清 掃人カースト」である。現在ではカースト制度による差別はインド憲法第 17 条によって 禁止されているが、差別意識は社会に根強く残っており、特に清掃人カーストの中でもヒ トの排泄物を扱う清掃人(manual scavenger)は、最も酷い差別環境に置かれている。 manual scavenger は非衛生的なトイレを扱うため、水因性疾患である下痢や感染症、呼 吸器疾患、また有毒ガス中毒などの健康被害を受けやすい。更に朝からトイレ清掃に従事 することや学校で差別を受けるため、多くの manual scavenger には就学歴がなく、他の 職業に就くことが困難となっている。 一方で近年、インドは新興国として急速な経済発展を遂げており、2014 年 5 月に就任 したモディ首相は、「Swachh Bharat(Clean India)」のキャンペーンを掲げ、トイレ環 境をはじめとした公衆衛生の改善を政策の重点課題としている。このキャンペーンは公衆 衛生を「不浄な事」として関わりを避けてきたインド人の意識を変えつつあり、また他の 国々からは、 「汚い国」というイメージを持たれることもあるインドが、今後どのように変 わっていくのか世界中から注目を集めている。 このような背景のもと、1970 年代から清掃人カーストの解放運動と、清掃負担の少ない トイレの建設に取り組んできた Sulabh International(以下、スラブ)に注目し、活動の意 義と持続性について考察する。 2. 研究目的 本報告では、スラブの事業を通して、インドにおける持続可能なソーシャルビジネスの 展開には、併せて社会運動が不可欠であることについて報告する。 (1) Manual Scavenger とは manual scavenger は指定カーストの中でも「清掃人カースト」に属し、ヒトとしての 尊厳の維持及び公衆衛生上の観点から違法とされている排泄物処理を行っている。指定カ ーストの人口は 2001 年調査で 1 億 6,000 万人(全人口の 16.2%)おり、JICA(2012)に よると他のカーストよりも貧困率が高く識字率は低い。指定カーストの中でも清掃人カー ストは 2002 年頃で約 70 万人おり、男性は一般的に公共機関やビルディング、道路などの 清掃を行っている。女性はヒトや家畜の排泄物処理に従事しており、女性が最も劣悪な労 働環境に置かれている。 (2) スラブの概要 インドの NGO 団体である「Sulabh International Social Service Organization」は Dr.Pathak 氏によって 1970 年に創立され、トイレの建設・運営・メンテナンス事業を行 っている。 スラブが開発した「スラブ式トイレ」は公共や学校トイレ、戸建て住宅用トイ レとしてインド全土に拡がっている。当団体は UNDP でも紹介され、ソーシャルビジネス の成功例として国際的な評価を受けており、2009 年には「スラブ式トイレ」で世界の水環 境の保全・再生への功績に対して贈られる「Stockholm Water 賞」を受賞した。主な事業 内容は以下のとおりである。 ① トイレ建設事業 スラブが開発した「スラブ式トイレ」の最大の特徴は、下水道が整備されていない地域 においても、衛生的で安価なトイレを供給することが出来る点である。 スラブ式トイレの構造は、排泄物が溜まる穴を 2 つ設置してある「2 pit 式」となっており、 片方が排泄物で満たされたらその穴は閉じて他方の穴に排泄物を流すようになっている。 閉じた穴は浸透性があり、約 2 年を経て排泄物は水分の抜けた無臭の固形物となる。無臭 の固形物は誰でも扱いやすい状態となるため、手で直接排泄物をくみ取る作業は不要とな る。そして汲み取り回数は毎日から 2 年に 1 回程度に激減する。更にスラブの公共トイレ は、利用者から利用料 2 ルピー(約 4 円)を徴収し、メンテナンス費用に充てることによ り、公共トイレの運営を持続可能なものとしている。また、従来の乾式トイレからスラブ 式トイレに変更することにより、違法な排泄物清掃から manual scavenger を解放するこ とができる。 ② Manual Scavenger の解放運動 スラブは違法な排泄物清掃から解放された旧 manual scavenger に職業訓練を行い、新 たな就業の機会を与えている。職業訓練所はインド国内の 4 ヶ所(デリー, アルワール, ト ンク,ネックプール)にあり、ヒンズー語の読み書きや、買い物の際に必要な算数、簡単な 英語表記が読めるようになるための英語学習など、解放後の生活に必要な知識を教えてい る。更に縫製や刺繍、フェイシャルマッサージなどの技術を習得することにより、新しい 職を得ることをサポートしている。 (3) 公衆衛生に関する最近の世情 JICA(2012)によると、インドでは未だトイレがない世帯は 53.1%あり、欧米型の水 洗トイレは 36.1%に留まる。また WHO(2012)によると、人口約 12 億 5,000 万人のう ち、約 6 億 2600 万人が屋外で排泄しており、世界銀行によるとトイレ不足が原因の病気・ 死亡などにより、年間 500 億ドル(約 6 兆円)以上のコストが発生している。このような 状況の改善にはトイレ建設の推進が不可欠である。 モディ首相は、 「Swachh Bharat(Clean India)」のキャンペーンで「Toilet first, temple later!(寺よりトイレを!)」と具体的なスローガンを掲げ、公衆衛生の改善を優先課題の 1 つとして取り組んでいる。2014 年 11 月には、モディ首相は本研究対象であるスラブの創 設者らと共に、沐浴や独特の埋葬風景で有名なヒンズー教の聖地であるワーラーナシーの ガートを訪れ、 「Ghat Clean-up」キャンペーンを実行した。このキャンペーンでスラブは ワーラーナシーの 86 ヶ所あるガートの内、2 ヶ所の清掃メンテナンスの業務を受託した。 3. 現地調査の概要と結果 (1) 現地調査の概要 第一回目の調査(2015 年 3 月)では、スラブ本部において、創設者から設立の経緯の ヒヤリングを行い、スラブ式トイレの構造の仕組みなどのトイレ事業全般について調査し た。また本部にある職業訓練所の在籍者や、manual scavenger の解放運動に取り組んだ 村の職業訓練所の卒業生に対してインタビューを行った。第二回目の調査(2015 年 4 月) では、本部で事業運営の財務的側面などを中心に詳細な聞き取りを行った。更に scavenger が解放されたウッタルプラデーシュ州ネックプール村にて、職業訓練生や他のカーストの 人々に対してもインタビューを行い、解放後の scavenger 及び周辺住民の意識・行動変化 及びスラブ式トイレの設置状況について調査した。調査対象者は、スラブ本部 2 名、旧 manual scavenger 15 名、職業訓練所教師 1 名、村長及び scavenger にトイレ清掃を依頼 していた 8 名である。 (2) 調査結果 ①持続可能なトイレ事業 「Swachh Bharat(Clean India)」のキャンペーンは、スラブのトイレ事業にとって追 い風となっている。これまでの首相も公衆衛生の問題を軽んじてはいなかったが、モディ 首相は公に大々的に政策を提示した初めての首相である。モディ首相がキャンペーンを張 って公衆衛生の改善に取り組んでいるのと同様に、スラブは創設以降、トイレ事業の成功 (Profit)を先に考えるのではなく、社会改革運動(Social Reform Movement)が最も重 要であるとし、社会問題の解決を当団体のミッションとして事業を行ってきた。ミッショ ンには、次の 5 つの社会改革運動(解放、再生(Rehabilitation)、職業訓練、次世代への 教育、社会的改善)があり、これらの問題解決策としてトイレ事業があると考えている。 スラブは 1970 年に創設されトイレ事業者の中では最古参である。インドでは「不浄」 とされるが故に、競合他社が殆ど存在しない時期が長期間続く中で、スラブは政府や各州 の行政をステークホルダーとして信頼を得てきた。公衆衛生の概念が変わりつつある現在 では、多くの競合他社が乱立しているが、依然としてスラブはトイレ事業において成功を 収めている。トイレ事業は公共トイレと戸建て住宅用トイレに大きく分けられる。公共ト イレ事業の成功の理由は、公共トイレの運営を継続させるためには、トイレのメンテナン スが最重要であると考え事業を行っているためである。これが競合他社を追随させないア ドバンテージとなっている。また都市部ではカースト意識が薄れており、誰もが同じトイ レを使用することに違和感を持っていないため、公共トイレの建設が可能である。スラブ の公共トイレは、外国人観光客でもデリーなどの都市部では目にする機会があり、多くの 人に利用されている。しかしながら農村部では、未だカースト制度の慣習が根強く残って おり、異なるカーストが同じトイレを利用することは現実的ではない。国民の約 7 割が農 村に住んでいるとされるインドにおいて、公衆衛生の改善を実現するためには、戸建て用 トイレの建設を促進させることが不可欠となっている。スラブ式トイレは下水道の整備が 遅れている農村部においても衛生的で安価なトイレを提供することができることから、戸 建て住宅用トイレでも事業の成功を収めている。 ②Manual scavenger の解放運動 今回調査した旧 manual scavenger は 18 歳から 67 歳まで幅広い年齢であったが、全員 就学歴がなく、解放されるまでペンもノートも持ったことがなかった。私が彼らに日本を 知っているか聞いたところ、「そのような国の名前を聞いた事がない。」と答えられた事に はショックを禁じ得なかった。解放前後で何が一番変わったか聞いたところ、 「 不浄な物(ヒ トの排泄物)を扱わなくなったため、他のカーストからヒトとして認められるようになり、 他のカーストの人達が自分にハグをしてくれる。今では一緒に食事をするし、デリーに一 緒に行こうと誘われる。」と嬉しそうに話してくれた。彼らの各戸にもスラブ式トイレが設 置され、使用されていることを確認した。 5. 考察 UNDP(2008)ではスラブのトイレ事業を中心に紹介しているが、活動のミッションは 公衆衛生を中心とした社会課題を解決することであり、スラブの社会運動を軽視して事業 全体を評価することはできない。インドでは公衆衛生を「不浄」と捉えてきた社会性があ り、スラブではその課題解決として不浄な物(排泄物)を取り扱う manual scavenger の 解放運動を行っている。このため、manual scavenger に対する職業訓練は、解放運動の 象徴のようなものであり、トイレ事業に必要な利益は殆ど出ていないと推測される。トイ レ事業を持続可能にしているのは、地方行政の公共事業としてのトイレ事業と戸建て住宅 用トイレの建設であり、公衆衛生の改善意識が高まる中、スラブへの需要は高まっている ものと考えられる。インド国民の約 8 割がヒンズー教徒とされる中、ヒンズー教の聖地で あるワーラーナシーでのガート Clean-up キャンペーンはインド全土からの関心を集め、 公衆衛生への更なる意識変革に大きな役割を果たしているであろう。モディ首相による公 衆衛生改善政策の効果が今後も期待される。 【参考文献】 ・JICA(2012)「貧困プロファイル・インド」 ・Sulabh International Social Organization, <http://www.sulabhinternational.org/> 2015 年 5 月 7 日アクセス. ・The Ministry of Housing and Urban Poverty Alleviation (MHUPA),(1993),「The Employment of Manual Scavengers and Construction of Dry Latrines Act 1993」. ・ UNDP(2008), Growing Inclusive Markets, Case Study「 Sulabh International: A movement to Liberate Scavengers by Implementing a Low-Cost, Safe Sanitation System」. ・篠田隆(1995)『インドの清掃人カースト研究』春秋社. ドリシュティ社のインクルーシブ・ビジネス ―インド農村部への持続的な教育・流通サービス提供の成功要因を探る― 足立 伸也 法政大学大学院 Email: shinya.adachi.6d@stu.hosei.ac.jp キーワード:農村部へのサービス提供、事業ポートフォリオ、経済性と社会性の両立 1. はじめに 本報告では、起業や雇用による貧困削減の方策として、インドのインクルーシブ・ビジ ネスに着目する。 1 外務省(2013)によれば、インドは順調に経済発展を遂げているが、 他の途上国同様、社会課題を数多く抱えている。 2 インドで起業をし、明確なミッショ ンとユニークなビジネスモデルで事業を展開しているドリシュティ社を研究対象とする。 同社は、IT 会社を営んでいた 3 名が 2000 年に設立した営利会社である。これまでに 14,000 名以上の農村の起業家と共にビジネスを行い、2004 年、2005 年にそれぞれアショ カ財団、シュワブ財団から社会起業家に関する表彰を受けている社会的企業である。 2. 本研究の目的 同社のインクルーシブ・ビジネスを研究し、ビジネスモデルの成功要因を探ることを 通じて、ビジネスを通じた貧困削減のあり方と可能性を論じること。 3. 研究方法 北インドのウッタル・プラデーシュ州ノイダにある本社、同州マトゥーラ支店、農村 のフランチャイズ店(コンピューター教育)2 箇所、農村の小売店オーナー2 名に対して ヒアリングを行い、同社のビジネスモデル、村民の同社ビジネス活用状況などを明らかに した。 4. 研究結果 (1) 組織発展の経緯 以下は、共同創業者の一人であるニチン氏からの聞き取り内容に基づく。同社は、2002 年にフランチャイズモデルを導入し、2003 年に社会登記法に基づく非営利部門を管轄する 「Drishtee Foundation」を設立し、経済性と社会性の向上を図った。2006 年頃に黒字化 を達成し、アメリカの社会的投資ファンドであるアキュメンファンドが理事に加わったこ 1 2014 年 4 月 1 日に施行されたインド新会社法 135 項では、直近 3 会計年度の純利益の 平均 2%以上を CSR 活動の実施に支出することが義務付けられるなど、国として、企業の 社会的責任に目を向けるという素地がある国である。 2 政府開発援助(ODA)国別データブック 2013 において、インドに対して ODA を行う意義 として、生産人口が毎年 1,500 万人増加すること、1 日 2 ドル未満で生活する割合が 68.8%(2010 年)である点などを挙げている。 とで貧困層の抱える課題解決により注力するようになった。 同社は、2007 年から 2008 年にかけて農村で調査を行い、生計、特に農業に力を入れて いくことを明確にした。現在の事業を分類すると、下記のように整理できる。 表 1: ドリシュティ社の現在のビジネス 目的 概要 農村住民に必要なものが届かない、届い 適正な品質の商品を適正な価 ても法外な費用となる状況を解決する 格で農村部に届ける Business Process 地域(支店)での雇用創出、同社の持続 インド国内大企業の業務の一 Outsourcing(BPO) 的収益性を支える 部を請け負う 農村部という理由で金融サービスへア 農村部における小口金融の役 クセスできなかった状況を解決する 割を担う 生計向上やキャリアアップなどの可能 適切な設備や人材が受講者の 性を提供する 知識やスキルを向上させる 流通 金融 教育 出所:今回のフィールド調査による聞き取り内容に基づき筆者作成 (2)組織体制 図 1:ドリシュティ社の全体像 フランチャイズ A’ 支店 A フランチャイズ A’ ドリシュティ 支店 B フランチャイズ B 社 支店 C 注: は、コミュニケーションの頻 度を示す。 出所:今回のフィールド調査による聞き取り内容に基づき筆者作成 同社は、IT を活用した全社マネジメントを行っており、事業展開州に支店を設けている。 各支店がフランチャイズ契約を結んでいる農村の起業家をマネジメントする役割を担って いる。また、支店単位で流通や BPO などの事業を行い、新規事業を行う際は本社に財政的 支援を依頼する。(マトゥーラ支店地区長プラバート氏談)。全支店のフランチャイズ有無 を確認することは出来なかったため支店 C の先にフランチャイズ店を記載していない。 (3) マトゥーラ支店の特徴 今回、訪問したマトゥーラ支店は、本社から車で 3 時間、交通の便も良いことから、 本社から遠い支店と状況が異なる可能性はあるが、同社のビジネスの流れや現場を見ると いう点では貴重であった。本社ビルの豪華さはなかったが、IT 環境をはじめ、必要最低 限のものが揃っている環境であった。ここでは実際に、BPO センターや働く社員を見学で きた。BPO の仕事を担当していたのは高校・大学卒業後の若年層(10~20 代)であり、仕 事の経験を 2~3 年積んだ後、別の仕事につくケースが多い。2015 年 4 月に BPO センター の拡充に伴い支店の従業員数は 35 名から 60 名となった。マトゥーラ支店の管轄範囲は 12 ブロックに分けられ、300 のキオスク型店舗(Rural Retail Point:RRP)に対して、 基本的な配送間隔である 2 週間に 1 度は商品が届くよう地域ごとの曜日配送ルールを定め ている。 (4)フランチャイズ店(コンピュータ教育)オーナーへのヒアリング マトゥーラ支店から車で 2 時間ほどの Laya という田舎町で、同社とフランチャイズ契 約を結ぶ教室のオーナーにインタビューを行った。 オーナーは、2007 年アグラ大学卒業後、5 台のパソコンで事業を開始、当初、50 人の生 徒、一人 300 ルピーの受講料であった。2010-11 年にシステムを更新すると同時に事業拡 大を考えたオーナーは、州の新聞で見つけたドリシュティ社にコンタクトを取り、2011 年 フランチャイズに加盟した。結果、100 名の生徒を獲得した。同社のフランチャイズの強 みは、国家認定の資格を付与できることである。2015 年現在、150 名の生徒(20%女性、 80%男性)、13 歳から 25 歳の受講生がいる。現在の受講料は一人 500 ルピーである。 受講生にもインタビューすることができたが、医者や公務員の子息、夫の転勤に伴いコ ンピュータスキルを身につけようとする女性など、村の富裕層少なくとも中間層の方々が 利用しているように感じられた。同社の質の高い教育を適切な費用で提供するという方針 にインタビューを通じて、受講者は満足している様子が伺えた。 (5)RRP(キオスク型店舗)オーナーへのヒアリング マトゥーラ支店から車で 2 時間ほどのところに村の店舗があり、その村から 5 分もたた ない距離の村にもう一店舗が位置していた。2 店舗のオーナーにインタビューを行った。 表 2:オーナーへのヒアリングを通じた両店舗の比較 農村名 農村人口 取扱い品目(同社比 率) 売れ筋商品 仕入平均額 1 日の売上 オーナーになる経緯 インタビュー時 の来店者数 パフォーマンスが良いと 案内された村の店舗 Naglapapri 約 800 名 約 150 種類(15~20%程度) パフォーマンスが悪いと 案内された村の店舗 Mubarakpur 約 300 名 約 50 種類(50~60%程度) タバコ、ビスケット 約 3,000 ルピー(回) 不明 2 代目(1962 年から) 5 名程度 ビスケット、ソープ、洗剤 約 1,500 ルピー(回) 約 3,000 ルピー 高校卒業後、両親の援助で 0名 出所:今回のフィールド調査による聞き取り内容に基づき筆者作成 適正な商品が適正な価格で納期通りに店舗まで納品されることは、小売店側の仕入れ コストを削減するのと同時に、村民の購入したいタイミングでの商品購入を可能とする。 インタビューを行った 2 店舗のパフォーマンス(売上)の良し悪しは農村内他店舗の 有無、各村の人口、各村の世帯や個人が持つ可処分所得による部分が大きいだろう。パフ ォーマンスが悪いと同社で定義されていた店舗の周りには他に 2 店舗、つまり村内に 3 店 舗、存在するとのことであった。 5. 研究結果からの考察 本報告では、同社の持続的なサービス提供の成功要因を探ったが、その主要因は、経 済性と社会性のバランスの取れた事業展開であった。加えて、創業から 15 年間で培って きたノウハウと取引先や住民との信頼関係も大きな要因だと推測できる。特に、同社の農 村部における持続的サービス提供を可能とした事業ポートフォリオは、ビジネスという点 で、企業規模、展開地域、展開業種、企業の国籍等にかかわらず、参考となる事例であ る。 表 3: 同社の事業ポートフォリオ 事業名 ビジネス 形態 顧客 効果 BPO 直営 インド国内 大企業 教育 フランチ ャイズ/ 直営 農村部 中間層/起業家 金融 直営 農村部 起業家/貧困層 流通 直営 農村部貧困層 ・継続的収入 ・雇用創出/人材育成 ・中間層以上のキャリア支援 ・フランチャイズオーナーの 生計向上 ・都市と同等のサービス提供 ・起業家の事業支援 ・オーナーの生計向上 ・都市と同等のサービス提供 経済性 社会性 ◎ △ ○ △ △ *1 ○ × *2 ◎ 出所:今回のフィー ルド調査による聞き取り内容に基づき筆者作成 *1 競合が多く、現在新規ローンは出していないため。 *2 オーナーからの発注単価が低く、各種コストを勘案すると利益が残りにくいため。 6. 参考文献・資料 ・加藤徹生(著)・井上英之(監修)『辺境から世界を変える〜ソーシャルビジネスが生み 出す「村の起業家」〜』(ダイヤモンド社、2011 年) ・佐野他. "インドにおけるソーシャル・ビジネスの展開― 海外フィールドワーク実習報告 ―"福島大学経済経営学類(2012):80-85 ・Drishtee Profile(PDF)2011 ・「Drishtee Foundation」ANNUAL REPORT 2012-2013 インドにおけるプレオーガニックコットン・プログラム ―日本企業によるインクルーシブ・ビジネスを評価する― 吉田秀美(法政大学) Email: hidemi.yoshida@hosei.ac.jp キーワード:オーガニックコットン、日本企業、ローカルパートナー、価格変動リスク 1. はじめに プレオーガニックコットン・プログラムは、音楽プロデューサーの小林武史氏が代表を つとめる株式会社クルックと伊藤忠商事株式会社が、2008 年からインドで行っている事業 である。小規模綿栽培農家のオーガニック認証取得を支援するため、認証前の綿花を買い 支えて POC のブランドで、日本市場で販売している。2012 年には、国連開発計画が主導 する、商業活動と持続可能な開発を実現するビジネスを促進する世界的なイニシアティブ である「ビジネス行動要請(BCtA)」の取組みとして承認された。 2. 研究の目的と方法 プログラムに参加した農民がどのような属性を持ち、プログラムは参加者にどのような 影響をもたらしたのかを明らかにすることで、プログラムの意義を評価する。 マディヤ・プラデシュ州とマハラシュトラ州の 2 つのプログラム実施地域で、ローカル パートナー、および類似のプログラムと取引関係のある地元企業に対してヒヤリングを行 い、プログラムへのコミットメントの度合いや日本企業と関係性を明らかにした。また、 参加者と非参加者に対する量的調査(160 世帯対象)を実施し、参加者の属性やプログラ ムがもたらした収入への影響などを分析した。 3. 分析結果 (1) 参加者の特徴 調査の結果、オーガニック認証取得をめざす POC プログラムに参加していなくても、 化学肥料や農薬を使用していない(=もとから有機栽培)農家が多数いることがわかった。 そこで、非参加者を有機栽培グループと農薬使用グループに分類した。表 1 は、POC 参加 者、非参加者(有機)、非参加者(農薬使用)の3つの属性のグループがどのような特徴を 持つかを分析したものである。農地所有面積と綿花作付面積の大きさは、非参加者(農薬 使用)、参加者、非参加者(有機)の順である。つまり、農地面積が大きくて余裕のある世 帯は農薬や化学肥料を購入して綿花を生産している一方、より小規模な農家は化学肥料を 買う余裕もなくて、有機認証とは関係なく、 「もともと農薬・化学肥料不使用」なのだと考 えられる。POC 参加者の作付面積は 1~10 エーカーとバラつきがあるので、「もともと農 薬・化学肥料不使用」だった小規模農家が収入向上を目指して参加した場合と、比較的広 い農地で農薬や化学肥料を使用していた小中規模農家が有機に転換した場合があると考え られる。 そして、POC 参加者と非参加者との違いをもっともよく表しているのが世帯主の教育年 数である。POC 参加者の平均年数は 6.3 年で特に非参加者(有機)のグループとの差が 2.9 年と大きいことがわかる。農民が有機認証の意味を理解して、実践の一歩を踏み出す のには、教育が大きな役割を果たしていることが明らかになった。 表1.参加者と非参加者の比較 POC 参加者 非参加者(有機) 農地所有面積 6.1 <1~18> 5.3 <1~11> 6.8 * <4~9> (N=80) (N=50) 非参加者(農薬使用) (N=30) 綿花作付面積 4.6 <1~10> 4.2 <1~7> 6.0*** <4~9> 教育年数 6.3 <0~14> 3.4*** <0~13> 4.6 <0~14> 上段:平均、下段:最小値~最大値 *統計的に有意なレベルで POC 参加者と差がある。 *** p<0.01, ** p<0.05, * p<0.1 (2) 綿花収穫量へのプログラムの影響 本調査の対象としたのは、POC 参加 2 年目の 6 村と有機認証を取得済みの 2 村である。 一般に、化学肥料を使用する農法から有機農法へと転換する場合、地力が回復するまでの 数年間は収穫量が減るといわれている。本調査でも、綿花の収穫量が最も多いのは、農薬 や化学肥料を使用した非参加者であった(表 2)。1 機)よりは若干多かった。 POC 参加者の収穫量は、非参加者(有 2 表 2:綿花収穫量(エーカー当たり) 綿花収穫量(100kg/エーカー) POC 参加者 非参加者(有機) (N=80) 5.19 (N=50) 4.99 非参加者(農薬使用) (N=30) 5.59 *** *統計的に有意なレベルで他の 2 グループと差がある 。 (3) 農家の収入への影響 綿花の生産コストとしては、種子、肥料、農薬、灌漑に関する支払い、人件費(常雇い と綿花摘み取りのための日雇い)、家畜利用料を聞き取りした。種子は遺伝子組み換えでな ければ自家採種できるが、購入すると平均約 4000 ルピー(=8000 円)かかる。また、化 学肥料を購入すると平均 2500 ルピー(=5000 円)かかるのに対し、牛糞などの有機肥料 1 農薬・化学肥料の 使用の 有無に加えて、綿の種 子の 品種の違いも配慮すべき だ が、今回の調査で品種 までは聞かなかった。ただし、POC 参加者はオーガニ ック認証を取得するため遺伝子組み換えでない品 種(Non BT 綿)を使用す ることが義務付けられているので確認したところ、BT 品種を使用していたの は 10 名(非参加 者 9 名、 参加者 1 名)だが、収量に 対してはむしろマイナスに働いていた。 2 両者の投入内容の違いと しては、POC 参加者には技 術指導を受けた者、自然素材の殺虫剤・除草剤を 使用している者が含まれるが、それらの要素が収穫量にプラスの影響を与えているわけではなかった。 は 930 ルピーで済んでいる。更に科学的な農薬を使用すると 2000 ルピーかかる。これら の合計額をまとめたのが表 3 である。もちろん農地面積の大きさによっても変わってくる が、POC 参加者の生産コストは非参加者(農薬使用)の半分程度で済んでいる。これが、 POC 参加者がプログラムのメリットについて、口をそろえて「生産コストが下がる」とい う実感を裏付けていると思われる。 表 3:綿花栽培コストと収入(ルピー) POC 参加者 (N=80) 非参加者(有機) (N=50) 非参加者(農薬使用) (N=30) 生産コスト 綿花販売額 9,803 <0~27,450> 5,899 <0~15,000> 18,123 <600~32,700> 113,633 <25,500~258,750> 106,125 <25,000~182,875> 167,094 <98,000~254,800> 純利益 (綿花販売額―生産コスト) 103,829 <25,500~240,050> 100,226 <25,000~172,075> 148,970 <89,350~230,600> 上段:平均、下段:最小値~最大値 次に、単位面積あたりのコストや利益を比較する(表 4)。純利益を見ると非参加者(農 薬使用)が若干高くなっているが、統計的に有意な水準の差ではない。作付時期に種子代 や化学肥料・農薬に投資をして綿花を生産しても、最終的な純利益は生産コストの低い有 機栽培と大差がないのである。農薬の不適切な使用による環境汚染だけでなく、気象や国 際価格の変動リスクを考えれば、有機栽培で生産コストを抑えて収入を維持するという意 義は大きい。 3 表 4:綿花栽培コストと収入(ルピー/エーカーあたり) POC 参加者 (N=80) 非参加者(有機) (N=50) 非参加者(農薬使用) (N=30) 生産コスト 綿花販売額 2,136 <0~6,500> 1,429 <0~3,950> 3,052 <1,329~6,540> 25,984 <20,000~33,833> 25,129 <19,900~30,479> 27,690 <24,500~31,286> 純利益 (綿花販売額―生産コスト) 23,848 <17,575~29,730> 23,700 <18,500~28,679> 24,638 <20,575~28,636> 上段:平均、下段:最小値~最大値 (4) 綿花の買い上げについて 本調査で、農民は一収穫期に綿花の価格を見ながら何度も取引をしているということが 明らかになった。マディヤ・プラデシュ州では、POC プログラムの現地パートナーが収穫 の早い時期(1-2 回目の取引)に市場価格より高い値段で農民から買い上げていた。農民 は市場価格が上がると、POC や有機綿としてではなく一般綿としてでも市場に売るという 行動をとっている。一方のマハラシュトラ州では、プログラムの歴史が浅いため、この買 い上げの仕組みをうまく確立できていないことが分かった。農民にとっては、「市場価格 3 一般に有機栽培を行うと人件費などがかかると言われているが、本調査のデータでは、化学肥料・農 薬を使用する農家の人件費が最も高かったので、インドの綿農家に関してはこの懸念は当たらない。 が上がるタイミングを待つ」という行動が販売価格を上げるのに最も効果的であった。 4.考察 (1)リスクやコストを誰が負担するのか オーガニック綿の栽培や取引に当たっては様々なリスクやコストが存在するが、それぞ れ誰が負担するのかに目を配る必要がある。大別して、①季節的な価格変動、②グローバ ルな価格変動、③オーガニック綿への転換期の収量減少、④オーガニック綿としての品質 管理、⑤農民への技術普及などがある。ヨーロッパのフェアトレード企業が育成した現地 企業は、これらのすべてへの対策を含む契約を日本の某企業と取り交わしていた。そのコ ストを負担しているのは消費者であり、一部はヨーロッパ企業の CSR 事業である。 一方の POC プログラムは、ローカルパートナーには年間の発注予定量を伝える以外に は細かな取り決めを行っておらず、ローカルパートナーと農民との関係には介入していな い。従って通常の商取引と同様、農民やローカルパートナーが価格変動リスクを負担し、 農民への技術普及のコストもローカルパートナーが負う形になっている。にもかかわらず 日本の市場からは買い取り価格を更に下げる圧力を受けている。ここが、加工プロセスが 単純な食品などと比較した場合の綿の難しさである。コーヒーを例にとると、焙煎業者が 生産者と消費者とを直接つなぎやすいし、自分の健康に関わるものであれば多少高くて購 入する。綿の場合は、加工プロセスが長いため、最終商品のタオルや衣類となった時、生 産者の環境までは伝えにくいし、商品購入の基準としてもらいにくいのが現状である。 (2)各ステイクホルダーにとっての活動の意義と課題 プログラムは、参加者にコスト削減による収入の増加をもたらした。また、参加者が生 産した綿花をすべてプログラムで買い上げているわけではないものの、参加者にとっては、 新たな販路の選択肢が増えたことにより、より高い価格で綿花を販売する交渉力が高まっ たといえる。 伊藤忠商事にとっては、社会的意義が評価される事業になっている。しかし、現在の最 大のチャレンジは販路の伸び悩みである。理由の一つは、日本市場が要求する高い品質水 準に応えられていないことである。2008 年から活動を行っているローカルパートナーに対 して、原綿への加工(ジニング)段階で、ゴミなどの不純物が混ざらないよう要求し続け てきたが改善が見られなかった。そこで、2015 年はグジャラート州の新しいローカルパー トナーとの取引に絞ることになった。グジャラートの農民は識字率が高く、品質のよい綿 を産出できることで知られているからだ。インドの農村の貧困削減という社会性の重視か ら、質の良い原綿を確保するという経済性重視へとプログラムの軸足が変更されつつある と思われる。開発の観点からは批判も受けかねないが、より長期的な事業の持続性を目指 すならば、営利企業としては止むを得ない決断であろう。日本の内外での市場拡大に力を 入れつつ、農村開発のノウハウを蓄積して、より不利な条件の農民をも広範に巻き込める ようなサプライチェーンでのイノベーションを生み出していくことを期待したい。 そして、開発の視点をもつ筆者としては、プログラムが農民にもたらす効果をモニタリ ングし続けて、より良い形でのプログラムの実施・発展を応援していきたいと考えている。 以上 インクルーシブビジネスの課題と戦略 ―経済性と社会性の現実― ○ 中 村 延 靖 ( 伊 藤 忠 商 事 )、 鈴 木 美 穂 ( 伊 藤 忠 商 事 ) Email: nakamura-nobuyasu@itochu.co.jp キーワード:社会性と経済性、事業継続、戦略 1.はじめに プ レ オ ー ガ ニ ッ ク コ ッ ト ン( POC)プ ロ グ ラ ム は 、イ ン ド の コ ッ ト ン 農 家 の オ ー ガ ニ ッ ク 認証取得への移行期間を支援する取り組みとして、2008年に伊藤忠商事・繊維カンパ ニーと株式会社クルックが共同で開始した。インドの綿花栽培では農薬や殺虫剤、遺伝子 組み替え種子が多量に使用され、多くの農家は農薬や殺虫剤の過剰な散布より、健康被害 や環境汚染、農薬を購入するための借金に悩まされている。この状況を改善するために、 両社はオーガニック栽培の実施が役立つと考えた。しかしオーガニック認証を取得するに は移行に3年かかる。現地を訪問し、移行期間は収量が不安定になるため、オーガニック 栽 培 に 切 り 替 え る こ と が で き な い 農 家 が 多 い こ と が わ か っ た 。 そ こ で 、 農 家 が 安 心 し て認 証取得までの移行期間を乗り切るために、その期間に収穫された綿を伊藤忠商事が買い取 り 保 証 し 、「 プ レ オ ー ガ ニ ッ ク コ ッ ト ン ( P O C )」 と し て 糸 に ブ ラ ン ド 価 値 を 付 け 、 市 場 に流通させる取り組みが生まれた。こうして2008年、この取り組みがプレオーガニッ クコットンプログラムとして開始した。以来POCは素材として、主にアパレルブランド や、寝具、タオル等のメーカーに採用頂いている。 こ の 取 り 組 み は 、 イ ン ク ル ー シ ブ ビ ジ ネ ス や CSR の 視 点 で 社 会 的 に 評 価 さ れ る よ う に な った。その一方で、実施する企業にとって、利益を上げることが非常に難しいという現実 がある。そこに、社会からの思いや期待とは乖離した、農家を含む全てのプレイヤーにと っ て 、実 は お 金 が 最 も 重 要 な ポ イ ン ト と い う 現 実 が 存 在 す る 。イ ン ク ル ー シ ブ ビ ジ ネ ス は 、 どこまで実現が可能なのだろうか。 2.インクルーシブビジネスの実態 インクルーシブビジネスは成り立ちにくい。 開発途上国の貧困層をお金の世界に巻き込むことで、例えば農民の成果物は他のプレイヤ ーと同じように、全てお金ベースで判断されることになる。しかし、開発援助は「お金」 ではなく、開発途上国の人たちに対する「思いや倫理観」が中心である。開発と経済を結 びつけることはとても有意義だ。しかし、バリューチェーン全ての局面において思いのあ る人が揃わない限り、全てがお金で判断されるため、インクルーシブビジネスの成立は難 しい。 ともすると、農民自身も実は全てお金で判断しているというのが、重要なポイントだ。 こ ち ら が 真 面 目 に 取 り 組 ん で も 、儲 か ら な け れ ば 農 民 は 参 加 し な い 。現 場 で は「 抜 け 売 り 」 が起き、約束を守らず高く買ってくれる人に生産物を販売する農家が多い。これで、イン クルーシブビジネスは成り立つのだろうか?儲けがないとビジネスは続かない。農民も、 ジニング工場も、紡績工場も、縫製工場も、商社も、儲からないビジネスは、誰もやりた がらない。 人 は 価 値 に 対 し て お 金 を 払 う 。 思 い に 対 す る お 金 は 寄 付 で 、 思 い に お 金 を 支 払 う 人 は、 実 際 に は 少 な い 。 私 た ち は 「 思 い 」 を 基 に 、 移 行 期 間 で も 無 農 薬 栽 培 の 試 み に 価 値 を 置い て プ レ オ ー ガ ニ ッ ク コ ッ ト ン( POC)と し て 糸 を ブ ラ ン ド 化 し た 。た だ し 、認 証 を 取 る た め に は コ ス ト が か か り 、高 い 糸 に お 金 を 払 う 人 は 少 な か っ た 。 「 思 い 」と「 お 金 」は イ コ ー ル ( = )に は な ら な い 。プ レ オ ー ガ ニ ッ ク コ ッ ト ン プ ロ グ ラ ム の 価 値 が 、 「 思 い 」に 留 ま る 以 上、思いに払うお金には限界がある。バリューチェーンで川下にある伊藤忠が儲けなけれ ば、生産者から全てのアクターも、儲けることができない。 3.打開に向けて そこで、糸に付加価値をつけるためにインド綿のゴミの除去や質の向上、売り方の工夫 の工夫を行うなど、昨年から新しい取り組みを開始した。 4.まとめ イ ン ク ル ー シ ブ ビ ジ ネ ス は 、イ ン ク ル ー ド「 さ れ る 側 」の 視 点 か ら 語 ら れ る こ と が 多 い 。 ビジネスであるにも関わらず、インクルーシブビジネスに関する全ての会話では、根本的 に は「 思 い 」が 重 視 さ れ る 。し か し 、実 際 ビ ジ ネ ス を 成 功 さ せ 、開 発 を 実 現 す る た め に は 、 「お金」を基準に考えなければならない。農民然り、バリューチェーンに関わる全てのプ レイヤー然り、儲からなければ実際は誰もやらないのだから。 インクルーシブビジネスは、成功するか継続するかという点においては、まだまだスタ ート地点に立ったばかりだ。ビジネスが成り立たなければ、実現は難しい。 以上 東南アジア市場展開に向けた分散型生活排水処理槽に関する 性能評価方法確立支援における課題検討 ―インドネシア国に対する支援事例― 久保田利恵子(国立環境研究所) Email: Kubota.rieko@nies.go.jp キーワード:排水処理、インドネシア、標準化、ルール形成 1.研究の背景と目的 アジア途上国地域においては、生活排水処理技術が確立・導入されていないため土壌、水など周 辺環境の汚染を引き起こしているだけでなく、人の衛生にも影響を及ぼしている。インドネシア国の 2011 年現在の水の衛生施設の普及率は 59%であり、その他 ASEAN10 か国中 8 位である。ASEAN では水管理行動戦略計画が策定され、2025 年までに、 「健康、食糧安全、経済、環境の側面から東南 アジアの人々のニーズに合致する品質の水を十分量確保するため、水資源の持続可能性を担保しなが ければならない」と定めている1)。これに対応するため、排水規制が設けられている国もあるが、規 制を遵守・運用するための標準や制度などの仕組みがない、もしくは規制自体がその国の実態とかい 離した規制である、など課題は多く、実質的に規制がその効果を発揮できていない。この課題に対す る対応策の一つとして、生活排水処理槽の普及とそのルールづくりがある。アジア途上国では下水道 の普及率は低く、分散型生活排水処理が現実的選択肢であると言われている。生活排水処理槽の性能 評価試験の標準化というビジネス市場でのルールづくりを通して、処理槽の性能評価試験はメーカー が出荷する前に実施され、排水規制を遵守する処理性能を確認することができる。本研究では、アジ ア途上国地域での生活排水処理および環境ガバナンスの現状を明らかにするとともに、インドネシア 国を事例として、インドネシア政府および州政府、研究機関、民間企業らのこれまでの役割を整理し た。次に、筆者を含む研究グループは、インドネシアの生活排水処理の改善の一助となる排水処理槽 の性能評価試験の確立を支援しており、その方法論と課題を検討する。最後に、今後のアジア途上国 地域における生活排水処理改善支援に向けて検討すべき課題を提示する。 2.インドネシアにおける生活排水処理の概要 インドネシア国内の水質汚染の主な原因は、製紙業、ゴム製造業などの産業由来、農業由来、生 活由来の汚染である。このうち、生活由来排水は廃棄物・排水のうち温室効果ガス排出の最大の原因 となっている。一方、2012 年現在下水道普及率は 2%以下であり、国内で 13 都市のみが統合的排水 処理システムを有しているが、それらも稼働していない、などの問題を抱えている。それ以外の場所 ではオンサイト型と呼ばれる、コミュニティ単位もしくは個別家庭単位での生活排水処理システムを 設置することが現実的な策ではあるが、普及率は低い現状である。普及していない地域での生活排水 やし尿は排水やし尿を貯めて嫌気処理されるセプティックタンクと呼ばれる方式がほとんどである。 生活排水やし尿の適切な処理は、汚泥の有効な処理にもつながる。インドネシアなどのアジア途上国 で、温室効果ガスの削減のみに留まらず、最低限の人々の衛生を担保するためにも、生活排水処理槽 の導入は不可欠である。 3.アジア途上国の環境政策・ガバナンスの現状 インドネシアをはじめとするアジア途上国でも経済発展と人口増加に伴う、 大気汚染、 水質汚濁、 廃棄物増加などの環境問題が悪化しており、これらに対応するための環境政策が存在する。インドネ シアの環境基本法にあたる法律は、2009 年法律 32 号の環境管理法である。1997 年に制定されたが、 2009 年に環境汚染の取り締まりを強化する条項を大幅改正している。水管理に関しては政令として、 水質汚濁の防止及び水質管理に関する政令(2001 年 82 号)がある2)。しかし、これらの法制度の執 行体制の基盤となる行政機関の組織や執行の細則など規制を具体的に実施する条項が必ずしも整備さ れていないのが現状である。規制の執行が機能しない理由としては、1)執行機関の人員、機材、財 源などのリソースが十分でないこと、2)産業化を推進する政府が経済成長に悪影響を与えてまで環 境汚染対策を行う意思を持たないこと、3)規制の対象となる民間企業も汚染の被害を受ける市民も 問題の深刻さを認識していない、あるいは環境意識が低いこと、などがあげられる。3) 4.インドネシア国内関係機関の排水処理における役割 水源及び排水管理に関する権限や義務は多くの省庁に関係し、中央政府内及び地方政府の権利・ 義務の関係は複雑である。また環境管理に関する多くの権限は、すべての県・市レベルの地方政府に 移管されているため、排水管理を含む水質汚濁対策は進みにくい要因を作り出している。排水処理を 主に管轄しているのは公共事業省(PU)である。現在試行されている排水処理施設の検査も PU 所属 の国立の研究機関である公共事業省人間居住研究所(PUSKIM)を試験機関として実施されている。同 研究機関は国立の研究機関として唯一の構造物の試験を実施する試験機関として設立された。本分散 型排水処理槽性能評価試験確立の際にも主管機関の候補となる。なお、排水の水質基準については環 境省(KLH)が制定しており、環境モニタリングも実施している。インドネシア各州には環境担当部局 (BLH)が設けられ、州主導の環境政策の執行が求められている。排水処理手法の研究開発で同国を 牽引しているのはバンドン工科大学であり、これまでも環境工学科を設け、公害対策技術の研究開発 において重要な役割を果たしてきた。現在も浄化槽やバイオフィルターと呼ばれる浄水装置の研究を 進めており、PU、KLH らからの信頼も厚い研究機関である。標準化機関当局としてはインドネシア 国家標準化庁(BSN)が、インドネシア国内の標準(SNI)を管轄する機関である。排水処理に関連する分 野としては、環境品質委員会(水質、水資源に関する技術小委員会は存在する) 、環境管理委員会があ る。排水処理システム関連の国際標準が検討されている国際標準化機関(ISO)の技術委員会 TC224 の 排水システム、飲料水供給システムに関連するサービス活動の委員会のメンバーにもパーマネントメ ンバーとして名を連ねており、水資源分野の標準化への関心が認められる。排水処理槽製造メーカー については、これまでの調査では、インドネシアの水処理分野の業界団体などは存在しておらず、国 内、外国企業の代理店販売を含めて、国内で何社程度が排水処理槽を製造・販売しているかは明らか ではない。国内で比較的名前が知れている製造メーカーは 5 社程度あり、これらの企業については性 能評価については性能評価試験導入に概ね肯定的な意見ではある。ただし、性能評価試験を受け、認 証されても、安価な処理槽が売れてしまうという現状の市場ニーズには憂慮を示しており、排水処理 槽の顧客である、建設会社やデベロッパーなどの水質汚染予防対策に関する啓もうが必要だと考えて いる。性能評価委員会の体制確立の際、不正などをどのように予防するかも性能評価制度を機能させ るには必要不可欠な条件であるというスタンスである。 5.分散型排水処理槽性能評価試験および標準化の概要 分散型排水処理槽性能評価試験などの認証試験の標準化は国際標準化機関(ISO)を通して国際標 準として決定され、各国の標準化機関が採用する市場・経済重視の国際的なルールの他、各国独自の 法規制のもと規制主導によって決定されるルールの二パターンある。分散型排水処理槽性能評価試験 については、主要な認証試験として、欧州の EN12566-3:2005+A1:2009、オーストラリアの AS/NZS 1546.1:2008、米国の NSF/ANSI40-2010、日本の(一財)日本建築センターによる浄化槽の性能評価 方法などが存在する。これらの認証試験方法には、試験実施に際して確保すべき事項や、試験用原水 や流入パターン、測定手順、など詳細を示した試験方法が示されている。しかし、各認証試験方法に よって、試験期間、流入パターンなど項目の内容に違いがある。各国における生活パターンや気候条 件などによっても最適な試験方法は変更されるため、インドネシアで分散型排水処理槽性能評価試験 を確立する際にもインドネシア特有の排水処理槽の使用環境に考慮されるべきである。 規制の不在や不十分が指摘される途上国におけるルール形成においては、企業や政府からの対象 途上国に対して、当該国の実情に合わせた変更、ルール形成を働き掛けることも可能であり、欧米各 国をはじめ、自国製品の市場拡大をねらう国々は官民連携により自国製品が展開しやすいルール環境 づくりを積極的に行っている。ルール形成については先述したとおり、国際標準などの国際的ルール と、国内法規制があるが、目指すべき社会課題解決アジェンダを設定し、あるべきルール設計の具体 的な内容を検討し、どのようなチャネル・手法で関係者を巻き込みながら、合意形成しルール獲得に 持ち込んで行くことがルール形成実現のプロセスである。4) 6.インドネシア国に対する分散型排水処理性能評価試験方法確立のための支援 国立環境研究所の研究グループ他では、まず国内の制度確立支援を図るため、環境省(KLH)、公 共事業省(PU)、バンドン工科大学(ITB)らに対して、インドネシア国の法規制と実情に合わせた性 能評価試験づくり支援を始めている。性能評価試験づくり支援のプロセスとしては、1)日本、欧州 などで適用されている性能評価試験方法について情報収集、分析、2)同国の排水処理の需要、法制 度、所轄官庁、市場プレーヤー、研究機関などの特定、3)性能評価試験内容に影響を及ぼしうる気 候条件、生活環境等の調査・データ収集による技術的知見の蓄積、4)日本国内の専門家委員会の組 成などを行ってきた。同国における分散型排水処理に関するルールづくりではまず①排水規制が遵守 されていないことに対する問題意識が薄く、ルールづくりへの機運醸成が必要であることから、関係 者の理解を醸成しルールづくりに巻き込んでいくためのネットワークと仕組みが必要であり、人材育 成などを通して支援を行っている。現在、3)によって蓄積された技術的知見を基に、インドネシア 国向けの分散型排水処理槽性能評価試験方法案を作成している。 7.アジア途上国地域における生活排水処理改善支援に向けた今後の課題 将来的な課題としては各国の排水基準を満たした処理性能を持つ処理槽を普及するためにも、性 能評価試験結果の各国間の相互認証や地域共通の標準づくりにつなげていくことであり、インドネシ ア国をはじめとしたアジア地域内諸国の標準化機関への働きかけも必要となる。域内の処理槽性能評 価基準が統一化していけば、国別の製品規格等を変更することなく、地域内市場に展開していくこと が出来る。ヒアリングから、2015 年 12 月の ASEAN 地域統合を前に、メーカーらは分散型生活排水 処理の今後の市場拡大を目論み、現地における市場調査を開始している企業もあることを確認してい る。 また、斎藤ら5)は、インドネシアにおける汚水処理施設による水環境改善に対する支払意思額 (WTP)を CVM 手法を用いて分析した結果、総便益は日本で浄化槽を設置している家庭と負担額の割 合は同程度であり、WTP は低すぎるとは言えないことを指摘している。インドネシアの経済成長に よる家計収入増加によって時間的に WTP が上昇することも考えられるが、社会的な便益や割引率の 見直しを行っても、インドネシア自助による水環境改善は期待できないと述べている。 排水処理は 道路建設等の公共事業と違い、便益が汚濁の排出量に応じて周辺環境を共有する住民にも行きわたる ので、住民の自由意志で積極的に生活排水槽を設置するとは考えられない。あくまでも汚染者負担の 原則を尊重しながら、住民らにはいくらかの負担を求める考え方で、外国ドナーや国際機関などのス キームを利用して生活排水処理に関する公共事業・サービスを導入していくことが現実的な手段と考 えられる。こうした支援事業を実施する中で使用される生活排水処理施設の選択基準に施設自体の性 能評価の判定を義務付けることが有効と考えるが、これを可能にするには支援する側、される側、双 方の官民の強い連携と環境保全への理解も求められることから、国内、域内関係者らの理解醸成、信 頼醸成を図るプラットフォームづくりのため支援者が機会提供をすることが必要である。 参考文献 1)ASEAN: ASEAN Strategic Plan of Action on Water Resource Management, 2005 2)環境省:インドネシアにおける環境汚染の現状と対策、環境対策技術ニーズ https://www.env.go.jp/air/tech/ine/asia/indonesia/SeidoIN.html(最終アクセス 2015.05.15) 3)寺尾忠能・大塚健司編:アジアにおける環境政策と社会変動、アジア経済研究所 p.4-5, 2005 4)経済産業省通商政策局:企業戦略としてのルール形成に向けて、 http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/tsusho_boueki/pdf/001_03_00.pdf(最終アクセス 2015.05.10) 、2014 5)斎藤貢・岩本博幸・眞柄泰基:インドネシアにおける生活排水による水環境汚染の改善に関する費用便益分析、土 木学会論文集 No.741/VII-28, 131-141, 2003 ダイレクト・アクセスは途上国のオーナーシップを高めるか ―セネガルにおける適応基金のプログラムを事例として― ○ 池田まりこ 京都大学大学院 地球環境学舎 博士後期課程 E-mail: ikeda.mariko.22n@st.kyoto-u.ac.jp キーワード:ダイレクト・アクセス、オーナーシップ、適応基金 1. はじめに 適応基金(Adaptation Fund)は京都議定書の下に設立された基金であり、気候変動の悪影響に特 に脆弱な途上国の適応に関連する事業に対する資金供与を行っている。適応基金が気候変動資金のモ ダリティにおいて注目されているのは、クリーン開発メカニズム(CDM)から得られるクレジットの 2%を財源の一部としているため民間資金の動員が期待できる点に加え、ダイレクト・アクセスと呼ば れる手法を一部の事業に採用していることによる。ダイレクト・アクセスとは、適応基金理事会が一 定の水準を満たした途上国の執行機関(NIE)に対し資金を直接供与する手法であるが、事業の計画 から実施において途上国が主体的に参画する過程の中で、広義の能力開発を含め、途上国のオーナー シップを高めることができる仕組みとして期待されている。2015 年 4 月の時点で、45 カ国で 48 の プロジェクト、総額約 4 億円が供与されており、そのうちダイレクト・アクセスの形式は、全体の約 30%(14 件)に留まっている1。それは、適応基金理事会が NIE に対して要求する信託基準である「財 政の健全性」 、 「制度上の能力」 、 「透明性と自己調査能力」が厳格であるためであり、脆弱な途上国で はその条件を満たす機関が現状では多いとはいえない。 セネガルは、人口の 60%にあたる約 800 万人が沿岸部に居住する後発開発途上国(LDC)であり、 1980 年代から深刻な海岸浸食、高波、洪水などの危機に瀕しているため気候変動対策を緊急に要する 国の一つである。適応基金理事会は、セネガル政府を通じ、NIE として 2010 年に Centre de Suivi Ecologique(CSE)を認定し、約 4 年間にわたる適応プログラム「脆弱地域における海岸浸食への適応」 を実施した。現在は、外部機関による最終評価が行われている。 本稿では、ダイレクト・アクセスの概念が生まれた経緯について、開発援助分野におけるオーナー シップの議論を踏まえつつ、理論上の意義、利点および改善点を明らかにする。そして、ダイレクト・ アクセスの手法が、途上国のオーナーシップを高めることに実際に機能したのか、適応基金が実施し たセネガルの事例を取り上げながら、成果と今後の課題について検証する。 2. ダイレクト・アクセスの理論 援助効果におけるオーナーシップとの関連 ダイレクト・アクセスの概念は、OECD の援助効果にかかるパリ宣言(2005 年)とアクラ行動計 画(2008 年)を通じた政府開発援助(ODA)の発展の中で生まれた。パリ宣言は、ドナーと受取国双方 に関して援助効果を向上させるための5原則(1)オーナーシップ(ownership) 、(2)制度・政策への協 調(alignment)、(3)援助の調和化(Harmonization) 、(4)開発成果管理(Result)、(5)相互説明責任(mutual accountability)から成り立っている。ここでのオーナーシップとは、途上国が独自の貧困削減戦略を 設定し、組織を向上させ腐敗を防止することを指す。さらに、アクラ行動計画では、パリ宣言後の活 動を踏まえその質を上げるために、オーナーシップの重要性について、開発政策の形成におけるより その他は、世界銀行や UNDP など多国籍機関(MIE) 、地域開発銀行(RIE)が監督する。 詳細は、以下 OECD ウェブサイトを参照。 http://www.oecd.org/dac/effectiveness/parisdeclarationandaccraagendaforaction.htm 1 2 広範な参加、リーダーシップ、運用に関する制度の向上することを改めて強調している2。つまり、ダ イレクト・アクセスの概念が生まれたのは、伝統的なドナー・ドリブン型のシステムが効率的ではな く逆効果であるという認識が高まったことが大きく影響している。UNFCCC での交渉においても、 概して途上国は、気候変動基金の効率的で公正な管理をするべき世界銀行や GEF など機関に対して 懐疑的であった。そのため、ダイレクト・アクセスは気候変動資金の交渉において重要な政治的条件 であり、コペンハーゲン合意の重要な要求の一つとなったのである。 気候変動資金におけるダイレクト・アクセスは多くの先行研究で定義されている。UNFCCC の CMP(2007)において「途上国政府に認定された NIE もしくは EE が適応基金理事会にプロジェクト の提案書を直接提出すること」と定義されているが、その他、代表的なものに、Kaloga et al(2010) による「途上国が財政的な仲介なく基金へ直接アクセスできること」 、 「資金の流れを簡略化し促進す ること」 、GEF(2009)による「NIE および MIE に対し資金の受取およびプロジェクトのデザインや執 行にわたるすべてを提供すること」がある。ダイレクト・アクセスのアプローチの背後にある論理は、 途上国のカントリー・オーナーシップのレベルを引き上げ、受取国の説明責任を強めることにより、 当該国の制度、計画、優先度への調和を図るということである。カントリー・オーナーシップとは、 前述の援助効果の議論の中にあるように、国内の政策の決定、実施やモニタリングにおいてドナーや 外部の干渉を減らし、自国の優先順位、そして制度を運用することによって、自助努力や主体性を高 めることを意味する。また、基金の運営側にとってもダイレクト・アクセスのアプローチが資金の流 れを簡略化によって取引費用を減じることも期待される(Brown et al, 2010)。 Craeynest(2010)は、ダイレクト・アクセスの利点について以下の 5 点を挙げている。1) スピー ドと効率性:GEF の特徴である非効率なプロジェクト・サイクルや不必要なステップを回避できる 2) 緊急な行動を国家の計画や予算に統合させる: 気候変動対策は途上国にとって緊急性を要するもので あり、国家の計画と統合させることでカントリー・オーナーシップを高めることができる 3) 信頼を 再構築する: 過去数十年わたって途上国と国際機関の間の信頼は損なわれていたが、ダイレクト・ア クセスは途上国が新しく、成熟したパートナーシップの基礎となりうる 4) 国際的に承認された基準: 適応基金理事会の承認する財政の健全性に基づくことにより、透明性で根拠があり、恣意的ではない アプローチが採用される 5) 多数のステークホルダーが関与する可能性: トップダウン型の管理に比 べ、包括的なボトムアップの意思決定の構造が保証される。 その一方、ダイレクト・アクセスは気候変動資金において重要なモダリティであるが、それ自体が 貧困層への適応および緩和における本質的な成果とはいえないとしている。アクラ行動計画で強調さ れた援助改革において機能した市民社会組織(CSO)によって、強固で民主的なオーナーシップを発揮 し、プロジェクトの断片化を回避し、情報のアクセスに対する透明性を高め、説明責任を果たすこと、 これらをダイレクト・アクセスのアプローチの中で実行していくことが不可欠である。さらに、地元 のコミュニティや民間セクターをも巻き込んだ制度の運用も求められる。国家適応行動計画(NAPA) でも述べられているように、気候変動のインパクトに最も脆弱なのは女性であり、彼らが主要なステ ークホルダーとして協力する重要性が述べられている。つまり、地域社会の「強固で民主的なオーナ ーシップ」があってこそ、ダイレクト・アクセスのアプローチが機能するということになる。それは、 CSO や地域住民の参加や監視を促すような具体的な手続きやガイドラインが重要であるということ である。 適応基金は理事会の透明性を高めるために、関連文書をすべてウェブサイト上に公開し、理事会は すべてのオブザーバーが参加できる仕組みを整備している点が評価されている。すべての情報を公開 する制度が CSO の参加やモニタリングを促進することが期待されている。外部による評価が行われ ていないため、 今後は独立した国際的なオンブズマンを設置されることも求められている。 これらは、 詳細は、以下 OECD ウェブサイトを参照。 http://www.oecd.org/dac/effectiveness/parisdeclarationandaccraagendaforaction.htm 2 近年の気候変動交渉において議論が不足しているところであり、オンブズマンの主要な特徴である独 立性、公的な説明責任と効率性が適応基金のガバナンスに導入されるべきである(Craeynest,2010)。 3. ダイレクト・アクセスの実際 セネガルにおける適応基金の事例 次に、ダイレクト・アクセスの概念を踏まえた上で、それが実際にプロジェクトにどのように機能 しているのかを検証するために、セネガルの事例を取り上げる。 セネガルは南北に 700km にわたる海岸線を所有し、1980 年代から深刻な海岸浸食、高波、洪水等 の危機に瀕する緊急の対策を要する国である(Dennis et al,1995)。人口の 60%および産業の 85%が沿 岸部に集中しているため、気候変動の影響に非常に脆弱であり、特に、海岸浸食は最優先課題として、 UNFCCC の調査においても、年間 1.25〜1.30m ずつ海岸線が後退していると報告されている(Dram et al,2013)。 このような状況に対処すべく、国際機関や二国籍機関が支援を行う中、適応基金理事会は最も早期 に Centre de suivi Ecologique (CSE)を NIE として認定し、2010 年から約 4 年間にわたり「脆弱地 域における海岸浸食への適応」と称するプロジェクトを実施した。ダイレクト・アクセス方式を採用 した第一番目の案件であるこのプロジェクトは、グリーン気候基金(GCF)など今後の気候変動基金 の在り方を問う意味でも注目されている。 プロジェクトの主な内容は、首都ダカールから 50km 圏内にあるルフィスク・サリー・ジョアルの 3 カ所において、堤防の建設、護岸工事、塩害化した土壌の回復、漁業の加工場におけるリハビリ支 援などのハード面、住民に対する注意喚起などの訓練、情報共有などソフト面での支援である。CSE は NIE としてプロジェクトを監督し、実際に執行機関(EE)として、DEEC(Directorate of Environment and Classified Establishments)、 地元 NGO である Green Senegal および Dynamique Femme が参加した。2013 年〜2014 年に、CSE を始めとする関係者、また国際機関、多国籍機関、 国際 NGO への聞き取り調査を実施、さらに文献調査によって、本プロジェクトの成果と課題を検証 する。 まず、NGO をプロジェクトの実施主体として巻き込んだ点について、気候変動の影響に脆弱な当 事者が主体的に参画したことは、プロジェクトの持続性を担保する意味で重要な役割を果たしたとい える。なぜなら、適応基金がプロジェクトを終了した後も地元住民は半永久的に気候変動対策を継続 する必要があり、外部の介入がプロジェクトと同時に終了するような従来の援助の方式に比べて有効 だからである。その意味で、ジョアルで行われた塩害化した土壌の回復工事、雇用を創出しながら稲 作支援・訓練を行った事業の意義は大きい。ところが、地元 NGO 代表に聞き取りを行ったところ、 塩害化した土地の面積は、適応基金がカバーできる予算をはるかに越えており、プロジェクトの終了 を前に、今後のドナーが決定していないこと、資金や技術もまだまだ不足した状況にあると語った。 さらに、多国籍援助機関として EU の見解によれば、CSE がプロジェクトの予算(USD 8,619,000) を管理するには組織のガバナンスが未熟であること、また技術的な問題として事業前のフィージビリ ティ・スタディが不十分であったとの指摘があった。これは、プロジェクトの期間が当初の2年間よ り遅延して 4 年間となった要因の一つとも考えることができ、今後改善されるべき課題である。 それでは、CSE 自身は、NIE としてどのように自己評価を行っているのか。関係者のインタビュ ーによると、本件の実績により、セネガル政府がグリーン気候基金においても実施機関として承認さ れる見通しを示しているという。また、本プロジェクトでは適応基金が触媒機関として機能し、EE 以外にも地元の NGO や国際機関、多国籍機関の支援を得たことが明らかになった。ルフィスクにお ける堤防建設工事等は、西アフリカ諸国経済共同体(UEMOA)が引き継ぐことも明らかになっており、 より地域に根差した機関が適応対策を行って行く事が期待され、これは地域のリーダーシップの育成 に寄与しているといえるだろう。 一方で、CSE も振り返る通り、組織内部における手続きやガイドラインの整備が不十分であること、 管理上の問題、腐敗の防止対策など改善点が残されているとしている。現在は、外部の第三者評価者 によって、事業の実績からマネジメントまで 10 項目の基準を設定し、7 段階の評価項目に基づく最終 評価が待たれるところである3。この最終評価によって CSE の NIE としての信頼性が評価されること になり、ダイレクト・アクセスの手法が今後も途上国における適応において有効な手段となりうるか を判断する一つの基準となると考えられる。 4. 結論 このように、ダイレクト・アクセスのモダリティは、数十年にわたる開発援助の経験から、資金の 受取国の優先順位、制度を利用した形で事業を計画、実施し、援助国、機関と情報を共有することに よって援助効果を向上させるという理念のもと生まれたアプローチである。適応基金は、ダイレクト・ アクセスを通じ、途上国政府ならびに NIE が資金の運用からプロジェクトの執行まで主体的に行うこ とを支援することを目的としている。NIE は適応基金の要求する基準を満たすことが前提であり、セ ネガルの CSE は、その厳格な審査を満たし、NIE に認定された。CSE がイニシアティブをもち、プ ロジェクトを実行しハード面、ソフト面にわたって目に見える成果を出した事については一定の評価 ができる。ところが、先に述べたように NIE の内部の手続きやガイドラインの整備や予算の管理など ガバナンスについては改善点も複数指摘されている。また、CSO や地域社会の参画やモニタリングを より促すような制度や手続きを明確化すること等が求められている。 本稿で取り上げたダイレクト・アクセスのアプローチが途上国のオーナーシップを高めるかという 問いに対しては、途上国のカントリー・オーナーシップを高めるためには、ダイレクト・アクセスの 制度、手続き、ガイドラインを明確化させるといった適応基金側の努力がなされることと同時に、途 上国側の CSO や地域社会の「強固で民主的なオーナーシップ」を育成することが必要であるという ことがいえる。トップダウン型とボトムアップ型の双方のオーナーシップが機能して初めてダイレク ト・アクセスがオーナーシップを高めるということが達成されるのであり、それはつまり、プロジェ クトの実施される短期間のみならず中長期にわたって双方がモニタリングしていく必要があるという ことである。 参考文献 Bird, N et al. (2011) Direct Access to Climate Finance: experiences and lessons learned, Discussion Paper, UNDP. Brown, J et al. (2010) Direct access to the Adaptation Fund: Realising the potential of National Implementing Entities, Climate Finance policy Brief No.3, Oversees Development Institute. Bugler, W and Rivard, B (2012) Direct Access to the Adaptation Fund: Lessons from accrediting NIEs In Jamaica and Senegal, Climate & Development Knowledge Network Craeynest, L (2010) Business as unusual Direct Access: Giving power back to the poor? Discussion paper CARITAS & CIDSE GIZ (2011) Capacity development for direct access to climate finance-experience gained through GIZ’s support work for national institutions Trujillo, N and Nakhooda, S (2013) The effectiveness of climate finance: a review of the Adaptation Fund, ODI. 評価基準の詳細については、下記の TOR(Terms of Reference)を参照。 http://www.cse.sn/IMG/pdf/TORs-International_Consultant_final_evaluation_CSE-2.pdf 3 社会ネットワークが水環境への配慮に与える効果 ―インドのウエスト・ベンガル州農村を対象事例として― ○田代 藍 東京大学 坂本 麻衣子 東京大学 E-mail: k146776@inter.k.u-tokyo.ac.jp キーワード: 1. 水環境への配慮, 共有資源, 社会ネットワーク分析, 階層線形モデル はじめに インドでは, ガンジス川流域に分布するベンガル沖積平野における地下水のヒ素汚染が 長らく問題となっている. 井戸から汲み上げるヒ素汚染された地下水を飲料水として長年 摂取し続けた地域住民の皮膚がんやヒ素中毒が多数確認されている(WBPHED). これに 対し, 近 年, ベンガル州 政府機関や世界銀行に より, 地 下水のヒ素汚 染が深刻な農村に安 全な飲料水を供給するためのパイプライン建設が進められ, 飲料水や料理用水といった生 活用水源として公共の水道水が利用されている(WBPHED). これにより, 地域住民の水 利用の満足度は高まっていることが推測される. 安全な水供給のインフラ整備は地域住民 の水衛生問題の部分的な解決となるが, それは地域の水環境の安全をも確保することには ならない. 水浴びや釣 りに利用されている池 は , 重要 な地域の水資 源であるが , 利便性の 高い水道の導入は, 池という地域の水資源の過少利用をもたらしている. 飯島(1993)によれば, 水資源が過少利用されるのは, 日常生活の行動が水環境から離 れることにあり, 周囲の水環境を認識し, それに働きかけようとする認識(「まなざし」)が 向けられなくなることで, 水資源をとりまく水環境が悪化するためだという. すなわち, 水資源に目が向けられなくなることで, 本来有効活用できるはずの水資源が維持できなく なるほど放置されてしまう, ということである. 過少利用を防ぎ, 地域の水資源を維持・保 全していくには, 「まなざし」と地域住民による資源への手入れ(人為ストック)が必要 になる(新保・松本, 2012). その際のインセンティブの一つとされるのが, 資源を共有す る者同士で醸成される互酬性・ネットワーク・規範といった要素を含む社会関係資本 (Putnam,1993)である. 社会関係資本は, 直接的な経済的インセンティブがなくとも, 自 然資源の協調的な共同利用を誘発するとされている. しかし, 水資源の共有利用に関する, インセンティブを発生させる社会ネットワークの特性は明らかにされていない . 本研究では, インドのウエスト・ベンガル州で, 近年, 公共水道が導入された農村を対象 地とする. 地域の水資源である池の有効活用にむけて, 社会ネットワークごとの地域住民 の池の水環境への配慮に着目し, 水道という技術導入により, 地域の水資源が過少利用状 態に陥ることで水環境が悪化するのを未然に防ぐための方策を検討する. その方策の検討 にあたっては, 個人の池の水環境への配慮に影響を与える要因となる個人の特性と社会ネ ットワークの特性をそれぞれ特定し, それらの要因のうち, どのような要因を特に考慮す るべきか, を提言する. 2. 分析手法 以上の背景と目的の下, 当該農村において, 家庭で主な水汲みの役割を担っている女性 を対 象 に, 住 民の 属性 , 水源 選 択行 動 , 日 常の コミ ュ ニケ ーシ ョ ン , 生活 環 境へ の意 識 と いった項目を含むアンケート調査を実施した. 個人の水環境への配慮意識は, 属する社会ネットワークの水環境への価値観や社会状況, 水環境への距離といった要因の影響を受け, 同一地域であっても社会ネットワークごとに 異なる傾向があると考 えられる. したがって , 分析にあたっては , 会 話のネットワークの 社会的凝集性にもとづいてグループ分けを行い, どのようなグループの特性の違いが回答 者個人の特性に影響を与えるか, を特定することが可能なマルチレベル分析の手法の1つ である階層線形モデル(Hierarchical Linear Modeling: HLM)を用いる. HLM の分析には, HADver.13 を使用した. HLM により, 個人の水環境への配慮意識に対して影響を与える要 因をグループごとの特性と個人の特性に分けて推定する. さらに, それらの特性の単独で の効果と相乗効果を比較することで, 個人の特性の効果をより高めるようなグループの特 性を明らかにする. 通常の回帰方程式と HLM との違いは次式の通りである. 通常の回帰式:y i = β 0 + β 1 x i + r i …(1) HLM における回帰式,レベル 1:y ij = β 0 j + β 1j x i j + r ij …(2) 式(1), 式(2)において,β 0 : 切片, β 1 : x の回帰係数, r : 残差を表し, 添字 i, j はそれぞれ, i: 個人の単位,j:集団の単位を表す. 式(2)において, 切片とxの回帰係数である β 0 j , β 1 j には 添字 j がついているが, これは集団によって, β 0 j , β 1 j が変動するかどうかを判断する変量 効果と平均的な回帰効果を表す固定効果を設定することを意味する. したがって, 式(2)に おける β 0 j , β 1 j にはさらに以下の式を追加する. レベル 2: β 0 j = ɤ 00 + u 0j β 1 j = ɤ 10 + u 1j …(3) 𝑈~𝑁 [0, 𝜏00 𝜏10 𝜏01 ] 𝜏11 …(4) 式 (3)は, 切片 β 0 j が, 固定効果 ɤ 00 と変量効果 u 0j, 回帰係数 β 1 j が固定効果 ɤ 10 と変量効 果 u 1j でそれぞれ構成されている. すなわち, ɤ 00 , ɤ 10 はサンプル全体の平均的な切片と回帰 係数を意味し, u 0j , u 1j は, 集団によって切片と回帰係数が確率的に変動 することを意味す る. これより, 変量効果では分散成分が推定されるため, 式(4)の U~N[]は, 変量効果 u 0j , u 1j が多変量正規分布に従うことを示す(u 0j = τ 00, u 1j = τ 11 ). 3. 分析結果 (1) 調査内容 2014 年 9 月 1 日から 9 月 10 日まで, 当該農村の調査地域のほぼ全世帯の女性を対象に , 訪問面接調査によるアンケート調査を行った結果 , 148 人から回答を得た. (2) 社会ネットワーク分析 「昨日, 今日誰と話しましたか」という質問項目の回答にもと づき, 回答者の会話の社 会ネットワークを作成し, その社会ネットワーク全体を, 凝集性をもとにサブグループ分 けし た . サ ブ グル ープ 分け に は , 強 連結 コン ポー ネ ント とい う 手法 を用 い た . こ れは , 同 一のネットワークにおいて, 局所的に相互に連結された繋がり(連結性)を識別し, その連 結性を壊すことなしに他の点とつながらないようなネットワークを, さらに複数のネット ワークに分ける手法である. この結果, 6つのサブグループに分かれた. (3) HLM ① 「自分は池を汚さないように気をつけている」への効果(互酬性の概念) 回答者自身と周囲の人の池の利用行動に関するアンケート項目の中の, 「自分(周りの 人)は池を汚さないように気をつけてい(ると思い)ますか」について, 「はい(思う) 5・4・3・2・1いいえ(思わない)」の 5 段階での回答を得た. これらの項目をもとに, 「自分は池を汚さないように気をつけている」(以下「池への配慮行動」)に与える個人の 特性と, グループの特性「周りの人は池を汚さないように気をつけている と思う」(以下, 「周りの池への配慮」)の影響を分析するため, 次式を仮定した. 池への配慮行動 ij ※ここで, この結果, 表 1 より, = ( ɤ 00 + u 0j ) + ( ɤ 10 + u 1j ) ×周りの池への配慮 ̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅ + ɤ 20 ×周りの池への配慮j * +r ij * ij …(5) はサ ブ グル ー プ (j∊N=1~6)ご と の 平 均 を 表 す . 個人の「池への配慮 行動」は, グループ間で違いがあり(r=3.30, 表1 グループ変数を入れた式の推定結果 固定効果 r s.e. 変量効果 r p<.01) , 「 周 り の 池 へ の 配 慮 」 は , 個 人 単 位 ɤ 00 3.30*** 0.16 τ 00 0.11*** (r=0.75, p<.01)よりもグループ単位(r=1.08, ɤ 10 0.75*** 0.08 τ 11 0.02** p<.01)の方が,「 池への配慮行動」の効果が大き ɤ 20 1.08*** 0.14 rij 1.01 ***=p<.01, **=p<.05, *=p<.1, r=回帰係数, s.e.=標準誤差. いことが示された. このことから, グループ内で相対的に「周りの池への配慮」が高い個人は, そのひと自身 の池への配慮行動が高まる. 一方, 平均して「周りの池への配慮」が高いグループは, その 全構成員の「池への配慮行動」が高まることがわかった. このことは,「 周りの池への配慮」 が高いグループに属すると, その構成員自身が意識しなくとも, 自身の「池への配慮行動」 が高まることを意味する. ② グループ特性の効果の検証 個人の「池への配慮行動」に対する効果に対して, グループの特性「周りの池への配慮」 以外の特性が与える効果を検証するため, 個人単位の効果とグループ単位の特性効果を交 差させ, グループ変動による個人単位の変数の効果を検証した(交互作用項の投入). 推定 式は以下のようになる. ̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅ ̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅ =( ɤ 00 + ɤ 01 水源選択に気をつけている j + ɤ 02 女性主導のコミュニティ ̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅ ̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅ + u 0j )+( ɤ 10 + ɤ 11 水源選択に気をつけている j +ɤ 12 女性主導のコミュニティ 𝑗 + u 1j ) ×周り ̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅ の池への配慮意識 i j + ɤ 20 ×周りの池への配慮意識j ** + r ij … (6) 池への配慮行動 ※ こ こ で ** は , ij 今の 生 活環 境を 女 性 主導 で 改善 す る 表2 グループ特性の変動を考慮した結果 固 定効果 r s.e. 変 量効果 r ɤ 00 3.34*** 0.50 τ 00 0.05*** ɤ 01 1.06* 0.41 τ 11 0.01* ɤ 02 3.09* 1.31 rij 0.93 ɤ 10 0.74* 0.06 0.03 わ か っ た (ɤ 11 =2.41 , ɤ 12= 0.87 , p<.01). す な わ ち , ɤ 11 2.41*** ɤ 12 0.87* 0.40 「水源選択に気をつけている」グループ,「女 ɤ 20 1.08*** 0.14 こ と を 期待 す る, グ ルー プごと の 割 合を 表 す. この結果, 表 2 が示すように, グループの 特性「水源選択に気をつけている」と「女性 主導」によって, 「池への配慮行動」に与える 「周りの池への配慮」は影響が異なることが ***=p<.01, **=p<.05, *=p<.1, r=回帰係数, s.e.=標準誤差. 性主導」の環境改善を望んでいる人数の割合が多いグループは, その構成員の「周りの池 への配慮」を高め, かつその構成員自身の「池への配慮行動」が高まることが明らかとな った. これら2つのグループの特性が, 個人の特性「周りの池への配慮」の回帰係数に与え る変動について表したものが以下の図 1 である. これは2つのグループの特性を平均から ±1SD(標準偏差)である点について推計し, 個人の特性「周りの池への配慮」について,「 池 への配慮行動」への効果を検証したものである. 図 1 より, 「女性主導」,「水源選択」は ともに, 個人の特性「周りの池への配慮」の回帰係数に正の影響を与えるが , これらの-1SD 群の変動が+1SD 群に比べて大きいことがわかる. 池 へ の 配 慮 行 動 5 4 3 --女 性 主 導 -1SD - 女 性 主 導 +1SD 2 1 6 池 へ の 配 慮 行 動 5 4 3 2 --水 源 選 択 -1SD - 水 源 選 択 +1SD 1 0 -1SD 0 -1SD +1SD +1SD 周りの池への配慮 周りの池への配慮 ***=p<.01 **=p<.05 *=p<.1 女性 主導 -1SD +1SD 図1 4. 周りの池への配慮 -1SD +1SD 1.57*** 2.83** 4.21*** 4.69** ***=p<.01 **=p<.05 *=p<.1 水源 選択 周りの池への配慮 -1SD +1SD -1SD 1.06 *** 4.11 *** +1SD 3.23 *** 5.13 *** グループの特性変数を±1SD で調整した効果の分析結果 考察・結論 以上の結果より, 個人の「池への配慮行動」を誘発する, 社会ネットワークと個人の特性 は「周りの池への配慮」であったことから, 周りは池を汚さないと意識することが, 自身の 池への配慮行動に有効であると推察される. また,「周りの池への配慮」という特性が「池 への配慮行動」に与える影響をより高める社会ネットワークの特性要因は,「水源選択に気 をつけている」と生活環境を改善する存在として期待される「女性主導」のコミュニティ であると考えられる . したがって, これらの 要因を考慮することで , 過少利用による水 環 境の悪化を未然に防ぐインセンティブを醸成できる可能性が高いといえる. 対象の農村では, 家庭の中で主に利用する水源の選択を行っているのは女性が中心であ る. この 事実と分析結 果を踏まえると , 女性 を中心にグループ全体 で , 水源 選択への意識 を喚起することで, 効果的に個人の池への配慮行動を促進することができると考えられる . 引用文献 飯島伸子(1993)『環境社会学』, 有斐閣ブックス. 新保輝幸, 松本充郎(2012)『変容するコモンズ』, ナカニシヤ出版. Putnam, R.D.(1993), Making Democracy Work: Civic Traditions in Modern Italy, Princeton University Press. Public Health Engineering Department Government of West Bengal(WBPHED), http://www.wbphed.gov.in/main/index.php/achievements (2015.05.11 閲覧). MDGs 後の開発研究の課題 ―ジェフリー・サックス、ヴォルフガング・ザックス、スーザン・ジョージから学ぶ― 岡野内 正 (法政大学) Email: otadashi@hosei.ac.jp キーワード:MDGs、階級分析、賃金労働、現金移転、公共圏 1.はじめに MDGs 後の開発研究の課題について、マクロ経済学的開発論、ポスト開発論、国際政治経済学とい う三つの学問的アプローチをとる三人の代表的論者、ジェフリー・サックス、ヴォルフガング・ザッ クス、スーザン・ジョージの所説を検討した結果(岡野内 2015)に基づいて、批判的社会理論(Critical Social Theory)の立場から、三点にわたって問題提起をしたい。 その三つの論点開示に移る前に、2015 年を一区切りとする MDGs と開発研究全般との関係、その 中で、三つの学問的アプローチをとる代表的な三人が占める位置、そして、筆者自身の立ち位置とそ の学問的な立場について、簡単な見取り図を示しておこう。 (1)MDGs の歴史的意義と開発研究 まず、MDGs とは、人類全員の生存保障、健康と教育の保障、性差別の解消、環境保全、そのため に全人類が協力する仕組みを創ることを掲げた、人類史上初の数値目標を持つグローバルな社会計画 の試みであり、植民地経営研究を継承して誕生し、発展してきた第二次大戦後の人類社会における「近 代化」の実現をめざす開発研究の総決算という意気込みを背景に持つ、グローバルなマクロ開発実践 であったことを確認しておきたい。それは、ミクロな手法の効果研究に没頭する開発研究者の一部か ら表明された、 「貧困は何千年も人類とともにあり、…貧困の終わりまでにあと五十年か百年待たねば ならないのであれば、それはそれで仕方がない」(Banerjee & Duflo 2011=2012;354)といった悲観的 な見方、あるいはマクロな計画そのものへの根本的な懐疑(Easterly2006=2009, 2013)を乗り越え、 各国政府と国連によって採択・実行された人類史的な共同事業であった。 だが、BRICS の経済成長によって全体の数値としてはまずまずの結果とはなったものの、サブサハ ラ・アフリカなどに焦点をおけば、数値的にも達成にはほど遠く、人類全体を対象とするグローバル なマクロ社会計画としての MDGs は失敗に終わった。 (もちろん論者によって評価は異なる。 『アジ 研ワールドトレンド』 『国際開発研究』などの雑誌のポスト MDGs 特集を参照。 )つまり、主流派の 開発理論は机上の空論でしかなく、グローバルな政治経済のシビアな現実の中では、まったく無効で あったことが、事実によって証明されたのである。まずは、開発研究にとって深刻な反省を迫るこの 事実を確認しておきたい。 (2)ジェフリー・サックスは MDGs の失敗から何を学んだか? その MDGs の理論的支柱としていわば世界を制覇し、人類史の転換を指導する学問的アプローチ となったのが、ジェフリー・サックスの「臨床経済学」 、すなわちサミュエルソンの流れを引くハーバ ード大学流の新古典派マクロ経済学的開発論であった。(Sachs, J.2005=2006, さらにグリーン・ニュ ーディール的政策を取り込んだのが Sachs, J.2008=2009 である) サックスはこの失敗を、きわめて 深刻に受け止め、開発実践のための学問的アプローチを、マクロ経済学から政治経済学に移すべく模 索を続けている。 サックスは失敗の理由を、MDGs のための大規模な財政支出に踏み切らないアメリカ政府とそれを 支えるアメリカ社会の「美徳の衰退」に求めた。さらに美徳の衰退の根本原因を、富裕層による階級 支配の仕組み(1%による 99%の支配)に求めた。そしてアメリカ経済と途上国を含む世界経済の再 生のためには、アメリカ社会が北欧型福祉国家に転換するしかないとし(Sachs, J.2011=2012) 、転 換をための政治的指導力の条件に注目している(Sachs, J.2013=2014) 。 (2)ヴォルフガング・ザックスは MDGs の失敗から何を学んだか? 人間と人間、人間と自然との間の調和的な関係を破壊する近代的主体形成に向けられたフーコーの 近代批判を共通の前提として、開発実践とそれを支える開発研究に対して言説批判を実行してきたの がポスト開発論であり、その集大成というべき『開発辞典』 (Sachs, W.(ed.) 1992=1996)の編者が、 ドイツのヴォルフガング・ザックスである。 ザックスは戦闘的非暴力の環境団体であるグリーンピースのドイツ代表を務めるかたわら、ドイツ 社民党系といわれるヴッパタール研究所のグループとともに、グローバルなエコロジーと公正の見地 からのドイツ社会転換のための政策提言(Sachs, W.et al.1996=2002)の作成に参加し、ドイツ連邦 政府での社民党と緑の党の連立政権(1998~2005)の成立と政策形成に影響を与えた。そのような経 験もあってか、すでに MDGs の達成困難が明確になり始めていた 2007 年に出版された本(Sachs, W. et al. 2007=2013)では、従来どおり近代化論的発想からの根本的転換をよびかけつつも、9.11 から イラク戦争にいたるアメリカの一方的な対外政策の展開に対して、ヨーロッパの社会運動の圧力をバ ックに持つ EU の役割に期待を示していた。だが、2009 年に書かれた『開発辞典』第二版への序文 では、多国籍企業主導のグローバル化の中で、BRICS の台頭のように、化石燃料依存型の消費文化に 依存するグローバルな「中間層」の形成が進み、貧困層を排除して富裕化を求める中間層の競争が、 地球環境全体の危機につながっているとして、次のような課題を掲げている。すなわち、開発言説が 掲げる貧困層の底上げに代替する多様な社会経済文化構造をもつコミュニティ形成をめざすだけでな く、富裕化そのものに天井を設け、グローバルに制限する必要があるというのである。 (Sachs, W.(ed.) 2010; xiii-xiv)MDGs は貧困層の底上げを目指したものであったから、この問題提起は、MDGs の失 敗を意識しつつ、 多国籍企業主導のグローバル化への規制に基づくシステム転換を求めるものとして、 注目に値する。ザックスは、言説批判によるオルターナティブな生活空間のための主体形成というポ スト開発論の戦略を堅持しつつも、さらに一歩踏み出し、MDGs の失敗から学んで、グローバルな階 級構造の転換を求めて、学問的アプローチとしても、国際政治経済学的な方向を深めつつあるかにみ える。 (3)スーザン・ジョージは MDGs の失敗から何を学んだか? 1970 年代の半ばという早い時期に、世界的な飢餓の原因が、激しい競争の中でグローバルな生産、 流通、金融支配を求めてグローバル化する食品関連企業の経営戦略だとする仮説を提示し、みごとに 実証してみせたのが『世界の半分はなぜ飢えるのか』 (George1976=1980)であった。それは、スー ザン・ジョージの学問的出発点であると同時に、それまでの国家間関係を中心とする国際関係論ある いは国際政治学を、グローバル企業による市場創出と国際的階級形成を分析対象とする学問分野とし ての国際政治経済学の出発点ともなった。その後、途上国債務問題と IMF および世界銀行の構造調 整の分析(George1988=1989, 1992=1995,1994=1996)によって、援助機関と結びついた主流派的な 開発研究に対する全面的な批判(事実上の批判開発学)の視角を確立していく。WTO 論とセットに なったグローバル課税の提言とそれを実現するグローバル社会運動のよびかけ(George2001=2002, 2002=2002,2004=2004)は、主流となったマクロ経済学的開発論に基づく MDGs と並行する、国際 政治経済学に基づく対抗的開発実践といえる。 だが、MDGs のみならず、彼女の開発実践までをも無効にするかのような 21 世紀に入ってからの 現実の展開を前に、彼女は、アメリカの戦争政策を可能にするアメリカ国内での右派の草の根運動 (George2008=2008) 、さらに世界金融危機(George 2010=2011)の分析を進め、自らの見通しの甘 さへの自己批判を交えながら、グローバル企業のエリート層によるグローバルな階級支配の構造を、 戦争、内戦、飢餓、疫病によるジェノサイドを貧困層の間で意識的に引き起こすことが階級利益とな るしくみとして、描いてみせている。 (George 1999=2000,2012=2014)ただし、ここに至って、彼 女の本には、現行のシステムの崩壊は必至だが、それに代わるシステムが見えないとする悲観的な言 明が散見されるようになっている。もとより、国際課税を軸とする福祉国家の再建という方向には変 わりはないが、支配階級による系統的な公共圏の歪曲によって、社会運動の分断を克服する展望が出 せずに苦悩しているかにみえる。 (4)批判的社会理論の立場 ここで批判的社会理論とは、1980 年代初頭にドイツのハーバーマスによって、近代社会の問題と取 り組む3つの研究潮流(ウェーバー的な比較・類型化の方法に基づく社会史的研究、新古典派経済学 や機能主義社会学の方法に基づくシステム論的研究、現象学や解釈学や象徴的相互作用論に基づく行 為論的社会学や人類学)の相互批判による議論活性化のために提案された理論枠組みのことである (Habermas1981=1987)。すなわち、カール・ポパーの科学論における三つの世界論の整理に基づい て、精神科学の対象である主観的世界、自然科学の対象である客観的世界、社会科学の対象としての 社会的世界を峻別したうえで、社会科学の対象としての社会的世界が、あたかも客観的世界であるか のような自己運動するシステムとしてとらえられる側面と、あくまでもものごとに意味づけをする 個々人の精神が構成する主観的世界の相互行為によって成立する生活世界としてとらえられる側面と からなる、二つの側面をもつものとする。そして、独自な個々人の主観的世界とそれらの相互行為か らなる生活世界が、企業と国家に代表される経済システムおよび行政システムによって、システムの 自己運動の歯車に巻き込まれ、 「システムによる生活世界の植民地化」支配へと同調・動員されていく ところに、社会問題の発生を見る。と同時に、生活世界での意思疎通によって形成されてくる人間と しての抵抗力を背景に、問題解決のためにシステムの転換を求める社会運動の発生、そしてシステム の歴史的転換を展望する。 (5)批判的社会理論からみた開発研究の三潮流の展開 いま、この枠組みによって MDGs が取り組んだグローバルな社会問題と開発研究の諸潮流との関 係を整理すれば次のようになる。開発研究主流のマクロ経済学者サックスは、経済システムの問題と して MDGs に取り組み、挫折し、財政支出を拒む行政システムとその背後にある生活世界の問題( 「ア メリカの美徳の衰退」を助長する富裕階級の支配)を見出した。反主流のポスト開発論の旗手ザック スは、生活世界での「開発」言説批判による主体形成とコミュニティ規模の多様なオルターナティブ 実践だけにとどまらず、グローバルな経済・行政システム( 「グローバルな新中間層によるグローバル なアパルトヘイト体制」 )の転換を強調するに到った。そして国際政治経済学すなわちグローバルな経 済・行政システム分析の草分けとしてグローバルな支配階級( 「ダボス階級」 )の支配構造の分析を深 めていったジョージは、システム内部では金融的自己崩壊の危機、外部では環境問題と社会不安に直 面する支配システムの脆弱さにもかかわらず、 システム転換が実現しない原因を、 生活世界のゆがみ、 とりわけ人々が意志疎通によって人格を形成していく場としての公共圏の支配階級による系統的な歪 曲に見出す。 以上のように、批判的社会理論に基づく整理によって、異なった学問的アプローチをとる三人が、 第二次大戦後の主流派の開発研究と実践を無にするかのような MDGs の失敗という事態に直面して みせた新しい、しかし共通する点の多い学問的展開を、共通の土俵のもとで議論することができる。 批判的社会理論の立場からは、このような共通の土俵設定によって行われる批判的討論こそが、公 共圏の議論を活性化させることによって、生活世界の意志疎通の力を強化し、システム転換への道を 切り開くということになる。 以下、この三人が新しく取り組んだ問題について、批判的社会理論の立場から、今後の開発研究の 発展のための三つの課題として、問題別に三人の学問的アプローチを横断しながら、整理しておきた い。 2.階級支配 (1)開発経済学の旗手による階級支配の「発見」 第一の課題は、階級支配の問題である。開発研究の主流派としての新古典派マクロ経済学は、階級 支配や社会における階級分割という事態を問題として取りあげず、単なる与件あるいは開発の初期条 件として扱う。すなわちこれから歴史を創り出すものとして、これまでの歴史を視野の外に置く。有 名なアダム・スミスの視点、すなわち、相対的に貧しい者がいるにもかかわらず、社会全体に富を行 き渡らせることができる商業社会を実現することが課題して堅持されている。ただし、スミスは重商 主義的な政府介入を排除することを政策課題として掲げたが、新古典派のサックスは、政府による適 切な財政支出すなわち「ビッグ・プッシュ」を政策課題として掲げた。だが、リーダーシップを発揮 すべきアメリカ政府はその方向では動かなかった。なぜか? サックスの答えは、アメリカの政治は 腐敗し、政府はいまや国民のためではなく、一部の富裕層のみのために動いているというものだ。ア メリカ社会は、その民主主義的政治制度にもかかわらず、マスメディアや大学、研究機関などを通じ る富裕層の一方的な宣伝を通じて、一部の富裕層によって支配されるようになっているというのであ る。こうして、新古典派的マクロ経済学の見地からは、およそ問題にならないはずの階級支配の問題 が、新古典派マクロ経済学の代表者であったサックスによって、MDGs を失敗させたアメリカの政治 腐敗の原因として、痛切に提起された。 (Sachs, J.2011=2012) サックスのこの著作は、マクロ経済理論の臨床的応用を提唱した開発経済学の旗手による階級支配 の「発見」を画するという歴史的意義を持つ。開発研究は、社会システムの運動法則を踏まえたうえ で、何をなすべきかという規範理論的問題をも考察する実践的な学問分野である。その点で開発研究 は、サックスが言うように、生理学を踏まえた臨床医学に対比しうるものだ。サックスは、21 世紀の 人類社会は、飢餓と貧困、教育や保健医療での差別、環境破壊を克服すべきという規範を明確にした うえで、それが実現可能だという経済システムの分析に基づいて、MDGs 実現のための「ビッグ・プ ッシュ」という処方箋をだした。そして、処方どおりの薬を購入しようとしない政治システムにおけ る階級支配構造を規範的な立場から問題にしているのである。それは、子どもの病気に取り組む臨床 医が、もはや健康回復という目標は、もはや医学の手に負えるものではないと宣言して、親のネグレ クトを告発するようなものだ。 とすれば、開発研究は、もはやこの著作以後、政治システムにおける階級支配構造の問題を無視し て、無邪気に開発実践(政策形成や計画作成)にかかわることはできないだろう。 (2)エスピン=アンデルセンによる福祉レジーム分析 サックスは、彼自身の規範的要請による経済システムの作動を妨げる要因として、政治システムに おける階級支配の問題を「発見」したが、階級支配を組み込んだ政治システムの運動法則を解明した わけではない。 「政治経済学的著作」と自己規定された Sachs, J.2011=2012 の巻末には、文献案内が あって、歴史学、政治学、社会学、心理学、政治経済学などにまたがる彼自身の多面的な研究努力の 跡がうかがえる。とはいえ、階級闘争には反対だ、良心的な大富豪の役割に期待する、といった同書 の言明からみて、社会システム内での関係を示す社会学的概念としての「階級」概念が正確に理解さ ているとは言い難い。 とはいえ、サックスは、北欧諸国の福祉国家的な経済システムと政治システムとの関係をもって、 アメリカが目指すべきモデルとしており、その根拠として、エスピン=アンデルセンによる北欧を含 む先進諸国の福祉レジームの比較分析(Esping-Andersen 1990=2001 など)を繰り返し挙げている。 北欧諸国が積極的に ODA 支出を伸ばしたように、アメリカ自身がまず福祉国家に転換することによ って、アメリカが MDGs 達成をリードできるようになるというのが、サックスの直観であろう。 ところが、エスピン=アンデルセンの福祉レジーム分析は、労働市場に依存することなく個々人が 自立できる度合い(=労働力の脱商品化)という規範的な含意をもつ指標を設定し、統計から算出さ れる指標の数値で表現される先進諸国内での類型的な違いを、歴史的な階級闘争(さらに家父長的家 族制度からジェンダー平等を求める闘い)の違いと関連づけて経験的・実証的に説明した点に最大の 特色があった。したがって、エスピン=アンデルセンに依拠するならば、北欧社会民主主義型の福祉 レジームを実現するには、北欧社会民主主義型の階級(さらにジェンダー差別撤廃)闘争が必要にな る。 (Esping-Andersen 1999=2000, 2009=2011)しかしながらエスピン=アンデルセンが主として分 析対象とした 1980 年代までと、それ以後とでは、グローバル化の進展は格段に異なる。いわゆる新 自由主義的な先進国諸国の政策協調をまで視野に入れるとき、各国ごとの階級闘争の比較ではなく、 グローバルな階級闘争の相互関連が問われねばならないのは明らかだろう。 (3)国際政治経済学によるグローバルな階級支配分析 先述のように、ポスト開発論の旗手ザックスは、2009 年の時点で、BRICS の台頭の中で典型的に 見られるようなグローバルな競争的「中間層(ミドルクラス) 」の登場を、グローバル・アパルトヘイ ト的差別と地球環境問題悪化への動因として問題にしていたが、中間層の動向を決定するうえで不可 欠な上層と下層とを含む全体のグローバルな構造分析に踏み込んでいるわけではない。さしあたり、 ポスト開発論の中からも、ミクロレベルでのオルターナティブな開発実践とその普及活動だけでは解 決できない、グローバルな階級支配システム転換の問題が提起されていることに注目しておきたい。 国際政治経済学的アプローチの先駆者であるジョージの場合は、 「ダボス階級」の存在と支配戦略 を告発する著作の中で、グローバルな階級支配システムの構造分析を深めつつある。そのようなジョ ージの研究活動と並行して、各国レベルの支配階級の相互ネットワークの構築によるトランスナショ ナルな支配階級形成についての実証分析とともに、 国際政治経済学という学問分野も発達しつつある。 (Van der Pijl 1984, 1998, 2007,2010,2014, Van Apeldoon2002, Vitali et al. 2011 など) ジョージは、そのような階級支配システム分析を踏まえて、開発研究専門家による、貧困者を対象 とする貧困研究を厳しく批判し、貧者ではなく、富者を研究せよ、と厳しく批判する。また、富裕層 による慈善活動や NGO 活動についても厳しい評価を下す。 (緑の革命評価、援助の民営化批判など) 開発研究は、このようなジョージの批判を受けとめるだけでなく、グローバルな階級支配システム 分析の中でミクロな開発(援助)実践の「意図せざる結果」を批判的に再評価することは、共通の課 題とすべきであろう。 このように言ったうえで、ジョージを含む国際政治経済学的な階級支配システム分析には、大きな 問題があることを指摘したい。それは、今日の被支配階級の大部分を占めるにいたった賃金労働者階 級の評価である。賃金労働に依存する社会階級の存在じたいの根本的な弱点が、把握されていないの ではないか。それが、次の問題である。 3.賃金労働への依存 (1)新古典派マクロ経済学と国際政治経済学における賃金労働依存問題 先述のように賃金労働に依存する階級の存在は、新古典派マクロ経済学にとっては与件であって、 それ自体は問題とならない。サックスは、グローバル化の中でのアメリカ社会の「市民的美徳の衰退」 問題として、アメリカ市民の中核である中間層の賃金労働依存問題を提起し、労働力の脱商品化論に 立脚するエスピン-アンデルセンの北欧社会民主主義モデルを評価し、アメリカへの適用を主張するに 至った。これは、サックスにおける新古典派マクロ経済学から政治経済学への視点の移行を意味する が、実は、エスピン=アンデルセンの政治経済学においても、グローバル化のもとでの脱商品化への 展望はあいまいであった。その問題は、結局のところ、グローバル化の中で福祉国家の再建は可能か という問題に帰着し、グローバル化の進展によって、福祉国家から新自由主義国家への転換が進んだ のが現実だったからである。 グローバル化する経済システムと各国の政治・行政システムとの関連を全体として分析する国際政 治経済学的視点に立つジョージは、グローバル化の中での多国籍企業の生産拠点移動による雇用不安 ゆえに、賃金労働依存を問題にし、国際課税による福祉国家再活性化を構想するが、それを実現する 社会運動の停滞に苦悩している。また、グローバルな福祉国家再建のもとでの経済・政治システムを 含む社会システムはどのように転換され、賃金労働者階級はどうなるのかというイメージもあいまい なままである。 (ついでに言えば、ハーバーマスは、彼自身もこのあいまいさを共有することを告白し、 「新たなる不透明性」と呼んでいる。(Habermas 1985=1995) ) (2)ポスト開発論と賃金労働依存問題 生活世界を足場として新しいシステムの創出を展望するポスト開発論の立場に立つザックスは、エ コロジカルな主体による社会経済システムの形成を阻むものとして、賃金労働への依存を問題にし、 興味深い提言を行っていた。 (Sachs, W.et al.1996=2002)すなわち、IT・ロボット化の技術革新によ って、生産・流通過程に必要な賃金労働者の数が減少していき、地球環境問題の悪化を防ぐために生 産の無制限な増加を止める必要があるとすれば、雇用創出は絶望的となり、雇用問題は深刻化せざる をえない。賃金労働に依存する社会システムが、このようにシステムの論理として賞味期限切れにな っているとすれば、賃金労働依存を前提とする失業者などへの社会的給付を継続することはナンセン スである。最低生活を保障する社会的給付と雇用を切り離す、ベーシック・インカム導入に踏み切る べきである。それによって、最低生活維持の必要から解放された市民は、新しいエコロジカルな社会 経済システムを形成するコミュニティ活動に専念できることになる、と。 生活世界の視点から賃金労働依存を問題にし、新しいシステムを展望した点で、卓見といえよう。 けれども、ベーシック・インカム導入は、現行システムの視点から見れば、賃金労働に依存する階級 の存在というシステム存立の前提がなくなる革命的事態である。したがって、現行の資本主義的経済・ 政治システムを前提に、そのもとでのシステムと生活世界との力関係(システムによって植民地化さ れた生活世界)を前提に、導入可能性を議論することは、猫の首に鈴をつけようとするネズミたちの 議論と同様に、危うい議論となる。ザックスの議論も、Sachs, W.et al.1996=2002 では、 「資金調達 が最大の困難」としつつ、ドイツへのベーシック・インカム導入の資金調達が可能だとして、環境税 導入、低所得の人のみに給付する「負の所得税」方式をもとにした簡単な試算を示していたが、Sachs, W. et al. 2007=2013、そして 2009 年の『開発辞典』第二版への序文では、ベーシック・インカムへ の言及が消えている。ポスト開発論は、いまのところ、グローバル化するシステムの階級構造分析に 踏み込むことなしに、賃金労働依存を問題にする生活世界からの洞察に導かれたベーシック・インカ ム社会への展望をもてないままのようにみえる。 (3)スタンディングのグローバルな労働市場の変化を踏まえた階級論 グローバル化による労働市場の激変の中で、賃金労働依存による市民社会空洞化という事態の克服 は先進国、途上国を問わず、世界共通の課題となりつつある。この点をもっとも鋭く認識している議 論は、長年にわたって ILO の社会経済安全保障プログラムなどにかかわり、グローバルな労働市場の 変化を踏まえたガイ・スタンディング(現在ロンドン大学 SOAS の開発学担当)のグローバルな階級 論であろう。(Standing 2009,2011,2014) スタンディングは、今日のグローバルな階級構造を次のような、7つの社会集団のヒエラルキーと して描く。すなわち、頂点の「エリート階級」 (フォーブス誌の長者番付に出る大富豪) 、そのすぐ下 の「サラリーマン階級」 (大企業、公企業、国家機関の正規職員) 、それと並ぶ「高度専門技能職階級」 (独立して契約を結び高い所得を得る自営労働者) 、その下の「労働者階級」 (熟練工の被雇用者、か つてのプロレタリアートであり福祉国家の担い手) 、そして最底辺の3つの集団、 「プレカリアート」 (非正規の不安定就労層) 、 「失業者」 、 「いわゆる社会的不適応者」である。そして、新自由主義国家 が進めるグローバル化のもとで、 世界的に減少しているのが、 サラリーマン階級と労働者階級であり、 爆発的に激増しているのが、プレカリアートであり、それによって、世界的な政治・社会不安が引き 起こされているというのである。 この分析は、MDGs 失敗の背景にある世界的な政治・社会不安という症状に対して、アメリカ市民 の美徳の衰退を診断したサックス、ダボス階級の支配構造を診断したジョージの議論と響きあうだけ でなく、福祉国家解体を階級構造の変化から説明し、同時に、福祉国家再建の無理も労働者階級の衰 退とプレカリアートの台頭から説明できる点が優れている。 では、スタンディングの処方箋は何か。それは、激増するプレカリアートが、社会形成の担い手と なりうる市民となれるように経済的自立を支援する仕組みをつくること、すなわちベーシック・イン カムの導入である。生活世界からのシステム形成という見通しの点ではザックスと同様だが、スタン ディングの場合は、システム内部で構造転換によるプレカリアート形成論が組み込まれており、単な る政策提言にとどまらない権力関係への批判的分析がある。 21 世紀への転換期あたりから激増してきた開発途上国での現金移転政策(Hanlon et al 2010 など) 、 援助資金による社会的現金移転(Social Cash Transfer)政策の広がりは、スタンディングが分析したよ うなグローバルな労働市場の変化の中での、賃金労働依存からの脱却、すなわち小市民階級の普遍的 創出の方向性を持つものとして読み替えれば、グローバルな階級支配構造の転換を展望できる。 開発研究は、グローバルな階級構造の分析だけでなく、階級構造分析の中から、賃金労働依存から 脱却した市民社会の基礎となる階級構造への転換を展望する必要がある。そのような現実への批判的 分析に基づく議論による生活世界での主体形成は、 新しいシステムへの転換の現実的力となるだろう。 とはいえ、今日の市民社会の空洞化の核心には、その議論が行われるはずの公共圏の恐ろしいほどの 歪みがある。最後のこの点について考察しよう。 3.公共圏の歪み (1)開発研究と公共圏の歪み問題 MDGs 失敗の原因を追究したサックス、そして多国籍企業へのグローバル課税実現の困難の原因を 追究したジョージは、共通して、とりわけ先進諸国における一部の富裕者階級によるマスメディアを 通じての政治支配、すなわち市民社会空洞化による民主主義政治の空洞化の問題を提起する。これま で、政治学あるいはせいぜい社会学の課題として扱われてきた公共圏の歪み問題(しかも先進国にお けるそれ)が、実践のための学であろうとする開発研究にとってのっぴきならない重要性をもつもの として提起されていることを確認しておきたい。 なおポスト開発論のザックスの場合は、その学問的出発の初めからシステムに支配され、歪められ た公共圏のあり方が前提とされており、その公共圏での言説批判を実践的課題としてオルターナティ ブな開発実践例を次々に切り開き、積み重ねてきた。だが、 『開発辞典』第二版序文に見るように、そ のような公共圏での議論の状況を変えるためのミクロな批判実践の積み重ねては追いつかない、マク ロな事態の深刻さが認識されるようになっている。したがって、公共圏の構造的な歪みが、改めて、 それ自体として問題として提起されているとみることができる。 (2)批判的社会理論と公共圏 公共圏の構造的な歪みの問題は、批判的社会理論の基礎を据えたハーバーマスにとっても、学問的 出発以来の生涯の課題だったといっていいだろう。彼の『公共性の構造転換』から『コミュニケーシ ョン的行為の理論』を経て『事実性と妥当性』に至る議論は、多くの政治学、社会学研究者によって、 熟議民主主義論の基礎を据えるものとされている(たとえば、田村 2008 など) 。 しかしながら筆者は、ハーバーマスの自身の議論、熟議民主主義論を含めて、公共圏の歪みに関す る議論は、批判的社会理論の潮流の中でさえ、その実践的重要性に比して、いまだに不十分なものと 考えている。以下、本稿での上述の二つの問題提起の論点を踏まえて、最後の問題提起としたい。 公共圏の歪み問題は、被支配階級の賃労働依存の問題として把握でき、賃労働依存からの脱却によ る階級構造の転換(すなわち小市民階級の普遍的創出)によって公共圏活性化が展望できる。すなわ ち、すべての個人が、経済的な自立を保障されることが、自由に意見を述べる人格的自立のために不 可欠である。それだけでなく、議論をする時間と場所も重要である。時間の確保は賃金労働依存から の脱却(ベーシック・インカム)によって可能だが、場所の確保には、それに加えて、小規模な住民 コミュニティでの自治的な議論の場を確保する制度改革が必要となるだろう。 現金移転政策にかかわる小規模住民コミュニティでの公共圏活性化の事例は、このような視点から 再評価できる(報告者自身が現地調査で確認したナミビア、ブラジル、インドなど) 。それは、MDGs が目指したグローバルな人権保障と民主主義の基礎となる、グローバルな公共圏活性化の展望のなか で、先進国の地域コミュニティの公共圏活性化の事例としても重要になるだろう。 (なおベーシック・ インカムについて、岡野内 2010a, 2010b, 2011,2012a, 2012b, 2014a, 2014b を参照) 【文献目録】 Banerjee, Abhijit T. and Esther Duflo(A・V・バナジー&E・デュフロ), 2011, Poor Economics: A Radical Rethinking of the Way to Fight Global Poverty, Public Affairs: New York(山形浩生訳 『貧乏人の経済学―もういちど貧困問題を根っこから考える』みすず書房、2012 年) . Easterly, William(ウィリアム・イースタリー), 2006, The White Man’s Burden: Why the West’s Efforts to Aid the Rest Have Done So Much Ill and So Little Good, Penguin: New York(小浜裕 久他訳『傲慢な援助』東洋経済新報社、2009 年) . ―――, 2013, The Tyranny of Experts: Economists, Dictators, and the Forgotten Rights of the Poor, Basic Books: New York. Esping-Andersen, Gøsta(G.エスピン-アンデルセン), 1990, The Three Worlds of Welfare Capitalism, London: Polity Press(岡沢憲芙・宮本太郎監訳『福祉資本主義の三つの世界――比 較福祉国家の理論と動態』ミネルヴァ書房、 2001 年) . ―――,1999, Social Foundations of Postindustrial Economies, Oxford: Pxford University Press(渡 辺雅男・渡辺景子訳『ポスト工業経済の社会的基礎―市場・福祉国家・家族の政治経済学』桜井 書店、2000 年). ―――,2009, The Incomplete Revolution : Adapting to Women's New Roles,London: Polity Press (大沢真理監訳『平等と効率の福祉革命 : 新しい女性の役割』岩波書店、2011 年) . George, Susan(スーザン・ジョージ), 1976, How the Other Half Dies: The Real Reasons for World Hunger, Penguin: London, etc.( 小南 祐一郎、谷口 真理子訳『なぜ世界の半分が飢えるのか― ―食糧危機の構造』朝日新聞社、1980 年). ―――, 1988, A Fate Worse Than Debt, Penguin: London, etc.(向井寿一訳『債務危機の真実――な ぜ第三世界は貧しいのか』 (朝日新聞社、1989 年) . ―――, 1992, The Debt Boomerang, Pluto Press: London(佐々木 建、毛利 良一訳『債務ブーメラン ――第三世界債務は地球を脅かす』 (朝日新聞社、1995 年). ―――, 1999, The Lugano Report: On Preserving Capitalism in the 21st Century, Pluto Press: London(毛利 良一、幾島 幸子訳『グローバル市場経済生き残り戦略――ルガノ秘密報告』 (朝 日新聞社、2000 年) . ―――, 2001, Remettre l’OMC a sa place, Mille et une nuits: Paris(杉村 昌昭訳『WTO 徹底批判!』, 作品社、2002 年). ―――, 2004, Another World Is Possible If , Verso Books: London(杉村 昌昭、 真田 満訳『オルタ ー・グローバリゼーション宣言――もうひとつの世界は可能だ! もし…』 (作品社、2004 年) . ―――, 2008, Hijacking America: How the Secular and Religious Right Changed What Americans Think, Polity Press: London(森田成也、大屋定晴、中村好孝訳『アメリカは、キリスト教原理主 義・新保守主義に、いかに乗っ取られたのか?』作品社、2008 年) . ―――, 2008, We the Peoples of Europe, Pluto Press: London. ―――, 2010, Whose Crisis, Whose Future? Polity Press: London(荒井雅子訳『これは誰の危機か、 未来は誰のものか』岩波書店、2011 年). ―――, 2012, """Cette fois, en finir avec la démocratie."""; Le raport Lugano Ⅱ, Seuil: Paris(How to Win the Class War: The Lugano Report Ⅱ)(荒井雅子訳『金持ちが確実に世界を支配する方 法――1%による 1%のための勝利戦略』岩波書店、2014 年). George, Susan & Sabelli, Fabrizio(スーザン・ジョージ、ファブリッチオ・サベッリ), 1994, Faith and Credit: The World Bank's Secular Empire, Westview Press: New York(毛利 良一訳『世界銀行 は地球を救えるか――開発帝国 50 年の功罪』 (朝日新聞社、1996 年) George, Susan & Wolf, Martin(スーザン・ジョージ、マーチン・ウルフ), 2002, La Mondialisation Libérale, Editions Gasset & Fasquelle: Paris(杉村昌昭訳『徹底討論 グローバリゼーション 賛成/反対』作品社、2002 年). Habermas, Jürgen(ユルゲン・ハーバーマス),1981, Theorie des kommunikativen Handelns, Frankfurt am Mein : Suhrkamp(丸山高司他訳『コミュニケイション的行為の理論』(上)(中)(下), 未来社, 1987 年). ―――,1985, Die Neue Unübersichtlichkeit, Frankfurt am Mein : Suhrkamp(上村隆広他訳『新 たなる不透明性』松籟社、1995 年) . Hanlon, Joseph, Armando Barrientos & David Hulme, 2010, Just Give Money To the Poor, Kumarian Press. 岡野内 正,2010a, 「地球人手当の理論序説」 『社会志林』 57(2):15-40. ――,2010b, 「世界の貧困とグローバル・ベーシック・インカム論」田中祐二他編『地域共同体とグ ローバリゼーション』晃洋書房,253-266. ――,2011, 「花には太陽を、人間にはお金を!」 『アジア・アフリカ研究』400:49-73. ――,2012a,「<帝国>から地球人手当のある世界市場社会へ」藤田和子・松下冽編『新自由主義に 揺れるグローバル・サウス』ミネルヴァ書房. ――,2012b,「地球人手当(グローバル・ベーシック・インカム)実現の道筋について―飢餓と貧困 の根絶から始める非暴力世界革命の展望―」 『アジア・アフリカ研究』52(3): 1-15. ――,2014a, 「先住民の権利とベーシック・インカムのアラスカ・モデル」 『アジア・アフリカ研究』 54(3): 1-27. ――,2014b,「人類史の流れを変えるーグローバル・ベーシック・インカムと歴史的不正義―」田中 優子・法政大学社会学部「社会を変えるための実践論」講座編『そろそろ「社会運動」の話をし よう―他人ゴトから自分ゴトへ。社会を変えるための実践論』明石書店. ――,2015,「飢餓と貧困を放置する人類史の流れをどう変えるか?―ジェフリー・サックス、ヴォ ルフガング・ザックス、スーザン・ジョージの近著をめぐって―」 (上) (下) 『アジア・アフリカ 研究』55(1), 57-93; 55(2), 35-67. Sachs, Jeffrey(ジェフリー・サックス), 2005, The End of Poverty: How We Can Make it Happen in Our Lifetime, Penguin: New York(鈴木主悦・野中邦子訳『貧困の終焉――2025 年までに世界を 変える』 (早川書房、2006 年) . ―――, 2008, Common Wealth: Economics for a Crowded Planet, Penguin: New York(野中邦子訳 『地球全体を幸福にする経済学―過密化する世界とグローバル・ゴール』早川書房、2009 年). ―――, 2011, The Price of Civilization: Reawakening American Virtue and Prosperity, Random House: New York(野中邦子・高橋早苗訳『世界を救う処方箋-「共感の経済学」が未来を創る』 早川書房、2012 年). ―――, 2013, To Move the World; JFK’s Quest for Peace, Random House: New York(櫻井祐子訳『世 界を動かす-ケネディが求めた平和への道』早川書房、2014 年). Sachs, Wolfgang, 1999, Planet Dialectics: Explorations in Environment and Development, Zed Press: London(川村久美子・村井章子訳『地球文明の未来学―脱開発へのシナリオと私たちの実 践』新評論、2003 年). Sachs, Wolfgang (Eds.)(ヴォルフガング・ザックス編), 1991, The Development Dictionary: A Guide to Knowledge As Power, Zed Press: London(三浦清隆他訳『脱「開発」の時代―現代社会を解読 するキイワード辞典』晶文社、1996 年) . ―――, 2010, The Development Dictionary: A Guide to Knowledge As Power, Second Edition, Zed Press: London. Sachs, Wolfgang, Loske, Reinhard, and Linz, Manfred, et al.(ヴッパタール研究所編、ウォルフガン グ・ザックス、ラインハルト・ロスケ、マンフレート・リンツ著)(Eds.), 1998, Greening the North: A Post-industrial Blueprint for Ecology and Equity, London: Zed Press,(Bund/Miseror(Hrsg.), 1996, Zukunftsfähiges Deutschland: Ein Beitrag zu einer global nachhaltigen Entwicklung, :Studie des Wuppertal Instituts für Klima, Umwelt, Energie, Basel: Birhhäuser Verlag) (佐々木健他訳『地球が生き残るための条件』家の光協会、2002 年) . Sachs, Wolfgang, and Santairus, Tilman(Eds.)(W.ザックス/T.ザンタリウス編)(Eds.), 2007, Fair Future: Resource Conflicts, Security, and Global Justice, Zed Press: London(川村久美子訳『フ ェアな未来へ―誰もが予想しながら誰も自分に責任があるとは考えない問題に私たちはどう向き あっていくべきか』新評論、2013 年). Standing, Guy, 2009, Work After Globalization: Building Occupational Citizenship, Edward Elgar Pub: Cheltenham, UK. Standing, Guy, 2011,The Precariat: The New Dangerous Class, London: Bloomsbury. Standing, Guy, 2014, A Precariat Charter: From Denizens to Citizens, London: Bloomsbury. 田村哲樹 2008 『熟議の理由―民主主義の政治理論』勁草書房. Van Apeldoorn, Bastiaan, 2002, Transnational capitalism and the struggle over European integration, London, etc.: Routledge. Van Apeldoorn, Bastiaan, Drahokoupil, Jan, and Horn Laura(Eds.), 2009, Contradictions and limits of neoliberal European governance : from Lisbon to Lisbon, London: Palgrave Macmillan. Van Apeldoorn, Bastiaan, De Graaff, Naná, and Overbeek, Henk(Eds.), 2014, The state-capital nexus in the global crisis : rebound of the capitalist state, London: Routledge. Van der Pijl, Kees,1984, The Making of an Atlantic Ruling Class, London: Verso. Van der Pijl, Kees,1998, Transnational Classes and International Relations, London: Routledge. Van der Pijl, Kees,2007, Nomads, Empires, States: Modes of Foreign Relations and Political Economy, Vol.Ⅰ, London: Pluto Press. Van der Pijl, Kees,2010, The Foreign Encounter in Myth and Religion: Modes of Foreign Relations and Political Economy, Vol.Ⅱ, London: Pluto Press. Van der Pijl, Kees,2014, The Discipline of Western Supremacy: Modes of Foreign Relations and Political Economy, Vol.Ⅲ, London: Pluto Press. Vitali, Stefania, Glattfelder, James B., and Battiston, Stefano, 2011, "The Network of Global PLoS ONE 6(10): e25995. Corporate Control, ” in doi:10.1371/journal.pone.0025995(http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal. pone.0025995 2015 年 1 月 30 日取得). アジア地域における経済協力協定 ~その数量的な評価による現状分析~ 東洋学園大学 対馬宏 Economic Partnership Agreements of Asian countries -their quantitative evaluation on current situation Toyogakuen University TSUSHIMA, Hiroshi 要旨 本発表ではアジア地域における経済協力協定の課題を特に日本が関わっている協定について提示していきた い。 現在日本を中心に行われている経済協力協定には、日本・EU、TPP、RCEP、日中韓などがある。これ らは先進国同士である日本とEUの協定、先進国+途上国となっているTPP、先進国もさることながら途上国 が大きな役割を果たすRCEPや日中韓がある。これらを比較することを通じ先進国と先進国の協定、先進国中 心ながら途上国も含まれる協定、途上国中心の協定はどのような違いがあるのであろうかを明らかにすることが 今回の発表の目的である。 先行研究と手法 経済協力協定を比較評価する手法については、貿易、中でも輸出を主軸に提示されることが一般的である。た とえば、対GDP貿易比率、仕向地別輸出比率などから当該国に対してどのような影響があるかを評価する手法 である。本発表ではこれに加え直接投資、サービス貿易の影響をも取り込み、対GDP直接投資比率、対GDP サービス貿易比率を算出することによりさらに詳細な比較を可能にすることを検討する。また、サービス貿易に ついては特化係数を各国別に求めてそれを考察する。 サービス貿易にも注目するのは近年の経済協力協定が商品貿易中心の協定から非貿易財を重視する協定に変 わってきているからである。サービス貿易の自由化は関税引き下げという方法ではなく、制度の改革を伴う。そ のため協定内容を一般化・共通化する過程で相互に内政干渉にも近い法律改革を要請することも起こっており、 今後の協定においてこのサービス貿易への考察が不可欠と考えるからである。直接投資についても数値をとって 調べるのは同様の理由からである。 (ただし、サービス貿易の伸び率は高いものの伸び幅では商品貿易に大きく及ばない。 ) 結果・考察・まとめ 具体的にこれらの比較・評価から明らかになることは以下の通りである。 ①日本におけるアジアのプレゼンスの上昇、それに対比するかのようにアジアにおける日本のプレゼンスの低下。 ②経済協力協定としてはASEAN内での相互依存・相互協力の高まり。 ③途上国間で直接投資の役割がある程度高くなっている現状、および、それに対する評価。 (これまでの日本中心にカネの流れが発生しているという認識とは異なる実態が明らかになる。) ④サービス貿易に関して新しい流れの発生。 (製造業と密接なつながりにある知財分野と観光など製造業とは比較的遠い位置にある分野と比較しつつ実態 を明らかにする。 ) 以上のような分析を通じてアジアにおける経済協力協定の評価をどう考えるべきかを提示する。 [論文] 開発における ICT 利活用の効果と可能性 ―IoT 時代におけるアウトカム志向への転換― 内藤 智之 世界銀行 tnaito@worldbank.org tknaito@yahoo.co.jp キーワード: 情報通信技術(ICT)、ICT 利活用、ナレッジ・シェアリング、 Internet of Things (IoT)、携帯電話 1. はじめに 開発の実施主体である被援助国側における事業担当機関や組織に過大な負担を強いることなく、 当該主体者が持続的に保有・実施可能な手法を国際的援助の枠組みを通じて共同で開発したり、 援助提供側で過去に効果が実証された既存手法を伝承することは、開発援助のアプローチとし て歴史的に一般化され採用されてきた。かかる発展の中で、開発における様々な伝統的援助手 法に情報通信技術(ICT)を能動的に利活用することによって、業務プロセスの標準化や時間短 縮、データ整理や大規模な情報共有などが可能になってきており、様々な付加価値が創出され てきている。一方、開発における ICT 利活用については、これを可能にしているパーソナルコ ンピュータ(PC)やインターネットの急速な普及が過去わずか 20 年程度の間に発生している事 実に鑑みれば、今後の 20 年間に今までよりもさらに大きな変化や予想を超える効用が発生し得 ると考えるのは、後述する「技術的特異点」への到達可能性も含め、決して突飛な議論ではな い。 数理系専門研究に使用する大型計算処理機械であったコンピュータが、半導体技術を中心とし た急速な技術革新によって高速化・軽量縮小化(ダウンサイジング)が促進され、個人で所有 可能なサイズとコストになって PC として 1990 年以降に世界中で急速に普及した。さらには、 米国の先端研究として開発されたインターネットが世界の情報共有インフラとして 1995 年以降 に世界中で爆発的に普及したことにより、現在までの約 20 年間で開発においても ICT が果たす 役割は様々検討され、試行され、発展し、変容してきている。 代表的な例として、2012 年に世界銀行から刊行された報告書 “Information and Communications for Development 2012: Maximizing Mobile”による解説は、開発における ICT の役割が近年大きく 変化してきていることを強く印象付けている。同報告書で は、近年における携帯電話の世界中 における爆発的な普及が、特に開発途上国における開発に革新的な正の影響を与え始めている ことを多くの具体例で報告し、開発における ICT 利活用の重要性を再確認させると共に、既知 のアプローチだけではこれらを説明することがもはや困難であることを明確にした。特に、経 済発展を促進するために必要不可欠な大規模情報通信インフラ整備(固定通信網の敷設)向け 資金を確保することが容易ではない開発途上国にとって、より少額な投資で無線技術を活用す る近年の携帯電話における飛躍的な技術革新と低コスト化は、被援助側である開発途上国にと ってはより効率的・効果的に恩恵を享受する機会の増加に直結すると同時に、開発事案におけ る自らの主導的な役割を強化することにも繋がることから、援助側との伝統的な関係性さえ変 容させ得ることを示唆している。 件数ベースでは、世界の携帯電話通信契約数は世界総人口に匹敵するまでになっており、もは や世界中すべての国・地域で携帯電話を介してインターネットにアクセスすることが可能とな っている。これに加えて、コンピュータやスマートフォンだけでなく様々なものがインターネ ットによって繋がれる「インターネット・オブ・シングス(IoT)」と呼ばれる新たな技術潮流が 先進国を中心に近年急速に進んできており、インターネットを含む広義の ICT 利活用は開発に おいてますます経済機会の創出に貢献することが期待されている。世界銀行は、このような状 況を踏まえ、2016 年度版世界開発報告書(World Development Report; WDR)の主題を “The Internet and Development” と設定した。同 WDR は 2015 年末までに公表される予定であるが、イ ンターネットがもたらす経済成長への貢献要因を分析しつつ、貧困削減の側面に関して今後イ ンターネットはどのように貢献出来るのかを検証し、さらにはよりよい開発に資する ICT 分野 の政策改革を提言する報告書となる予定である。 このように、開発における ICT の貢献や利活用から生じる効果に何を期待するのかという論点 について、約 20 年間の時を経て ICT が社会の不可欠なインフラ的要素となってきている中で、 我々開発従事者は再考を試みるべき転換点に立っているのではなかろうか。 本稿ではこのような問題意識に基づき、開発における ICT 利活用のあり方に関し以下 3 つの側 面から考察する。第一に、現在までの開発における ICT 利活用の取り組み変遷とそれらが生み 出している効果の現状を概観する。第二に、その概観を基に ICT 利活用と親和性が高く近年開 発途上国の政策立案プロセスにおいて重要性を増している知識共有(ナレッジ・シェアリン グ;KS)の変遷に注目し、ICT 利活用が及ぼしている政策立案への影響について概観する。第 三に、社会に必要不可欠なインフラの一部となったインターネットが IoT を通じて更なる変化を 社会に及ぼしていくという仮説に基づき、今後の開発における ICT 利活用を IoT 技術との関連性 を通じた可能性について考察する。 2. 開発における ICT 利活用の変遷とその効果 2-1 開発における ICT 利活用促進の背景 開発において ICT を利活用することが強く意識され始めたのは、2000 年に国連で採択されたミ レニアム開発目標(MDGs)において、目標 8「開発のためのグローバルなパートナーシップの 推進」の中で「民間セクターと協力し、特に情報・通信における新技術による利益が得られる ようにする」という指標が定められた頃からであった。日本においても、同年 7 月に沖縄で開催 された第 26 回主要先進国首脳会議(G8 サミット)で ICT に関する重要性が初めて公式声明に掲 載され、同サミットは「沖縄 IT サミット」とも呼ばれ、ICT の利活用がもたらす経済成長への 貢献に対する期待を明文化した「沖縄 IT 憲章」 (正式名「グローバルな情報社会に関する沖縄憲 章」 )が採択されたことにより、ICT と開発の関係性にかかる議論の優先度は上昇していった。 それまでの ICT 分野に対する国際援助は、開発途上国における電気通信網の物理的な整備支援、 放送局への基本機材整備支援等のハード面やそれを適正に運転・運用する人材育成、電気通信 事業者の独占禁止や競争政策導入にかかる法整備支援といった、主に電気通信と放送に対する 対象国ごとの状況に応じた案件ごとの個別支援が主たるものであった。しかしながら、2000 年 以降は遠隔教育や統計・観測など、インターネットによる通信接続性を加味することによって 新たに可能となる ICT 利活用という開発援助のアプローチが提案されるようになり、需要側か らも様々な非伝統的問題解決要請が提示されるようになっていった。 インターネットによって瞬時に情報が世界中で共有される時代になった中で、開発に対する途 上国側の主体者意識も徐々に変容していった。それまでは、主に開発委員会(DAC)参加の援 助国側が独自の判断基準で自己評価した「グッド・プラクティス」を被援助側に一方的に提供 し、これにかろうじて被援助国における現地事情を加味して現地化させていくというアプロー チが一般的であったのに対し、2000 年 MDGs などを契機に ICT 利活用にかかる考え方が国際 社会で普及し始めていく中で、被援助国側はインターネットを駆使することで「グッド・プラク ティス」にかかる情報を自ら選別することが可能となり、自国の開発課題に対してどのような 知識(ナレッジ)と経験の学習が真に必要かであるかという核心的かつ根幹的な要望を、援助 側に対して様々な機会を通じて表明するようになっていった。この中で、開発におけるナレッ ジとは何か、ナレッジを開発においてどのように管理していく(ナレッジ・マネジメント;KM) べきか、という議論も急速に拡大していった。 KM の根源には、存在するナレッジを如何に効率的に必要とする対象者に正確性を損なうことな く提供するかという目的があるが、情報を電子化して共有することにより国境や時差による情 報格差を技術的に低減させて大きな費用対効果をもたらすことが可能な ICT は、開発における 活動の中で KM と最も親和性が高いことが 2000 年以前より認識されていた。 そもそも開発におけるナレッジの重要性は、1996 年に世界銀行のジェームズ・ウォルフェンソ ン総裁(当時)による「ナレッジ・バンク宣言」によって開発従事者間で広く共有されるよう になった。ウォルフェンソンは、世界の貧困削減を加速させるためにはそれまで世界銀行に蓄 積されてきた開発事業にかかる知識と経験、すなわち資産としてのナレッジを被援助側へ積極 的に公開・提供していくべきであり、世界銀行は開発に必要な資本提供だけでなくナレッジを 新たな提供可能価値とした「ナレッジ・バンク」として世界の開発に貢献していく役割を新た に担うべきだと宣言し、その後の開発における国際金融機関のあり方に大きな影響を与えた。 1990 年代前半に出現した KM という概念は、知識を取り込み、配信し、効果的に利用するプロ セスを指すが、開発の分野において KM が明示的に意識されるきっかけになったのは、ウォル フェンソンの上述宣言を踏まえて作成された WDR1998 年版において、それまでの開発に必要な 資本に関する議論に代わって初めてナレッジを主題とした WDR ’Knowledge for Development’ が 発刊された機会であった。当該 WDR が作成された際の時代背景のひとつに、経営学者である野 中・竹内(1995)による’The Knowledge Creating Company’ が日本企業が成功を収めた背景とし て「形式知(Explicit Knowledge) 」と「暗黙知(Tacit Knowledge)」の効果的な相互作用が存在し たことを紹介し、世界中でナレッジについて関心が高まっていたことも、WDR には大きな影響 を及ぼしていた。インターネット元年といわれる 1995 年以降にコンピュータ・ネットワークが 急速に企業に普及したことにより、コンピュータの力を借りることによって暗黙知の活用を促 進することに対する期待が開発においても急速に高まった。その結果、ネットワークを活用し て情報を速く広く共有したり、知恵を出し合って仕事をするなど、組織における知識や知恵の 創出・共有が促進され、このような活動はナレッジ・シェアリング(KS)と総称されるように なり、KS の促進により暗黙知が形式知に変換されて組織力の向上が飛躍的に進むと期待された。 WDR1998 年版では、開発途上国に対して効果的なナレッジを採用することが開発に正の効果を 生み出す重要性を強調しつつも、先進国とのナレッジ保有格差が広がり続けるリスクを広げな いために教育分野への投資を惜しまない政策や、開かれた市場に先人の知恵(ナレッジ)を積 極的に取り入れることの重要性が強調され、これらを実現するための開発援助手法においてナ レッジをどのように取り扱っていくかが援助提供側の課題として挙げられた。また同報告書の 作成中に発生したアジア通貨危機に対しても、マクロ経済や財政管理に関するナレッジが適正 に取り入れられていれば総合的な損失はもっと低く抑えられた筈である、とジョセフ・スティ グリッツ上級副総裁兼チーフ・エコノミスト(当時)が言及した。 このように、同 WDR によって開発のためのナレッジが広く意識されるようになったが、アジア 通貨危機に代表される瞬時に国境を越える資本移動のネットワーク効果がもたらす世界経済全 体への影響は、ICT との関係性からも国際社会の共通課題になり、2000 年 MDGs における開発 と ICT 利活用の議論へと急速に繋がっていった。 2000 年以前の開発における ICT 分野の位置づけは、前述の通り主に電気通信分野および放送分 野における政策立案能力強化支援とインフラ整備支援であった。これに、MDG で「特に情報・ 通信における新技術による利益が得られるようにする」という新たな側面が開発目標として明 文化されたために、開発への ICT 利活用という課題が共有されるようになった。 ICT は、その技術進化速度が「ムーアの法則 1」に代表される如く、企業による研究開発投資と 1 「ムーアの法則」とは、世界最大の半導体メーカーであるインテル社創設者のひとりであるゴー その成果が市場と強く結びついているため、最終裨益者である ICT サービスのユーザーは政府 による公的支援や国際援助による通常の事業取組みプロセスよりも早期の段階において、民間 企業や非営利団体が提供するサービスから便益を享受する場合がある。そのため、2000 年以降 における開発関係機関による ICT 利活用支援も、当初から様々な教育、保健、農業、インフラ 等々の様々な伝統的援助対象セクターに対して ICT を利活用した遠隔教育や遠隔医療など「斬 新なアイディア」が百花繚乱の如く列挙されたが、その多くは既存組織における通常の事業実 施プロセス、すなわち非援助側政府からの要請書取付けや機関内における煩雑な予算確保手続 き、実施のためのプロジェクトチーム編成や理事会承認手続き等々を経ている間に実施正当性 や技術の陳腐化懸念などに行く手を阻まれ、実施にまで至らない事例が少なくなかった。これ は、公的援助機関における ICT 利活用事業実施のジレンマとして、多くの組織で共通的な課題 となった。 一方、大規模援助が実施可能な援助機関が「ジレンマ」に直面していた状況でも、ミクロレベ ルでは「斬新なアイディア」を開発途上国のパートナー機関と共に地道に実施している組織も 存在していた。その多くは、政府や国際援助機関よりも事業開始スピードに勝る各種財団や非 政府組織(NGO) 、そして大学などの高等研究機関であった。 国際電気通信連合(ITU)データによれば、全世界における携帯電話契約件数が 30 億件を超え たのが 2007 年であるが、開発における ICT 利活用の転換点であった 2000 年から 2007 年まで の時期を仮に「開発のための ICT 利活用試行段階」と位置付けると、この期間の功労者は上述 した財団や NGO などであった。例えば、同期間において世界の携帯電話端末市場と通信規格を 主導していたのは欧州であったが、開発においても距離的にアフリカと最も近距離にある先進 経済地域であったため、この「試行段階」時期においても積極的にアフリカや東欧、中央アジ ア、中近東地域など各周辺地域の開発途上国に対して ICT 利活用事業を施していた。 例えば、英国携帯電話大手事業者ボーダフォン社関連のボーダフォン財団は国連財団と協力し、 安価な携帯電話からでも発信可能なショートメールサービス(SMS)を活用した医療相談サー ビス「mHealth」を同時期からアフリカで展開し、現在に至るまで継続実施している。英出版 大手ピアソン社が出資したピアソン財団(2014 年末に活動終了)はフィンランドの携帯電話事 業大手ノキア社などと連携し、特にアフリカにおける ICT リテラシーを高める慈善事業を積極 的に展開していた。バングラデシュのグラミン銀行は、主たる事業であるマイクロファイナン スの派生事業として農村女性が携帯電話を融資金で購入し、それを村人に貸し出して利ざやを ビジネス化する「グラミンフォン」を「試行段階」時期から展開した。ケニアでは、2007 年に SMS を活用した送金サービス「M-PESA」が開始され、その後の ICT 利活用モデルの先駆的な 事例になった。 このように、 「開発のための ICT 利活用試行段階」である 2000 年から 2007 年までの期間には、 従来の政府・援助機関による公的支援としての電気通信や放送部門に対する支援が基礎的支援 として続けた一方で、財団や NGO は将来的な製品販売市場への先行投資という考え方も含みつ つ、主には慈善活動の一環として携帯電話の爆発的な普及などの機会を捉えて革新的な開発ア プローチの先駆例を展開していた。このような状況に対して政府や国際援助機関は、自らが非 効率にミクロ支援を企画・実施するよりも、効率的に実施することが可能なこれら団体に対し て直接的・間接的に資金支援を行うことも有効と考え、小額資金援助による間接的な関与を行 いながら中長期的な事業効果を観察するアプローチを採用する場合も、徐々に増えていった。 その後 2008 年から 2013 年にかけて、ICT を取り巻く世界的な環境に大きな 2 つの変化が起こり、 この期間に開発のための ICT 利活用もそのアプローチ形態に変容を見せた。この期間を「携帯 ドン・ムーア博士が 1965 年に経験則として提唱した「半導体の集積密度は 18~24 カ月で倍増し、 チップは処理能力が倍になってもさらに小型化が進む」という法則。半導体の性能は指数関数的に向 上するが、実際には、集積密度の向上ペースは鈍化している。このため、「集積密度」を「性能向上」 に置き換えることで、法則は現在でも成立しているとされている。最近は価格対性能比で、18 カ月 で 2 分の 1 になるともいわれている。 (出所:ASCII.jp デジタル用語辞典) 電話を活用した開発のための ICT 利活用離陸段階」と位置付ける(図 1 参照) 。 同期間における第一の大きな変化は、世界における携帯回線経由のブロードバンド契約数が固 定回線経由のブロードバンド契約数を総数で上回り、その差が年々拡大する傾向が明らかにな ったことである。同時に、世界全体における契約電話契約者数は 2008 年には 40 億人を突破し、 世界全人口の半数を超えた。これは、世界における情報の入手経路が携帯端末に大きくシフト し始め、より多くの人口がインターネットを通じて情報を入手するようになったことを意味し ている。第二の大きな変化は、国際間競争力に大きな影響を与える国際海底ケーブルの敷設状 況に関し、特にそれまで ICT 最後進地域であったアフリカにおいて、大きな進展があったこと である。2008 年頃のアフリカでは、国際海底ケーブルは SAT3 のみであった。このため、多くの アフリカ諸国は通信衛星に依存せざるを得ない状況があり、インターネットへのアクセス速度 やサービス提供価格の設定に自ずと限界が作用し、他地域との格差拡大に繋がりかねない懸念 があった。しかしながら、2010 年には西アフリカ沿岸で SAT3/SAFE、Main One、Glo-1 の 3 ラ インが利用可能となり、さらに WACS、ACE、SAex の 3 ラインが 2013 年に利用可能となり状 況は大幅に改善された。東アフリカ側でも同様に、2010 年には SEACOM、TEAMs、 EASSy の 3 ラインが利用可能となり、例えばケニアではインターネットサービス提供の末端価格が前年比 で約 70%低下しエンドユーザーへ直接的な恩恵が分配された。 すなわち、この時期においては、世界的に携帯回線経由のブロードバンド接続が飛躍的に増加 し始めたことが確認されたと共に、常に通信インフラ状況が懸念されるアフリカ地域において も国際海底ケーブル敷設整備が加速したことによって、インターネット回線の安定とエンドユ ーザーに対する料金改定等サービスの改善という直接的な恩恵が提供され始めたため、世界全 体におけるインターネット接続環境の向上が実現した。同時に、米国を中心とした先進国では 当該段階においてフェースブックやツイッターに代表されるソーシャル・ネットワーク・サー ビス(SNS)が開発され、世界的に爆発的に普及していった。これら SNS は、過去のインター ネット経由によるネットワーキング・サービスをさらに使い勝手良く多彩な機能を拡張的に進 化させたため、先進国から開発途上国まで幅広いユーザーが急速に参加するようになり、文字 通り世界中が同じプラットフォームで容易に繋がる時代に突入する。 この状況は、開発における ICT 利活用にかかる取組みに対しても、大きな影響を与え始めた。 SNS のコンセプトを用いた、特定開発課題にかかる関係者の仮想空間上におけるグループが多 く作成されるようになり、関係者間で意見や情報交換を以前よりも容易に行える環境になって いった。また、SNS では文章のみならず写真や動画も共有することが一般的であることから、 開発関係者の間でもフェースブックと同じように専門的な開発課題に関する仮想的な議論の場 が設定され、そこから派生的に様々なアプローチが副次的効果として発生している。このよう な取組みは Community of Practice(CoP)と呼ばれ、特に専門家間において国際会議の補足機能 として役立っている。また CoP は、援助提供者のみならず被援助側も参加する事例も多く、相 互に効率的に意見や情報を交換できる利益を享受できる仕組みでもある。 2-2 開発における ICT 利活用の効果 図2は、ICT 利活用のの重要要素であるインターネットが開発に与え得る代表的な影響について 分類したものである。ここで挙げられた分類の中でも、社会的に重要な ICT 利活用の副次的効 果として、インターネットにアクセス出来ることで過去に知り得なかった情報を知ることが出 来るようになり、その結果として情報障壁によって成し得なかった社会参加が可能になる女性 や弱者が増加する効果がある。特に、能力とは無関係に伝統的な価値観によって社会進出を制 限されていた女性が、インターネットを介することによって社会経済活動に参加が促進されて きている効果が確認されている。図3は、インターネットを活用しないアナログ分類される市 場と、インターネットを利活用するディジタル市場における女性の社会進出度の差を表したも のであるが、この結果は女性にとってディジタル社会が顕著に有利に作用している現象を如実 に表している。 一方、世界銀行(2015)報告書‘Development as Freedom in a Digital Age: Experience of the Rural Poor in Bolivia’ では、南米ボリヴィア国における貧困地域を対象に ICT 利活用と貧困削減への効 果を検証する作業を試みているが、報告書の結論として「新技術は、貧困層における既存の水 平的なネットワークを強化させることに役立つが、政策立案者と貧困層などの垂直的なコミュ ニケーションチャンネルを改善させることには限界がある」 、また「ICT そのものは、貧困から の脱出路を提供することはできない。生活に複層的な効果をもたらすためには、ICT を補完する 要素と協調しなければならない」といった重要な視点を、検証結果として提供している。 したがって、2013 年以降は図 1 で見られるとおり世界中で携帯電話がほぼひとりに 1 台保有さ れる時代になってきているが、その中でボリヴィアで実証されたような現実をどのように捉え、 開発にかかる ICT 利活用についても今までよりさらにもう一歩踏み込んだより効率的で効果的 な支援を検討していけるのか、という課題に対峙することになる。換言すれば、 「ムーアの法則」 の如く進化し続ける ICT が開発に提供し得る利活用効果をより効果的に確保するためには、ICT それ自体が社会全体において今後どのような役割を担っていくのかという事象に対する根本的 な理解を、より正確に客観視して理解していくことが非常に重要であると考える。これより、 2013 以降における開発と ICT 利活用の関係を「開発における ICT 利活用新段階」と位置付ける。 図4は、1990 年以降 2013 年までの期間における主要な開発指標とインターネットや携帯電話な ど ICT 関連指標の改善率等を示している。ここで、貧困問題における主要な開発指標である安 全な飲料水や生活用水を確保するための上下水道の改善や、保健と並び最も重要な開発指標の ひとつである中等教育へのアクセスが緩やかに改善し続けている一方、普及率から見た携帯電 話やインターネットアクセスの 2000 年以降の上昇がいかに急速に進行しているか、その差異が 明示的にわかる。いわゆる基本的な人間開発ニーズ(Basic Human Needs; BHN)の継続的な改善 と、これに ICT が新たな社会インフラとして開発に梃子(てこ)をかけていく要素はどのよう に見極められるのか、その視点はますます重要になってくると考えられる。 村井(2015)によれば、インターネットはコンピュータ同士をつなぐネットワークとしてこれ まで発展し、そのコンピュータ・ネットワークを通じてインターネットが人間の作業をサポー トできるようになり、今日に至ってはインターネットが世界中のコンピュータをつなぎ人間同 士のコミュニケーションが自由になったことで、インターネット発展の最初のストーリーはい ったんの完結を迎えた。そして、第4章で述べる IoT(Internet of Things:モノのインターネット) の議論で考えるべきはその先にある世界であり、それはコンピュータ・ネットワークで人間同 士がつながっただけの時代とは、全く異なる状況が生まれる、という。開発と ICT 利活用に関 しても、このような視点が必要不可欠である。 3. 開発におけるナレッジ・シェアリングの変遷 インターネットを重要な要素として包含する ICT を開発に利活用することが、2000 年以降の試 行段階を経て、携帯電話と携帯電話経由ブロードバンド・アクセスの爆発的な普及によって離 陸段階にまで及び、今後は新段階に入っていくであろうことを前章までに解説した。 被援助国側はインターネットを介することで、便益として情報障壁の克服という恩恵を受け、 そもそも ICT と親和性の高いナレッジ・マネジメントを経験し、有用なナレッジに関する学習、 交換、共有を戦略的な活動として位置づけるようになった。 援助側および被援助側が合同作業で KM 手法を検討する中で、経済先進国が開発途上国に対す る援助を通じて過去に自国が経験した標準化可能な開発の手法を技術移転するだけではなく、 様々な創意工夫の中で発生し蓄積されている好事例を共有し適用するプロセスの重要性が徐々 に認識され、ナレッジ・シェアリング(Knowledge Sharing; KS)を効率的に行うことが KM 事業 の中でにわかに重要視されるようになった。 インドネシア国家防災管理庁(BNPB)は 2014 年より、所管の職員研修所における戦略事業と して、組織内 KS の強化に取り組み始めた。具体的には、国内における独自の知見に基づく防災 関連ナレッジをデータベース化し、これまで F2F で行ってきた職員集合研修の大部分を遠隔教 育化することで研修コストの大幅な低減と職員の能力強化にかかる速度向上を図る取り組みを 開始した。 一方、新興ドナーとして自国の経済発展の経験を戦略的に他国に共有する取組も増えてきてい る。韓国は、朝鮮戦争から今日までの経済復興の経験を「韓国開発にかかる 100 の知見」として データベース化し、首相府直下のシンクタンクである韓国開発研究院(KDI)および同研究院公 共政策大学院(KDI School of Public Policy)に 2011 年より KS 事業実施用予算を大幅に増額し、 政府の開発戦略上重要な活動として展開している。中国は、アジア太平洋経済協力(Asia-Pacific Economic Cooperation; APEC)イニシアチブに基づき上海に拠点を設置するアジア太平洋金融開 発研究院(Asia-Pacific Finance Development Institute; ADFI)を中心に、アジアにおける経済発展 に必要な開発課題にかかる KS セミナーを積極的に実施している。 これらは一部の事例であるが、ICT における技術革新によって実施障壁が低くなった KS 活動を 積極的に国家開発政策に取り入れている典型的な事例であり、換言すれば ICT によって国家開 発政策に大きな影響が及ぼされている典型例と言える。 2000 年「沖縄 IT サミット」で採択された「沖縄 IT 憲章」においても、日本政府が提唱した 「国際的な情報格差問題に対する包括協力策」を具現化するため、 「 「最良の慣行」を集め情報 格差を縮小させるのに役立つべくすべての利害関係者から利用可能な資金を動員するために一 層の国際的な対話と協力が必要」と憲章内で明文化され、「開発途上国とその他のパートナーの 間の経験の共有を促進する」こと、すなわち KS の国際的な促進が肝要であるとされた。なお、 2000 年以前はこのような枠組みを北(先進経済圏)から南(開発途上経済圏)へ、または南か ら南へ(南南協力)と表現していたが、インターネットの出現はもはやこのような物理的南北 関係の枠組みでは表現すべきではなく、インターネットという共通的な仮想空間を経由して地 球全体でナレッジが共有されるという表現がより的確であるため、南北や南南といった表現は 一部でまだ使用され続けているものの、その含意は以前よりもより南北の境界を概念的に強調 する必要性がなくなってきている。このような状況も、インターネットによる見えざる影響の ひとつといえよう。 沖縄 IT 憲章を受け、国際援助機関は公的な援助の枠組みの中で、 「開発のための ICT 利活用試 行段階」において矢継ぎ早に ICT を活用した援助スキームを考案し、標準化させるべく試行を 重ねた。KS に関しても、それまでの伝統的な手法であった関係者が一堂に集う対面式(Face to Face; F2F)によるシンポジウムやセミナー、ワークショップなどを部分的、または全面的にビ デオ会議(Video Conference; VC)システムを活用する試行が始まり、世界銀行は世界各国にお ける代表的な研究機関や公的機関をビデオ会議でネットワーク化させる Global Development Learning Network (GDLN) を 2000 年に設立した。国際協力機構(JICA)も同様に、世界各国およ び日本国内に広がる自らの事業所をビデオ会議システムで接続た JICA-Net を 2000 年より設置し た。さらに、JICA-Net ライブラリと称するデータベースをウェブサイト上に構築し、過去の良 質な開発事例を動画や文書にまとめて掲載することで、被援助国関係者や他開発機関従事者や 研究者などが、それまでは入手困難であったナレッジをインターネット空間を通じて容易に共 有できるようにした。 KS の手法としては、当初は伝統的な開発業務のプロセスの中で、シンポジウムやセミナー、特 定テーマに関するワークショップを関係者が一堂に集う対面形式(Face to Face; F2F)が主流で あったが、世界的に PC とインターネットが爆発的に普及し始めた 1995 年以降、F2F によって生 じる物理的移動を含む様々なコストを軽減するためにも ICT を利活用する創意工夫が進められ てきた。その機能性を考慮すれば、特に形式知にかかる KS 活動を成功させる各要件を充足させ るために、ICT を活用することが非常に合理的な選択である。F2F による KS 活動の発展として、 ビデオ会議システム(Video Conference; VC)やウェビナー(Webinar)や e ラーニングが活動目 的に応じて使い分けられるようになり、 「携帯電話を活用した開発のための ICT 利活用離陸段階」 に世界の多くの国で定額ブロードバンド時代が始まると、CoP による情報の交換なども盛んに使 われるようになった。 表1は、情報伝達とコミュニケーションにおける代表的な媒体を方法と同期性によって区分し たものである。例えば CoP は、フェースブックなどの SNS と同様の機能を持たせることが一般 的であることから、同期・非同期に限定されず、表中ではウェブ会議、ヴァーチャル学習環境、 ディスカッション・フォーラム、ブログなどの機能を混合的に有することが可能なコミュニケ ーションプラットフォームであることから、様々なレベルの情報をひとつのプラットフォーム で共有できる優位性があり、複雑な個別事情を常に包含する開発事業には有効な情報交換ツー ルであると考えられる。 一方、GDLN の活動に代表される VC を活用した KS は、当初はブロードバンド・インターネッ ト専用回線を使用できない国に対してはコストの高い通信衛星回線を使わざるを得なかったな ど、費用対効果の面で課題があり、とにかく ICT を駆使して非伝統的な手法を開発しようとい う試行的な意味合いも少なくなかった。したがって、不測的に発生した感染症への対策などを 多国間の有識者が、物理的な移動を伴わずに緊急にビデオ会議システムを使用して多地点ライ ブ接続で議論し合うような事例が、援助のリードタイム短縮や効率的な議論の促進に貢献する ことが実証されたが、F2F の臨場感を打ち消すほどの費用対効果を実感する平時の KS 活動は、 実証するための評価基準を設定することさえ困難であった。 しかしながら、インターネットに接続することを可能にする通信環境、特にブロードバンド・ インターネット専用回線の敷設が「携帯電話を活用した開発のための ICT 利活用離陸段階」に 世界的に急拡大し、先進国においては通信環境の改善につながり、一般固定電話通信回線さえ 普及していなかった開発途上国でも一足飛びに国際高速通信が可能になるという、通信環境の 急速な進歩が見られるようになった。この背景には、沖縄 IT サミットを契機とした世界銀行や 各地域国際金融機関、また JICA を含む各国二国間援助機関による通信回線敷設のための資金援 助による貢献も大きい。例えば、世界銀行がアフリカ地域の通信回線改善のために 5 億米ドルを 融資した Regional Communication Infrastructure Program (RCIP) は、サブサハラ地域だけで 2008 年 に 80G(ギガ)bps であった通信容量が 2012 年には 15.7T(テラ)bps にまで急拡大するなど、 資金援助の効果が鮮明に表れていた。加えて、無線技術および移動通信技術、そして携帯電話 端末における技術革新の好連鎖が、コスト面における KS 活動の費用対効果を劇的に下げていっ た。 特に、アップル社のアイフォン(iPhone)に代表されるスマートフォンの爆発的な世界規模での 普及は、第 3 世代移動通信システム(3G)以降の通信技術における革新的進歩と相まって、そ れまでは固定されたビデオ会議システムやパソコンが設置された事務室に出向かない限り KS 活 動に参加出来なかった人々に対し、自宅からでも移動中でも携帯端末経由で KS セミナーにライ ブ参加したり、アーカイブに録画保存された動画をダウンロードして都合の良い時間に視聴す るという、学習機会の新たな創出効果を与えた。 すなわち、ICT を活用して取引コストの低減を通じた KS を実施する際に必要な通信に関して、 1990 年代後半から 2000 年代前半にかけてはダイアルアップ回線や衛星回線などの非定額サー ビスが主流であり、コスト的にも物理的にも様々な制約要因が課され、それら制約要因をクリ アできる幸運な機会を確保した限定的な人々のみが、直接的に ICT によってそれまでは不可能 だった KS が可能となる裨益を享受できたが、それらは限定的に選択された人々であった。 2000 年以降の「開発のための ICT 利活用試行段階」においては、定額ブロードバンド時代も到 来し、通信時間や送受信パケット容量の制約要因が劇的に緩和され、無線技術の進化も並行し て起こったことから、携帯端末経由で KS に参加する人々が新たに裨益層として登場し、わざわ ざビデオ会議システムが設置されている施設に移動する必要なく、携帯端末への通信さえ確保 できれば場所を選ばずに KS に参加できるようになり、末端裨益者を劇的に増加させ得る環境が 整ってきた。この現象は、2008 年以降の「携帯電話を活用した開発のための ICT 利活用離陸段 階」でアジアからアフリカまで広く見られるようになった。近年では、安定的な通信環境下に あれば携帯端末でも容易に視聴・参加が可能なウェブ・ブラウザーを活用したソフトウェア (シスコシステムズ社の WebEX など)を活用した、より簡易な多地点同時接続 KS 活動が多く 行われるようになっている。 4. IoT が開発に与え得る新たな可能性 ここまで、特に 2000 年以降 2013 年頃までの期間を「開発のための ICT 利活用試行段階」と「携 帯電話を活用した開発のための ICT 利活用離陸段階」と段階分けし、ICT 利活用にかかる変遷と 効果、そして ICT 利活用の中の KM、特に KS 手法の変遷を概観した。この中で、 「ムーアの法 則」に代表される急速な技術革新が人間社会のコミュニケーション自体を変容させていってい ることが明らかになり、その事実が開発の文脈においても援助側と被援助側の対話方法に少な からず影響を与えていることがわかった。そしてこの延長として、今後我々はどのように開発 と ICT 利活用の関係性について考えていくべきか、新たな岐路に立っているのではないかとい う視点を提供した。そこで考えるべきは、機械から機械へ(Machine to Machine; M2M)と表現 されていたインターネットが既に IoT という新たな発展段階に至っている時代において、開発と ICT 利活用を IoT 時代を加味してどのように考えていくか、という点である。 第 2 章で述べたとおり、IoT の議論で考えるべきは単なるネットワーク化されたコンピュータの 時代における開発ではなく、その先にある世界であり、それはコンピュータ・ネットワークで 人間同士がつながっただけの時代とは、全く異なる状況であると考えるべきである。すなわち、 開発の議論において IoT を含意した今後の ICT を利活用することによる正の効果を考える場合、 今まで ICT 利活用の代表例として考えられてきたインターネットに接続されたコンピュータや 携帯端末を駆使することによって実現できる包括性、効率性、革新性をそれぞれ追い求めるよ うな単純アウトプット型の方策だけではなく、もはや世界中すべての国においてインターネッ トが電気や水道の供給と同じように生活インフラとして確保されていることを前提とし、そこ から発生するデータをいかに効果的な開発のために総合的に処理し利活用していくかというア ウトカム的な発想が、今後の重要な視点とされるべきと考える。したがい、本章では、試行段 階と離陸段階を経て、すでに只中にある 2013 年以降の「開発のための ICT 利活用新段階」とは どのような考え方の上に立つべきであるのか、その可能性について IoT との関係性を切り口に検 討していく。 4-1 開発における IoT 利活用 IoT とは、あらゆるものがインターネットにアクセスする可能性を持つ状態になることである。 具体的には、既に身近に存在している自動車や家電などのモノに組み込まれたコンピュータに よってインターネットにつながるという意味のほか、それらモノから発生するセンサー・データ や監視カメラ映像の共有、いわゆるビッグ・データと呼ばれる大規模データ処理も含めて IoT と 広義に考えられている。 2015 年 4 月にドイツ・ハノーバーで開催された産業見本市「ハノーバーメッセ」において、独 連邦経済・エネルギー省政務次官ウーヴェ・ベックマイヤーは「ドイツはインダストリー4.0 を 通じて、今後 5 年間で 18%の生産性向上を目指す」と表明した。第 4 次産業革命を意味する 「インダストリー4.0」は、IoT の製造業における取組みであり、工場だけでなく取引先、物流、 エネルギー、従業員の就労形態なども含めて全体の最適化を図るドイツ政府独自の取組みであ る。米国でも類似の取組みとして「インダストリアル・インターネット」が掲げられており、 中国でも同様に「中国製造 2025」を掲げて 10 年間でデジタル技術活用などを通じて製造業の 高度化が狙われている。特に、米国とドイツが IoT に関して競争・協調を通じて世界を牽引し ているという見方があり、関連企業もこれを商機と捉え同調している。 IoT については、すなわち、今後加速度的に先進国で官民入り乱れて普及が進み、市場との連動 が発生し、世界市場として開発途上国にも影響が及んでくることは必至と考えられる。それは、 インターネットが過去 20 年間に驚異的な速度で全世界に新たなインフラとして浸透したことの 発展的形態であり、大規模なデータをインターネット上で管理できるクラウド・コンピューティ ングの普及もその下地になっており、そして過去 10 年間でサイズも消費電力も革新的に小型 化・高性能化・低価格化が進んだセンサーの進化にも助長されている。これに加えて、ビッグ データを詳細に解析する技術の開発も、様々なセクター・業種において IoT を導入することを 自然に後押しする環境を提供している。 したがって、現段階で既に先進国で実施されている、もしくは実施可能になっている IoT 技術 とそこから発生するビッグデータの取り扱いに関しては、インターネット、クラウドコンピュ ーティング、センサー技術、そしてデータ解析技術の組み合わせにより開発途上国に対しても 同様に当てはめていくことは不可能ではない、と考えていくべきである。前提条件となる電源、 通信インフラ、インターネット、コンピュータ、携帯電話等々の基本設備準備に関しては、各 対象地域特性を慎重に考慮して然るべく資金的に対応することにより、もはや決定的に担保不 可能な地域は紛争当事国・地域以外には挙げられないであろう。 そのように考えた場合、広義の IoT により開発が恩恵を受けられる側面は、計り知れなく広く 深く、その費用対効果はとてつもなく大きいと考えられる。ここに、非伝統的な考え方が必要 になる。 特に伝統的な産業における装置や既存インフラを中心に IoT を活用した場合、その恩恵は大き く新たな価値をもたらす。例えば、日本や米国を始めとする先進国でも橋梁や道路の老朽化に かかる今後の維持管理にかかる公的資金負担が大きな懸案になっているが、これら既存インフ ラにセンサーを組み込むことで状況を正確に診断し、維持管理予算を効率的に配分していく取 組みは既に始まっている。また、新しい取組みでは、農業におけるビニールハウス内にセンサ ーを設置して内部温度や二酸化炭素(CO2)濃度などを制御できるシステムが稼働中であり、 スマートフォンやパソコンで生育環境モニタリングが可能になり品質管理精度の向上に貢献す るだけでなく副次的効果として従事者の高齢化対策にも正の効果を及ぼしている。さらには、 航空機エンジンにセンサーを設置することで飛行中の状態を監視したり、ブルドーザーなど建 設機械にセンサーや GPS を組み込んでリアルタイム管理を行うことが既に実施されている。こ れらの取組みは皆、開発途上国における第一次産業に当てはめることはもちろん可能であり、 さらには工業化を目指す成長国の産業育成を品質管理面と労働生産性向上促進の面で支援して いく場合にも、極めて有効と考えられる。 4-2 ビッグデータ利活用の可能性 一方、収集されたビッグデータを解析することにより、さらに一方進んだ IoT の開発への活用 を考えられる事例も出てきている。公開データである「Yahoo! JAPAN ビッグデータレポート」 (http://docs.yahoo.co.jp/info/bigdata/)の例は、IoT の範疇に含まれるビッグデータの解析結 果が、仮に今後開発に活用されれば多くの革新的な支援アプローチが考え出され得る可能性に 満ちていることを如実に示している。同レポートは、ポータルサイト Yahoo JAPAN に匿名化さ れ、蓄積された検索・広告・ショッピング・地域情報・ソーシャルネットワーク上のトレンド 情報など、あらゆるカテゴリーの膨大なデータが分析・活用され、定期的に情報が更新されて おり誰でもアクセス可能となっている。 同レポートにて 2015 年 4 月 9 日に公開された「リニアは日本をどれだけ狭くするのか? ~到 達所要時間ビジュアライゼーションマップに挑戦~」では、地図ソフトなどで利用できる「ル ート探索」機能により発生する大規模データを解析し、任意に定めた出発地点から日本すべて の到達ポイントへかかる時間を計算、最終的に得られたデータを地図上で可視化することに成 功している。具体的には、 「ルート探索」において「出発地点」と「目的地点」、「出発時刻」な どの条件を設定すると、その 2 地点間の最適なルートと所要時間や運賃などを案内する機能が 存在することから、 「東京駅」を基点として日本全国約 19 万到達エリアに対してすべての所要 時間を計算し、画像と動画にてデータビジュアル化がなされた。この「到達所要時間マップ」 によって、一目で東京駅から日本全国への到達時間を把握できる地図を作ることが出来ている のだかが、シミュレーションはあくまで現実の交通網、インフラに基づいたものである。ここ でこの可視化された「データマップ」の付加価値は、作成された地図がデジタルデータである ので、 「もしも」を設定することが原理的には可能な点である。要すれば、将来的な道路改善計 画、空港や港湾新設計画、高速鉄道敷設計画、新橋架設計画など、実世界では難しい「仮想ル ート」 「仮想建築物」のシミュレーションも、地図ソフトと「到達所要時間マップ」を組みあわ せれば可能となり、建設後に交通網へ与える影響なども把握することが可能となる。4 月公開デ ータでは、 「もしもリニア中央新幹線が開通した場合、日本はどれだけ狭くなるのか?」という シミュレーションが行われており、それまでは限定されたリニア・プロジェクト関係者しか知 り得なかった情報に極めて近いシミュレーション情報を、インターネットを通じて誰もが知る ことが出来るようになった。この情報公開効果は計り知れない。 ほかにも同レポートでは、ポータルにおけるキーワード検索数の解析によるインフルエンザな ど流行性感染症にかかる分析(例:インフルエンザ患者報告数と「インフルエンザ」の検索数 の推移には非常に近しい関連性がある、ほか)を行っていたり、第 47 回衆院選の議席数予測を 92%の高い確率で成功させるなど、開発途上国においても十分活用し得る興味深いビッグデー タ解析を実施している。 日本企業も、ビッグデータを可視化できるシミュレーションソフトウェアを開発しており、開 発途上国にも有益と考えられる製品がすでに公表されている。例えば、日立製作所はインフラ 整備をする顧客の要望に応えて、コンピュータ画面上で線路を環状線に変更したり、直線状に したりすると乗客数や投資額、収益などにかかる変化をシミュレーション算出できるソフトウ ェアを開発している。変数としてはさらに、鉄道建設に伴う道路渋滞の緩和や二酸化炭素 (CO2)排出量の削減なども挿入でき、総合的に社会的効果を盛り込んだ街づくりの収支も計 算可能になっている。 このようなビッグデータを解析した結果情報は、伝統的な開発のアプローチに対して様々な革 新的改善の機会を提供し得る。世界銀行においても、ビッグデータを革新的に新たな開発手法 に取り込むべく試行を続けてきており、2014 年 9 月には「The WBG Big Data Innovation Challenge」と題して世界銀行グループ組織横断的にビッグデータを活用した開発プロジェクト 案を公募し、130 件の応募の中から最終採択された 14 件に対して総額 150 万米ドルのプロジェ クト実行資金を配分した。しかしながら、最終採択された 14 件は「コロンビアにおける過去 20 年間の商業穀物市場データと同期間における気象データを合同解析することにより、近年の気 候変動により的確に対応可能な持続的農業管理施策を提案」、「フィリピンにおいて携帯電話を 介して収集したソーシャルデータと地理空間道路ネットワークデータをリンクさせ解析するこ とによる、国内道路インフラ投資にかかる意思決定改善の提案」などであり、携帯端末の活用 などには非伝統的なアイディアが多く含まれ革新的と言える一方で、内容的にはセンサー・デ ータの活用や監視カメラ映像などにはまだ踏み込んだものはほぼ皆無であり、まだまだ従来の 開発アプローチの延長である。 今後もっと踏み込んだ形で考えられるのは、例えば非伝統的にセンサー・データを大胆に開発プ ロジェクトのコンポーネントに組み込むことで、積極的かつ継続的にデータをプロジェクト管 理者側が採取し、蓄積されたデータを積極的に解析し対象となる社会問題に対する改善策を能 動的に策定していくような手法であろう。この能動的アプローチが従来の伝統的な開発アプロ ーチと異なる点は、対象となる社会問題に対して受動的に解決策を提案していくのではなく、 当該問題に対して非伝統的に能動的に解決策をより速く提供していく、すなわち問題の所在を 積極的に把握して可能な限り問題発生によって生じる社会的な経済的損失を最小限にすべく先 手を打っていく、という発想である。 最も有名なアプローチの代表例は、村井(2015)らが 1990 年代から取り組んでいるインターネ ット自動車の実験であろう。実験用自動車に車速や空調などをコントロールするためのセンサ ーが装着し、そこから 100 種程度のセンサー情報が読み取れる。また、フロントガラスの水滴 を拭き払うワイパーにもセンサーが装着されており、ライトの点灯有無などの情報とも複合的 に併せて運転状況がサーバーへインターネットで伝えられることにより、当該自動車が走行し ている地点で降雨が開始されたことが確認できる。この情報は、近年発生頻度が高まっている 局地的ゲリラ豪雨に直面する市民に対して、様々な即時情報を提供し得る。また、事前の降雨 予報と比較すれば今後の正確性改善にも繋がり、より能動的なゲリラ豪雨対策を官民それぞれ の立場で立てていくことにも貢献するであろう。現段階では、自動車全体からデータをインタ ーネット経由で発信する機能がまだ市販化されていないため、この実験が目指すアウトカムは 未発生であるが、すでにカーナビゲーションシステムに代表される組み込み式コンピュータが 自動車において一般化しているため、いつ実用化されても何ら不可思議とは言えない。 村井も深く関わっている、国際協力機構(JICA)によるインド国立工科大学ハイデラバード校 設立支援プロジェクトにおいても、その支援コンポーネントのひとつに ICT を活用したハイデ ラバード市内における豪雨発生時の交通渋滞緩和対策などが検討され、最終的に「厳しい環境 下でかつ限られた費用で配置可能な(気象災害モニタリングのデータを収集するための)セン サーネットワーク・プロトタイプの開発」が実施されている。 4-3 アウトプットからアウトカム志向へ これら IoT 技術を利活用した開発に資する新たな事業については、一見すると 2000 年から 2007 年までの「試行段階」において大規模援助実施機関が経験した「革新的なアイディアを実 現できないジレンマ」の再現につながるのではないか、という懸念が生じやすい。なぜなら、 利活用すべき ICT 技術は格段に進化している一方、国際開発金融機関や二国間開発援助機関は 組織として基本的に何も変わっていないという事実があるからである。しかしながら、この懸 念は本質を得ていない。なぜなら、 「試行段階」で様々提案された ICT 利活用事業は基本的に既 存の人間活動を ICT で代替するアウトプット志向型であり、図2における効率性を求めること で開発効果を図った案が主であった。その副次的効果としては、包括性にも優れた案や事業も 発生した。一方、本章で論じている IoT とは、例示した交通改善計画であったり、感染症拡散 予防にかかる検討であったり、より根本的な開発政策への影響を及ぼしうるアウトカム志向型 の案であるため、より大規模かつ広範に、活動へのコミットメントが必要となる。すなわち、 「試行段階」で大きく貢献した財団や非政府組織や大学機関が総合的に貢献可能なレベルより もさらに上位で、なおかつ資金的にも専門性的にもより大きな貢献を提供することが可能な組 織である政府や公的援助機関だけが担えるコミットメントレベルを求められるのである。IoT を 利活用した開発は、それほど大きなスケールに考えることが可能であり、公的なインパクトを 大きく見込める点が、いままでの ICT 利活用事業とは異なる視点であるといえよう。 一方、前述した世界銀行内で実施された公募の結果でも明らかになったとおり、国際開発金融 機関や二国間開発援助機関においてはまだまだビッグデータを含む IoT を開発に真に有効活用 するための専門人材は、まだ多くないと考えられる。ビッグデータの解析を担うデータ・サイエ ンティストは、通常は ICT 系民間企業や研究開発機関に所属していることから、IoT を開発に 利活用していくためにこのような外部専門家と有機的かつ効果的に協働できるルールと仕組み が、各援助機関で整備される必要もある。開発コンサルタントの世界でも積極的に関連人材を 雇用したり、専門家が所属する組織とフレキシブルに連携したるすることで、援助機関側にも 効果的な IoT 利活用アイディアを提供していく積極性がより一層求められる。 5. まとめ 世界銀行(2015)によるボリヴィアでの実証報告は、非常に現実的な結論であり、ICT 万能論は 存在しないということを再確認させるに重要な報告であった。一方で、開発途上国における貧 困層においても ICT は一定の非伝統的な開発効果を発揮し、補完する要素を的確に検討するこ とで、さらなる効果の発言への期待が有り得ることも明らかにした。要すれば、開発における ICT 利活用はその非伝統性故に未知の部分が多いことから、より多種多様な視点と検証がまだま だ必要であるということである。 開発における ICT 利活用に未知の要素が多い背景には、 「ムーアの法則」で急速に進化し続ける コンピュータ技術の将来が未知であるという点が多分に関係している。この点に関して Kurzweil (2005)は、未来のある時点でコンピュータ技術が爆発的に発展し、それ以降の進歩を予測で きなくなる境界点が到来すると述べている。これを「技術的特異点」と呼び、2045 年には人類 はそのタイミングに達すると主張した。これは一般的に「2045 年問題」と呼ばれている。 1980 年代当時のスーパーコンピュータは、部屋を占拠するほどに異常に巨大な計算機であった が、その能力は 2015 年のスマートフォン以下であった。一方、現代ののスーパー・コンピュー タ「京」は、80 年代の同機械に比べ 1000 万倍の処理能力速度に達している。わずか 30 年の間 で、1000 万倍の進化である。コンピュータにおけるこうした技術進歩は、近年さらに加速して いる。一般的に、コンピュータ技術の進歩は「指数関数的」だとされている。要すれば、年数 を追う毎に倍々で複利計算的に進化が加速して行く意味であり、先のスーパーコンピュータに 代表される如く、実際にそうなってきている。これを根拠に、Kurzweil はこのまま技術革新が続 けば 2045 年には「コンピュータが全人類の知能を超えてしまう」 、と説いた。 これからわずか約 30 年後の 2045 年に、技術的特異点が本当に到達し ICT と人間社会の関係が現 時点からは想像もできない状況になっているかどうかはさておき、真に重要なのはコンピュー タの進化はそれほどまでに加速し続けている中で、開発従事者はこの事象が創出している便益 性を社会問題や貧困削減の解決に利活用する考え方を持っているか、という点である。 前章で紹介したとおり、ビッグデータの利活用に関しては世界銀行でも試行が始まっている。 今後は他機関でも同様の取組みが加速していくであろう。インターネットを含む ICT が公共財 としてますます社会に浸透していく中で、開発においても ICT の利活用は新たな発想の基にあ らゆる可能性を検討していくべき転換点にあると考える。 【主要参考文献】 A.W. Bates & Gary Poole : 2003, ‘Effective Teaching with Technology in Higher Education: Foundations for Success’, Jossey-Bass. The World Bank and the African Development Bank: 2012, ‘The Transformational Use of Information and Communication Technologies in Africa’, the World Bank, Washington D.C. The World Bank : 2012, ‘2012 Information and Communications for Development 2012: Maximizing Mobile’, the World Bank, Washington D.C. The World Bank : 2015, ‘Development as Freedom in a Digital Age: Experience of the Rural Poor in Bolivia’, the World Bank, Washington D.C. Frost, Alan : 2014, ‘A Synthesis of Knowledge Management Failure Factors’, January 25, 2014 (www.knowledge-management-tools.net, 2015 年 4 月 14 日ダウンロード). Cerf, Vint : 2014, ‘Internet Prospects’, July 14, 2014, the World Bank, Washington D.C. Toomas Hendrik Ilves : 2014, 'e-Estonia: The Making of An Information Age Society', May 27, 2014, the World Bank, Washington D.C. Ikujiro Nonaka and Hirotaka Takeuchi : 1995, ‘The Knowledge-Creating Company: How Japanese Companies Create the Dynamics of Innovation’, Oxford University Press. Kurzweil, Ray : 2005, ‘The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biology’, Penguin Books. 村井純(2015) 「IoT という新たな産業革命」Diamond Harvard Business Review April 2015、ダイ ヤモンド社、2015 年 4 月、p.30-37。 松田卓也(2012) 「2045 年問題 コンピュータが人類を超える日」廣済堂出版、2012 年 12 月。 ピーター・センメルハック(2014) 「ソーシャルマシン M2M から IoT へ つながりが生む新ビ ジネス」 、KADOKAWA、2014 年 1 月。 【ウェブサイト】 国際電気通信連合(Key ICT indicators for developed and developing countries and the world) http://www.itu.int/en/ITU-D/Statistics/Pages/stat/default.aspx 総務省統計局 http://www.stat.go.jp/data/sekai/0116.htm 開発援助とパブリック・ディプロマシー 小池 治 横浜国立大学 キーワード:開発援助、パブリック・ディプロマシー、PPP(官民パートナーシップ)、米国 財団、グローバル・ガバナンス 1.はじめに 冷戦構造の終焉後、開発援助行政のランドスケープは大きく変容した。冷戦時代に西 側先進諸国は公的資金による開発援助(Official Development Assistance: ODA)を戦略的 外交手段として活用し、自由主義体制の維持拡大を図った。しかし冷戦が終焉し、資本主 義経済体制が世界のすみずみに浸透するようになると途上国には民間資金が流れ込むよう になり、開発援助の主流は ODA から民間開発援助(Private Development Assistance:PDA) へと移っていった。この開発援助の民営化(privatization)あるいは市場化(marketization) は、それまで ODA の陰で密かにビジネスを営んでいた民間企業を国際関係の表舞台に引き 出した。ミレニアム開発目標(MDGs)の実施に際し先進ドナー国政府は一致協力して開発 途上国の貧困削減や子供の教育、健康、環境問題等に取り組むと宣言した。ただし、実施 にあたっては「官民パートナーシップ」 (Public - Private Partnerships : PPPs)が提唱さ れ、民間の資金や技術力の積極的利用をつうじて援助の有効性を向上させるべきとの主張 が声高になされている。 こうした開発援助のランドスケープの変容は、いわゆるグローバル・ガバナンスの進 展と同時進行しているものである。地球温暖化ガスの削減やエボラ出血熱に象徴されるよ うに、グローバル・イシューに対する国際的な取り組みにおいては、各国政府代表で構成 される国際機関よりも、専門家ネットワークが作成した国際的なルールが各国政府をしば るようになってきている。こうした局面では伝統的な国家間の外交の意義は後退せざるを えない。その結果、国際的な政策ネットワークのなかでいかに政策決定に影響を及ぼすこ とができるかが、各国の重要な外交戦略の課題となっている。 こうした状況の中で、いま「パブリック・ディプロマシー」に再び注目が集まってい る。パブリック・ディプロマシーとは、広報や文化交流を通じて、民間部門とも連携しな がら、外国の国民や世論に直接働きかける外交活動を指す。伝統的にパブリック・ディプ ロマシーの主体は政府であり、国家間の交渉を広報活動をつうじて有利に展開していくた めの道具としての役割がパブリック・ディプロマシーに期待されてきた。しかしながら、 ポスト冷戦構造の国際関係においては、主権国家の存在は後退し、代わって専門家やグロ ーバル企業など多様なアクターがグローバルな公共政策の決定過程に影響を及ぼすように なる。別の見方をすれば、グローバル・ガバナンスの時代において政府がその外交目的を 達成するためには、政府以外の多様なアクターとの連携を図らざるを得ないのである。ジ ョセフ・ナイは、政府が外交において自国の利益を実現する力のうち、軍事力以外のもの を「ソフトパワー」と呼んだが、グローバル・ガバナンスにおいては、グローバルな政策 決定に影響を及ぼすことができるアクターと戦略的な連携を構築できるかどうかが、その 国のソフトパワーになる。 本論文は、以上のような問題意識に立ち、グローバル・ガバナンス時代における新し いパブリック・ディプロマシーについて考察しながら、日本の課題を論じるものである。 2.日本のパブリック・ディプロマシー 日本では「パブリック・ディプロマシー」はなじみの薄い概念である。その理由とし ては、この用語のなかに日本語への翻訳が難しい「パブリック」という概念が含まれてい るということもあるが、戦時中に政府が行った文化統制や対外的な情報宣伝活動(プロパ ガンダ)に対する批判から、講和独立後の外交政策において積極的な広報活動が差し控え られたという歴史的な経緯も影響していよう。当時の政府は、「元来、文化交流はその性質 上、まず、広く民間の自主と創意とによって行なわれるべきものであり、したがって政府 としては、まず第一に民間の創意によるこれら事業を奨励し、できるかぎりこれに便宜を 与えてその拡大をはかること」 (外務省 1963)を方針としていた。政府は 1953 年のフラン スと文化協定締結を皮切りに、イタリア、タイ、インド、エジプトなどと次々に文化協定 を締結していったが、文化交流活動そのものは民間が中心となって進められた。外務省で は 1934 年に創設された国際文化振興会(KBS)に補助金を交付し、民間による国際文化交 流を支援したが、当初は政府補助金も少額だったため、国際文化振興会の活動は活発とい えるものではなかった(外務省 1963) 。しかし 1960 年代に入ると次第に文化交流の重要性 が広く認識されるようになり、外務省も補助金を増額して国際文化振興会の活動を積極的 に支援するようになった。この国際文化振興会が母体となって 1972 年に外務省所管の特殊 法人として設立されたのが国際交流基金(Japan Foundation)である。これ以降、外務省 のパブリック・ディプロマシーは国際交流基金を中心に展開されていくことになる。 ただし、外務省のパブリック・ディプロマシーは欧米諸国やアジア諸国に大きく比重 を置くものであった。ここには 1974 年1月に田中角栄首相が東南アジア諸国を訪問した際 にインドネシアとタイで発生した反日暴動事件が大きな影を落としている(小谷 2012) 。 高度経済成長を遂げた日本から東南アジア諸国への急激な経済進出は現地経済とのあいだ に大きな摩擦を生み、日本製品の不買運動も各地で起こっていた。高まるアセアン諸国の 対日警戒感を緩和するために、1977 年8月に福田赳夫首相がフィリピンのマニラで発表し たのが「福田ドクトリン(わが国の東南アジア政策)」 である。このなかで日本政府は、 新たな対東南アジア外交の指針として、東南アジア諸国との間に、広範な分野において「真 の友人として心と心のふれ合う相互信頼関係」を築きあげることをうたった。この福田ド クトリンに基づき、政府は 1978 年に 50 億円を拠出して、域内の学術・文化交流の促進を 目的に ASEAN 文化基金を設立したという経緯がある(小谷 2012) 。 現在、外務省は「文化は、政治,経済と並ぶ日本外交の重要な分野」であり、国際交 流基金とも連携して、日本の伝統文化やポップカルチャーをはじめとする多面的な日本の 魅力を諸外国に紹介するとともに、民間団体の国際交流活動を積極的に支援するとしてい る。ただし、表に示したように、国際交流基金の国別事業実績をみると、米国が全体の 5 分の1を占めており、中国、フランス、韓国、インドネシア、オーストラリア、ロシア、 イタリア、フィリピン、ドイツが上位にあるなど、依然として欧米やアジアを重視した配 分となっている。 その一方で、日本の政府開発援助予算は、1980 年代以降急激に増え、金額ベースでは 1990 年代半ばには米国を抜いて世界第一位となった。日本の ODA の特徴は、日本の優れ た技術力をつうじて途上国の経済開発に貢献するという「技術協力(technical assistance) に重点を置いてきた点にある。ここには日本の開発援助がアジア諸国に対する戦後賠償と してスタートしたという歴史的経緯も影響している。日本はアジア諸国に対する戦後賠償 において「技術協力」をメインに臨むこととしたが、そこには日本の再軍備やアジア侵略 を警戒するアジア諸国の懸念を取り払うという意図もあった。すなわち、日本の開発援助 には、日本企業の海外進出を進めるための「地ならし」という側面が当初から存在してい たのである。こうした技術協力主体の日本の開発援助は「顔のみえない援助」とも言われ たが、日本の技術力の輸出であることに変わりはなく、日本企業のアジア進出を政府が実 質的に支援するものであった。 このことは、日本の ODA がアジア地域に予算の大半を投入してきたことからも自明であ ろう。最も開発が遅れているサブサハラ・アフリカ諸国に対する ODA 予算は、日本のイニ シアティブで TICAD(アフリカ開発会議)が開始された 1990 年代後半においてさえ ODA 総額の数パーセントにすぎない。これはサブサハラ・アフリカが日本企業にとって魅力的 な市場ではなかったためである。そのためサブサハラ・アフリカについては政府がパブリ ック・ディプロマシーに力をいれることもなかった。国際交流基金の活動実績をみても、 サブサハラ・アフリカ諸国は上位 30 か国のなかに一つも顔を出していない。日本政府は TICAD プロセスのなかでアフリカ諸国に対する日本の技術支援を強調したが、文化交流活 動に対する予算は限られており、アフリカ諸国からの日本への留学生数もほとんど増えて いないのが現状である。 しかしながら、パブリック・ディプロマシーを重視してこなかった外務省も、2000 年代 に入ると政策の転換に踏み切らざるを得なくなった。冷戦構造が終焉し、経済のグローバ ル化とともに、韓国、タイ、マレーシアなどアジアの新興国が急成長を遂げ、世界経済に おけるプレゼンスを次第に増してきたからである。外務省は 2004 年に機構改革を行い、広 報文化交流部を設置した。この広報文化交流部の英訳名は Public Diplomacy Department であり、外務省の歴史において初めて公式にパブリック・ディプロマシーを名乗る機関が 設置された。また、2012 年には広報文化交流部を外務報道官・広報文化組織に再編し、そ のなかに広報文化外交戦略課(Public Diplomacy Strategy Division)を設置して、国内外 への広報、報道関係者への情報発信、文化の分野における国際交流による対日理解の増進 に関する基本的な方針の企画、策定及び実施を担当させることとしている。さらに、外務 省内に、大臣をトップとする「パブリック・ディプロマシー戦略本部」を設置し、関係省 庁と連携してパブリック・ディプロマシーを推進するとしている。 この外務省の政策転換は、官邸主導のいわゆる「クールジャパン戦略」とも呼応するも のであった。第二次安倍内閣は、発足間もない 2013 年3月、稲田朋美議員をクールジャパ ン戦略担当大臣に任命し、発信力強化を目的とした「クールジャパン推進会議」を設置し た。会議のメンバーは、日本文化の第一人者である民間議員7名及び関係府省の副大臣等 で構成し、1同年5月に「アクションプラン」をとりまとめた。そこでは「クールジャパン」 は民間が中心となって推進するとされたが、関係各省も積極的に取り組むとこととし、総 務省は海外放送、財務省は日本酒、文科省文化庁は芸術文化、農水省は日本食、国土交通 省・観光庁は観光について積極的な支援を行うとした。外務省でも「クールジャパンプラ ス」を通じた「文化価値立国」を推進するとし、在外公館の広報文化活動を戦略的に実施 することで、日本企業の海外進出やクールジャパン事業の環境整備を行うとしている。 すでに自明ではあるが、日本政府の「クールジャパン戦略」はいわゆる「国家ブランデ ィング」を目指すものであり、その目標はあくまで日本経済の活性化に置かれている。言 い換えれば、政府が推進するパブリック・ディプロマシーは経済外交の手段とされている のであって、グローバル・ガバナンスにおいて日本のプレゼンスを高めるといったハイ・ ポリティクスを指向するものではない。この点は「人間の安全保障ネットワーク」を立ち 上げ人道支援において国際的プレゼンスを高めているカナダやノルウェーやスウェーデン との大きな違いといえる。日本も国連をつうじて「人間の安全保障」への貢献をアピール しているが、パブリック・ディプロマシーという点では彼岸の差は相当に大きいといわざ るをえない。 3.米国のパブリック・ディプロマシー 米国のパブリック・ディプロマシーは、日本のパブリック・ディプロマシーを論ずるう えで二重の意味をもっている。その第1は、日本の戦後復興と米国のパブリック・ディプ ロマシーの関係である。講和独立後の日本と米国の友好関係の維持のため、米国政府は日 米間の文化交流を積極的に推進した。この点において日本はパブリック・ディプロマシー の重要性を指し示す好事例といえる。第2は、日本に対する米国のパブリック・ディプロ マシーが、政府主導ではなく、ロックフェラー財団という民間財団を中心に推進されたと いう事実である。冒頭でも述べたように、主権国家のプレゼンスが後退する現代のグロー 民間議員には、秋元康氏(作詞家) 、角川歴彦氏(角川 HD 会長)、金美齢氏(評論家)、 コ シノジュンコ氏(デザイナー) 、佐竹力総氏(日本フードサービス協会理事) 、千宗室氏(茶道裏 千家家元) 、依田巽氏(ギャカ ゙㈱会長兼社長 CEO)が任用された。 1 バル・ガバナンスにおいては、政府のパブリック・ディプロマシーは民間部門との連携に 依存せざるを得ない。その意味で、米国政府がロックフェラー財団との二人三脚により日 本で実践したパブリック・ディプロマシーの手法を検証することは、今日の途上国に対す る開発援助とパブリック・ディプロマシーの関係を考察するうえでも大きな意味をもって いると思われる。 今日の米国の外交政策の基本となったのは、自由民主主義理念の普及によって国際紛争 を解決し、平和を実現するというウッドロー・ウィルソン大統領(1856-1924)の外交政策(い わゆる「ウィルソン主義」 )である。ウィルソンが登場する前の米国は軍事力による帝国主 義に傾斜していた。セオドア・ルーズベルトの白船(Great White Fleet:GWF)はその象 徴といえるものである。1907 年から 1909 年にかけて T. ルーズベルトは米国海軍大西洋艦 隊の戦艦をわざと白ペンキで塗装し、GWF と名付けて世界一周航海を行い、米国の軍事力 を世界に誇示した。それに対してウィルソンは反帝国主義や民族自決を掲げ、軍事力によ ってではなく「自由民主主義」の世界への普及をつうじて国際平和を実現し、同時に米国 の利益を拡大するという外交政策を展開した(高原 2009) 。 この時代において民間サイドから合衆国政府のパブリック・ディプロマシーに貢献した のがロックフェラー財団である。石油王ジョン・ロックフェラーは公衆衛生普及のための 慈善活動に力を注ぎ、1901 年にニューヨークにロックフェラー医学研究所を設立した。 1909 年にはロックフェラー衛生委員会を立ち上げ、米国南部における鉤虫症対策に取り組 んだ。そして 1913 年にロックフェラー財団を創設し、ジョンズホプキンス大学に米国で最 初の公衆衛生大学院を設立するとともに、アジアにおける公衆衛生教育の拠点として中国 に北京協和医学院(Peking Medical Union College)を建設した。日本に対してもロックフ ェラー財団は、関東大震災の緊急援助として東京帝国大学図書館の再建資金を援助すると ともに、当時内務大臣の職にあった後藤新平に対し、公衆衛生の専門医を養成するための 公衆衛生大学(後の「公衆衛生院」 )の寄贈を申し入れている。ロックフェラー財団は、日 本でドイツ医学に対する人気が復活していることを憂慮し、英米型の公衆衛生教育機関の 設置を考えたといわれている(Farley 2004) 。公衆衛生院の建設は日本の医学界の内部対立 から一度は立ち消えになるが、1937 に公衆衛生院の実習機関である都市保健館(東京)と 農村保健館(埼玉)が建設され、1938 年には公衆衛生院が東京に建設された。2同時に日本 政府は保健所法を制定し、全国に保健所を設置して国民の体位向上(健民健兵)に取り組 んだ。敗戦後、保健所は占領軍の下で民主的に再編され、感染症予防や国民の栄養改善に 大きな役割を果たすことになる。このように歴史を振り返ると、今日の日本の公衆衛生行 政は戦前期におけるロックフェラー財団の国際的な医療支援活動の影響を大きく受けてい たことがわかる。こうしたロックフェラー財団による医学教育の普及活動はメキシコやラ テンアメリカ諸国、インドやフィリピンなどのアジア諸国、さらには東ヨーロッパ諸国に 2内務省衛生局において公衆衛生院の建設に尽力したのは野辺地慶三や齋藤潔といった、ロ ックフェラー財団の援助により米国で公衆衛生学を学んだ公衆衛生医師(技師)であった。 も拡大された。それがどこまで被援助国に根付いたのかはともかく、医学分野におけるロ ックフェラー財団の国際的なフィランソロピー活動が米国の医療文化の世界への普及に大 きく貢献したことは間違いないといえよう(平体 2012) 。 こうしたロックフェラー財団のフィランソロピー活動の根底にあるのは、 「科学(science) 」 への信奉である。19 世紀末から米国では「革新主義(Progressivism)が台頭し、政治から 行政を分離して科学的管理による行政の能率向上を求める運動が全米で展開された。そこ では民主主義とともに科学技術による社会問題の解決が主張され、科学の発展が米国の基 本的な価値に加わった。ウィルソンは自由民主主義の価値を世界に普及させることを外交 戦略の基本においたが、同時に行政を政治から分離し、科学による管理を強調した。それ は行政をイデオロギーから切り離すことに他ならない。言い換えれば、革新主義の指導者 たちは科学をイデオロギーより上位に置くことによって自由主義を共産主義の脅威から守 ろうとしたといえる。ロックフェラー財団による公衆衛生普及活動もまた、自由民主主義 と科学の発達が人類社会の発展をもたらすという米国の価値を体現するものであった。ロ ックフェラー財団は、米国型の公衆衛生学を世界に広めることで、国際社会における米国 の主導的地位を確立するという米国の外交戦略に大いに貢献した。現在でも米国ではパブ リック・ディプロマシーの大部分を民間部門が担っているが、そこにはロックフェラー財 団のような民間部門によるフィランソロピー活動の国際的な展開があったのである。 米国の国務省と民間財団の二人三脚によるパブリック・ディプロマシーが本格的に展開 されるのは、第二次大戦後の冷戦構造においてである。その最も端的な事例といえるのが 講和独立後の日本における米国の文化外交である(Noguchi 2014 )。連合軍総司令部によ る占領が終わりに近づくと、トルーマン政権は講和後の日米文化交流の推進をロックフェ ラー財団理事長のダレスに依頼した。ダレスはロックフェラー三世を長とする使節団を日 本に派遣し、民間レベルの文化交流の基盤をつくるための調査を行った。米国は日本に米 国流の自由民主主義的価値観を植え付け、日本を共産主義の脅威から守るために、ロック フェラーに日米文化交流の推進を託したのである(松田 2008) 。 もっとも、米国は冷戦構造が深まると、対外的にはより露骨なパブリック・ディプロマ シーを展開するようになった。1950 年代に国務省が行った「真実のキャンペーン」は反共 産主義を煽るプロパガンダ以外の何物でもなかった。これに対して連邦議会のリベラル派 は政府広報機関によるプロパガンダを批判し、民間レベルの文化交流による相互理解の重 要性を主張した。J.フルブライト議員が創設したフルブライト・プログラムは、ウィルソン 主義の伝統を継承するものである。1960 年代にリベラル派が連邦議会の主導権を握るよう になると、国務省は露骨なパブリック・ディプロマシーを控えるようになった。 一方で、ケネディ政権は合衆国国際援助庁(US Agency for International Development) を設置して第三世界の途上国に対する本格的な政府開発援助を開始した。また、ケネディ は「平和部隊(Peace Corp) 」を創設し、米国の若者を途上国にボランティアとして派遣し、 技術的支援と米国文化理解を進める事業を開始した。米国は途上国に対して軍事的支援も 積極的に行ったが、同時によりソフトな技術援助や文化交流をつうじて途上国を自由主義 陣営に引き込むという両面作戦を推進したのである。 米国が ODA に多くの政府予算をつぎ込むなかで、米国の財団も独自に途上国に対する援 助を展開していった。なかでもロックフェラー財団はメキシコや中南米諸国、そして東南 アジアにおいて農業生産性の向上に取り組み、これを「緑の革命」と呼んだ(Moran 2014) 。 このように政府が民間組織と連携して米国の価値観を世界に広げる外交戦略は「文化帝国 主義」 (トムリンソン 1997)とも批判された。だが、軍事力という「ハードパワー」と政 府開発援助という「ソフトパワー」を巧妙に組み合わせた米国の外交戦略は着実に実を結 び、ついには冷戦構造を終焉に導いたのである。 4.開発援助をめぐるランドスケープの変容 冷戦構造下において政府開発援助は国家の外交戦略の大きな部分を担っていたが、冷戦 が終わると、開発援助は次第に民間資金による途上国支援へとシフトしていった。世界銀 行や IMF の援助方針も競争的市場の形成に重点が置かれ、いわゆる「ワシントン・コンセ ンサス」のもとで民間資金による経済開発を進めるための構造調整改革が推進されたてい った。その結果、2000 年代に入ると開発援助における民間資金の金額が ODA を上回るよ うになり、開発援助の主役は完全に入れ替わった。 表1 米国の途上国に対する資金援助の割合 2010-2011 年 金額 % (単位 10 億ドル) 政府開発援助 30.9 11 フィランソロピー 39.0 14 財団 4.6 12 法人 7.6 19 慈善団体 14.0 36 ボランタリズム 3.7 9 大学 1.9 5 宗教組織 7.2 18 海外送金 100.2 36 民間資本フロー 108.4 39 援助総額 278.5 100 資料出所:Hudson Institute, The Index of Global Philanthropy and Remittances 2013. (http://www.hudson.org/content/researchattachments/attachment/1229/2013_indexof_gl obal_philanthropyand_remittances.pdf) 米国のハドソン研究所のまとめによると、2011 年に 23 の DAC 加盟国及びブラジル、中 国、インド、南アフリカの新興国による途上国への援助における民間資金は 4100 億ドルで あり、ODA(1380 億ドル)の約3倍にまで脹れ上がっている。この民間資金に海外送金 (remittance)とフィランソロピーを加えると、民間資金が途上国への資金移転に占める 割合は実に 80%以上に達する。 開発援助における主体の交代は、ODA 大国の米国において一層顕著である。表1が示す ように、2010-11 年度の米国の援助総額に占める ODA の割合は 11%にすぎず、フィランソ ロピーの 14%よりも少ない。最大のシェアを占めるのは民間資本フロー(39%)であり、 それに海外送金(36%)が続いている。 なお、米国の財団によるフィランソロピーの大半はゲイツ財団(Bill & Melinda Gates Foundation)によるものである。同財団の 2014 年の助成金額は総額で 39 億ドル(4641 億円:1ドル 119 円で計算)であり、日本の ODA 予算(一般会計)5502 億円(2014 年) に匹敵する規模をもっている(参考:外務省の予算総額は 4230 億円)。そのうち国際開発 (17.79 億ドル)と国際保健(10.88 億ドル)が全体の4分の3以上を占めており、その合 計額(約 28.6 億ドル)は 2011 年の米国の政府開発援助の 9.3%を占めている。 こうした米国の財団による途上国支援の拡大は、 「カリフォルニア・コンセンサス」 (Desai and Kharas 2008)とも評されているが、なぜ米国の財団は開発援助の重要なアクターにま で成長したのであろうか。この理由を、ここでは「プッシュ要因(国内要因)」と「プル要 因(国際環境要因) 」の両面から検討してみたい。まずプッシュ要因としては、開発援助に おける合衆国政府と民間財団の相互依存の構図が浮かび上がってくる。2000 年以降、国際 社会では援助効果が議論されるようになり、米国でも政府開発援助に対する風当たりが強 くなった。そこで政府はより短期的に経済効果が期待できる民間資金への依存を強めてい ったのである。一方、民間財団の内部でも援助を慈善(charity)ではなく「ビジネス」と とらえる新しい世代が台頭した。すなわち、財団内部でも援助効果を高めるための戦略的 マネジメントが議論されるようになったのである。新世代にとって援助はもはや慈善では なく、むしろ投資とされる。民間企業から寄付を募る目的は、集めた寄付金を成長が期待 できる援助分野に投資し、さらに民間企業のビジネスチャンスを拡大することに置かれて いる。こうした民間財団の新たな成長戦略は、“Philanthrocapitalism” (The Economist 2006)あるいは「ベンチャー・フィランソロピー 」(Moran 2014)とも称される。 他方、「プル要因」をみると、国際援助機関にとって米国の民間財団の豊富な資金力やソ フトパワーはきわめて魅力的な資源といえる。民間財団が提供する資金は主権国家の政治 と結びついていないため、国際機関だけでなく途上国政府にとっても受け入れやすい。ま た、ロックフェラー財団やゲイツ財団は豊富な資金を利用して世界中から優秀な科学者を リクルートして専門的な研究を行っており、高い技術力を備えている。プログラムの実施 に際しても、民間財団はさまざまな非政府組織(NGO)とのネットワークを活用して迅速 かつ弾力的に事業を進めることができる。こうしたことから国際機関はますます民間財団 への依存を強めていったのである。 こうして今日では、国際援助機関のあいだでは「官民連携(“Public Private Partnerships (PPPs)”) 」が合言葉となり、資金面のみならず技術面においても民間財団への依存をま すます強めている。冒述したように、冷戦後のグローバル・ガバナンスにおいては主権国 家間の外交の機会は縮小し、代わってグローバルな公共政策の主導権をめぐって多様なア クターが競合するようになってきている。地球温暖化、医療・健康、 農業、水、人権、テ ロ対策等の国際的な取り組みにおいて最も強い影響力をもつのはもはや主権国家ではなく、 政策イシューに関して専門知識を有する専門家のネットワーク組織(epistemic community) である(Haas 1992)。この政策ネットワークの政策決定に影響を及ぼすためには、各国政 府はグローバルな政策ネットワークと友好的な関係を構築する必要がある。米国の民間財 団は、プル=プッシュの関係性の中で、さまざまな分野において政策ネットワークのハブ 的存在となりつつある。こうして政府開発援助がその役割を縮小するなかで、米国は民間 財団のソフトパワーを介して途上国への支配力を維持し続けているのである。 その典型的な例は、国際保健(global public health)にみることができる。ゲイツ財団 は、2000 年の世界経済フォーラム(ダボス会議)で、世界銀行、世界保健機構(WHO)、 ドナー国代表らとともに GAVI アライアンス(ワクチンと予防接種のためのグローバル・ アライアンス)の設立を発表した。GAVI アライアンスは貧困国の子どもにワクチンを接種 してマラリアなどの感染症を予防する世界的な取り組みであり、ゲイツ財団はワクチン製 造業界に資金援助を行うとともに、ワクチン製造への国際支援を呼びかけている(Moran 2014)。GAVIGAVI アライアンスには途上国やドナー国の政府、WHO、国連児童基金 (UNICEF) 、世界銀行、市民社会組織、先進工業国 及び途上国のワクチン業界、研究機 関、ゲイツ財団、ラ・カイシャ財団及びその他の私的慈善家が参加しており、国際機関と ワクチン業界がグローバル・パートナーシップを組んで予防接種の普及に取り組んでいる。 WHO が民間企業との連携(PPP)に踏み出したきっかけは 1990 年代にロックフェラー財 団が主導した IAVI(国際エイズワクチン・イニシアティブ)であったと言われている。た だし、IAVI におけるロックフェラー財団の役割は WHO とエイズワクチン開発を進める製 薬会社を仲介する catalyst にとどまっていた。それに対し GAVI アライアンスでは、ゲイ ツ財団は資金調達メカニズムを創設するなど中心的な役割を果たしている (Moran 2014)。 WHO は国連の国際保健機関として GAVI アライアンスに参加しているが、事業実施はゲイ ツ財団に大きく依存しており、その主導力は限られている。財団は世界中から優秀な科学 者を集め、医薬品業界とのあいだに強いネットワークを構築している。その傘の下で世界 の製薬会社は次々に途上国に参入し、将来における医薬品ビジネス拡大のための市場開拓 を行っているのである。 Kickbusch and Szabo は、米国財団主導による国際保健のビジネス化は、国際保健の政 治化に他ならないと指摘する(Kickbusch and Szabo 2014) 。ここでは主権国家の姿は陰に 隠れているが、巨大製薬会社の影響力と利益に偏った政策決定が行われていることは否定 できない。そのなかで保健の専門機関としての WHO の中立性が揺らいでいるとの指摘も ある。例えば、生活習慣病は途上国においても大きな問題となっている。だが、WHO が民 間企業との連携を深めると、糖尿病などの原因になる清涼飲料やファストフードに対する 姿勢が弱まるのではないかという懸念がある。ゲイツ財団はワクチン開発に取り組む製薬 会社を財団のパブリック・ディプロマシーをつうじて世界に宣伝しているが、国際保健の 市場化の負の側面に警告を鳴らす対抗的な政策ネットワークはいまだ小さな存在にとどま っている。 日本もこうした国際保健における PPP の潮流に便乗しているといってよい。日本政府は 2013 年5月に「国際保健外交戦略」を策定し、国際保健を日本外交の重要課題と位置づけ 「オールジャパン」で推進すると宣言した。その目的は“日本ブランド”として「ユニバ ーサルヘルス・カバレッジ(Universal Health Coverage:UHC) 」の主流化を図ることに おかれている。その具体的な施策として、①ポスト MDG の議論における UHC の主導、② 二国間援助の効果的な実施と援助手法の改善(例えば日本の医療産業の国際展開を通じた 貢献など) 、③グローバルな取組との連携(ゲイツ財団との戦略的パートナーシップの構築) 、 ④国際保健人材の強化、⑤アフリカにおける UHC に向けた取組、が掲げられている。この うち③については、すでに JICA はゲイツ財団と連携してポリオ撲滅の取り組みを始めてい る。3 これまで日本はアジアやアフリカなどで公衆衛生や保健増進に積極的に取り組み、多く の実績を挙げてきた。だが、日本政府はそうした実績をパブリック・ディプロマシーをつ うじて積極的に世界に発信することをあまりしてこなかった。一方で、ゲイツ財団は GAVI アライアンスの広報外交を通じて巧妙に日本政府の自発的な協力を引き出している。日本 政府の主たる関心は医療分野における国際競争における日本の医療産業の支援に置かれて おり、途上国の生活改善や貧困削減における日本のプレゼンスについてはほとんど関心が ないようにみえる。 5.新しいパブリック・ディプロマシー 前節で考察した国際保健における開発援助の新しいかたちは、主権国家が外交を有利に 導くために戦略的に広報文化活動を行うという古典的なパブリック・ディプロマシーの時 代が終わりつつあることを示している。いま国際舞台で繰り広げられているパブリック・ ディプロマシーは、グローバル・イッシューにおける主導権を握るための政策ネットワー クによる広報宣伝活動であり、主権国家はその影に隠れている。宣伝するのは政策ネット ワークの「ブランド」となる優秀な技術であったり、斬新なイメージである。この新しい パブリック・ディプロマシーの時代においてひときわ存在感を増しているのが、ゲイツ財 これは JICA がパキスタン政府に対してポリオワクチンの費用を円借款で提供し、ゲイツ 財団がパキスタン政府に代わって弁済を行うというもので、 「ローン・コンバージョン」方 式と呼ばれている。 3 団のような米国のフィランソロピーである。米国の財団は巨大な資金力を武器に世界中か ら著名な指導者や研究者をリクルートし、戦略的にそのブランド力を高めている。この米 国財団をハブに形成される政策ネットワークには世界屈指の大学や研究機関も取り込まれ ている。大学にとっては、優れた研究成果を発表しノーベル賞を受賞する学者が現れてく れれば、さらに寄付が集まり、研究環境を向上できるというメリットがある。大学機関が 「アカデミック・キャピタリズム」に堕落したと言われてから久しいが、大学にとっても パブリック・ディプロマシーはもはや経営上不可欠の要素になったことは間違いない。 別の言い方をすれば、グローバル・ガバナンスの展開がそれまで外交の脇役にすぎなか ったパブリック・ディプロマシーに新しい命を吹き込んだともいえる。ホーキングは、伝 統的な政府中心のハイアラーキー型のパブリック・ディプロマシーが、現在ではネットワ ーク型へと変化したと指摘する(Hoking 2005) 。近年顕在化してきた新しいパブリック・ ディプロマシーの主体はもはや主権国家ではなく、多様なアクターで構成される政策ネッ トワークである。この政策ネットワークは、他国の世論や国際機関に働きかけ、ネットワ ークが重視する価値に対する理解を広めて、グローバルな公共政策の決定を自分たちに有 利なものにしようとする。そこで行われるパブリック・ディプロマシーは当初からトラン スナショナルなものであり、多様なメディアを利用して巧妙な情報操作が行われている。 この情報戦争においてきわめて大きなソフトパワーを動かしている一つが、マイクロソフ トを母体とするゲイツ財団であることは言うまでもない。 こうした状況の中で日本のパブリック・ディプロマシーは、 「クールジャパン」への取り 組みに象徴されるように、古典的な政府中心のハイアラーキーモデルから脱却できていな いようにみえる。日本はいまだグローバル・ガバナンスに対応できておらず、国際的な政 策ネットワークのなかで自己主張ができる国内ネットワークが構築されていない。その結 果、国際保健分野に端的に現れているように、日本政府は国際的な政策ネットワークのな かに組み込まれ、日本の価値や利益を代表することができなくなっている。日本の優秀な 研究者は米国の財団が研究資金を提供する著名な大学や研究機関に籍を移し、アカデミッ ク・キャピタリズムと一体化した政策ネットワークの一部となっている。ここでは踏み込 まないが、世界第3位の経済規模を誇る日本において、なぜロックフェラー財団やゲイツ 財団のようなグローバルな財団が育たないのか。 4その根本的な要因のひとつに「オールジ ャパン」を強調する集権的官僚的なガバナンスから抜けきれない日本の閉鎖的な官民関係 があることは間違いないであろう。いまの国際社会は多種多様な開放的な政策ネットワー クがヘゲモニーを競い合うアリーナとなっている。そこで繰り広げられる新しいパブリッ ク・ディプロマシーは、もはや主権国家の利益を代表しない。この多種多様な政策ネット ワークの競合状態の中で日本的な価値を主張したいのならば、政策ネットワークのなかで ソフトパワーを掌握する必要がある。だが、そのような人材を養成するための土台は、残 念ながら日本ではますます弱体化しつつあるように思われてならない。 4 例えば、2013 年におけるトヨタ財団の国際助成の総額は 6 千万円にすぎない。 6.おわりに 本稿では新しいパブリック・ディプロマシーの姿を象徴するものとして、国際保健の 分野を主導する米国の財団の活動を取り上げた。筆者は GAVI アライアンスによる途上国 の子供たちへのワクチン接種の活動を批判する意図は毛頭なく、貧しい家庭の子供が安価 でワクチン接種ができれば感染症による死のリスクから解放され、豊かな人生を歩む機会 をもつことができるかもしれない。これが喜ばしいものではあることは疑う余地はない。 しかし、ワクチン接種は貧困削減とストレートには結び付くものではないことも自明であ る。スラムで暮らす子供たちは、ワクチンを接種したからといって、スラムから抜け出せ るわけではないからである。 国際保健政策がますます民間資金に依存するようになり、拠出金や ODA による保健政 策がこのまま縮小していけば、国際保健の市場化だけが進行することになりかねない。健 康は人間の基本的権利であるにもかかわらず、それがお金でしか買えないとなると、途上 国の貧困層は生涯をつうじて健康に暮らす権利を奪われることになる。したがって国際保 健機関は、PPP に一方的に傾斜するのではなく、国際機関の責務として国際健康政策の推 進に努める必要がある。国際機関の場合、国連のガバナンスシステムをつうじてドナー国 政府や被援助国政府に対して説明責任を果たす義務があり、国際社会のコントロールが及 ぶ仕組みがつくられている。しかしながら、独自の規範で行動する政策ネットワークに対 してグローバル・ガバナンスを確立することはきわめて難しい課題である。 さらに、民間開発援助の場合には、援助活動自体が国際機関のみならず主権国家の統 制の枠外で行われるために、自国の議会や国際機関がその事業に対して権力的に関与する はきわめて難しくなる。GAVI アライアンスを例にとると、アライアンスの意思決定は理事 会が行うが、運営責任は最高責任者(CEO)が負う。現在の GAVI アライアンスの CEO は、 ロックフェラー財団の衛生科学副部長をつとめたセス・バークリー氏である。GAVI アライ アンスの理事には WHO のメンバーも名を連ねているが、運営資金は民間からの寄付金で あるため、WHO が事業計画に影響力を行使することは難しい。 WHO の所管事業と異なり、 民間機関の事業計画に「社会的正義」や「社会的公正」をどれだけ折り込むかは民間機関 の意思決定に依存せざるを得ないからである。GAVI アライアンスのような国際的なネット ワーク組織の意思決定過程の透明化や説明責任の強化について、国際的なルールや手続き を定めてガバナンスの強化を図ることは今後の課題といえよう。 他方で、日本の開発援助の状況をみると、民間直接投資が ODA の5倍に達している。 ODA における二国間援助と国際機関への出資・拠出金の割合はほぼ6:4であり、金額の 面では国際機関における日本のプレセンスは決して小さくはない。しかしながら、国際保 健の事例に顕著に示されているように、援助自体が米国の財団が主導する民間開発援助に ますます傾斜していくなかで、日本のプレゼンスは逆にますます小さくなってきているよ うに思える。グローバルな公共政策のネットワークにおいて発言力を高めるためには、当 該分野の専門家を育てる必要があり、米国の財団のように民間の資金を集めて人材育成に もっと投資する必要がある。しかしながら、民間非営利団体による贈与の総額は約 4.9 億ド ルにすぎず(2012 年数字) 、国際的な広報活動もきわめて小さなものにとどまっている。 グローバル・ガバナンスがますます複雑化するなかで、グローバルな政策決定に影響 力を行使しようするのであれば、古典的な主権国家外交や「オールジャパン」型の政府広 報活動から一歩も二歩も踏み出す必要がある。それにもかかわらず、 「クールジャパン」の ような国家ブランディングに浮かれているならば、国際社会における日本のプレゼンスは さらに低下していくであろう。グローバル・ガバナンスにおける米国の民間財団の主導的 地位は一朝一夕に作られたものではない。社会との深いかかわりの中で市民社会に根を下 ろし、国際社会における主導的地位を確立していった米国のフィランソロピーから学ぶこ とは数多くある。グローバル・ガバナンスがますます「政府なきガバナンス」 (governance without government)の様相を呈していくなかで、途上国の貧困問題やグローバル・イシ ューに国際社会が責任をもって対応していくためには、民間財団をとり込んだパブリック なガバナンスシステムの構築が不可欠である。PPP は“プライベート”セクターのビジネ スチャンスを拡大するだけでなく、グローバルな問題に対する民間部門の責任を強化する ものでもある。しかし、その反面で“パブリック”セクターの責任や役割が軽視される傾 向にあることにわれわれは十分に注意する必要がある。 参考文献 Desai, M and Homi Kharas, 2008. “The California Consensus: Can Private Aid End Global Poverty?” Survival, 50 (4): 155-168. Farley, John. 2004. To Cast out Disease: A History of the International Health Division of the Rockefeller Foundation (1913-1951). Oxford University Press. Haas, Peter M. 1992. “Introduction: Epistemic Communities and International Policy Coordination,” International Organization, 46(1):1-35. Hocking, Brian, 2005. “Rethinking the ‘New Public Diplomacy,” in Jan Melissen, ed., New Public Diplomacy: Soft Power in International Relations, Palgrave. Kickbusch, Ilona and Martina Marianna Cassar Szabo. 2014. “A New Governance Space for Health,” Glob Health Action.7: 23507 Moran, Michael, 2014. Private Foundations and Development Partnerships: American Philanthropy and Global Development Agendas, Routledge. Noguchi, Kazumi, 2014. “Impact of Government-Foundation Cooperation: Health Care System Development in Post-war Japan,” in Liping Bu and Ka-che Yip, eds. Public Health and National Reconstruction in Post-War Asia: International Influences, Local Transformations, Routledge. “The Birth of Philanthrocapitalism,” The Economist, February 23, 2006. 外務省 1963.『わが外交の近況』第7号 北野充 2014. 「パブリック・ディプロマシーとは何か」北野充・金子将史編著『パブリッ ク・ディプロマシーの戦略~イメージを競う国家間ゲームにいかに勝利するか』PHP 研 究所 小谷俊介 2012. 「我が国のパブリック・ディプロマシーの変遷と今後の課題―インドネシ アを事例に中心に―」国立国会図書館『技術と文化による日本の再生』 高原秀介 2009. 「『ウィルソン主義』とウィルソン外交の対話:歴史実証主義アプローチ による一試論」 『京都産業大学論集 社会科学系列』26:157-170 平体由美 2012. 「研究史展望 : ロックフェラー財団の医療・公衆衛生 活動と文化外交」 『札幌学院大学人文学会紀要』92: 111-118 松田武 2008. 『戦後日本におけるアメリカのソフトパワー~半永久的依存の起源』岩波書 店 トムリンソン、ジョン、1997. 『文化帝国主義』青土社 国際保健における官民連携― 米国国際保健外交政策における官民連携に関する事例研究 神戸女子大学 野口和美 キーワード:官民連携、国際保健外交、米国民間財団、米国国際開発庁 1.2015 年は、ミレニアム開発目標 MDGs)の期限であるが、MDGs の中では、保健分野の目 標が最優先課題のイシューとなっており、MDGs の8つの目標のうち、3つの目標が直接公衆衛 生に関係する目標となっており、エイズ予防、母子保健などが中心となっている。 2014 年ミレニアム開発目標レポートによると、2014 年現在で、3500 万人がエイズとともに生き ているが、新しい HIV/AIDS 感染者は、44 パーセント減少している。また、2012 年には、母子 感染数は、2005 年には、32 万件であったが、21 万件に減少している。米国の民間財団のエイズ 関連の支援は、2013 年の支援額は、過去 7 年で一番低くなっている。かかる観点から、本発表 では、米国の国際保健外交における官民連携について、エイズ関連政策を事例として論ずる。 出典:Funders Concerned About AIDS 2. 国際保健における官民連携に関する文献レビュー (1)Kickbusch (2009)は、国際保健外交について、国際保健機関での政府間プロセスが重要 であるとしている。また、Moran (2014)は、巨大な民間財団と連携し、エイズやマラリア対策を しているドナーは、開発途上国の国民にとって、とても魅力的であり、GAVIアライアンスや IAVI(国際エイズ ワクチン推進構想)が代表的な国際保健の官民連携であるとしている。 Ingenkmp and Low-Beer(2012)は、巨大な米国民間財団は、エイズ対策に関して、財政的な支援 以上の関係しているということは、過言かもしれないが、民間財団の役割は、財政的支援機能以 上であるとしている。McCinnes and Lee (2012)は、保健は、保健政策促進と外交的ツールとし て使用されているとしている。Noguchi(2014)は、第 2 次世界大戦後の占領期において、ロック フェラー等の民間財団に関して、国際保健外交において、官民連携の実務レベルの分析をし、ロ ックフェラー財団と米国国務省との連携によって、日本の公衆衛生制度発展に寄与していること が明らかになった。更に、戦前のロックフェラー財団と日本政府との連携における日本の公衆衛 生発展への支援と比較すると、戦後の官民連携による支援は、冷戦期であったことも含め、政治 色の強いものであったと考える。 3. 仮説 本発表では、大統領が設立する財団や研究所等の米国の民間財団が、米国の国際保健外交政策策 定過程において、大きな役割を果たしているのではないかという視点にたち、分析をする。 (1) 米国の民間組織は、米国大統領エイズ救済緊急計画(President's Emergency Program for AIDS Relief :PEPFAR)の官民連携に参画する際に、どの程度関わっているのか、以下 のクライテリアに基づき、インタビュー調査を行った。政策策定、政策へのアドバイス、 財政的支援、情報のシェアー、会議などへの参加、オブザーバー機能。 (2) エイズ関連対策は、ソフトパワーとしての影響力はどのくらいあるのか。 (3) 大統領設立の財団を含めた民間組織は、どの程度 PEPFAR に影響力があるのか。 4.米国大統領エイズ救済緊急計画(President's Emergency Program for AIDS Relief :PEPFAR) 2003 年に、ブッシュ政権時に PEPFAR は開始され、当初は、主にアフリカのエイズ罹患率の 高い国を含む、15 か国を対象に実施された。本研究の事例のジンバブエは、高い罹患率が高く、 エイズとともに生きている国民は多くはあるものの、2006 年から PEPFAR の対象国となってい る。 出典:WHO 2009 年には、オバマ政権に、グローバル・ヘルス・イニシアティブ(GHI)を立ち上げ、PEPFAR は、重要な役割を果たしている。2012 年には、グローバル・ヘルス・ディプロマシー・センター が立ち上がっており、以下の3つの目標が掲げられている。第一に、国際保健活動により、アメ リカ市民の健康状態を促進すること。第二に、国際保健を発展させるべく科学、政策、プログラ ム、実践に関するリーダーシップや技術の専門知識の提供。3 つ目は、国際保健活動を通して、 外交、開発、安全保障における米国の国益を発展させる。2つの政権を通して、PEPFAR 予算は 増加している。 出典: PEPFAR PEPFAR の特徴は、官民連携によるプログラムの実施である。2006 年以降、PEPFAR の官民 連携数は、300 件を超えており、4 億ドルの民間資金と 3.35 億ドルの PEPFAR 財源を使ってい る。 5.事例研究 (1)Pink Ribbon and Red Ribbon(PRRR) 本プログラムは、ボツワナ、エチオピア、ナミビア、タンザニア、ザンビアにおいて、 2008 年以降実施されており、George W. Bush Institute, Susan G. Komen, Bill and Melinda Gate Foundation 及び PEPFAR が主な支援団体である。PRRR は、子宮頸がん予防プログラム であるが、HIV 陽性の女性の子宮頸がん罹患率は、HIV 陰性の女性の 4 倍から 5 倍であるため、 PEPFAR プログラムとして扱っている。George W. Bush Institute の元所長の聞き取り調査によ ると、勿論、プログラムの実施目的は、エイズ予防支援の人道的援助の側面もあるが、サブ・サ ハラ・アフリカにに対する外交的な影響を与える目的もあると話していた。保健分野をターゲッ トにした支援は、対象国への利益になるだけではなく、米国が実施している外交政策への支援を 促す要素となっていると思われる。実際に、PEW Research Center の調査によると、同地域お いて最も最優先課題として、エイズ予防は挙げられている。i BMGF は、通常は、非感染疾病へ の支援は実施しないので、本プログラムでは、技術供与を行っていると回答があった。 (2)DREAMS Project 一方で、2014 年の世界エイズ・デーにおいて、DREAMS プロジェクトが発表された。 サブ・サハラ・アフリカのエイズ罹患率が高い 10 か国を対象として、思春期及び若い女性のエ イズ感染者数を減少させることが目的である。官民連携の下、PEPFAR、BMGF, Nike Foundation が連携し、各々、1 億 8 千万ドル、2,500 万ドル、500 万ドルを支援している。本プログラムの 場合は、PEPFAR から BMGF に財政的支援とともに、技術支援及びプログラム評価支援の要請 を受けているとしている。ii 次に、PEPFAR における米国国際開発庁と民間運営財団との連携におけるエイズ関連支援プロ グラムの官民連携について触れたい。特に、米国との外交関係が悪化しているジンバブエにおけ る母子エイズ感染予防のプログラムを事例として、取り上げる。 (3)Elizabeth Glazer Pediatric AIDS Foundation (EGPAF) EGPAF は、2001 年よりジンバブエで、母子感染予防プログラムを実施しており、2010 年に は、約 180 万ドルの国際エイズ予防支援を行っており、米国国際開発庁は、EGPAF との連携で、 2007 年から 2012 年もの間、ジンバブエ家族エイズ予防イニシアティブを実施し、ジンバブエの 保健省および地域レベルでは、児童福祉局と連携し、国レベルと地域レベルでの連携しプログラ ムを行った。また、2002 年から 2010 年まで、米国国際開発庁との連携で、Call to Action プロ グラムを行い、レベルの高い母子感染予防サービスをアクセスできるようになり、400 万人の女 性がアクセスできるようになった。iii (4) MAMA Project 2011 年の母の日に、ヒラリー・クリントン前国務長官は、官民連携イニシアティブとして、 Mobile Alliance for Maternal Action(MAMA)が実施され、携帯電話を使用し、母子関連の保健情 報を提供している。 南アフリカ共和国で実施されているプログラムのグローバル・パートナーは、 米国国際開発庁、ジョンソン・アンド・ジョンソン、mHealth Alliance, BabyCenter という組織 であり、ローカル・パートナーは、Cell-Life, Wits Reproductive Health and HIV Institute, Vodacom, Praketlt Foundation である。iv 現在、バングラディッシュ及びインドで同プログラ ムを実施しており、対象国の選択基準は、以下の3つとなっている。母子死亡率が高いこと、携 帯電話普及率の高いこと、対象国の政治的意思が強いことが3つの基準であるが、携帯電話を使 用することにより、実際に母子死亡率が高い国で、携帯電話普及率が低い国では、この支援が受 けられないことが問題点であるといえる。 6.結語 このように、米国政府は、国際保健外交政策において、資金力がある巨大な民間財団やNGO を初めとする民間組織と連携しておこなっている。PEW Research Institute の調査によると、 PEPFAR 対象国のガーナ、ケニア、南アフリカ共和国、タンザニア、ウガンダでは、アンケート 調査の回答者の 60 パーセントが米国の政策に好意を持っていることが明らかになっており、タ ンザニアでは、PEPFAR 実施以前の 2002 年では、53 パーセントであったのが、2014 年の調査 では、75 パーセントと上昇している。一方で、ウガンダでは、2002 年には 74 パーセントであっ たのが、2014 年では、62 パーセントとなっている。v 必ずしも、PEPFAR が米国の外交政策へ の好感度を高めている要素とは言えないが、少なくとも、PEPFAR 実施国の国々では、好感度が 高くなっていることが明らかになっている。 PEW Research Center, Public Health a Major Priority in African Nations, http://www.pewglobal.org/2014/05/01/public-health-a-major-priority-in-african-nations/ ii PEPFAR DREAMS project, http://www.pepfar.gov/partnerships/ppp/dreams/index.htm iii Elizabeth Glazer Pediatric AIDS Foundation, http://www.pedaids.org/pages/program-implementation iv MAMA, http://www.mobilemamaalliance.org/ v PEW Research Center, Views of the United States and American Foreign Policy, http://www.pewglobal.org/2014/07/14/chapter-1-the-american-brand/ i 国際支援関連ファンドの特徴からみた「パブリック・ディプロマシー」 小沢 康英 神戸女子大学 キーワード:国際支援関連ファンド、Foundation Center、活動の内容、サポートの内容 1.はじめに 開発援助において民間の資金や技術力を積極的に利用して援助の有効性を向上させよう という流れが高まるなかで、政府の単独の活動に限らず民間部門とも連携しながら、外国 の国民や世論に働きかける外交活動である「パブリック・ディプロマシー」が担う役割も 重要度が増してきている。ただ、 「パブリック・ディプロマシー」の担い手は、先進国の支 援財団や巨大企業が主体であり、開発援助や外交活動において民間部門のウエイトが増す と、企業の経済利益が優先され、人々の安全や安心が軽視されるなど、様々な懸念・課題 が生じてくる。 このため、先進国の支援財団や巨大企業が実際、開発援助・国際支援に関してどのよう な活動を行っているか検証していくことが重要となる。 「パブリック・ディプロマシー」の 担い手は、様々な主体で構成されるが、対象をアメリカの国際支援関連ファンドに絞り、 アメリカの Foundation Center が保有する国際支援関連ファンドのデータ(2013)を用い て分析を行った。 国際支援関連ファンドのデータ(2013)の内容としては、各ファンドが実施した個別の 施策について、施策毎に、支援した国、支援金額、支援受取団体のタイプ、支援先の活動 趣旨、具体的な活動内容などが記載されている。こうした Foundation Center のデータに 含まれる内容を基に、活動の特徴を把握・分析を進めた。 2.ロックフェラーの国際支援関連ファンドに関する分析の目的と方法・対象 (1)分析の目的 アメリカの民間支援団体が、途上国の民間団体と国際交流を深める活動の際の特徴を探 るため、Foundation Center が保有する国際支援関連ファンドのデータ(2013)を用いて 分析を行う。 (2) 分析の方法・対象 Foundation Center が保有する国際支援関連ファンドのデータに含まれる内容(支援国、 支援受取団体のタイプ、支援額、サポート内容など)を基に、主成分分析による因子抽出 を通じて、活動の特徴を把握する。 対象データ:ロックフェラーが実施した支援のファンド 2000 年以降、主に東南アジア・アフリカの国々に行った事業(220 件) 3. ロックフェラーの国際支援関連ファンドに関する分析の結果 (1) 分類内容:Foundation Center のデータの記載項目を基本して内容を整理 ・Area ・Grant Amount ・Type of Recipient ・Type of Support ・Subject (2) 主性分分析の結果 因子を抽出すると、 ・第1主成分では、「Type of Recipient」「Subject」の係数 が大きく、その特性は、下記のような特徴づけができよう。 ◆「活動の内容(理念の確保 ・第2主成分では、 「Type of ~ 暮らしの確保)」 Support」の係数が大きく、その特性は、 下記のような特徴づけができよう。 ◆「サポートの内容(実務的 ~ 情報発信)」 ・他方、地域や補助金の大きさからの要因はあまり大きくない。 (3)個別ファンドの主成分得点からみた分布の特色 第1主成分の得点と、第2主成分の得点から、ファンドは下記の4分類される。 「暮らしを確保するための実務的な活動」 「暮らしの確保を促す情報発信」 「理念を確保・強化するための情報発信」 「理念の確保に資する実務的な活動」 ◎「暮らしを確保するための実務的な活動」及び「理念を確保・強化するための情報発信」 が主体になると予想していたが、個別ファンドの得点を示す散布図をみると、4つの分類 それぞれに分布しており、国際支援関連ファンドの内容が特定分野に偏ることなく、様々 な方法の活動を支援していることを示している。 分析結果(主成分分析による因子抽出) 成分 1 2 3 area -0.216 -0.044 -0.006 Recipient1 0.677 0.33 0.515 Recipient2 0.674 0.35 -0.231 Grant -0.141 0.206 0.14 Support1 0.532 -0.767 0.087 Support2 0.487 -0.648 -0.092 Subject1 0.469 0.31 0.662 Subject2 0.696 0.335 -0.502 FAC1-1 FAC2-1 4 0.077 -0.125 0.593 0.123 0.115 -0.171 -0.089 -0.357 5 -0.143 -0.152 0.132 -0.015 -0.313 0.533 0.235 -0.123 FAC1-1 : 「活動の内容(理念の確保 ~ 暮らしの確保)」 FAC2-1: 「サポートの内容(実務的 ~ 情報発信)」 <地域や補助金の大きさからの影響は小さい> 6 0.141 0.357 0.014 0.101 -0.1 0.141 -0.424 -0.096 7 0.889 -0.006 0.01 -0.515 -0.012 0.012 0.046 0.008 8 0.34 -0.024 -0.008 0.792 0.01 0.021 0.026 0.025 ロックフェラーのファンドの類型 Area 地域 Type of Recipient その1 1 2 3 4 5 アフリカ その他アジア(南アジア、中東、旧ソ連など) 東アジア(除く日本) 中南米 欧米+日本 1 Civil / human rights Civil liberties Human services Type of Recipient その2 Public Policy Government agencies Advocacy 2 Cultural / ethnic awareness Multipurpose centers / programs Arts Libraries Visual arts Historic preservation Folk arts Archives Arts education Historic societies 3 Education Elementary/secondary educatio Higher education Graduate/professional education 4 International affairs International peace/security International studies Minorities / immigrants university International studies U.N. Goodwill promotion International Economic 5 その他 Research Centers / services 6 Heaith care Reproductive heaith Blood supply 7 Environment Population studies Agriculture 8 Media communications Electronic communications/Internet Economics Business / industry Economic development Community / Economic 9 Philanthropy/voluntarism Association Sustainable programs interdisciplinary studies services Public health Reproductive rights Natural resources Family planning Agriculture / food Print publishing Film/video/radio Financial services Employment Sub-Region (Urban) / Small businesses Social sciences Grant Amount Type of Support その1 Type of Support その2 1 2 3 4 5 ~$50,000(未満) $50,000~$100,000(未満) $100,000~$500,000(未満) $500,000~$1,000,000(未満) $1,000,000~ 1 Program development 2 Curriculum development Continuing support Building / renovation Program evaluation 3 General Opeartihg support General / operating support 4 Management development Faculty/staff development Fellowships management capacity building Scholarship funds 5 その他 6 Research 7 Awards/prizes/competitions 8 Conferences Publication ; Exhibitions Advocacy 9 Film/video/radio Computer technology Electronic media / online services Seminars 東アフリカ・ビール産業のサプライチェーン・マネジメント ―2 大ビール企業の比較― ○西浦 昭雄 創価大学 E-mail: nishiura@soka.ac.jp キーワード: 東アフリカ、ビール産業、サプライチェーン、FDI、契約栽培 1.はじめに アフリカでは、経済成長に伴い購買力を増加させる中で 、内需主導型産業である農産 物加工業の成長がみられる。なかでもビール産業は、 SABMiller、ディアジオ (Diageo)、ハイネケンといった世界的なビール製造グループが 、アフリカ各地で醸造所 の建設や既存のビール会社の買収など直接投資を盛んに行い、市場シェ ア争いを展開して いる。ビール会社は、主要原料である大麦を栽培してこなかった現地農家と契約し、食料 としていたソルガムやキャッサバなどを原料に加えるなど原料の現地調達化を推し進め、 現地農業にも影響を与えている。さらに、各グループは独自の販売体制を構築し、現地の 商業にも大きな影響を与えている。しかしながら、アフリカ・ビール産業におけるサプラ イチェーンに焦点をあてた研究は極めて限定されており、その実態は十分に明らかになっ ていなかった。 本報告で取り上げる東アフリカ 3 カ国(ケニア、タンザニア、ウガンダ)では、 SABMiller グループとディアジオ傘下の EABL(East African Breweries Limited)グル ープの 2 大グループがビール の市場で熾烈な競争を展開している。本報告は、2009 年以 来の同地域での 7 度に及ぶ現地調査の結果を踏まえ、SABMiller グループと EABL グル ープの比較を通じて東アフリカ・ビール産業のサプライチェーン・マネジメントを明らか にしていくことを目的としている。 なお、本調査は科学研究費 2009~11 年度基盤研究(C)「東アフリカ農産物流通・加工 分野における南アフリカ企業の進出とローカル企業の影響」(代表:西浦昭雄)と 2012~ 14 年度基盤研究(C) 「東アフリカ共同体の形成とビール産業のサプライサイドチェーン・ マネジメント」(代表者:西浦昭雄)での研究に基づいている。 2.ビール産業のサプライチェーン・マネジメント (1)サプライチェーン・マネジメント 供給連鎖管理と訳されることもあるサプライチェーン・マネジメント(Supply Chain Management : SCM)は、 「サプライチェーン・マネジメント(SCM)は、調達と購買、組立 加工とロジスティック活動にかかわる計画と管理を含む)。本質的には、SCM は、企業内、 企 業 間 の 需 要 管 理 と 供 給 管 理 を 統 合 す る こ と で あ る 」( Council of Supply Chain Management Professional, 1999)と定義づけられる。また、菊池(2006)は、「SCM は、 顧客に価値を付加するモノ、サービスと情報を提供 するサプライヤーからエンドユーザー までの企業間統合である」としている。 ビール産業における SCM の概念図を表したものが図1である。調達から受注・管理ま でを扱うのがロジスティックスであるが、SCM の場合は原料のサプライヤー(ビール産業 の場合は大麦農民など)や卸売り・小売りまでカバーしている。さらに、SCM は、サプラ イヤーからビールの製造までをインバウンド面、ビール製造からアウトレットまで をアウ トバウンド面と分類される。本報告においても、この2つに分 けて分析する。 (2)東アフリカ・ビール産業の概要 表1 東アフリカ 3 か国におけるビール産業の概要 SABMiller グループ EABL グループ <ディアジオ傘下> ウガンダ 子会社:Nile Breweries 子会社:Uganda Breweries 約 240 万 hl 生産、市場シェア 57% 約 75 万 hl 生産 2醸造所(ジンジャ、ムバララ) 1醸造所(カンパラ) 1モルト工場(ジンジャ) タンザニア 子会社:Tanzania Breweries 約 290 万 hl 生産、市場シェア約 子会社:Serengeti Breweries 約 135 万 hl 生産、3醸造所 70% (ダルエスサラーム、ムワン 4醸造所(ダルエスサラーム、ア ザ、モシ) ルーシャ、ムワンザ、ムベヤ)1モ ルト工場(モシ) ケニア 子会社:Crown Beverage 2002 年に Castle Breweries を閉鎖、 子会社:Kenya Breweries 約 250 万 hl 生産、市場シェ Kenya Breweries 株式 20%保有⇒ ア 90%以上、1醸造所(ナイロ 2010 年協定終結 ビ)、1モルト工場(ナイロビ) ⇒タンザニアから輸出 (出所)各社ホームページおよび年次報告書、各社インタビューをもとに筆者作成。 東 ア フ リ カ 3 か 国 で は SABMiller グ ル ー プ と 東 ア フ リ カ 醸 造 社 ( East African Breweries Limited: EABL)グループが競争を展開している。その概要をまとめたのが表 1である。 SABMiller グループは、1895 年に設立されたサウスアフリカン・ブルワリーズ社が 2002 年にアメリカ第 2 位のビール会社であったミラー醸造社(Miller Brewing Company)を 買収して設立された世界の 3 指に入るビール製造グループである。本社は 1999 年に南ア フリカからイギリスに移転されたが、アフリカについては現在でも南アフリカ本部が統括 している。2013 年現在、アフリカ 15 か国にビール生産拠点をもち、フランス語圏ではフ ランスのカステル(Castel)社と協力関係を築いている。ウガンダとタンザニア、さらに 隣接する南スーダンに計7つの醸造所と2つのモルト工場をもち、ビール生産能力は年間 約 550 万 hl にのぼる。 他方、EABL は、1922 年にケニアで設立され、現在も本社をケニアにおい ている。2000 年にナイジェリア、ガーナなどで展開するディアジオ・グループの傘下になった。 EABL はケニア、ウガンダ、ウガンダの 3 か国に5つの醸造所と1つのモルト工場をもち、ビー ル生産能力は約 450 万 hl である。とくにケニアでは 90%以上の市場シェアをもつ。 図3 3.インバウンド面 図2 EABL の大麦調達 SABMiller の大麦調達 北部大麦地域 400エーカー栽培 200トン調達 南西部大麦地域 4800農家が0.4万エーカ ー栽培、2000トン調達 輸入大麦9000トン 東部大麦地域 自社農場+3000農家が0.5万 エーカー栽培、3600トン調達 ジンジャ・ モルト工場 大麦種子 北部大麦地域 86契約(10共同組 合)1.6万エーカー 5583トン調達 モシ・モル ト工場 タン ザ ニア 全 体 で 543農家と契約(農 民 組合との契約+個別契約) ※うち、343農家が10ヘクタール以下 出所:複数のSABMiller関係者への 4 インタビューをもとに報告者作成。 南部大麦地域 2008年~26契約(9共 同組合)0.3万エーカー 1076トン調達 まず、原料の調達面でみると、SABMiller グループと EABL グループはともに大麦、 ソルガム、キャッサバなどの原料の現地調達化を推進している。これは消費者へのアピー ル、生産コストの削減、さらにウガンダでは減税というのが要因となっていると思われ る。特に大麦については、現地農家と契約栽培化を積極的に推進している。また、小農が 多いウガンダでは栽培農家の農民組合化を 後押しし、農業指導員(extension officer)を 企業側で派遣するなど契約栽培がスムーズにいく環境作りに取り組んでいる。 また、大麦 の種子についてタンザニアでは無料配布、ウガンダでは優遇価格での配布している点も両 グループで共通している点である。 つぎに、相違点としては、両グループが競合するタンザニアとウガンダにおいては、 SABMiller の方が EABL よりも農業指導員(extension)を多く派遣している点である。 これは、EABL はウガンダとタンザニアにはモルト工場はないが、 SABMiller はそれぞ れにモルト工場があるため、より大麦の現地調達に対する逼迫度が高いためであると推測 される(図2・図3参照)。 4.アウトバウンド面 両グループとも、醸造所で 生産されたビールは、発送センター(deport)を経由して 各国の全土まで運ばれる。最も多く取られるルートは発送センターから、資本的には独 立した販売所(Distributor や District Center)に運ばれる。 販売店には倉庫が備えつけ られており、そこから 販売所のトラック等を用いて中卸(stokist) 経由か小売店(outlet) に 直接的に小売店に運ばれる。これらの点は共通しているが、SABMiller は醸造所から 販 売 所 ま で の ビ ー ル の 輸 送 は SABMiller 側 が 負 担 し て い る が 、 EABL は DHL International にアウトソーシングしている点で異なる。また、両グループで製造されたビ ールはそれぞれ系列販売所で排他的に取り扱われることが基本になっているものの、その 徹底度は地域によって異なる。 販売面で欠かせないのが、販売調査員(sales representative)の存在である。販売 調査員は売上や在庫を確認し、報告することになっている。さらに販売担当者は店主 と話をして評判を聞いたり、プロモーション内容を伝えたり、 自社製品を扱うスペー スを拡大するよう営業をかけている。例えば、ウガンダ全体での SABMiller 傘下のナ イル・ブルワリーズ製のビールが置かれている店舗は 8 万店を超え、下一桁の数字ま で正確に把握されている。こうした販売調査員が少なくとも月に 1 度は訪問する小売 店は 9000 店舗にのぼっている。このように 販売スタッフが小売店を まわり、評判・在庫 等をチェックしている点は両グループとも共通している。しかし、 小売推奨価格 (recommend sales price)の遵守率については、SABMiller の方が販売所に一覧表を掲げ るなど徹底しており高いと思われる。 5.報告のまとめ これまで、現地調査をもとに東アフリカ・ビール産業の SCM をインバウンド面とアウト バウンド面に分けて分析してきた。この結果、両グループでの SCM には共通点が多いこ とがわかった。これは世界的にビール 産業の競争が激化する中で最も適したビジネス・モ デルに随おうとしているためであると思われる。他方で大きな相違点として、アウトバウ ンド面において EABL では製造した段階から販売所までの輸送をアウトソーシングして いる点が挙げられた。 <参考文献> ・Council of Logistics Management Professionals(1999) 21 st Century Logistics: making supply Chain Integration A Reality , Michigan State University (http://cscmp.org/about-us/supply-chain-management-definitions). ・菊池康也(2006)『SCM サプライチェーンマネジメントの理論と戦略』税務経理協会。 ・ Nishiura, Akio. 2014. “The Beer Industry and Contract Farming in Uganda.” in Delivering Sustainable Growth in Africa ed. Takahiro Fukunishi. Palgrave Macmillan, pp.107-134. バングラデシュにおける農村部での移動販売の研究 ―グラミン・ディスリビューションの販売網構築を事例として― 大杉 卓三 大阪大学 E-mail: thosugi@cbi.osaka-u.ac.jp キーワード:バングラデシュ、グラミン・グループ、ソーシャル・ビジネス、移動販売、 物流網 1. はじめに 開発途上国の農村部では日用品の物流網が発達していないため、人々は時間と移動費用 をかけて買い物に出かける必要がある。農村にも極めて小規模なキオスクが存在している が、そこで購入できる品物は限定されている。また販売されている商品の品質も安定して いない。このような状況はバングラデシュにもあてはまる。人々は日用品を購入するため に、また社会サービスにアクセスするために遠方まで足を運んでいる。 本稿では、農村部の日用品を移動販売により各家庭に届けるソーシャル・ビジネスをお こなっている「グラミン・ディストリビューション」(Grameen Distribution Ltd)の活 動を事例としてとりあげる。そしてグラミン・ディスリビューションが農村部に構築し、 運用している「グラミン・マーケティング・ネットワーク」の現状について説明する。そ のうえで実際の移動販売、訪問販売においてどのような商品が販売されているのか、販売 員の所得向上につながっているのか、持続可能なビジネスの基盤となりえているのかにつ いて述べる。 2. 企業概要とビジネスモデル グラミン・ディスリビューションは、グラミン銀行を中心とするグラミン・グループに 属する。グラミン・グループには「グラミン・テレコム」という組織が存在する。グラミ ン・テレコムは 1996 年に「グラミンフォン」を共同設立するために設立された。グラミ ンフォンはバングラデシュ最大の携帯電話サービスを展開する企業であり、 「ビレッジ・フ ォン」というプログラムがよく知られている。グラミン・テレコムは、携帯電話の端末で 有名なノキアと業務提携しており、携帯電話の端末の販売や修理をおこなっていた。グラ ミン・ディスリビューションは、2009 年にグラミン・テレコムから主に携帯電話端末の流 通と販売事業を引き継いで設立した企業である。 本稿の後半で述べるグラミン・マーケティング・ネットワークは、都市近郊や農村部を ターゲットにした販売網である。しかし、グラミン・ディスリビューションは、設立の経 緯からもわかるように首都ダッカなどの都市部でも、携帯電話の端末や蛍光灯電球の販売 事業をおこなっている。蛍光灯電球などいくつかの商品は、グラミン・ディスリビューシ ョンのロゴマークが付いた自社ブランド商品として販売されている。このほかにもボトル の飲料水や太陽光発電装置の販売も手がけている。飲料水のボトルは、グラミン・グルー プの「グラミン・ヴェオリア・ウォーター」から仕入れ販売している。 3.グラミン・ディストリビューションの販売網 次に、グラミン・ディスリビューションの農村部での販売網構築について説明する。バ ングラデシュの農村部では、村の中心にある市場、および集落内で営業している小規模な 個人商店やキオスクにおいて、人々は日常品を購入している。人々の住居の場所次第で、 市場までが遠く買い物に行くことが困難である場合もある。日用品を買いに行くために、 リキシャ(三輪の自転車)に乗ると、そのための移動費用が発生する。購入する商品の価 格よりも、移動費用の方が高いこともある。いわゆる BOP ペナルティである。グラミン・ ディスリビューションでは、このような状況下にある農村部を対象にして、日用品を各家 庭に直接訪問することで移動するビジネスを展開している。移動販売の販売員となる村人 にとっては現金収入の機会が生まれ、購入者にとっては商品を買いに移動する時間と費用 を節約することが可能である。 グラミン・ディスリビューションでは農村部の各家庭にまで商品を届けるために、グラ ミン・マーケティング・ネットワークという移動販売の仕組みと販売網を構築している。 バングラデシュには 64 県が存在し、そのうち 20 県でグラミン・ディスリビューションは 活動をおこなっている。グラミン・マーケティング・ネットワークは、 「村の女性ネットワ ーク」、 「村の男性ネットワーク」、そして「村の若者ネットワーク」の 3 区分されている。 若者とは 21 才から 29 才の年齢層を指している。5000 人の販売員が活動しており、その 55%が女性である。 グラミン銀行を中心とするグラミン・グループのこれまでの活動において、女性が携帯 電話を持ち回り、携帯電話の公衆通話サービスを村に届ける「ビレッジフォン・レディ」 の活動は有名である。このビジネスモデルは日本のヤクルト・レディを参考にしたものと して知られている。グラミン・グループの各組織では、この販売形態、サービス形態を応 用する事例が多く見られる。例えば「グラミン・ダノン・フーズ」では「ダノン・レディ」 が微量栄養素を付加したヨーグルトを、各家庭を巡回しながら販売している。グラミン・ マーケティング・ネットワークもこの販売形式に習っており、村の各家庭にまで生活の必 需品を販売すべく販売員が歩いてまわっている。ただし、グラミン・ディスリビューショ ンの例は歩くだけでは無く、自転車やリキシャなどの移動手段を用いることもある。これ らの利用は販売員の裁量に任されており、グラミン・ディスリビューションが移動手段を 用意するわけではない。また、販売員は直接、日常品を売り歩くだけではなく、カタログ を見せて注文を取り、後日にその商品を届ける販売形態も採用している。 グラミン・マーケティング・ネットワークではディーラーと呼ばれるスタッフが販売員 を管理している。ディーラーは販売員に商品を卸す役割と、販売員がカタログ注文を取っ てきた商品を仕入れてくる役割を担う。販売員が歩いて配達できないような大型商品も、 ディーラーが手配し配送をおこなう。1 人のディーラーは 20 人から 25 人の販売員を管理 している。 グラミン・マーケティング・ネットワークを構成するディーラーと販売員のトレーニン グは、グラミン・ディスリビューションの「アクティベーション・オフィサー」がおこな う。アクティベーション・オフィサーは、グラミン・ディスリビューションから直接グラ ミン・マーケティング・ネットワークの管理についてトレーニングを受けている。現在、 23 人のアクティベーション・オフィサーが活動しており、それぞれが 2 人から 5 名のディ ーラーと協力して農村部のビジネスの拡大をおこなっている。将来的には 10 名程度のデ ィーラーを 1 人のアクティベーション・オフィサーで管理することを目標としている。 4.女性販売員の現状 「村の女性ネットワーク」を構成す る女性販売員は、グラミン・ディスリ ビューションが用意した専用のカバン に商品をいれて移動販売をおこなう。 専用のカバンが移動販売をおこなって いる際の目印の役割を果たしている。 そのため農村部を販売員の女性が歩い てまわると、人々が商品を買いに集ま ってくる。 女性販売員は、多くがグラミン銀行 のメンバーから選ばれている。その他 にも地元の商店や NGO メンバーなど、 様々な女性達が販売員として活動して 写真 1:タンガイルの女性販売員 いる。 女性の販売員が専用のカバンにいれて運ぶことができるアイテム数はせいぜい 20~30 程度であり、厳選された品物が入れられている。洗剤やシャンプー、爪切り、歯ブラシ、 また衛生用品といった商品が販売されている。基本的に家庭から自由に出かけることが難 しい女性を対象に販売する商品がアレンジされていることがわかる。カバンに入れられて いる商品アイテムは、地元のニーズに応えられるように選択されている。全国的にほぼ同 じ内容ではあるが、シーズンや気温の変化により、その時々に最適な内容に変更されてい る。例として雨期には傘が売られており、また靴や農業で使用する種子が販売されている こともある。 生活必需品のすべてをカバンに 入れて販売することはできないため、 先にも述べたようにカタログによる 注文受注もおこなっている。さらに カタログに紹介されていないどのよ うな商品であっても注文は受け付け、 ディーラーに報告する。販売員が配 達できないような大型商品はディー ラーが各家庭にまで配送することも ある。 写真 2:カバンのなかの商品例 比較的高額な商品は、子供用の服、 蛍光灯電球、テレビのリモコン、懐 中電灯、モスキートネットである。モスキートネットはグラミン BASF が製造したものを 扱っている。価格設定と品質管理には注意が払われている。販売されている商品の価格は ほぼ市場と同じに設定されており、移動販売だからといって高く値付けされているわけで はない。 5.販売員としての収入と持続可能性 グラミン・ディスリビューションの販売員として女性が活動するのは 1 日に 4 時間~6 時間である。月に 15 日~20 日の販売をおこなっている。毎日、100 軒の訪問を目標とし ている。現状では平均して毎日 200 タカ(約 300 円)から 250 タカの収入があり、毎月 3400 タカ程度の収入を実現している。農村部の女性にとって、これは貴重な現金収入の機 会である。 グラミン・ディスリビューションのグラミン・マーケティング・ネットワークが構築さ れているのは、バングラデシュの 64 県のうち 20 県のみである。しかし、販売網の構築や 訪問販売をおこなうためのビジネスモデルおよびノウハウは十分に蓄積されており、この ビジネスモデルは拡大していくものと想定できる。現時点での女性の販売員の収入は、農 村部での現金収入としては魅力的であり、家庭から外出が難しい女性が多く存在する農村 部の社会ニーズを上手くつかんでいる。 バングラデシュでは、グラミンフォンをはじめ多くの携帯電話キャリアがサービス拡大 にしのぎを削っている。農村部においてもテレビはもちろん、携帯電話やスマートフォン の端末を通して多くの情報が容易に入手できる。情報の流れが飛躍的に増加したとしても、 農村部を網羅する物流網の構築には時間がかかる。グラミン・マーケティング・ネットワ ークは、バングラデシュの農村部における未成熟な物流網を補完する役割を担っており、 農村部に存在する社会ニーズを受けとめることに成功しているといえる。 産業クラスター開発 ―フィリピンに見る好事例― 上田 隆文 国際協力機構 E-mail: Ueda.Takafumi@jica.go.jp キーワード:クラスター、中小企業振興、地場産業育成、バリューチェーン、地域経済開発 本発表では、産業クラスター開発について概観した後、フィリピンでの好事例から学ぶべき点 と今後の課題を明らかにする。 1. 国際開発における産業クラスターへの注目 特定の産業が集積する地域は先進国、途上国を問わず世界各地で観察される。米国カリフォル ニア州シリコンバレーの IT 産業やナパバレーのワイン産業、イタリアのエミリア・ロマーニャ州 のニットウェア産業、日本でも長野県諏訪地域の精密機械産業、新潟県燕三条地域の金属洋食器 産業といった地域が知られている。 国際開発に於いて産業集積が語られるようになったのは、既に企業戦略論で知られていたポー ターが国家の競争優位を論じる中で「クラスター」の存在を重要視してからであろう(Porter (1990)) 。 ポーターはクラスターを「特定分野の関連する企業や組織の地理的な集積」であり、 「競争のため に重要な様々な関連産業やその他の機関を含む」もので、部品、機械、サービスのサプライヤー や流通業者、顧客といった縦の関係のみならず、補完的な製品を製造する企業、関連する技能や 技術を備えた企業といった横の関係も、更には大学、研究所、職業訓練校、業界団体といった行 政その他の組織が含まれるとした(Porter (1998)) 。 Sonobe & Otsuka (2011) はクラスターの利点として、企業家とバイヤーの取引コストを減少させ ると共に、企業家の不良行為を思い止まらせ、観察やリバースエンジニアリング、知識豊富な労 働者の引き抜き、サプライヤーからの技術的な情報の習得、新製品・生産方法・流通網・経営手 法等の経営知識の習得を挙げている。クラスターの中には一層の発展を遂げるものと停滞、衰退 するものがあり、アジア、アフリカ各地の事例を比較検討して、産業クラスターの形成プロセス はアジアとアフリカの事例で共通すること、イノベーションの導入が発展を左右すること、企業 家の人的資源つまり技術や経営の知識習得がイノベーションの成功の鍵であることを示した。 尚、今回の発表では朽木(2007)にあるような工業団地や輸出加工区建設を出発点とするもの、 即ち産業集積が当初存在しない場合は対象としない。 2. 先進国と途上国におけるクラスター振興の違い 先進国、途上国を問わずクラスターの振興は一つの政策手段とされてきた。日本でも経済産業 省が 2001 年度から産業クラスター政策を推進している。Ketels et al. (2006) は先進国・移行経済国・ 途上国の 1,400 件にのぼる「クラスター・イニシアティブ(以下 CI) 」の調査結果を基に、共通点 と相違点を明らかにした。まず、相互信頼の度合いが企業間も企業と政府の間にも移行経済国や 途上国では先進国より低く、対象とする業種は途上国では農業・食品・基礎的製造業が多いのに 対して先進国では「ハイテク」産業や高度なサービス業が多い。目的は途上国では付加価値化や 輸出の増加、移行経済国では付加価値化と企業誘致、先進国ではイノベーションの促進やビジネ ス環境の改善と、それぞれ特徴が見られた。CI の活動内容は、クラスター分析や認識向上、市場・ 技術の情報収集はそれぞれに共通するものであったが、途上国では特に技術研修、サプライチェ ーン開発、ロジスティックスの共同化が、先進国では教育機関での活動、インキュベーター、共 同研究開発、人材の誘引、補助金提供といった活動が比較的多かった。また、同報告では先進国 では行政が主導となることが多く、途上国や移行経済国では行政の代わりに援助機関が発案者で あり資金提供者となる傾向にあることや、援助機関は三年程度の比較的「短期間」で計測可能な 結果を求める傾向にあるとしている。 Solvell et al. (2003)は、民間セクターの行政に対する信頼度、国や地域における当該クラスターの 重要性、活動資金を自ら賄う能力、他のクラスターとの繋がり、広いネットワークを持ったファ シリテーターの存在、クラスターの強みや能力を基に作られ参加者間で共有された明確な計画が 成功の要因と分析している。 3. フィリピンの事例 (1) 「全国産業クラスター能力向上プロジェクト」の概要 国際協力機構(以下 JICA)では、過去にタイ、インドネシア、カザフスタン、フィリピンで産 業クラスター開発の支援を行ってきたが、その中でもフィリピンの事例を紹介する。 フィリピン貿易産業省は、JICA「ダバオ産業クラスタ ー開発支援計画プロジェクト(DICCEP) (2007 年 10 月~ 2010 年 6 月) 」でフィリピン南部のミンダナオ島ダバオ地 域に於いて産業クラスター開発のアプローチを実証し、そ の結果を基に、JICA「全国産業クラスター能力向上プロ ジェクト(NICCEP) (2012 年 2 月~本年 3 月)」で同アプ ローチの全国展開とダバオ地域でのクラスター活動の深 化を推進した。 「産業クラスター(industry cluster)」とは 呼ばれるものの、対象はコーヒー、バナナ、ココナッツと いった農産物栽培、ミルクフィッシュや海藻といった海産 物の養殖、マニラ麻を使った家庭用品製造、情報通信産業 (ICT) 、観光等と多岐に渡る(図 1) 。 DICCEP(ダバオ地域)で支援したクラスターは、バナ ナ、ココナッツ、マンゴー、海藻、木材、鉱業、観光、ICT の 7 つの産業クラスターであった。NICCEP では、これら を含めた 24 のクラスターを全国で支援した。各クラスタ ーの活動は DICCEP を通じて作成、改善された手順で推進 された。それは、 (A)クラスター・アプローチの理解(研 修)、 (B)戦略的ビジネス計画策定、 (C)短期的活動計画 の作成と実施、 (D)モニタリングである。 (A)と(B) は学びながら計画を作るプロセス、 (B)から(C)への移 図 1 NICCEP 対象産業クラスター (NICCEP (2012)) 行は合意形成プロセス、 (D)は実施を通じた学習プロセ スとも位置付けられている(JICA (2013)) 。 NICCEP の実施期間三年間を通じて活動に必要な資金源の内 JICA が負担したのは 13%に過ぎず、 終了時点では全国 24 クラスターの内 22 が今後もクラスター活動を継続すると明言している (JICA (2015)) 。そのため本件は好事例であると考えられる。 (1) 注目すべき点 筆者が参加した 2015 年 2 月のプロジェクト終了時評価調査(Joint Terminal Evaluation Team (2015)) に基づいて、本事例で注目すべき点を考えてみたい。 ① 共同作業を可能にする仕組み 産業クラスター・アプローチのような民間経済活動の活性化を目指す場合、民間自身が主導権 を持って活動をすることが必要となる。加えて、利害も行動規範も異なる多様な関係者が共同作 業を行うことは容易ではない。これらを可能にしたのはクラスター・チームの構成と運営上のル ールであったと考えられる。チーム内では原則議長を民間とし、共同議長は「リード行政機関」 から出す事とした。ここで言う「リード行政機関」となるのは当該クラスターの業種を管轄する 行政機関で、例えば農産物なら農業省、海藻養殖では農業省の漁業・水産資源局となる。貿易産 業省は産業クラスター振興全体を推進する役割を持つものの、個別のクラスターでリード機関に なったのは、例えばダバオ地域では ICT クラスターのみで、その他のクラスターでは一歩引いた 形でコーディネーターとしてクラスターの仕組みづくりを支援する役割を果たした。また、特に 共同作業を行うに際して資金管理の透明性がメンバー間の信頼確保の為にも重要であることから、 それぞれのクラスター・チームには経理担当者を任命することとし、貿易産業省のコーディネー ターがその役割を果たしている。 ② 縦割りを超えた省庁間連携の仕組み 途上国に限らず縦割り行政の弊害は各国で指摘されているが、フィリピンではダバオでの経験 に倣い、多くの地域に於いて各省の出先機関も参加する地域開発評議会(Regional Development Council)で産業クラスター振興を地域内の優先課題とする決議を行うことで各省の協力を得るこ とを可能にした。また、連携に実質的な意義を与える正当性確保にはバリューチェーンを構成す る各プロセスの関係者の相互依存関係の認識が有用であったと思われる。例えば貿易産業省のザ ンボアンガ地域局長は、この地域で有望と考えられた天然ゴムに関して、製造された天然ゴムの 品質はゴム農園での取り扱い方にも左右されるため農業における技術向上が欠かせないとして農 業省を説得したという。 ③ 関係者が使いやすいツールの導入とコーディネーターの育成 本案件で使われた個々のツールは、ビジネス戦略策定、SWOT 分析、特性要因図(「石川ダイア グラム」 ) 、PDCA サイクルの考え方の導入といったもので、特に目新しいものはなく、既存のツー ルをうまく組み合わせたケースと言える。このように、参加者が理解し活用し易いものを使った ことが活動の円滑化につながったと考えられる。また、進捗の過程であぶりだされたキーパーソ ンに対してコーディネーター研修を実施したことも活動の実効性確保に有用であったと思われる。 ④ 関係者が実施可能な計画策定 ダバオで DICCEP を開始するまでに既にクラスター・チームは結成されていたものの、民間の 参加者達は自ら行動するための組織というより、政府への要望をまとめる組織であるという理解 をしていたという。これは、それまで民間企業が共同作業を行うのは業界団体による要望活動し か経験していなかったことに起因すると思われる。これに対し、本事例ではクラスターで共同作 業を行うのは民間事業者にとっては他人事ではなく自分たち全体の利益になるものであるため、 行政に頼ることなく自ら行動を取ることが重要であることが徹底された。それを実現するため、 各クラスターの行動計画を承認する際の条件に、メンバーのコンセンサスが得られていることと、 メンバーの積極的な貢献が想定されることの二つを含めた。更に、実現性を高めるために行動計 画の様々な項目の中で優先順位を付けることを徹底した。行政機関等からの支援を受ける場合に も、支援機関任せにせず、自らモニタリングを行うことも奨励した。コンセンサスを得るために 当初の想定以上の時間を費やした事例もあったものの、寧ろこのプロセスに時間をかけたからこ そ、実施段階では比較的スムーズに進行したものと考えられる。 4. 今後の課題 貿易産業省を中心とした各省は、全国 24 の産業クラスター活動へのかかわりを通じて得られる 様々なクラスターの共通課題を抽出して政策に反映することが可能となる。現時点では、貿易産 業省内部でも産業クラスター活動支援は地域開発局の担当とされ、そこでの現場からの発見が他 の部局の政策に結び付けられるには至っていない。地域開発局は既に他の部局との話し合いを始 めており、今後は例えば投資促進等の他の政策にクラスターという現場での活動に基づいた経験 が生かされることが期待される。 また、貿易産業省は産業クラスター・アプローチを今後も産業開発の有効な手段の一つとして 全国の他のクラスターへも広げる予定であるが、これまでの 24 の事例それぞれの発展プロセスを 分析し、より深い教訓を抽出することによって、今後の展開がより効果的になると思われる。ま た、それによってフィリピンでの経験が他国にも生かされる可能性が出てくるため、NICCEP で支 援された個々の事例を比較分析する更なる調査研究が望まれる。 <参考資料> Japan International Cooperation Agency (JICA)(2013) 「Overall Review of NICCEP Modules and Steps(フィリピン共和国全国産業クラスター能力向上プロジェクト成果品) 」 JICA(2015) 「フィリピン共和国全国産業クラスター能力向上プロジェクト事業完了報告書」 Joint Terminal Evaluation Team (2015) “Joint Terminal Evaluation Report on the National Industry Cluster Capacity Enhancement Project (NICCEP) in the Republic of the Philippines”. Ketel et al. (2006) “Cluster Initiatives in Developing and Transition Economies”, Center for Strategy and Competitiveness, Stockholm. National Industry Cluster Capacity Enhancement Project (NICCEP) (2012) 「National Cluster Bulletin (フィリピン産業クラスター新聞) (日本語版)Vol. II, No. 4 November-December 2012」 Porter, M. (1990) “Competitive Advantage of Nations”, Harvard Business Review March-April 1990. Porter, M. (1998) “Clusters and the New Economics of Competition”, Harvard Business Review November-December 1998. Solvell et al. (2003) “The Cluster Initiative Greenbook”, Stockholm. Sonobe, T. & Otsuka, K. (2011) “Cluster-based Industrial Development – A Comparative Study of Asia and Africa”, Palgrave Macmillan, New York. 朽木昭文(2007)「アジア産業クラスター論―フローチャート・アプローチの可能性」 、書籍 工房早山。 The Interprovincial differences in the endowment and utilization of labor force by 1 educational attainment In Indonesia Mitsuhiko Kataoka Department of Economics, Chiba Keizai University, Chiba, Japan m-kataoka@cku.ac.jp ABSTRACT The labour endowment and utilization across sub-national regions differ by educational attainment. Generally, the high-income developed regions are richly endowed with the highly educated that enjoys greater employment stability. On the other hand, those regions may also attract less educated who work in the urban informal sector. It is also assumed that the lower-income developing regions are richly endowed with the less educated that are engaged in the labour intensive primary sectors. We explore the interregional inequality in the employment with j educational attainment per capita (where j refers to education attainment) in Indonesia from 1988 to 2010, employing Cheng and Li’s (2006) inequality decomposition method and Shorrocks’ (1980) one-stage Theil decomposition analysis. We find that the interregional inequalities in the ratio of the labour force with j educational attainment to the total labour force (which is mainly determined by province-specific industrial structures, business functions, and education systems) are crucial in determining the overall inequality. Further, the one-stage Theil decomposition analysis shows that the recent increase in inequalities in the secondary education group’s employment rate between provinces, which could lead to increased interregional migration. If provinces with greater employment opportunities were to restrict labour immigration, interregional tensions would rise precipitously. Additionally, the secondary educated shows the lowest employability among the education groups. The recent expansion in Indonesia’s secondary education group could make this a crucial issue for the country. Keywords: Education, interprovincial allocation, Indonesia, inequality decomposition JEL classification code: R11, R12, R58 1 This study is supported by Grant-in-Aid for Scientific Research C (23530285) from the Japan Society of the Promotion of Science. 1. INTRODUCTION On account of its insular geography and size, with the world's fourth largest population; its extraordinary economic, demographic, cultural, and historical diversity; and its rich endowment of natural resources, Indonesia faces an uneven resource distribution across subnational regions. This can be found in the Java-Bali region, which constitutes less than 10% of Indonesia’s total land area but accounts for almost two-thirds of its economic activity (Hill 2000). Accordingly, interregional distribution of production factors has received a great deal of attention in theoretical discussion and empirical studies. Recently, Kataoka (2013) examined the distribution trends of two production factors and found inefficiency in capital distribution and efficiency in labour force distribution across provinces in the pre- and post-crisis era in Indonesia. Educated workers, which can be a proxy of human capital, is also one of major driving force of economic development. Generally, the high-income regions are richly endowed with the highly educated that enjoys greater employment stability. On the other hand, those regions may attract less educated who work in the urban informal sector. It is also assumed that the lower-income developing regions are richly endowed with the less educated that are engaged in the labour intensive primary sectors. Several empirical studies examine the role of human capital in income growth, poverty reduction, and income/expenditure inequality at the sub-national level in Indonesia. For instance, Garcia and Soelistianingsih’s (1998) seminal work explored the role of human capital in Indonesia’s provincial economies. Using the working-age population with a secondary education and the number of students per teacher as proxies, as well as Barro’s (1998) pooling analysis, they found that investment in human capital is the most effective means of increasing provincial income and reducing interprovincial per capita GDP inequality. Balisacan et al. (2003) employed three years (1993, 1996, and 1999) worth of panel data on 285 districts from the National Socioeconomic Survey (SUSENAS) to explore the key determinants of welfare for Indonesia’s poor. They regressed income growth, educational attainment, access to non-agricultural trade, public infrastructure, educational opportunity, financial services, and electricity and telecommunication services against the mean household expenditure of each income quintile group and used adult literacy, years of schooling, and distance to a secondary school as proxies for human capital. They concluded that human capital significantly improved the poor’s welfare. Vidyattama (2010) employed a generalized method of moments (GMM) dynamic panel model and a panel dataset on 26 contiguous Indonesian provinces for the 1985–2005 period in order to explore the determinants of per capita GDP growth. Because of data constraints, he utilized several potential growth determinants, including investment, population growth, human capital, trade openness, government spending, financial institutions, and economic structure. He found that the working-age population’s average years of schooling (a proxy variable for human capital) had a positive, though not statistically significant, effect on the provincial per capita GDP. He argued that the weak significance stemmed from the diminishing returns to human capital (due 2 to the massive increase in the supply of graduates) and the absence of its effect on economic growth in several specific provinces. Several inequality decomposition studies, such as Akita and Miyata (2008) and Hayashi et al. (2014), examine the effects of the household head’s educational attainment on expenditure inequality with data from the SUSENAS. Akita and Miyata (2008) classified households based on their residential location (urban or rural) and then by their education level (having or having not attained a secondary education). By employing a two-stage nested Theil inequality decomposition methodology, they found that the urban sector’s higher education group had an increasingly influential impact on overall expenditure inequality. They associated this effect with the educational expansion and urbanization that occurred in 1996, 1999, and 2002. Hayashi et al. (2014) examined the role of education in urban–rural inequality for the years of 2008 and 2010 by using both the two-stage nested Theil inequality decomposition and regression-based Blinder–Oaxaca decomposition techniques. They divided the households into five education groups: no primary, primary, junior secondary, senior secondary, and tertiary education. Both decomposition methods confirmed that education had a significant effect on expenditure inequality. In the Theil decomposition, the expenditure inequalities within the senior secondary and tertiary education groups significantly affected those in urban areas while those within the lower education groups affected those in rural areas. In the Blinder–Oaxaca decomposition technique, differences in educational endowments appeared to have been a key determinant of urban–rural disparities. A number of studies describe the distributions of the variables relevant to education across provinces (Hill 2000; Hill and Wie 2012; Suharti 2013; Islam and Chowdhury 2009). Hill (2000) summarized the differences in school enrolment per capita by province and education level. Since 1970, primary education has spread rapidly across all of Indonesia so that by the early 1990s, no province was significantly lagging behind. In 1990, owing to larger youth populations and a catchup effect from earlier neglect, several off-Java provinces showed higher enrolment rates than those on Java. In the 1980s, the emphasis shifted to secondary education, and as such, enrolment rates among teenagers grew at a faster rate than those among the primary-age group. In 1990, the interregional distribution of tertiary enrolment seemed more uneven than primary or secondary enrolment; Jakarta, Yogyakarta, and major off-Java regional centres, such as North Sumatra and South Sulawesi, showed higher enrolment rates in tertiary education. Hill and Wie (2012) noted that, in line with the country’s commitment to achieve universal education (and several other factors), tertiary education began to grow very rapidly during the 1980s. At the time, Indonesia was transforming itself into a lower-middle income, developing nation, wherein the demand for higher education would become highly income-elastic, thereby requiring more formally qualified professionals and a skilled workforce. Suharti (2013) comprehensively described the recent trend in Indonesia’s education and the driving forces to spread primary and secondary education across sub-national regions. The rapid spread of primary education began with the started from Presidential Primary School (Inpres 3 Sekloah Dasar, Inpres SD) Program, which aims at building primary school in every village and then large numbers of primary schools were built under the program in 1973. In 1984, the government made it compulsory to attend school for six years and extended this to nine years in 1994. Other educational indicators remain uneven across provinces, though. In 2010, the average years of schooling ranged from 6.7 in Papua to 10.9 in Jakarta, and adult illiteracy rates ranged from 0.7% in North Sulawesi to 31.2% in Papua. Considering the aforementioned studies, few studies have empirically explored the difference in labour endowment and utilization across sub-national regions by educational attainment. This study explores the interregional inequalities in employment with j educational attainment per capita (where j refers to education attainment) as well as the factors that contribute to these inequalities in Indonesia from 1988 to 2010, employing Cheng and Li’s (2006) inequality decomposition method and extensively qualify the new interpretations. Further, we explore the factors that contribute to the interregional inequality in employment rate, employing Shorrocks’ (1980) one-stage Theil decomposition analysis. In this study, we define highly (less) educated persons as persons with (without) secondary education attainment. The remainder of this paper is organized as follows: First, we describe the method and data used in this study. Next, we describe the empirical results, and finally, we present our conclusions. 2. METHOD AND DATA 2.1 Method Our study employs two additive inequality decomposition methods to determine the Theil 2 second measure (i.e., the Theil L index) . One method was developed by Cheng and Li (2006) and shows the additive inequality decomposition method by using causal factors when the decomposition variable is expressed with multiplicative components. Their technique, which 3 improved upon that of Duro and Esteban (1998), presents the additive interpretive inequality decomposition in per capita income, consisting of Theil second measures in productivity and labour participation rates and their interaction terms. Since highly educated employment per capita is obtained by multiplying the labour force per capita, ratio of the highly educated labour force to the total labour force and the highly educated employment rate in the region, we can apply Cheng and Li’s (2006) method to inequality decomposition in employment with j education attainment per capita and extensively presents new interpretations. The other method was derived by Shorrocks (1980) and presents the contribution of inequality within and between subgroups to the overall inequality, which is measured by the Theil population-weighted index. 2 The Theil second measure belongs to the generalized entropy class of inequality measures, and as such, features a number of desirable properties, including anonymity, mean independence, population independence, the Pigou–Dalton principle of transfers, and decomposability (Anand 1983; Fields 2001). 3 The inequality decomposition terms in Duro and Esteban (1998) can take positive or negative values, although a strict Theil index maintains a non-negative value for its property. It is difficult to interpret the role of the negative values, which indicates that the inequality of the corresponding factor negatively affects the inequality. 4 2.2 Multiplicative decompositions of employment with educational attainment per capita divided into four factor components Let Pi , Li , and Ei represent the population, labour force, and employment in region i, respectively. Furthermore, let the nation in question have a total of m regions. We divide the labour force and employment variables into n groups based on educational attainment; as such, Lij and Eij represent labour and employment with j educational attainment in region i. The employment with j educational attainment per capita in region i, xij = Eij Pi , can then be multiplicatively expressed as xij = li ⋅ lij ⋅ eij (i = 1L m, j = 1L n,) , (1) where li = Li Pi is the labour force per capita (labour force participation rate) in region i, lij = Lij Li is the ratio of the labour force with j educational attainment to the total labour force in region i, and eij = Eij Lij is the employment rate among those with j educational attainment in region i. When the subscript i is omitted, the aforementioned variables represent the corresponding national values; therefore, for the nation as a whole, Equation (1) can be expressed as xj = l ⋅lj ⋅ej ( j = 1L n ) , (2) The provincial mean of the variables in Equation (1) are expressed as µ x j , µl , is, µl , and µ e , that j j µ e = (1 n )∑i =1 eij . m j 2.3 Decomposition of inequality in employment with j educational attainment per capita by different factors Interprovincial inequality in employment with j educational attainment per capita, as measured by the Theil second measures, T ( ) T µxj = 1 m m∑ i =1 ( ln µ x j xij (µ ), is given by xj ) (T (µ ) ≥ 0, for all j ) 4 xj 4 Equation (3) disregards the size of the population, as the divergence is not weighted by its provincial share. 5 (3) Decomposing the numerator and denominator inside the natural logarithm and multiplying them by (µ ⋅ µ l j ( ) T µxj = 1 where µ le j = 1 m (µ lj ) µl ⋅ µle yields le j µ m ln m∑ l i =1 ⋅ i µle j ⋅ µx j lij ⋅ eij µl ⋅ µle j µxj = T (µ ) + T µ + ln l le j µl ⋅ µle j ( ) (4) ( ) ∑ (l ⋅ eij ) . Similarly, by manipulating the term T µle j in Equation (4) with m i =1 l ij ) ⋅ µ e j µl j ⋅ µ e j , we obtain ( ) T µ le j = 1 µle j ln ∑ n i =1 l ⋅ e it ijt n n µ µ µ = 1 ∑ ln l j ⋅ e j ⋅ le j m i =1 l e µ ⋅µ ijt lj ej it µ = T µ + T µ + ln le j lj ej µl ⋅µ e j j ( ) ( ) (5) By substituting Equation (5) into Equation (4), we can rewrite Equation (4) as µx j T µ x j = T (µl ) + T µ l j + T µ e j + ln µl ⋅ µle j ( ) ( ) ( ) µle j + ln µl ⋅ µ e j j ( ) Now, we may express the covariance of li and lij ⋅ eij (denoted as ( σ (l , l ⋅e ) = (1 m )∑i =1 (li − µl ) lij ⋅ eij − µle m j j ( j ) = (1 m )∑i =1 li ⋅ lij ⋅ eij − li ⋅ µle j − µl ⋅ lij ⋅ eij + µl ⋅ µ le j m (6) σ (l , l ⋅e ) ) as follows: j j ) (7) = µ x j − µ l ⋅ µle j If we divide all of the terms in Equation (7) by µx = j µl ⋅ µle j (µ ⋅ µ ) , we get l σ (l , le ) +1 µl ⋅ µle j (8) j Similarly, the covariance of lij and eij (denoted as σ (l ( )( σ (l = j µl ⋅ µ e j ) ) can be expressed as ) Then, by dividing all of the terms in Equation (9) by µle j ,ej ) = (1 m )∑i =1 lij − µ l j eij − µ e j = µle j − µl j ⋅ µ e j m j ,ej le j j σ (l j,ej ) µl ⋅ µ e j (µ lj (9) ) ⋅ µ e j , we obtain +1 (10) j Then, we may substitute Equations (8) and (10) into Equation (6) in order to finally obtain 6 ( ) ( ) ( ) T µ x j = T (µl ) + T µ l j + T µ e j + cov(l , l j ⋅ e j ) + cov(l j , e j ) ( ( ) ) ( µl ⋅ µle + 1 and cov(l j , e j ) = ln σ (l where cov l , l j ⋅ e j = ln σ (l , l j ⋅e j ) j (11) j ,ej ) ) µl j ⋅ µ e j + 1 . Equation (11) shows that the interregional inequality in employment with j educational attainment per capita is the sum of three inequality terms and two interactions terms. The first 5 three terms are strict Theil second measures and take on non-negative values . Each inequality is governed by different forces: The first term depends on regional demographic patterns, the level of economic development, and the existence of unemployment benefits. The second depends on regional industrial structures, business functions, and education systems. The third depends on regional shocks and labour market efficiency. In other words, the first two terms may be regarded as interregional inequalities in endowments for the entire labour force and the labour force with j educational attainment, while the third term may be regarded as the interregional inequality in labour market efficiency/utilization for the j educated group. The last two interaction terms take on positive (negative) values when the component variables are positively (negatively) correlated. They are equal to zero when the component variables are totally uncorrelated. It should be noted that the last two terms never take on undefined values: as all of the mean variables on the left-hand side of Equations (8) and (10) are positive, so too are the terms within the natural logarithms. 2.4 One-stage Theil decomposition of the employment rate by educational attainment As stated above, labour and employment are divided into n education groups, which are classified into m mutually exclusive and collectively exhaustive provinces in accordance with working location. n The relationships can be expressed as n m L = ∑ j =1 ∑i =1 Lij and m E = ∑ j =1 ∑i =1 Eij . Based on the aforementioned structure, overall inequality in employment rates can be measured by the following Theil second measure: (Anand 1983; Fields 2001) T ( x ) = ∑ j =1 ∑i =1 (Lij L )ln (e eij ) n m (12) Equation (12) can be additively decomposed into between-group inequality and within-group inequality as follows (Shorrocks 1980): 5 It should be noted that the Theil index provides a measure of the divergence between two provincial shares, and that the difference between the Theil first and second measures is the weight of the divergences. The divergence is weighed by the numerator of the variable inside the natural logarithm. For example, the strict Theil second measure of the employment rate among those with j ( ) ∑ (1 n )⋅ ln(µ educational attainment is essentially expressed as T e j = (µ ej ) ( ( eij = (1 n ) Eij ∑ m j =1 )) Eij . 7 m i =1 ej ) eij , where TBW ( x ) = ∑ j =1 (Lij L )ln (e e jt ) + ∑ j =1 (Lijt L )⋅ Tw j n n = TB + TW where TW j = ∑ (L m i =1 ij L j )ln (e j eij ). This term is the Theil second measure index for the within- group inequality, which is a weighted average of the between-province inequalities in employment rates for each education group. 2.5 Data The data used in this study consists of annual observations of 26 contiguous Indonesian provinces’ populations, labour forces, and employment figures from 1988 to 2010. The population data are from the Population Census (BPS various years b) and the Intercensal Population Survey (BPS various years c). The data on the provincial labour forces and employment are from Labour 6 Force Situation in Indonesia (BPS various years d). In the labour force statistics, labour and employment are divided into 10 subgroups based on educational attainment. The present study aggregates these into five groups in order to conduct a decomposition analysis: (1) no primary (no schooling or incomplete primary education); (2) primary; (3) junior secondary; (4) senior secondary; and (5) tertiary education. BPS redefined labour force and employment status twice during our study period. Currently, the labour force is defined as persons aged 15 and above, while before 1994, it was those aged 10 years and above. This change affected all of the provincial labour force statistics recoded from 1998 onward. In 2001, unemployment status was redefined to include those who were not working and had given up actively searching for a job, whereas previously, it had only included those who were seeking employment. This change served to increase the unemployment rate such that in 2007, the reported rate was 9.8% as compared to what would have only been about 6% under the earlier definition (Islam and Chowdhury, 2010). However, no retroactive adjustment of past relevant data (by province and education attainment) has been officially made thus far. Besides, our time series analysis presents the periodical change in the disparities from the provincial average, not change in the absolute values of the relevant variables. Given constraints, we use the published data with no adjustment in labour force and employment variables in conducting our analysis. It should also be noted that after the economic crisis of 1998, political reforms led to the creation of seven new provinces and that the province of East Timor gained independence. Consequently, the number of provinces changed from 27 to 33. However, as of yet, no effort has been made to adjust the historical data in order account for these changes. As such, we study only 26 provinces and aggregate the data from the new and existing provinces for each year. 6 There are several missing values in the labour force and employment by province and by educational attainment in 1993, 1995, 2000, and 2001. Our analysis excludes the aforementioned years. 8 (16) 3. EMPIRICAL RESULTS Table 1 shows the national population, labour force and employment values by educational attainment. Over the past two decades, Indonesia has experienced a massive increase and significant changes in its labour force. Owing to the size of the youth population and the increase in the labour force participation rate, the labour force grew by 2.1% annually, which is significantly faster than the annual population growth rate (1.5%). It should be noted that the growth rates of the different education groups varied widely (annual growth rate: Group 1, -1.5%; Group 2, 1.1%; Group 3, 5.6%; Group 4, 6.2%; and Group 5, 9.8%). The pronounced changes in the education demographics could have been driven by a wide variety of factors, including deagrarianization, urbanization, the size of the youth population, and ambitious universal primary education policies. For instance, between 1988 and 2010, the agriculture sector, which generally provides the largest source of employment for the less 7 educated (i.e., those with either no primary or only primary education) went from employing 55.9% of Indonesia’s entire labour force to employing only 38.3%, while at the same time, the less educated went from representing 80% of the labour force to only 48%. Additionally, while efforts were made to expand the education system, the labour force with junior secondary or higher education increased from 20.6% in 1988 to 51.3% in 2010, whereas the tertiary educated labour force octupled. Most of the employment figures displayed similar trends to those seen in the labour force data, with a few exceptions. Total employment increased by 1.9% annually from 1988 to 2010, which was below the labour force growth rate; this indicates that the labour market became less efficient over this period; although, the change in the definition of unemployment would have affected this figure as well. The employment rates among the different education groups (presented in Table 2) do not support the hypothesis that highly educated labour enjoys greater employment stability. For example, the employment rates among those with no primary and primary education were 99.5% and 98.6% in 1988, respectively, which both exceed the group average of 97.2%. This is most likely because the absence of a universal social security system made it so that the less educated could not afford to remain unemployed. The secondary education group, on the other hand, maintained relatively lower employment rates than the other groups, which suggests that the secondary education system is not aligned with the needs of the labour market. Those with a secondary education are not equipped with the competencies required for employment owing to a mismatch of skills. 3.1 Inequality decomposition of the education groups’ employment by different factors Figures 1 through 5 present the inequality decompositions of the education groups’ employment by a number of factors (which were calculated using Equation (11)). First, it should be noted that T (µ ) appears to be a significant factor in determining the lj 7 In 2010, about 65.1% of the less educated labour force belonged to the agriculture sector. (BPS various years d). 9 overall inequalities, T (µ ), which are fairly uniform across the education groups. This finding xj meets our expectation as T (µ ) is mainly determined by province-specific industrial structures, lj business functions, and education systems. Additionally, the industrial structures and business functions seem to vary more widely from province to province than the other characteristics, such as demographic structures and labour market efficiency, do. Second, comparing the values of T (µ ) for the different education groups reveals that the lj ratios of labour force with no primary (ranging between 0.047 and 0.140) and tertiary education attainment (ranging between 0.040 and 0.166) to the total labour force are more uneven than those with other education levels. This may be because less educated workers are more often employed in the labour intensive agriculture sector, which has a greater presence in less developed provinces, while highly educated workers are more attracted to the value-adding manufacturing and service sectors, which are more common in developed provinces. ( ) T µ l j in Figures 1 and 2 (which refer to the less educated labour groups) take on inverted U-shapes, indicating that interregional inequality was initially divergent but became convergent as the years passed. Conversely, Figures 3–5 (which refer to the more highly educated labour groups) present T (µ ) for as downward sloping, which would indicate that highly educated labour force lj spread over the study period. The association between educational expansion and economic development should initially decrease (increase) the less (more highly) educated labour groups because they tend to have more (less) difficulties finding employment in developed provinces where the work tends to be better suited to a more skilled labour force. Later, as less developed provinces catch-up, the size of the less educated labour force should shrink, thereby reducing the disparity. This line of reasoning fits with our observations of the less educated labour force, but not the more highly educated group. Fourth, we observe that T (µ )takes on small values, displays cyclical fluctuations, and has ej very little influence on the overall inequality for each education group. However, the interprovincial differences in labour market efficiencies tend to be greater for the highly educated groups than the less educated; for example, the annual arithmetic mean values of T (µ ) are ej 0.0002 for Group 1, 0.0002 for Group 2, 0.0005 for Group 3, 0.0008 for Group 4, and 0.0009 for Group 5. This is simply because there is no universal social security system, so there is no province in which the less educated can afford to remain unemployed. We examine this finding in greater detail in the next sub-section. ( ) Finally, the interaction terms cov l j , e j take on positive (negative) values for lower 10 (higher) education groups; though, these values are small and fluctuate cyclically. For instance, the annual arithmetic mean values for Groups 1 through 5 are 0.0026, 0.0006, -0.0004, -0.0034, and 0.0016, respectively. The less educated groups’ interaction terms take on positive values for almost all of the years in which there was greater employability in the larger markets for less educated labour. Additionally, the highly educated groups’ interaction terms take on negative values for the years in which the larger markets for higher educated labour had less employability. 3.2 One-stage Theil decomposition of the employment rate by educational attainment Table 3 shows the results of the one-stage Theil decomposition analysis of the inequality in employment rates for five selected years. The overall inequality increased from 0.0012 in 1988 to 0.0027 in 2005 before decreasing to 0.0011 in 2010. Decomposition of the overall inequality reveals that the disparities between the education groups’ employment rates (TB) played a crucial role in determining the overall inequality; however, their influence declined over the years. The contribution share of the between-group inequality (TB) decreased from 86.4% in 1988 to 67.2% in 2010 (though it briefly increased to 88.4% in 1994). Aside from a temporary decrease in 1994, the contribution of within-group inequality increased consistently throughout the study period. Decomposition of the within-group inequality (TW) reveals that its growth stems from the increase in the junior and senior secondary education groups, whose contributions increased from 3.8% and 6.9% in 1988 to 6.8% and 11.9% in 2010, respectively. Comparing the two multiplicative components of each group’s (TWj), which are the interregional inequalities in their employment rates and labour force shares, we find the former is greater for the junior and senior secondary education groups. In fact, in 2010, the inequality values for Groups 1 through 5 were 0.0004, 0.0005, 0.0015, 0.0010, and 0.0005. Comparing the two components over the years reveals that both secondary education groups’ shares to total labour force gradually increased (for junior and senior secondary 9% and 10% in 1988 to 20% and 24% in 2010), while their inequality values were relatively stable (0.0005 and 0.0008 in 1988; 0.0007 and 0.0004 in 2010). In short, the junior and senior secondary education attainment, which increased their shares, shows the greater presence in the interregional imbalance of employment than those with other education attainment do. Generally, higher interregional variations in the employment opportunities could lead to increased interregional migration. Then, if provinces with greater employment opportunities were to restrict labour immigration, interregional tensions would rise precipitously. The recent expansion in Indonesia’s secondary education group could make this a crucial issue for the country. 4. CONCLUSION We explore the interregional inequalities in employment with j educational attainment per capita as well as the factors that contribute to these inequalities in Indonesia from 1988 to 2010, employing Cheng and Li’s (2006) inequality decomposition method. Further, we explore the 11 factors that contribute to the interregional inequality in employment rate, employing Shorrocks’ (1980) one-stage Theil decomposition analysis. One of our major findings is that the interregional inequalities in the ratio of the labour force with j educational attainment to the total labour force (which is mainly determined by provincespecific industrial structures, business functions, and education systems) are crucial in determining the overall inequality. These observations are fairly uniform across the educational groups; however, the periodical trends differ by groups. The highly educated labour force became more even across the provinces over time whereas the less educated initially became more uneven and then more even across the provinces. The association between educational expansion and economic development should initially decrease (increase) the less (more highly) educated labour groups because they tend to have more (less) difficulties in finding employment in developed provinces where the work tends to be better suited to a more skilled labour force. Later, as less developed provinces catch-up, the size of the less educated labour force should shrink, thereby reducing the disparity. This line of reasoning fits with our observations of the less educated labour force, but not the more highly educated group. Another major finding is the higher interregional variations in the employment rate among those with the secondary education attainment. Higher interregional variations in the employment rate could lead to increased interregional migration. Then, if provinces with greater employment opportunities were to restrict labour immigration, interregional tensions would rise precipitously. Additionally, the secondary educated shows the lowest employability among the education groups. The rapid expansion in the secondary education group could lead this to become a major issue in Indonesia. Consequently, policies intent on improving the quality of secondary education must be implemented. There are several potential extensions of our work. Firstly, it may be beneficial to conduct an inequality decomposition study with micro-level data. The National Labour Force Survey (Sakernas) provides data on 200,000 households with information on employment, educational attainment, industries, occupations, and total wages/salaries per month at the regency/municipality level. An empirical study exploring the factors that contribute to the more highly educated population’s wage inequity could contribute to further discussions and understanding of policy implications. Secondly, an empirical study focusing on the different impacts of human capital composition on provincial economies at different levels of development would be of great use and interest. Wei et al. (2011) empirically confirmed that in the post-reform period in China, the regional impacts of human capital differed based on the level of schooling: productivity growth in the eastern region of China was predominantly influenced by secondary education, the central region was affected by primary and university education, and the western region was influenced by primary education. Given Indonesia’s extraordinary diversity in economic structures, an empirical study examining whether the educational qualification required for economic growth varies by province would provide interesting policy implications. 12 REFERENCES Akita, T. and Miyata, S. (2008) ‘Urbanization, educational expansion, and expenditures inequality in Indonesia in 1996, 1999, and 2002’, Journal of Asia Pacific Economy 13 (3): 147–67. Balisacan, A.M., Pernia, E.M., and Asra, A. (2003) ‘Revisiting growth and poverty reduction in Indonesia: what do subnational data show?’, Bulletin of Indonesian Economic Studies 39 (3): 329–51. Barro, R.J. (1998) Determinants of Economic Growth: A Cross-Country Empirical Study, The MIT Press, Cambridge. Becker, G.S. (1964) Human Capital: A Theoretical and Empirical Analysis, Columbia University Press for the National Bureau of Economic Analysis, New York. BPS (Badan Pusat Statistik, Central Bureau of Statistics) (various years a) ‘Gross Regional Domestic Product of Provinces in Indonesia by Industry’, Jakarta. BPS (various years b) ‘Population Census’, Jakarta. BPS (various years c) ‘Intercensal Population Survey’, Jakarta. BPS (various years d) ‘Labor Force Situation in Indonesia’, Jakarta. Cheng, Y.-S. and S.-K. Li. (2006) ‘Income inequality and efficiency: A decomposition approach and applications to China’, Economics Letters 91 (1): 8–14. Duro, J.A. and Esteban, J. (1998) ‘Factor decomposition of cross-country income inequality, 1960– 1990’, Economics Letters 60 (3): 269–75. Duro, J.A. (2003) ‘Factor decomposition of spatial income inequality: a revision’, Working Papers wpdea0302, Department of Applied Economics at Universitat Autonoma of Barcelona. Fields, G. S. (2001) Distribution and Development. MIT Press, Cambridge, MA. Garcia, J.G. and Soelistianingsih, L. (1998) ‘Why do differences in provincial incomes persist in Indonesia?’, Bulletin of Indonesian Economic Studies 34 (1): 95–120. Hayashi, M., Katoka, M., and Akita, T. (2014) ‘Expenditure inequality in Indonesia, 2008-2010: A spatial decomposition analysis and the role of education’, Asian Economic Journal 28 (4): 389–411. Hill, H. (2000) The Indonesian Economy, Cambridge University Press, Cambridge, MA. Hill, H. and Wie, T.K. (2012) ‘Indonesian universities in transition: Catching up and opening up’, Bulletin of Indonesian Economic Studies 48 (2): 229–51. Islam, I. and Chowdhury, A. (2009) Growth, Employment and Poverty Reduction in Indonesia, International Labor Office (ILO), Geneva. Kataoka, Mitsuhiko. 2013. ‘Capital Stock Estimates by Province and Interprovincial Distribution in Indonesia.’ Asian Economic Journal 27(4): 409–28. Le, T., Gibson, J., and Oxley, L. (2003) ‘Cost and income-based measures of human capital’, Journal of Economic Surveys 17 (3): 271–307. Shorrocks, A.F. (1980) ‘The class of additively decomposable inequality measures’, Econometrica, 48 (3): 613–25. Suharti (2013) ‘Trends in Education Indonesia’, in Suryadarma, D. and Jones, G.W. (eds) Education 13 in Indonesia. Singapore: ISEAS. Vidyattama, Y.A. (2010) ‘Search for Indonesia’s regional growth determinants’, ASEAN Economic Bulletin 27 (3): 281–94. Wei, Z. and Hao, R. (2011) ‘The role of human capital in China’s total factor productivity growth: A cross-province analysis’, The Developing Economies 49(1): 1–35. Table 1 Population, labour force and employment by educational attainment 1988 1994 Total 1999 2005 2010 Annual Growth (%) 88–10 218.7 105.9 94.0 237.6 116.5 108.2 1.5 2.1 1.9 16.0 36.6 21.0 20.7 5.6 20.6 28.1 19.1 24.1 8.1 88–10 –1.5 1.1 5.6 6.2 9.8 17.1 38.3 20.4 18.7 5.5 21.4 28.9 19.1 22.9 7.6 88–10 –1.6 1.0 5.5 6.4 9.7 Million Population Labour force Employment 171.3 74.3 72.2 185.7 85.4 81.7 Labour force by education 1: No primary 2: Primary 3: Junior secondary 4: Senior secondary 5: Tertiary Share (%) 44.7 34.6 9.0 10.0 1.6 33.8 36.8 11.7 14.8 2.9 Employment by education 1: No primary 2: Primary 3: Junior secondary 4: Senior secondary 5: Tertiary 198.4 94.8 88.8 25.0 36.0 15.3 19.1 4.6 Share (%) 45.7 35.1 8.8 8.8 1.5 35.1 37.6 11.4 13.2 2.7 26.4 37.1 15.1 17.2 4.3 Sources: Population Census, Intercensal Population Survey, Labour Force Situation in Indonesia (BPS, various years b, c, and d) Table 2 Employment rate by educational attainment (%) 1988 1994 1999 Overall Employment rate 97.2 95.6 93.6 1: No primary 99.5 99.2 98.8 2: Primary 98.6 97.6 96.6 3: Junior secondary 95.0 93.7 92.0 4: Senior secondary 85.6 85.7 84.1 5: Tertiary 90.1 87.7 87.3 Source: Labour Force Situation in Indonesia (BPS, various years d) 14 2005 88.8 94.5 93.0 85.9 80.1 88.1 2010 92.9 96.8 95.7 92.5 88.1 87.8 Figures 1–5 Decomposition of inequality in employment with j educational attainment per capita by different factors Figure 1: No primary T(µx1) T(µl) Theil Figure 2: Primary T(µe1) Cov(l1, le1) T(µl1) Cov(l1, e1) 0.18 0.16 0.14 0.12 0.10 0.08 0.06 0.04 0.02 0.00 88 90 92 96 98 02 04 06 08 10 (Year) Figure 3: Junior secondary Figure 4: Senior Secondary Figure 5: Tertiary 15 Table 3 One-stage Theil decomposition analysis of the inequality in employment rates 1988 a b Inequality Share (%) 1994 c d = a xb % of Cont. Overall inequality a 100.0 B-Group (TB) 0.0012 0.0010 W-Group (TW) b 1999 c d a b c d Inequality Share (%) = a x b % of Cont. Inequality Share (%) = a x b % of Cont. 100.0 86.4 0.0015 0.0013 100.0 88.4 0.0023 0.0018 0.0002 13.6 0.0002 11.6 0.0005 22.4 77.6 No primary (TW1) 0.0000 44.7 0.0000 0.5 0.0000 33.8 0.0000 0.3 0.0001 25.0 0.0000 0.7 Primary (TW2) 0.0000 34.6 0.0000 1.2 0.0001 36.8 0.0000 1.8 0.0002 36.0 0.0001 2.9 Junior secondary (TW3) 0.0005 9.0 0.0000 3.8 0.0004 11.7 0.0000 2.8 0.0010 15.3 0.0001 6.6 Senior secondary (TW4) 0.0008 10.0 0.0001 6.9 0.0005 14.8 0.0001 5.1 0.0013 19.1 0.0002 10.6 Tertiary (TW5) 0.0009 1.6 0.0000 1.2 0.0008 2.9 0.0000 1.5 0.0007 4.6 0.0000 1.5 2005 a b Inequality Share (%) Overall inequality 2010 c d a = a xb % of Cont. 100.0 B-Group (TB) 0.0027 0.0019 W-Group (TW) b c d Inequality Share (%) = a x b % of Cont. 100.0 69.9 0.0011 0.0008 0.0008 30.1 0.0004 32.8 67.2 No primary (TW1) 0.0004 16.0 0.0001 2.5 0.0002 20.6 0.0000 3.7 Primary (TW2) 0.0005 36.6 0.0002 7.3 0.0003 28.1 0.0001 6.8 Junior secondary (TW3) 0.0015 21.0 0.0003 11.9 0.0007 19.1 0.0001 11.9 Senior secondary (TW4) 0.0010 20.7 0.0002 7.4 0.0004 24.1 0.0001 7.7 Tertiary (TW5) 0.0005 5.6 0.0000 1.0 0.0004 8.1 0.0000 2.7 16 1 Princeling’s Privilege: Intergenerational Effect of Political Influence1 By Menghan Shen* Columbia University ms4150@tc.columbia.edu This paper examines the effect of father’s political influence on offspring’s income. Political influence refers to the ability to convert political power into economic benefits. The identification strategy isolates the effect of political influence by exploiting an age-based mandatory retirement rule in China. After retirement, the male bureaucrat is no longer in a position to exert political influence. Using difference-in-difference that controls for other trend changes, this retirement rule provides me an exogenous variation in political influence that are not correlated with changes in other parental characteristics. The estimate suggests that the retirement of a bureaucrat translates into a decrease in one’s income of 13 percent. Keywords: Political Influence, Intergenerational Mobility, China JEL Classification: E24, J62, J31, O15, P36, Z13 1. Introduction There are many ways bureaucrats in developing countries like China can improve their offspring’s labor market outcome. For example, they can invest in offspring’s education or health (see Black, 2011; Almond & Currie, 2011 for literature review). They can provide better social connections to obtain job information or internal reference (Granovetter, 1983; Loury, 2006; Kramarz & Skans, 2006; Magruder, 2010). In addition, they can exert political influence to obtain better labor market outcome for the offspring. Political influence refers to the ability to directly or indirectly convert political power into economic benefits. In democratic countries, political power can be translated into economic advantage because bureaucrats can affect the allocation of resources through the designing of regulation (Stigler, 1971)2. In return, bureaucrats receive vote or resources if they provide regulations favors such as subsidy or tax benefits to the firms or sectors. In transitional economies like China, bureaucrats have almost absolute control over resources at the outset of a market transition, as “virtually all capital, real estate, and natural resources are initially under public ownership” (Walder 2003, pg 901). Because of this lingering legacy of command 1 Preliminary draft (May 2015); please do not cite without permission. * This paper benefited from the suggestions and comments by Douglas Almond, Peter Bergman, Judith-Scott Clayton, Wojciech Kopczuk, Henry Levin, Nishith Prakash, Jonah Rockoff, Hitoshi Shigeoka, Mun Tsang, and Miguel Urquiola. The content is solely the responsibility of the author. 2 Empirical studies range from democratic countries like the United States (Roberts, 1990) to semi-democratic country like Malaysia (Johnson&Mitton, 2003) to full dictatorship like the last Indonesia regime (Fisher, 2011) to cross country studies (Faccio, 2006; Agrawal & Knoeber, 2001) document that companies benefit from being politically connected. 2 economy, politicians can garner economic benefits through ability to acquire or sell state property through privatization. Thus, their offspring could also reap economic benefits directly through establishing their own companies or making strategic investment. For example, son of Yongkang Zhou, ex-member of China’s ruling Politburo Standing Committee, sold computer management systems to 8,000 China National Petroleum Corp. (C.N.P.C), which Zhou headed in 1990s. His family controls 37 companies valuing more than 1 billion yuan, with mostly ventures in energy related fields (Forsythe, Buckley, and Ansfield, 2014).3 In addition, because of the slow development of market-supporting institutions, private companies suffer from weak property protection, opaque information, and difficulties in obtaining bank loans (Nee, 1992; Zhou, 2009; McNaly, 2007; Steinfeld, 2004). To overcome these challenges and state discrimination, private firms actively seek close ties with the government (Fan et al., 2008; Feng et al., 2014; Fisman & Wang, 2013; Kung & Ma, 2011; Li et al., 2008; Xin & Pearce,1996; Zhou, 2009; Sun et al., 2010). In return, bureaucrats obtain benefits such as gifts or cash or other activities that hover on a legal borderline such as placing children on firms’ payrolls. The latter practice is illustrated in an internal email written by senior banker Fang Fang, where he mentioned that Gao Hucheng, then China’s vice minister of commerce, indicated that he would be “willing to go extra miles to help J.P Morgan in whatever way we think he can” if his son can keep his job at J.P. Morgan. This email is disclosed as a part of investigation into whether JPMorgan hired people so that their family members in government or state-owned enterprises can bring business to the firm (Levin, Glazer, and Mattews, 2015)4. The concept of political influence has been confounded with the concept of social connection. However, the mechanism at work for social network is fundamentally different from political influence. Social network stems from the inefficiency in the labor market. Parental social network can help offspring because firms believe high-ability contacts can refer high-ability workers (Montgomery, 1991). Hence, employers use employee referrals as a useful screening device. Theoretical prediction on the benefits of social network is on the extensive margin of obtaining a job. Political influence stems from political economic structure. It affects the extensive margin by helping offspring on the extensive margin of obtaining a job and on the intensive margin of income level. It is also important to differentiate these two parental characteristics because they lead to very different policy implication. To reduce intergenerational persistence, social network story suggests that the government can consider encouraging the spread of information of jobs; political influence story suggests the government needs to consider ways to curb political influence. In addition, political influence and social connection are often together being referred together as “guan-xi”, an umbrella term that refers to relationship in Chinese (Gold et al., 2004). In a very general sense, guanxi resembles social capital with the intention of converting it into economic or political 3 This information is disclosed by Chinese government as a part of anti-corruption campaign in China starting 2013 to the present (2015). 4 The Foreign Corrupt Practice Act, a 1977 federal law, effectively bars U.S. companies from giving anything of value to obtain business. In recent years, the U.S. Securities and Exchange Commission (SEC) and the Justice Department have deemed that a company acts with “corrupt” intent when it has the expectation of offering a job in exchange for government business. 3 capital through a web of familial obligation and sentiments, or through informal ties that are strategically maintained and mobilized for instrumental purposes (Bian, 2002; Walder, 1986; Wank, 1999; Yang, 1994;). People use guanxi to solicit employment information, to create application opportunities, and to influence screening process. Hence it has always been a persistent and significant factor in the allocation of jobs in urban China (Bian, 1994). However, in China, guanxi is by no means free and expected to be reciprocal. Instrumental network facilitate the exchange of favors. Such favors are generally materialized as money, goods, or services. Between bureaucrat and private firms, both parties need to give and gain something to maintain this relationship. Even information is not free (Ronas-tas, 1994). Hence in this sense, political influence can be seen as sub concept of “guan-xi” that plays instrumental network role and takes place in the form of patron-client relations (Walder, 1986). To isolate the effect of political influence from other confounding parental characteristics, I exploit a quasi-experiment in China. Male bureaucrats are required to retire at the age of 60. After retirement, the bureaucrat relinquishes his position and can no longer exert political influence. However, one continues to know the same set of friends and (former) colleagues. Hence, constant characteristics like existing social ties should not change after retirement. Thus, this retirement rule provides me an exogenous variation in political influence that is not correlated with changes in other parental characteristics. I compare bureaucrat offspring’s income before and after bureaucrat’s retirement. To control for trend changes, I use a difference-in-difference approach to compare income of the bureaucrat offspring with the income of non-bureaucrat offspring before and after the father's retirement. To deal with the endogeneity of non-random retirement, I instrument retirement status using the binding retirement policy rule. Using data from China Household Income Project Surveys (CHIPS), I estimate difference-in-difference models with nonparametric leads and lags for age to mandatory retirement. Graphical evidence suggests that before mandatory retirement, bureaucrat offspring earn more than non-bureaucratic offspring. After mandatory retirement, the difference in income is shrinking and become zero or even negative in later years. This sheds light on the time dynamics of the loss of political influence. Using regression, I find that the decrease in offspring’s income associated with the retirement of a bureaucrat father is around 13%. The loss of income is largely concentrated for offspring in the same industry with the father and offspring with father working in state dominated sectors. The identification assumption of the empirical strategy is that parental and offspring’s characteristics of bureaucrats and non-bureaucrats do not change differentially before and after the parental mandatory retirement. There are two possible challenges to my empirical strategy. First, I am using cross section data from China Household Income Project Surveys (CHIPS). To address concern about differential trend changes, I conduct a series of falsification tests and finds that there is no trend break for confounding variables after retirement. Second, the retirement of the bureaucratic father may lead to differential changes to the family that are not captured by demographic information and affect offspring’s income. While I cannot completely rule out competing hypothesis, I provide a discussion on possible threats and direction of impact. This paper sits at the nexus of intergenerational correlations literatures and individual benefits of 4 being a bureaucrat. Most closely related is Li et al. (2012), who find that having a bureaucrat parent is associated with 15% wage premium in the labor market in China. Another related study is done Jia & Lan (2014), who find that the offspring is more likely to become entrepreneurs and earn more from their business when their parents work in big government in China. I add to this literature by isolating the characteristics of political influence from other parental characteristics. Another closely related paper is Wang (2013) who has found that the death of father-in-law has reduced children's wage by 7% using individual fixed effect. She contributes the income decline to the loss of social network. My paper will complement her study to understand political influence as another key determinant of offspring’s job market outcome. Second, this paper contributes to the measuring of the premium of being a bureaucrat. Empirical literature on transitional economies has not reached a consensus on the size of the benefits of being a bureaucrat. OLS studies have found large premium (Li et al. 2012; Jia and Lan 2013; Morduch and Sicular 2000), while the family fixed effect suggests that personal gain in terms of individual income is much smaller (Giles et al. 2012; Li et al. 2007). More specifically, Giles et al. (2012) estimated the return of being a bureacrat by comparing family income before and after a family member becomes a bureaucrat in rural areas. However, they did not deal with the endogeneity of becoming a village cadre. Li et al. (2007) finds that the twin bureaucrat and the non-bureaucrat have similar income levels and thus concludes that bureaucrats do not benefit from being political affiliation. However, in the past few years, corruption investigations have uncovered many politicians who use extended ties to receive benefits for their sibling, offspring, and even distance families. Using family fixed effect may lead to downward bias. My results further suggest that it is important to consider the benefits of being a bureaucrat beyond one’s own income. The rest of this paper is organized as follows. Section 2 discusses quasi-experiment. Section 3 discusses data. Section 4 discusses econometric strategies. Section 5 presents results. Section 6 provides discussion. 2. Context and Quasi-Experiment I am examining the impact of political influence, hence I focus on people who have political influence within an organization. Li et al. (2013), Walder (2002), and Zhou (2000) define bureaucrat as those holding civil service positions in the government or bureaucratic positions in pseudo-government organizations, such as state- owned enterprises (SOE) and public organizations. I restrict my definition of bureaucrats to those who are directors or vice directors of a government or pseudo-government department. To estimate the return of having political influence, previous literature has regressed the dummy of having a bureaucratic parent on the offspring's total income. However, this approach could be upwardly biased in terms of other unobserved positive characteristics. I adopt quasi-experimental strategies that can exogenously vary the father’s political influence in relation to offspring's total income. I use retirement as a proxy to identify the time that the bureaucrat father loses his political influence. The idea of this empirical strategy is similar to studies that exploit the sudden death of a politician (Fisman, 2011) or family member (Wang, 2013). However, with death, the loss of social network and political influence takes place at the same time. The benefit of using 5 retirement to identify we can isolate the loss of social network from political influence because constant characteristics like existing social ties should not change after retirement. In addition, as the father has been in the workforce for more than 30 years, the marginal probability of making new and useful social contacts beyond his existing network is very small. 2.1 Time Trend Under the human capital framework, the child’s income is determined by his education, experience, social network, and other individual and family characteristics. These characteristics would not change because of the father’s retirement. However, since offspring of the retired bureaucrats are older than non-bureaucrats, it is important to control for time trend. Hence I compared income of the bureaucrat offspring with a non-bureaucrat offspring before and after the father’s retirement. This difference-in-difference approach will also help us control for time trend, experience trend, and other changes that are similar for bureaucrats’ offspring and non- bureaucrats’ offspring. 2.2 Retirement Rule The choice of retirement time could be endogenous to household wellbeing. I address this concern of endogeneity by taking advantage of the exogenously determined timing of retirement in the urban sector: male must retire at the month turning 60. Retirement policy is linked with social security. If one retires early without special approval from social security department, one would lose the entire package of social security and healthcare. Special approvals are only considered for people whose occupation is health damaging. Retiring beyond the mandatory age is not common in the government workforce either. First, the government has incentive to alleviate the problem of unemployment by asking government-related organizations to absorb new workforce. Second, given the seniority rules, bureaucrat near the retirement age receives higher pay. Hence employers do not have incentive to procrastinate the retirement of bureaucrat. Giving the relatively binding nature of the policy, I am able to use the mandatory retirement age as an instrument to retirement age. 2.3 Dynamics of the loss of political influence At the time of retirement, bureaucrat will step down from his positions and hence lose his political influence. Because of the age-based rule, one's retirement timing is publicly known in the external organizations with interests tied with the bureaucrat. For nominal or unimportant positions, the transition of work process may start even before retirement. For example, even with the same rank, one can be adjusted to a position of less importance. However, for the substantial position, one may work till the last month before conducting the transition of work process. In addition, as the head of an organization, to avoid a significant drop of political influence, one can strategically set up their network by appointing their followers in key positions before retirement. The reaction time of the external organization may also differ depending on the substantiality and sustainability of bureaucrat power. The external organizations may keep paying favor to the bureaucrat through the child's income after the retirement of the father depending on the reciprocal agreements, the timing and, the size of the previous business exchanges. To understand the dynamics of the loss of political influence, I trace out the time pattern of the retirement effect without putting structure on the pattern. This provides to insight on the how and 6 when the loss of political influence takes place. 3. Data & Summary Statistics 3.1 Survey Information I utilize survey data from the Chinese Household Income Project (CHIPS). The data were collected to measure and estimate the distribution of personal income and related economic factors in urban areas and rural areas in China. I analyze the data from urban areas and the waves of 1995, 1999, and 2002. In addition, I limit my sample of study to parents who ever worked fully time in governments or companies (including private companies). Hence my sample does not include parents who only worked as self-employed individuals or unemployed individuals. The survey collects income information of working individuals in the household. I link individuals by family ID. The survey does not have information on individuals who do not live in the same household. While many households live together, housing arrangements are not random. In Appendix Table 1, I compare the father characteristics for those that live with the offspring and those that do not live with the offspring. I found that those live with the offspring are slightly younger, work more, and less likely to be retired. Therefore, I could not externalize my claim about families who do not live together. In addition, my estimate will be biased if a bureaucrat father moves to live only with the low-performing offspring after retirement. I examine this problem by conducting falsification test in the next section. I find convincing evidence that the choice of co-living arrangements is not differential for bureaucrat father and non-bureaucrat father before and after retirement. In the survey, everyone was asked about their income from previous years. For the 1995 survey, adults were asked to report total income from 1990–1995; for the 1999 and 2002 surveys, adults are asked to report their total income from the previous five years. I included this information as cross-section data. I also analyzed the dataset with income information only from the year being surveyed. While the results are qualitatively similar, the latter approach gives more precision. Measurement errors stemming from underreporting of income has been a general concern for survey data in China. However, it will only cause a problem for my estimation if a bureaucrat’s child underreports income after the retirement of the father, which is unlikely. I construct the dummy of retirement by comparing the timing of the retirement and the timing of the survey. If the year–month pair of retirement is later than the year–month pair of the survey, I consider the individual as not retired. Surveys are conducted in the early spring of the next year so that one can have an accurate report of the total annual income of last year. Since it is measured as annual income, if the individual retired in the middle of the survey year, in my calculation, they are counted as retired. However, part of their income is actually earned before retirement of the father; therefore, I also calculated the results using a donut hole for difference-in-difference by excluding observations at the threshold (Barreca et al. 2011). I find that my results are robust to this potential measurement problem. 3.2 Summary Statistics The summary statistics are shown from appendix table 2 and table 3. Appendix tables 4 report summary statistics by bureaucrat and non-bureaucrat. On average, the annual incomes of bureaucrat children are higher. The unemployment rate is lower. Bureaucrats are more educated and more likely 7 to be members of the Communist Party; bureaucrat children are also more educated and more likely to be members of the Communist Party. While OLS can use demographic information as controls, the differences in observables caution us about possible omitted variable bias in unobservable. 4. Empirical Strategies 4.1 Regression Specification I compared income of the bureaucrat offspring with a non-bureaucrat offspring before and after the parent’s retirement. One would estimate the following specification if retirement is exogenous. (1) Yijk = 𝛼 + 𝛿𝑗 + 𝛾𝑘 + 𝛽1 ∗ 𝑟𝑒𝑡𝑖𝑟𝑒𝑚𝑒𝑛𝑡𝑖𝑗𝑘 ∗ 𝑏𝑢𝑟𝑎𝑢𝑐𝑟𝑎𝑡𝑖𝑗𝑘 + 𝛽2 ∗ 𝑏𝑢𝑟𝑒𝑎𝑢𝑐𝑟𝑎𝑡𝑖𝑗𝑘 + 𝛽3 ∗ 𝑟𝑒𝑡𝑖𝑟𝑒𝑚𝑒𝑛𝑡𝑖𝑗𝑘 + 𝑋𝑖𝑗𝑘 + 𝜖𝑖𝑗𝑘 where Yijk is the log of total income of an individual in province j year k; 𝛿𝑗 is a province fix effect; 𝛾𝑘 is a year fix effect; 𝑋𝑖𝑗𝑘 include a set of demographic controls including father’s marital status, party status, years of schooling; offspring’s age, gender, party status, years of schooling, and years of schooling to the square; 𝑟𝑒𝑡𝑖𝑟𝑒𝑚𝑒𝑛𝑡𝑖𝑗𝑘 is a dummy, and it is 0 if the father has retired and 1 if the father has not retired; 𝑏𝑢𝑟𝑎𝑢𝑐𝑟𝑎𝑡𝑖𝑗𝑘 is a dummy, and it is 0 if the father is a bureaucrat and 1 if the father is not a bureaucrat; 𝑟𝑒𝑡𝑖𝑟𝑒𝑚𝑒𝑛𝑡𝑖𝑗𝑘 ∗ 𝑏𝑢𝑟𝑎𝑢𝑐𝑟𝑎𝑡𝑖𝑗𝑘 is an interaction term of the dummy variable retirement and a dummy variable of being a bureaucrat; thus 𝛽1 measures the impact of being a retired bureaucrat on total income (I interpret this as the income premium associated political influence). I clustered the standard error on the individual. However, retirement may not necessarily be exogenous. Hence, we need to use retirement rule to instrument for retirement. More specifically, I combined the IV approach with difference-in-difference approach. My first stage is to examine whether the retirement rule is binding using the regression discontinuity method. If it is binding, then it lessens my concern for endogenous retirement. My identification strategy is similar to studies from the United States that use RD design to examine the effect of turning 65 as a cutoff (Card, Dobkin, and Maestas 2004, 2008, 2009; Chay, Kim, and Swaminathan 2011) or using age 70 as a cutoff (Shigeoka 2014), or methods of Zhao (2009) and Shen (2014).5 My basic estimation strategy is the standard RD model for the first stage as follows: (2) Yijk = 𝑓(𝛼) + 𝛿𝑗 + 𝜃𝑘 + 𝛽1 ∗ 𝑃𝑜𝑠𝑡𝑅𝑒𝑡𝑖𝑟𝑒𝑚𝑒𝑛𝑡𝑖𝑗𝑘 + 𝛾𝑋𝑖𝑗𝑘 + 𝜀𝑖𝑗𝑘 where for the outcome variable Yijk is a dummy variable that equals 1 if retired or 0 if not retired for individual i in province j and year k. 𝑓(𝛼) is a smooth function of father age that allows for a different slope at the right-hand side and right-hand side of the cutoff. I centered it around retirement age which is 60; 𝛿𝑗 is a dummy variable for province j, 𝜃𝑘 is a dummy variable for a dummy variable for year k; 𝑃𝑜𝑠𝑡60 is a dummy variable that takes the value 1 if father is over the age of retirement, 𝑋𝑖𝑗𝑘 is a set of individual covariates, and 𝜀𝑖𝑗𝑘 is an unobserved error component. My 5. This first stage in China has been exploited by Zhao et al. (2009), who used 2005 one percent population survey and the 2002 Chinese household Income Project Survey to explore the impact of retirement on self-reported health and mental outcome with a regression discontinuity design. Zhao et al. (2009) find that the rate of retirement raises from 65% to 78% within the three months one turning 60 for male using 2005 one percent survey data. In addition, Shen (2014) uses administrative social security data and examines the impact of retirement on health expenditure. She finds that within the month one turns 60, the rate of retirement increases from 10% to 48% for males. Both studies documented a sharp discontinuity of retirement induced by the policy. 8 parameter of interest here is 𝛽1 , which measures the compliance rate of the age-binding retirement. Figure 1 presents the first-stage graphs. The diamond dots represent the information for non-bureaucrats. The circle dots represent the information for bureaucrats. Table 1 presents first-stage regression results analog to results for Figure 1. It regresses the dummy of whether one passes the mandatory retirement age on the rate of retirement. Column 1 includes the entire sample. Column 2 are regression results for non-bureaucrats, and Column 3 are regression results for bureaucrats. Columns 1 to 3 include year and province dummy, respectively. Standard errors are clustered by age to allow for intra-age correlation in the error term. Both the graph and regression clearly show that reaching the mandatory retirement age results in a highly statistically significant jump in the percentage of retirement by 70% for the bureaucrats. [Insert Figure 1 Here] [Insert Figure 2 Here] [Insert Table 1 Here] After ensuring that the retirement rule is binding, I run the following specification that combines IV and difference in difference. (3) Yijk = 𝛼 + 𝛿𝑗 + 𝛾𝑘 + 𝛽1 ∗ 𝑟𝑒𝑡𝑖𝑟𝑒𝑚𝑒𝑛𝑡𝑖𝑗𝑘 ∗ 𝑏𝑢𝑟𝑎𝑢𝑐𝑟𝑎𝑡𝑖𝑗𝑘 + 𝛽2 ∗ 𝑏𝑢𝑟𝑒𝑎𝑢𝑐𝑟𝑎𝑡𝑖𝑗𝑘 + 𝛽3 ∗ 𝑟𝑒𝑡𝑖𝑟𝑒𝑚𝑒𝑛𝑡𝑖𝑗𝑘 + 𝑋𝑖𝑗𝑘 + 𝜖𝑖𝑗𝑘 Where everything else is the same except that 𝑟𝑒𝑡𝑖𝑟𝑒𝑚𝑒𝑛𝑡𝑖𝑗𝑘 is instrumented by𝑃𝑜𝑠𝑡𝑅𝑒𝑡𝑖𝑟𝑒𝑚𝑒𝑛𝑡𝑖𝑗𝑘 . In addition, 𝑟𝑒𝑡𝑖𝑟𝑒𝑚𝑒𝑛𝑡𝑖𝑗𝑘 ∗ 𝑏𝑢𝑟𝑎𝑢𝑐𝑟𝑎𝑡𝑖𝑗𝑘 is instrumented by an interaction term of r𝑒𝑡𝑖𝑟𝑒𝑚𝑒𝑛𝑡𝑖𝑗𝑘 ∗ 𝑃𝑜𝑠𝑡𝑅𝑒𝑡𝑖𝑟𝑒𝑚𝑒𝑛𝑡𝑖𝑗𝑘 . Lastly, I also run a reduced form estimation where (4) Yijk = 𝛼 + 𝛿𝑗 + 𝛾𝑘 + 𝛽1 ∗ 𝑃𝑜𝑠𝑡𝑅𝑒𝑡𝑖𝑟𝑒𝑚𝑒𝑛𝑡𝑖𝑗𝑘 ∗ 𝑏𝑢𝑟𝑎𝑢𝑐𝑟𝑎𝑡𝑖𝑗𝑘 + 𝛽2 ∗ 𝑏𝑢𝑟𝑒𝑎𝑢𝑐𝑟𝑎𝑡𝑖𝑗𝑘 + 𝛽3 ∗ 𝑃𝑜𝑠𝑡𝑅𝑒𝑡𝑖𝑟𝑒𝑚𝑒𝑛𝑡𝑖𝑗𝑘 + 𝑋𝑖𝑗𝑘 + 𝜖𝑖𝑗𝑘 I also estimated difference-in-difference non-parametrically. Eq. (5) is more general than using a single retirement dummy as it imposes no structure on the time trend. Hence, it allows flexibility before and after the treatment. More specifically, I estimate the follow equation: (5) 𝑝=5 yijk = 𝛼 + 𝛿𝑗 + 𝛾𝑘 + ∑𝑝=−5 𝛽𝑝 𝑏𝑢𝑟𝑎𝑢𝑐𝑟𝑎𝑡𝑖𝑗𝑘 𝐼𝑝𝑖 + 𝑋𝑖𝑗𝑘 + 𝜖𝑖𝑗𝑘 𝛼 + 𝜀𝑐 where 𝐼𝑝𝑖 is a set of dummy and equals 1 when the individual i is p years away from retirement. The omitted group is the year of retirement. 𝛽𝑝 measures the difference in income of offspring’s between bureaucrats and non-bureaucrats as compared to the omitted group. In this case, the omitted group is −1 years to retirement. This allows me to statistically and graphically examine the difference in income at every point in time. Again, I clustered the standard error on the individual. In order to summarize these estimates, I estimate regressions one each sample that include a linear term for relative mandatory retirement age (including negative ages), a bureaucrat dummy 9 which equals to one or zero, and an interaction between a bureaucrat dummy and relative mandatory retirement age. This model is a form of equation (5) in which I constraint the relative pre-and post-retirement trends to be linear. The specification is the following: (6) yijk = 𝛼 + 𝛿𝑗 + 𝛾𝑘 + 𝛽𝑏𝑢𝑟𝑎𝑢𝑐𝑟𝑎𝑡𝑖𝑗𝑘 𝑀𝑎𝑛𝑑𝑎𝑡𝐴𝑔𝑒𝑖 + 𝑋𝑖𝑗𝑘 + 𝜖𝑖𝑗𝑘 𝛼 + 𝜀𝑐 4.2 Identification Assumption The identification assumption of dif-in-dif is that there should not be any differential trend changes between the bureaucrat and non-bureaucrat other than the dissolution of parental power. First, I check whether retirement has affected housing arrangements differently by fitting the same model using Eq. (3). The result is presented in appendix table 5. I find that being retired and bureaucrat is not statistically significantly associated with being in the same household with the offspring or not. This result provides convincing evidence that the choice of co-living arrangements is not differential for bureaucrat father and non-bureaucrat father before and after retirement. Second, I checked for the trend break of parental and offspring’s demographic characteristics by fitting the same model in Eq. (3). The results shown in Appendix Table 6 suggest that there is no trend break (all but 1 of the 10 estimates are insignificant in the sample at the 5% statistical significance level6). There may be some remaining concerns that the trend for unobservable characteristics of the child would be different after the retirement, particularly if retirement has affected the two groups differently. For example, our empirical strategy may be problematic if a retired non-bureaucratic father is more likely to help out with household chores. As a result, the offspring can spend more time at work and earn a higher income. This is unlikely, as traditionally all parents help with the chores of their offspring. Second, retirement induces worse health for bureaucrats but has no impact for non-bureaucrats, so a bureaucrat child needs to spend more time caring for the father. However, Zhao (2012) has found that the negative shock is placed only on people with lower education and non-bureaucrats. This can also imply that a non-bureaucrat child has to work even harder to compensate for the medical bills. However, Shen (2014) used monthly administrative data and showed that retirement does not induce more medical expenditure, thus dispelling this concern. 5. Results 5.1 Non-Parametric Results Figure 2 depict the estimates of 𝛽𝑝 from equation (5). The x-axis describes the years to mandatory retirement age; the y-axis describes the log of income. Each point represents the estimate of 𝛽𝑝 , with the height of the bars extending from each point represent the bounds of the 95% confidence interval (CI) calculated from the standard errors. 𝛽𝑝 refers to the difference of income in log between offspring of bureaucrat and non-bureaucrat relative to year −1 to retirement. Full regression estimates for the results in figure 2 are reported in table 2 column 2. [Insert Figure 3 Here] 6. The education level is lower for bureaucrat leaders after the retirement. However, since we are testing 10 control variables, it may happen by chance that we reject one of them at the 10% significance level. 10 [Insert Table 2 Here] We know from descriptive statistics that in year −1 to retirement, offspring of bureaucrats earn more than those of non-bureaucrats. Figure 2 provides suggestive evidence that, before retirement, the income of the offspring of the bureaucrats is higher than non-bureaucrats. Pre-trends are positive and relatively stable. However, after retirement, the income of the offspring of the bureaucrats becomes lower than non-bureaucrats. Further, the difference becomes wider over time. As expected, estimate from equation (6) provides similar results. As shown in table 2, an increase of bureaucrat parent’s mandatory retirement age is associated with loss in offspring’s income. This lessens our concern for confounding pre-trend and provides suggestive evidence on how the loss of political influence of income takes place dynamically over time. 5.2 Regression Results Table 3 presents descriptive results within 10 years before retirement and 10years after retirement. Prior to retirement, the average income for bureaucrats’ offspring is 8.35 in unit of log of yuan; the average income for non-bureaucrats’ offspring is 8.23 in unit of log of yuan. After retirement, the average income for bureaucrats’ offspring is 8.39 in the log of yuan, and the average income for non-bureaucrats’ offspring is 8.39 in the log of yuan. Now that the difference becomes 0, suggesting that non-bureaucrat’s offsprings’ income growth is faster than that of the bureaucrats’ offspring. [Insert Table 3 Here] Table 4 presents corresponding descriptive results in regressions. The main coefficient of interest is the interaction term of having father being a bureaucrat and being retired. All regressions are weighted by the number of observation per individual provides. Column 1 includes year and province dummy; Column 2 includes year dummy, province dummy, and years of education; Column 3 includes year dummy, province dummy, and all demographic controls; Column 4 takes out the year of retirement. Column 3 is the preferred specification. [Insert Table 4 Here] The regression results show that offspring having a father who is a retired bureaucrat leader is associated with a loss of income by 13.4%. The coefficients are statistically significant at the 10% level. I have run similar regression using reduced form estimates and I have found very similar result. The results are shown in table 5. [Insert Table 5 Here] 5.3 Subgroup Analysis I conduct subgroup analysis by parent job sector type, parent government official status, parent firm state-owned enterprise, offspring firm ownership, parent-offspring job sector pair, offspring gender. There are 14 job sectors defined in the survey: agriculture, light or heavy industry, mining, 11 construction, transport, commerce, real estate, health, education, culture, science, finance, government or party, others, and unknown. Job sector type is a dummy indicating whether industry that are dominated by state sectors, which include heavy and light industry, mining, construction, transport, real estate, finance, and government. Firm ownership is broken down into state-owned, public-owned, private-owned, and foreign-owned. The results are shown in table 6 and table 7. Having a retired bureaucrat father working in state dominated sector is associated with a decrease of income by 23% and it is statistically significant. This finding is echoed in sociology literature in conjecturing that bureaucrats working in state dominated sectors may have access to more resources and allocation decisions. [Insert Table 6 Here] The loss of income is largely concentrated for offspring in the same industry with the father, offspring with father working in state dominated sectors, and male child. More specifically, for a bureaucrat child, being in the same sector with a retired bureaucrat father is associated with a decrease of income by 25% and it is statistically significant. This finding has been confirmed by anecdotes from recent bribery investigations that fathers and children often work in the same sector. However, it is unclear whether political influence is only constrained within a sector, or due to selection bias: people who can exert political influence would direct their offspring to work in the same sector. Unfortunately I cannot test this empirically with the current research design. For son, having a retired bureaucrat father working in state dominated sector is associated with a decrease of income by 25% and it is statistically significant. Magruder (2010) has also found that sons’ labor market outcome are more sensitive to father’s social connection. [Insert Table 6 Here] 5.4 Other Outcome I explore other outcomes in income to shed light on the channels of how total income is affected by the loss of political influence. More specifically, I explore whether the loss of political influence affects unemployment rate,7 chances of being promoted to leadership positions,8, income from bonuses, and income from other sources. I expect that the effect of benefits from political influence should be subtle and secretive. Taking away of benefits should be non-intrusive. Hence, the changes would most likely to take in place in the form of bonuses or other income rather than unemployment. The number of observations is much smaller than the main outcome of total income. The survey asks for the last 5–6 years of information on total income but asks for only one year of information on other outcomes. Second, for private business owners, the concept of leadership position and bonus does not apply to them. 7. Unemployment refers to people who explicitly state that they are unemployed and looking for jobs. This excludes people who are still in school or are homemakers. 8. Being in a leadership position refers to holding any kind of rank or leadership position. 12 Table 7 presents results for unemployment rate, percentage of being in a leadership position, log of bonuses, and log of other income. We find that a bureaucrat’s offspring is less likely to be in a leadership position by 16.2%. It is not statistically significant, as it has large standard error. However, this still provides suggestive evidence on the channel of the effect of loss in income. [Insert Table 7 Here] 6. Conclusion and Discussion Despite the rich anecdote and on-going law-ordered investigation of the intergenerational benefits of political influence, it has difficult to empirically disentangle political influence from parental social network and other parental characteristics. To my knowledge, this is the first paper providing causal estimate of the intergenerational effect of political influence. I find that the wage premium of having a bureaucrat parent is around 13%. The loss of income is largely concentrated for offspring in the same industry with the father and offspring with father working in state dominated sectors. Point estimate suggests that the source of wage premium comes from being less likely to be in a leadership position, though this is noisily estimated. There are reasons to believe that this estimation is attenuated. Retired parent can be hired in private sectors or advises the government informally. Families of politicians are also more likely to work in government. Even if a parent retires, a close relative’s political influence can play substitutes. The attempt to get a causal estimate of intergenerational effect of political influence is loosely related to literature on the measurement of bribery, defined as the wedge between the actual and privately appropriated marginal product of capital (Svensson 2005). Because of the secrecy of bribery, researchers have previously relied on national subjective assessment of corruption9 or objective10 measure on aggregated level. There has been a small set of literature measuring bribery on the individual level: Duggan and Levitt (2002) on Japanese sumo wrestlers, Fisman et al. (2014) on Indian bureaucrats, and Fang et al. (2014) on Chinese bureaucrats on housing market. By focusing on offspring’s labor market outcome, I provide an estimation of bribery on the individual level that is especially hard to identify because it hovers on a legal borderline. However, it is important to note that even if this can be called bribery, it is not necessarily equivalent to its legal term definition. The political influence could come willingly or unwillingly, intentionally or un-intentionally. It can bring benefits in such a subtle way that it was not even noticed by the offspring or the parents. Among common young people, there has been heated discussion and aroused anger against the social or economic privileges enjoyed by children of bureaucrats (Li et al., 2011; Yuan & Chen, 2013). My paper confirms this economic privilege, but it also finds that the gap in income between bureaucrat and non-bureaucrat closes after the retirement of the father. Recent exposure and 9 See Rose-Ackerman (2004) for a literature review on the importance of having an objective measurement of corruption and the limitation of an aggregated measurement of corruption. 10 The recent literature that measures corruption objectively are the following: Duggan and Levitt (2002), Olken (2006, 2007), Reinikka and Svensson (2004), Svensson (2003), Tella and Schargrodsky (2003). Related literature are on the objective measurement of rent: Agrawal and Knoeber (2001), Faccio (2006), Fisher (2011), Johnson and Mitton (2003), Roberts (1990). Objective measurement of corruption in China: Cai et al. (2011), Fisman and Wang (2013), Lan and Li (2014). 13 corruption charges of bureaucrats in China may have successfully reduced corruption, social dissatisfaction towards economic and social privilege, and perhaps even intergenerational transmission of political influence. The finding of income gap prior to parental retirement suggests that government should consider providing continued support in terms of career for young workers to increase their value add. An optimistic interpretation for public policy is that the government can assist young workers until mid-thirties when they are in more equal footing with their privileged peers. However, this paper is limited in providing evidence only on the effect of political influence on labor market. It is important to note that benefits from political influence may have started earlier on from the choice of education, marriage market, and housing. Hence, this limitation calls for future research to identify the intergenerational effect of political influence beyond labor market. Selected Reference Almond, D., & Currie, J. (2011). Human Capital Development before Age Five. Handbook of Labor Economics, Volume 4B (Vol. 4, pp. 1315–1486). Elsevier B.V. doi:10.1016/S0169-7218(11)02413-0 Agrawal, A., & Knoeber, C. (2001). Do Some Outside Directors Play a Political Role? Journal of Law and Economics, 44(1), 179–198. Retrieved from http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=224133 Bian, Y. (1994). Guanxi and the Allocation of Urban Jobs in China. The China Quarterly, 140(140), 971–999. Bian, Y. (1997). Bringing Strong Ties Back in : Indirect Ties , Network Bridges , and Job Searches in China BRINGING STRONG TIES BACK IN : INDIRECT TIES , NETWORK BRIDGES , AND JOB SEARCHES IN CHINA * Yanjie Bian. American Sociological Review, 62(3), 366–385. Duggan, M., & Levitt, S. (2002). Winning Isn ’ t Everything : Corruption in Sumo Wrestling. American Economic Review, 92(5), 1594–1605. Faccio, M. (2006). Politically Connected Firms. The American Economic Review, 96(1), 369–386. Fan, J. P. H., Rui, O. M., & Zhao, M. (2008). Public governance and corporate finance: Evidence from corruption cases. Journal of Comparative Economics, 36(3), 343– 364. doi:10.1016/j.jce.2008.05.001 Fang: The Gradients of Power: Evidence from the Chinese Housing Market http://economics.sas.upenn.edu/~hfang/WorkingPaper/gradientsofpower/gradients-of -Power-draft1.pdf Fisman, R. (2011). Evaluating the Value of Political Connections. American Economic Reivew, 91(4), 1095–1102. doi:10.1126/science.151.3712.867-a Fisman, R., & Wang, Y. (2013). The Mortality Cost of Political Connections. Giles, J., Rozelle, S., & Zhang, J. (2012). Does It Pay to Be a Cadre ? Estimating the Returns to Being a Local Official in Rural China. Figures 0 .2 % of Retirement .4 .6 .8 1 Figure 1: Compliance Rate of Retirement Policy -10 -5 0 5 Years to Retirement Mandatory Age 10 Notes: Y-axis describes the probability of retirement. X-axis describes the year to mandatory retirement. Every dot represents the probability of retirement at the years to mandatory retirement. The diamond dots represent information for non-bureaucrats. The circle dots represent information for bureaucrats. The lines are connected using option in Lowess option in Stata. It represents the residual information after controlling for province and year fixed effect. The sample includes offspring who have reported income and parents who are between 50 years old to 70 years old. Standard errors are clustered by the year to retirement age to allow for intra-age correlation. 1 -.5 -.3 % of Retirement .1 -.1 .3 .5 Figure 2: Compliance Rate of Retirement Policy Residual -10 -5 0 5 Years to Retirement Mandatory Age 10 Notes: Y-axis describes the probability of retirement. X-axis describes the year to retirement age. Every dot represents the probability of retirement at the years to mandatory retirement, controlling for province-year fixed effect. The diamond dots represent information for non-bureaucrats. The circle dots represent information for bureaucrats. The lines are connected using option in Lowess option in Stata. The sample includes offspring who have reported income and parents who are between 50 years old to 70 years old. Standard errors are clustered by the year to retirement age to allow for intra-age correlation. 2 -.6 -.4 Percentage -.2 0 .2 .4 Figure 3: Nonparametric Graph -10 -9 -8 -7 -6 -5 -4 -3 -2 -1 0 1 2 3 4 5 6 Relative Years to Mandatory Retirement 7 8 9 10 Notes: The x-axis describes the years to mandatory retirement age; the y-axis describes the log of income. Each point represents the estimate of betas from equation 2, with the height of the bars extending from each point represent the bounds of the 95% confidence interval calculated from the standard errors. Each point refers to the difference of income in log between offspring of bureaucrat and non-bureaucrat relative to year -1 to retirement. I include a zero for the point estimate in relative year j=-1, but lack of standard error bars reflect that this zero is imposed rather than estimated. The sample includes offspring who have reported income and parents who are between 50 years old to 70 years old. The regression included all controls. Standard errors are clustered by individual. 3 Income Inequality in China’s Special Economic Zones and Open Cities ○ Octasiano Miguel VALERIO MENDOZA (Nagoya University) Abstract This paper examines inequality of household disposable income per capita in urban China by identifying income inequality gaps between cities with and without preferential policies. “Preferential policies” refers to the autonomy and deregulation given to Special Economic Zones (SEZs) and Open Cities, allowing them to experiment with market policies and reforms, as the country moves from a state-controlled economy towards a market-oriented economy. While the effect of these policies on economic growth is vastly documented, the relationship with income inequality remains undetermined. Subgroup decompositions of income inequality, using the China Household Income Project’s urban datasets, which include over 6,000 households and 20,000 individuals from of up to 70 cities from 12 provinces, reveal that the SEZs and Open Cities have higher mean incomes and lower income inequality measures than cities without preferential policies from 1988 to 2007. Regional trends indicate the inequality gaps are converging in the central and eastern regions, while diverging in the western region. Additionally, the poorest households have a higher income share in SEZs and Open Cities than in cities without preferential policies. Keywords: China; Urban income inequality; Preferential Policies; Special Economic Zones; Spatial decomposition; 「フクシマの教訓」は原発再稼動に活かされているのか? —2011.3.11 から 4 年が経って分かってきたことー(1) 松岡 俊二 早稲田大学 smatsu@waseda.jp キーワード:福島原発事故、原子力安全規制、福島復興、リスク・ガバナンス 1. はじめに 2013 年末に早稲田大学出版部から出した『フクシマから日本の未来を創る』という書籍 の「おわりに」において、筆者は以下のようなことを書いた。少し長くなるが大事なこと なので、引用したい。 「全ては 2011.3.11 に終わり、全ては 2011.3.11 に始まった。 前作『フクシマ原発の失敗』(早稲田大学出版部)において詳しく書いたが、2011 年 3 月 11 日、私はスリランカの世界遺産都市・キャンディ市に滞在していた。JICA(国際協 力機構)の廃棄物処理事業の調査研究のため、カウンターパートであるペラデニア大学の 研究者と打合せをしていた。そろそろお昼だなという時に、数人の大学関係者があわてて 会議室に入ってきて、『日本で大きな地震があったようだ』と伝えてくれた。2004 年のス マトラ沖大地震による大津波で、4 万人にちかい死者を出したスリランカの人々は、地震 情報にとても敏感だった。日本とスリランカとの時差は 3 時間半で、日本時間 14 時 46 分 はスリランカ時間 11 時 16 分である。 スリランカの田舎町の雑然とした雰囲気の町役場に吊り下げられたテレビに映し出され た、仙台平野を襲った真っ黒な大津波の映像や、翌日(3 月 12 日)の BBC 国際放送に繰 り返し流された福島第 1 原発 1 号機の建屋爆発の映像は、今でも鮮明に思い出す。遠い異 国の地で祖国を襲う災厄の映像を眺めることほど、もどかしいものはない。特に福島原発 の建屋爆発の映像は衝撃的であった。環境政策を専門とする社会科学者として、 『一体、お 前は今まで何をしてきたのだ』と言われていると思った。 福島原発の失敗は、日本の科学、学問、大学の失敗でもある。日本の学術研究や大学の 研究教育のあり方が、根底から問われていると感じた。そうした時に、本書でも引用して いる『すべてを新しい方法で、創造的な方法で考え直す』 (ジョン・ダワー)という言葉に 出会った。 それ以来、日本の社会科学者として、また大学人として、最も困難な状況にある大震災 と福島原発事故で被災した人々に向き合い、そこから学ぶことが必要だと考えてきた。日 本政府が『福島復興再生基本方針』(2012 年 7 月 13 日、閣議決定)で掲げた『福島の再 生なくして日本の再生なし』という標語は、当然ながら、 『福島の再生なくして日本の大学 の再生なし』でもある。 『福島の再生なくして日本の再生なし』を実現するためにも、福島復興と日本社会の希 望ある再生、さらにはアジアや世界の持続可能な未来を作るためにも、『Out of the Box』 な発想が必要だ」(松岡他 2013b, p.153、一部文言は修正)。 2011 年 3 月 11 日から 4 年が経過した現在、本論文は改めて「3.11」の教訓について、特 に福島原発災害の教訓について考えたい。3.11 から 4 年間の経験を踏まえ、 「フクシマの教 「 フクシマの教訓」を生かした今後の原子力安全規制のあり方を考えたい。 訓」(2) とは何か、 また、月日が経つにつれて混迷と迷走を続けているようにみえる福島復興についても、一 体、何が混迷と迷走の根源なのかを考え、これからの福島復興政策のあり方について検討 したい。 最初に、「フクシマの教訓」をめぐる論点の整理のため、日本原子力学会誌『アトモス』 の最近の特徴的な論稿から、原子力専門家の考える原子力発電所リスク(以下、原発リス ク)認識と一般の人々の考える原発リスク認識との相違について考えてみたい。 2. 原子力専門家の考える原発リスク 最初に、原子力専門家の原発リスク認識の代表的事例として、経産省・資源エネルギー 庁・原子力国際協力推進室長の香山広文の「今こそリスク・ガバナンス構築に向けた産業 界のイニシアティブを」(香山 2015)をとりあげる。 香山はまず、福島原発事故後、国は新たに原子力規制委員会を設置し、厳しい規制基準 を立て、事業者も総額 2 兆円を超えるといわれる原発への追加安全投資を行うなど、政府 も業界も様々な努力をしてきたと指摘している。その上で、香山は、しかし残念ながら「国 民の原子力安全への『信頼回復』には繋がっていない」と述べ、原子力安全をめぐる現状 をクリティカルに評価し、なぜそうなのかとして、以下の 3 点をあげている。 第 1 に、政府は引き上げられた規制水準について「世界で最も厳しい水準」という曖昧 な表現しかできていないこと。第 2 に、規制のやり方が、断層や津波などの特定のリスク に対する決定論的規制運用に終始しており、原子力発電所の炉の特性や立地特性に応じた 様々なリスクの優先順位付けができていないこと。第 3 に、原発再稼動を最優先する電力 会社は、何でもかんでも規制当局の言いなりに終始し、規制当局との緊張感のある議論が 全く行われていないこと。 それでは、国民の原子力発電に対する信頼回復のためにはどうしたらよいのか。香山は、 「『原子力がもたらす便益に照らした許容される範囲にリスクが抑えられているか』といっ た適切な課題設定ができてはじめて、国民の信頼に立脚し自律的な安全性向上する正常な 原子力利用が実現するのだ」 (香山 2015, p.2)と主張する。そして、そのためには、 「適切 なリスク・ガバナンスの下でのリスク・マネジメントの実施」が重要であり、 「JANSI(原 子力安全推進協会)による米国 INPO(原子力発電運転協会)並みのリーダーシップの早 期確立」などの原子力産業界の自発的な取り組みが不可欠であり、そうした産業界の取り 組みを促す制度が必要だと主張する。 その上で、香山は、原子力規制委員会はこうした原発リスクと正面から向き合っていな いと批判している。すなわち、 「委員会は、原発ゼロを目指す方針を掲げる(民主党)政権 の下、厳格な規制を適用することのみを使命として設立され」、「この使命の下では、原発 利用のメリットとの比較考量での『許容されるリスク』という発想や、原子力事業者の自 発的な安全性向上を促す『インセンティブの付与』といった試みはなかなか許されない」 (香山 2015, p.2)と断じている。 したがって、香山は、現在の硬直した原子力規制委員会のあり方を抜本的に改革し、 「原 発のベネフィットと『許容されるリスク(コスト)』との比較考量」を可能にする適切なリ スク・ガバナンスとリスク・マネジメント」を確立すべきだと政策提言する。香山は、原 発のベネフィットと「許容されるリスク(コスト)」との比較考量を可能にする適切なリス ク・ガバナンスの構築によって、はじめて国民の原子力安全規制ヘの信頼回復が可能にな るのだと述べている。 香山の主張は、極めて率直な経産省官僚の現在の原子力規制委員会への不満表明であり、 批判である。原子力政策の専門家としての香山の原子力リスクの見方は、原発のベネフィ ットと比較考量が可能な「許容されるリスク」である。 それでは、原発の「許容されるリスク」とは何なのか。それは、原発リスクを削減する ための安全対策に要する追加的費用(限界リスク削減費用)と原発リスク削減によって得 られるベネフィット(限界便益=「安全対策によって削減される事故損害コスト」=「(事 故確率の削減)×(事故による損害)」の均衡点を意味しているようである。要するに、香 山は、安全対策のコストとベネフィットが釣り合う点までリスクを削減するのは合理的だ が、それ以下にリスクを削減するのは、コストがベネフィットを上回るので不合理である と言っている。新古典派経済学の厚生経済学の政策原理であり、教科書的な費用便益分析 に基づく環境汚染の最適点という考え方である。 それでは、そもそもこうした原子力専門家の考えるコスト・ベネフィット分析で導き出 される「許容されるリスク」といった原発リスクの見方は、どれだけの合理的な根拠があ るのだろうか。レベル 7 の福島原発事故を経験し、現在もなお、 「終点」の見えない福島原 子力災害の状況を経験している日本社会で暮らす一般の人々は、原発リスクをどのように 考えているのであろうか。 3. 一般の人々の考える原発リスク 香山の論稿の掲載された 2 号後の日本原子力学会誌『アトモス』2015 年 3 月号には、香 山の見方とは極めて対照的な原発リスク論が掲載されている。元東大総長・元日本学術会 議会長の吉川弘之の 「知の統合」と題する論稿である(吉川 2015)。 吉川は、まず以下のように述べている。 「国民合意の主役であるエネルギーの使用者としての一般の人々は、原子力については 環境負荷や価格を考慮することはなく、安全という一点にのみ関心を持っている。なぜな ら、人々はわが国のエネルギー源の困難な状況を知っているが、それは原子力固有の問題 ではなく、わが国にとって最良のエネルギー・ミックスによって解決されるべきことであ り、人々は原子力専門家とそのことを議論する気持ちを持っていない。いわば各家庭の電 源ソケットの先がどうなっていようと、わが国が環境に貢献しつつ良好な経済を保ち、そ して停電しなければよい。人々はそれを広範な要素を持つ政治課題の一つとして意見を持 つであろう。しかし、その意見は原子力専門家との対話によってつくられるものではない」 (吉川 2015, p.1)。 吉川は、人々の原子力への関心は安全性であり、人々は「環境に貢献しつつ良好な経済 を保ち、そして停電」しないというベスト・エネルギー・ミックスが行われればよく、そ のことは原子力専門家と議論すべきこととは考えていない、と喝破している。 その上で、吉川は、原子力専門家の原発リスク認識と一般の人々の原発リスク認識との 相違について、以下のように述べている。 「人々が原子力に関心を持つのは、発電所の事故、そして放射能の影響が大きいもので ある。絶対安全は本質的にありえないと分かった以上、そこにはリスクという概念が不可 欠であると言われる。しかし、そこに問題がある。人々にとって関心があるリスクとは、 事故の生起確率と損害額の大きさなどではなく、自分の、家族の、生命と生活の安全にか かわるリスクである。この個人にかかわるリスクは、現在の原子力の専門知識が深く関係 するが最終的にはその外にある。外とは、事故が起こったときにさらされる危険、それか ら逃れる方法、その後おそらく何年もかかるであろう復興の過程などについての確信の持 てる知識を背景として決まるリスクであり、それは原子力知識とは関係のない国家的な事 故対策政策、発電所の個性を考慮した地域の危機管理や再生の政策、企業の危機管理など と関係する」(吉川 2015, pp.1-2)。 人々は、専門家の工学的リスク認識である「事故確率×損害の大きさ」などではなく、 「自分の、家族の、生命と生活の安全にかかわるリスク」、「何年もかかるであろう復興の 過程などについての確信の持てる知識を背景として決まるリスク」について関心があり、 それは原子力の専門知識の外に存在することだとしている (3) 。 ここには、一般の人々の自分や家族や地域社会の生存にかかわる安全リスクという考え 方と、原子力専門家の定量的リスクという考え方とのリスク概念をめぐる深刻な対立が存 在する。こうした原子力専門家(香山)の工学的定量的リスク認識と一般の人々の生存安 全リスク(個人の死亡リスクや家族や地域の消滅リスク)認識との相違をどのように考え たらよいのであろうか。ただし、工学的リスク論においても、安全は「受け入れることが できないリスクが存在しないこと」と定義され(向殿 2004)、その意味では原発事故に伴 う「受け入れ可能なリスク(acceptable risk or tolerable risk)」とは何かが問われているのか も知れない(村上 2005)。 以下では、福島復興の混迷状況から示唆される原発リスクの特性という視点から議論を 展開し、香山とは違った視点であるが、 「適切なリスク・ガバナンス」が存在しないことに よる原発リスクのあり方について考えてみたい。 4. 3.11 から 4 年間を経験することで何が分かったのか? 福島復興の混迷した状況から分かってきたこことの一つは、未だに福島原発災害の「終 点」が見えないということであり、原発災害の「終点」を見通すことの困難性と不確実性 ではなかろうか。このことは「安全神話」の上で適切なオフサイト対策を欠き、適切なリ スク・ガバナンスの備えがなかったことによる、福島の原発災害対応の難しさとも言えよ う。 しかし難しさを強調するだけでは何も変わらないので、こうした「フクシマの教訓」か ら、今後の原子力安全規制のあり方、特にオフサイト対策のあり方を再検討することが必 要であろう。 福島原子力災害の難しさから分かってきたことは、過酷事故を起こした原発のオンサイ トから、汚染水といった形も含めたオフサイトへの放射性物質の放出コントロールが、技 術的にも極めて困難であり、その意味で原発事故の発災フェーズは極めて長期にわたると いう特性である。さらに、当然ながら、オンサイトから放出された放射性物質による環境 汚染は、極めて長期にわたる。 ちなみに、福島原発事故による放射能汚染の構造は、134Cs(セシウム 134)と 137Cs(セ シウム 137)がほぼ 1:1 という割合であり、134Cs の半減期は約 2 年であるのに対して、137Cs の半減期は約 30 年である。福島の帰宅困難区域の森林地帯などの放射能汚染は、30 年た っても 4 分の 1 程度が残ることになる。仮に、初期値(2011 年)が年 80mSv とすると、 30 年後の 2041 年で 20mSv というレベルと推定され、30 年後も依然として 20mSv という 高い汚染を示すと予想される。 ところで、福島原発の事故処理に起因する福島復興の困難性は、特に低線量被曝をめぐ るリスク・マネジメント(リスク・アセスメントやリスク・コミュニケーションを含む) の失敗であり、ある意味で「政府の失敗(Government Failure)」であると考えられる。 福島原発事故によってよく知られるようになったことであるが、年 100mSv 以下の放射 能汚染による発がんリスクは、現在の科学では統計的に明示できない。しかし、低線量で あっても放射線による遺伝子損傷のリスクは存在するため、LNT 仮説(0mSv から 100mSv の発がんリスク(0.5%)を、閾値なしの直線で結ぶ)に立つことが、国際的にも科学的に も合意されたリスク評価の手法とされている。 過去 4 年の福島復興における政府のリスク評価基準は 20mSv とされ、この 20mSv とい うリスク基準でもって避難指示が出され、避難指示解除準備区域と居住制限区域の線引き がなされてきた。リスク・ガバナンスの視点、特にリスク・アセスメントやリスク・コミ ュニケーションという視点から問題となるのは、20mSv とう基準値そのものではなく、こ の基準値がトップ・ダウンによって決められたことである。こうしたトップ・ダウンによ る基準値設定が、今日までの福島復興の混迷の大きな要因であると考えられる。それでは、 なぜ、こうした 20mSv という基準値が政策選択されたのだろうか。筆者は、すでに冒頭で 紹介した『フクシマから日本の未来を創る』の中で、以下のように、その経緯を明らかに した(松岡他 2013b)。 「今回の区域再編(2012 年 4 月 1 日に川内村と田村市の再編が決まってから、2013 年 8 月 8 日の川俣村の再編決定までの避難指示区域の再編)の大きな基準は、年間放射線量が 20mSv というラインであり、民主党政権以来、現在の自公政権になっても、国(政府)は あくまでもこの 20mSv に固執している。政府基準の根拠は、ICRP(国際放射線防護委員 会)が 2007 年に出した勧告である。勧告では、1)事故後の緊急時は年間放射線量 20mSv から 100mSv、2)復旧期は 1mSv から 20mSv の間のできるだけ低い値、3)平常時は 1mSv 被爆対策の目安とするものである。現在が復旧期とするなら、1mSv から 20mSv の間ので きるだけ低い値が望ましいのだが、最大値の 20mSv に決めたのはなぜか。 『朝日新聞』2013 年 5 月 25 日付けは、20mSv に決めた 2011 年 12 月当時の原発事故担 当大臣であった民主党の細野豪志は、5mSv を落としどころとして考えていたが、5mSv に 設定すると、当時の福島県の 13%にあたる 1,778 平方キロが対象となり、 「5mSv 案では人 口が減り、県がやっていけなくなることに加え、避難者が増えて賠償額が膨らむことへの 懸念があった」との当時の閣僚の証言を紹介している」(松岡他 2013b, p.56、文言は一部 修正)。 要するに、当時の原子力事故担当大臣の細野は、自分(細野)は基準値を 5mSv にしよ うと思っていたのだが、政府内や福島県関係者による、避難者の数を抑え、賠償額を抑え たいという強い意向によって、ICRP の復旧期の上限の 20mSv にすることをトップ・ダウ ン的に政府決定せざるを得なかったと証言しているのである。 注目すべきは、この決定プロセスに、健康リスクに関する科学的判断は無関係であり、 汚染地域の一般の人々の意向も無関係であるということである。ここには、リスク・マネ ジメントの基準値を検討するリスク・アセスメントの原則とそこに関与すべきリスク・コ ミュニケーションの原則が全く抜け落ちていたという深刻な状況が見て取れる。このこと が、今日に至る福島復興の混迷と迷走の第一歩となったのである。 ここで、リスク・マネジメントにおけるリスク・コミュニケーションやリスク・アセス メントの位置や役割についての標準的な考え方として、IRCG のリスク・リスクガバナン ス・フレームワークを図 1 に示した。リスク・マネジメント(リスク管理)はリスク・ア セスメント(リスク評価)に基づいてリスク基準(どの程度のリスクから政策対象とする かの基準)を決定することが重要である。また、こうしたリスク評価は、どのようなリス クを、どのように評価するのかというフレーム設定からリスク管理に至る全てのプロセス において、双方向のリスク・コミュニケーションが不可欠である。 図 1 コア・リスク・ガバナンス(リスク・コミュニケーション、リスク・アセスメント、リスク・マネジメント) Source: IRGC (2008), An Introduction to the IRGC Risk Governance Framework, p.8. さらに、図 2 に様々なアクターのネットワークから構成されるリスク・ガバナンスの概 念図を示した。リスク・アセスメントに基づくリスク・マネジメントは、リスク・ガバナ ンスのコア・プロセスと位置付けられるものであるが、このコア・プロセスの中核に位置 するのがリスク・コミュニケーションなのである。現代のリスク・ガバナンスにおいて、 リスク・コミュニケーションは、まさに中核に位置し、リスク・ガバナンスおよびリスク・ マネジメントの全てのプロセスで適切なリスク・コミュニケーションが行われているのか どうかが、リスク・ガバナンスおよびリスク・マネジメントの成否を決定するのである。 しかし、福島原発事故と福島復興のプロセスにおいては、こうしたリスク・コミュニケー ションが極めて不十分であったし、現在でも不適切な一方的なリスク・コミュニケーショ ンが「リスコミ」という名で実施されている。 図 2 リスク・ガバナンスの概念図 Source: IRGC (2008), An Introduction to the IRGC Risk Governance Framework, p.20. こうした適切なリスク・アセスメントとリスク・コミュニケーションを欠いた福島にお ける 20mSv というリスク・マネジメントの基準値の決定は、細野の証言にあるように、そ もそもは避難者の数を抑えたいという意図から出たものであった。こうした「避難者の数 を抑えたい」という願望に基づく政策は、当然の帰結として、早く避難者をゼロにしたい という早期全面帰還政策へと直結するのだが、この問題を論じる前に、もう少し原子力災 害リスク(特に低線量被曝リスク)の性格から、なぜトップ・ダウン・アプローチが問題 なのかを論じておきたい。 5. 原発リスクの Ambiguity と「政府の失敗」 一般的に、エンドポイントが死亡である健康リスクに対する人々の認識(リスク認知) は、同じ死亡確率のリスクであっても、どのようなハザードの生起による、どのような死 亡なのかによって、そのリスクをより忌避したいと思うのか、あるいは、あまり忌避した いとは思わないのかといったリスク認知(risk perception)が異なることが知られている。 スロビックの研究が有名である(Slovic 1987)。 原発リスクの中核に位置する放射能リスクは、スロビックの言う「恐ろしさ因子」と「未 知性因子」という両方の因子を強く持つことになる。 「恐ろしさ因子」と「未知性因子」を 持つリスクは、確率にかかわらず、人々がもっとも避けたいと思うリスクである。 ここで、「恐ろしさ因子」とは、ある事象を見聞きしたときに、「恐ろしいという感情が 引き起こされるか」、「将来世代への影響があるように感じるか」、「被害がいったん発生し たら制御するのが難しいか」、「被害は受ける人は受動的にその立場におかれたのか」とい った内容で構成されるものである。また、「未知性因子」とは、「科学的によく分かってい ない新しいリスクなのか」、「リスクにさらされている人はそれを認識出来ないのか」、「目 に見たり感じたり出来ないリスクなのか」、「被害は後からあらわれてくるのか」といった 内容で構成されるものである(中谷内 2008)。 福島原発事故により、福島県ではいまだに 12 万人ちかい人々が避難をしており(復興庁 の 2015 年 3 月 12 日調査では、県外避難者 46,902 人、県内避難者 71,399 人、合計 118,301 人となっている)、そのうち 5 万人ちかい人々が県外避難を続けている。この状況は、原子 力発電の過酷事故に伴うリスクとは、まさにもっとも忌避すべきリスクであることを示し ている。 リスク・ガバナンスの指針として有名な IRGC(2008)の「リスク・ガバナンス・フレ ームワーク」は、リスク特性を以下の 4 つに分類し、それぞれガバナンスとの関係を論じ ている(IRGC 2008, p. 18、図 3 参照)。 (1)単純・Simple:リスクの性質や管理法が良くわかっている場合 (2)複雑・Complexity:リスク評価や管理に関し科学的不一致がある場合 (3)不確実・Uncertainty:リスク評価に関して大きな科学的不一致がある場合 (4)多義的・Ambiguity: 受忍可能なリスクに関する多義的な考え方が存在する場合 こ の IRGC の リ ス ク 特 性 分 類 に よ れ ば 、 100mSv 未 満 の 低 線 量 被 曝 リ ス ク は 多 義 的 (Ambiguity)リスクの典型であり、市民社会も含めた多様なアクターの包括的参加による 社会的討議を可能とするリスク・ガバナンスの形成が不可欠なリスクと考えられる。 にもかかわらず、福島復興ではこうしたリスク・ガバナンス・アプローチを考慮する余 裕のないまま、ある意味で最悪の選択であるトップ・ダウンによる復旧期の上限値 20mSv が決定され、今日に至るまでこの基準に基づきリスク・マネジメントが行われ、今日の福 島復興の混迷と迷走という「政府の失敗(Government Failure)」を招いてしまった。 先に述べたように、この 20mSv という基準選択は、「避難者の数を抑えたい」という行 政の願望に基づく政策であり、当然の帰結として、早く避難者をゼロにしたいという早期 全面帰還政策へと直結するものであり、20mSv 基準と早期全面帰還政策は「コインの裏表」 というべきものである。 図 3 リスクの多様性 Source: IRGC (2008), An Introduction to the IRGC Risk Governance Framework, p. 18. 6. なぜ、「政府の失敗」が起きたのか? 願望に基づく早期全面帰還政策の推移 避難者の早期全面帰還政策は、通常の災害復興政策としては当たり前のことであるのだ が、そうした常識的対応が、非常識な原子力災害からの復興政策に適用されたことに、福 島における、そもそものボタンのかけ違いが生じたように思われる。 2012 年 12 月に策定された福島県の「第 2 次福島復興計画」では、その大きな復興目標 として、平成 32 年度(2020 年度)に、県内・県外避難者数を 0 人とすることが謳われて いる。事故から 4 年が経って、未だに 12 万人の避難者が存在する状況からすると、2020 年度の避難者 0 人は合理的な目標設定とは思えないが、福島県はいまだにこの「第 2 次福 島復興計画」を堅持している。 日本の優秀な官僚の作成する政策は、時として単なる願望に基づく政策や単なる行政の 努力目標としてのリアリティのまったくない政策がまかり通ることがある。特に、原子力 政策分野ではこうした願望に基づく政策という傾向が強く、高速増殖炉「もんじゅ」の政 策もそうであるし、使用済み核燃料の処分政策もそうである。 しかしながら、強制避難させられた人々の帰宅希望が実現しない状況が続き、避難先な どの新しい地域への定着を希望する人々もでてくるなかで、さすがに早期全面帰還政策の 修正を余儀なくされ、安倍内閣は 2013 年 12 月 20 日の閣議において、「原子力災害からの 福島復興の加速に向けて」という決定を行った。この閣議決定は、 (1)全員帰還を断念す る、 (2)個人線量計による個人線量の実測、③東電への賠償金等への財政支援を 5 兆円か ら 9 兆円へ強化する、というものであった。 しかし、この閣議決定が、早期帰還政策の転換を意味するのかというと、実はそうでは ない。復興庁は、2014 年末に、強制避難区域の今後の復興政策を検討するために「福島 12 市町村の将来像に関する有識者検討会」を設置した。その第 1 回検討会(2014 年 12 月 23 日)に提出された最も重要な資料である「将来像検討に当たっての論点ペーパー」の最初 の〈全体指針〉 (p.1)において、復興庁は、この検討会の最も重要なミッションは、 「まず は、当面の対応として、2020 年を目標に、早期帰還可能な地域再生のための具体的なビジ ョンを描く」であるとしている。復興庁は、いまだに早期帰還に優先順位を置いた政策を 堅持し続けているのである。 他方、復興庁が 2014 年 8 月から 10 月に実施した避難住民世帯に対するアンケート調査 の結果からは、帰還を希望する(「戻りたいと考えている(将来的な希望も含む)」)世帯の 比率は、浪江町 17.6%、双葉町 12.3%、大熊町 13.3%、富岡町 11.9%と、いずれも 2 割弱か ら 1 割程度といった数字になっている。しかも、アンケート結果を詳しく見ると、帰還を 希望する世帯の中でも、 「家族全員での帰還を考えている」比率は、浪江町 40.0%、双葉町 43.0%、大熊町 33.6%、富岡町 37.9%と、4 割から 3 割程度にすぎないのである。 こうした復興庁の避難住民アンアケート調査結果から考えると、9 割程度の圧倒的多数 の住民が帰還を希望しないという住民ニーズが存在すると推計され、早期帰還政策がいか に住民ニーズとかけ離れたものであるのかは明白である。 7. 災害復興制度が支える帰還・除染・賠償の悪循環 それでは、なぜ、政府は 20mSv にこだわり、早期帰還政策に固執するといった住民ニー ズに反した政策が続くのであろうか。すでに細野証言でも見たように、そもそもは「避難 者数を抑え、賠償金を抑える」という願望から発したものであったのだが、このことは結 果的に、現在の災害対策基本法・原子力災害特別措置法が基本とする、基礎自治体(市町 村)の災害復興計画を復興の基本とするという制度に支えられ、強制避難区域の市町村、 特に双葉郡 8 町村の首長・議会・役所の自らの地方公共団体の地方公共団体としての生き 残り戦略とピッタリと利害が一致することになった。 いかに住民ニーズに反していようと、国・県・市町村は早期帰還政策で利害が一致して いるのである。しかしそうは言っても、首長選や議会選挙によって、住民ニーズに反した 政策をいつまでも続けることは難しくなるとも考えられる。しかし、早期帰還政策だけで なく、除染政策と賠償政策が加わることで、帰還・除染・賠償という三者のある種の「三 すくみ」の悪循環構造が強固に形成されており、いまや早期帰還政策だけの問題ではない のである。 この構造は、既存の制度的枠組みによる制度の自己強化メカニズムを前提としており、 それぞれ制度による資源配分により利益を得る人々が存在するのである。また、一般の住 民にとっては、早期帰還は望まないものの、国費による除染はやってほしいし、市町村が 賠償金の上乗せなどの役割を果たしてくれることに期待せざるを得ない構造があり、住民 パワーで市町村の早期帰還政策を転換するといった状況にはない。 国は、賠償を減らすためには早期帰還政策が必要であり、早期帰還をすすめるためには 大規模除染を行わざるを得ない。県と市町村は、自らの地方公共団体を維持するために、 早期帰還政策を堅持する必要があり、そのためにも国に強力に除染を依頼せざるを得ない。 それだけでなく、市町村は除染から出る汚染土の中間貯蔵施設建設に伴う国からの地方交 付金などが得られるのである。半分国有化された東電は、賠償金が減り、早くケリがつけ ばいいが、自らは加害者のため、積極的には動こうとしないし、事故処理のため、自ら復 興に動く力もない。 ということで、事故復旧や復興事業や賠償ということで、大量の財政資金が福島に投入 されている現在の状況では、社会的見ればいかに不合理な構造であろうとも、誰も積極的 に帰還・除染・賠償という「三すくみ」の悪循環構造を打破しようとはしない。 こうしたある意味で無駄な公共の資源が浪費さている構造の最終的なツケは、納税者と 電力消費者である国民が負担することになる。また、今後、避難区域の解除が進めば、多 くの強制避難者は自主避難者へと変化していき、大量の自主避難者が潜在化する可能性が 高いといえよう。 こうした福島原子力災害の状況から、人々は原発リスクとは何かを考えざるを得ない。 その時、 「事故の生起確率×損害の大きさ」といった原子力専門家的なリスク概念は全くリ アリティに欠けると言わざるを得ない。吉川が言うように、人々は、 「事故が起こったとき にさらされる危険、それから逃れる方法、その後おそらく何年もかかるであろう復興の過 程などについての確信の持てる知識を背景として決まるリスク」を考えざるを得ない。 しかし、今、我々はもっとも大事な復興過程に関わる「確信の持てる知識」を、残念な がら持ちあわせていないのではなかろうか。福島復興におけるボタンの掛け違いを、時間 をかけてでも元に戻すことによって、早期帰還・除染・賠償の悪循環構造を組み替え、適 切なリスク・ガバナンスを構築することが必要だ。そのことで、原子力災害からの復興過 程に関わる「確信の持てる知識」を創り出し、原子力リスクとは何かを明確にすることが 可能となるのではなかろうか。 8. 「フクシマの教訓」から今後の原子力安全規制と福島復興のあり方を考える 福島復興の混迷した現状は、何よりも原発リスクの多義性として特性を物語るものだけ ではなく、その「大きさ」や「時間的長さ」も未だ正確には予測できないといえよう。こ うした福島原子力災害の「生きた経験や事実」から、人々は原発リスクとは何かを感じて いるのであり、それはコスト・ベフィット分析の計算から導き出されるリスクとは異なる。 福島復興は、過酷事故が起きた時の Crisis Management の難しさを示すことによって、 「フ クシマの教訓」は、人々に原発リスクの Ambiguity を教えているように考える。だとする なら、こうした「フクシマの教訓」を踏まえ、今後の原発リスクのコントロール(安全規 制)のあり方を考え、福島復興のあり方を考える必要がある。 以上のような観点から、過去 4 年間の共同研究の成果も含め、本基調報告として、最後 に、以下のような方向性が考えられる。 (1)今後の原子力規制委員会のあり方(詳しくは、松岡他 2013a 参照) 1)原子力規制委員会と原子力規制庁(事務局)という組織形態を改め、規制庁を廃止 し、委員会一括の一元的組織とし、各委員の調査スタッフ組織を充実させ、委員会(合議 制)機能を抜本的に強化する。 2)環境省の外局という位置付けを改め、原子力規制委員会を内閣府へ移管する。 3)福島原発事故の原因と影響に関する学際的・総合的な調査研究を継続する。 (米国 NRC は 1979 年 3 月の TMI 事故に対し、Historical Office を設置し、Chief Historian George T. Mazuzan や Official historian J. Samuel Walker を同年 6 月に採用。J. Samuel Walker は、TMI 事故から 25 年後の 2004 年に、Three Mail Island: A Nuclear Crisis in Historical Perspective, University of California Press を上梓した。) (2)福島復興政策のあり方(詳しくは、松岡他 2013b 参照) 1)双葉郡 8 町村について、現在の市町村制を改め、期限を定めた単一の「特別行政区域」 とする。 2)帰還に優先順位をおいた現在の政策を撤回し、住民ニーズに応じた多様性を尊重した 政策体系を創る。除染は、住民が暮らす地域や帰還計画が明確な地域のみに限定する。 3)国は、2020 年までの復興庁(福島再生総局)に替えて、2050 年までを見据えた福島復 興院を創設する。 (3)「フクシマの教訓」を踏まえたオフサイト(原子力災害リスク)対策のあり方 1)原子力災害リスクの特性を踏まえ、国レベルと地域レベルで、市民社会・行政・事業 者などの責任ある包括的参加によるリスク・ガバナンスを構築する。特に、地域レベルに おける双方向型のリスク・コミュニケーションのための法制度を整備する。 (フランスの事 例、原子力透明化法に基づく CLI:地域情報委員会を参照) 2)原子力規制委員会はオンサイト対策に専念し、オフサイト対策については内閣府原子 力防災室を抜本的に強化し、国(原子力防災会議)による地域の原子力防災計画(避難計 画含む)の認証制度を整備する。 (米国の事例、地方政府・州政府による原子力緊急事態計画の作成と連邦 FEMA による認 証制度を参考とする。NRC は、自らのオンサイト審査と FEMA 認証をもって原発の License を交付する。) 注記 (1)本論文は、2015 年 3 月 11 日に早稲田大学で開催 した文部科学省 原子力基礎基盤戦略研究イニシ アティブ・第 4 回原子力安 全規制・福島復興シンポジウム「東日本大震災・福島原発事故から 4 年~原 子力安全規制の今後のあり方と福島復興を考える~」における筆者の基調報告「『フクシマの教訓』は原 発再稼動に活かされているのか?−2011.3.11 か ら 4 年 が経って分かってきたこと−」とシンポにおける議 論がベースとなっている。シンポ関係者の方々に改めて謝意を表します。 (2)「フクシマ」という表記について様々な意見があるが、筆者は福島原発事故や福島復興に関する研 究において、福島原子力災害の教訓を明確にし、 福島原発事故を人類史上に位置付けたいと考えるとき、 福島を「フクシマ」と表記 することがある。詳しくは、筆者と東京大学の森口祐一教授との「フクシマ」 表記に関するメール交換記録「フクシマという表記について」(以下の Web サイ ト)を参照されたい。 http://www.waseda.jp/prj-matsuoka311/material/fukushima20150302.pdf (3)吉川は、原子力専門家と一般の人々とのリスクをめぐる対話のあり方についても、次のような痛烈 な批判をしている。 「私はすでに行われている原子力専門家と人々との直接的な対話は、今までのやり方 では不毛なのではないかと考えている」、「今、有効な原子力専門家と人々との対話とは、人々が原子力 について個人として何をリスクとして考えているのかを原子力専門家が人々から教えてもらうための対 話であると考える」 (吉川 2015, p.2)。要するに、吉川 は、原子力専門家が原発リスクについて人々に語 るような「対話」は全く無意味であり、現在の原子力をめぐるリスク・コミュニケーションのやり方は 不毛だと言っている。 参考文献 (日本語文献) 香山広文(2015),「今こそリスク・ガバナンス構築に向けた産業界のイニシアティブを」, 『アトモス(日本原子力学会誌)』,第 57 巻 第 1 号 , pp.2-3. 中谷内一也(2008)『安全。でも、安心できない・・信頼をめぐる心理学』ちくま新書 復興庁・福島 12 市町村の 将来像に関する有識者検討会(2014),「資料 5:将来 像検討に 当たっての論点ペーパー」第 1 回検討会(2014 年 12 月 23 日) http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-4/syoraizo_1_siryo5_ronten.pdf (2015 年 4 月 15 日閲 覧) 松岡俊二・師岡愼一・黒川哲志(2013a),『原子力規 制委員会の社会的評価:3 つの基準と 3 つの要件』早稲田大学出版部、131pp. 松岡俊二・いわきおてんと SUN 企業組合(編)(2013b),『フクシマから日本の未来を創 る:復興のための新しい発想』早稲田大学出版部、153pp. 松岡俊二(2015),「フクシマとレジリエンスとサステナビリティ」,鎌田薫(監修)『震災 後に考える:東日本大震災と向きあう 92 の分析 と提言』早稲田大学出版部, pp.460-470. 村上陽一郎(2005),『安全と安心の科学』集英社新書 向殿政男(2004),「日本と 欧米の安全・リスクの基本的な考え方について」 『標準化と品質管理』,61(2), pp.4-8. 吉川弘之(2015),「知の統合」,『アトモス(日本原子力学会誌)』,第 57 巻 第 3 号 ,pp.1-2 (英語文献) IRGC (2008), An Introduction to the IRGC Risk Governance Framework, IRCG http://www.irgc.org/risk-governance/irgc-risk-governance-framework/ (2015 年 4 月 15 日閲 覧) Slovic, P. (1987), Perception of Risk, Science, 236, pp.280-285. 「原発お断り」仮説追試の試み -青森県むつ市はなぜ核関連施設を受け入れたのか○太田 美帆 玉川大学 西舘 崇 東京国際大学 E-Mail: otamiho@lit.tamagawa.ac.jp キーワード:「原発お断り」、青森県むつ市、使用済核燃料中間所蔵施設、民主主義 1.はじめに 福島第一原発事故以降に活発化した、市民による脱原発や再稼働反対の多様な運動にも かかわらず、政府や電力会社の原発依存傾向に大きな変化は見られない。震災以前から反 原発運動に関わってきた人々の一部には、成果を上げられずにきた敗北感や、阻止できな かった自責の念も広がっているといい、また震災から四年が経って「結局何をやっても原発 依存は止められない」というあきらめムードも市民の中には漂っている。 しかし実は、反原発運動には勝利の歴史も存在する。住民運動の末、核関連施設の建設 を拒否または回避した自治体は全国 80 カ所に及ぶ 1 。平林(2013)は原発を「お断り」し た 8 地点の分析をもとに、「お断り」のための戦略を整理している。本報告ではこの戦略を、 「原発お断り」仮説として 8 要素にまとめ、青森県むつ市の事例での追試を試みる 2 。 核関連施設の受け入れを「お断り」する自治体が数ある中で、むつ市は 2003 年、日本 初の使用済核燃料中間貯蔵施設の受入自治体となった 3 。住民の反対運動もありながら、 むつ市ではなぜお断りに至らなかったのだろうか。計画発覚(2000 年)から受入決定まで の 3 年間、市議会ではどのような議論がなされ、最終的な決議に至ったのであろうか。ま た反対派住民はその過程において、いかなる行動を起こし、どのような影響を及ぼしたの だろうか。 2.「原発お断り」仮説と、むつ市の事例への追試 平林(2013)は、原発建設計画が浮上しながら計画が撤回された(あるいは 2013 年時 点までに着工に至っていない)全国 50 の地点における原発反対運動のうち特に 8 地点を 比較検討し、その担い手と運動の組織戦略の面から分析している点で特徴的である。平林 は当該自治体における「計画が浮上した時期、計画地点の場所、またその地域の政治・経 済・社会的状況等の外在的要因」の重要性を認識しつつも、反対運動に内在的な要因の抽 出を目的としている(平林 2013:37)。そのお断り戦略の 8 要素と概要を表1にまとめた。 筆者らも受入可否を巡っては外在的要因の影響力は大きく、マクロ的視点での分析の必要 性は認識しているが、本報告では平林仮説に則り、住民運動に着目するものとする。 いっぽう、一般には「国策」とされる原子力行政にあって、地方自治体や地元住民は消極的な意 1 2 平林( 2013) 本報告は、西舘・太田(2015)をもとにし、一部修正を加えた。 建設工事は東日本大震災後に一時中断したが、2012 年 3 月に再開、2014 年 8 月に 完了。申請中の操業許可 が原子力規制委員会から下りれば、2016 年 10 月頃から操業する見込み。 3 見聴取対象に過ぎず、影響力は小さいように思われがちである。だが市町村議会が反対し、誘致 そのものや建設が中断した事例は実在する。市町村議会の働きにより、核廃棄物持込み拒 否条例等を制定した自治体は 15 か所に上る 4 。例えば、むつ市で誘致計画が発覚した 2000 年に、鹿児島県西之表市と近隣自治体は放射性廃棄物の持込み及び原子力関連施設の立地 拒否条例を制定している。その後、宮崎県南郷町、島根県西ノ島町、福井県美浜町におい ても、使用済燃料の貯蔵施設誘致計画が上がるものの、いずれも町議会により持込みと立 地拒否の条例を成立させている 5 。 地方自治体による受入拒否が夢物語ではない中にあって、どのような経緯を経てむつ市 は、中間貯蔵施設の受入に踏み切ったのだろうか。筆者らは、日本で唯一受入を決議した むつ市議会に注目し、2000 年の受入計画発覚から受入表明までの経緯を、特に反対派議員 や住民側から提示された争点とその具体的内容について検討した。主な検討素材は、2013 年から 3 度にわたる現地調査で入手したむつ市議会の会議録および関係者らへの聞き取り 調査、東奥日報や朝日新聞等の報道資料等である。詳細はむつ市の受入プロセスを「原発 お断り」仮説の追試を通して分析した西舘・太田(2015)に譲り、本報告ではその要点の みを表 1 に整理する。 表1 「原発お断り」を可能とする 8 要素と、むつ市の場合 要素 反対派住民 による原発 予定地の共 同保有 概要 原発立地の対象と なる土地を反対派 住民で共有し保有 し続け、 「反対運動 の軸」となること 2 漁業関係者 の非協力 3 住民投票の 条例制定・ 実施 漁業従事者ら(特 に漁協)が海上調 査に協力しない、 また漁業補償を拒 否すること 住民投票条例を制 定し、原発に対す る住民投票が行わ れること 4 反対派首 長・議員の 選出 1 反対派側が首長や 議員を擁立する、 あるいは現職(推 進派)をリコール すること むつ市の場合 計画発覚以前より部分的に土地の買収が進み、後手とな った反対派による土地の共同保有は一部に留まり、反対 運動の軸とはなりえなかった。2003 年以降度々『東奥 日報』『朝日新聞』等により用地買収の不正疑惑が明ら かとなる。一部の漁業関係者らによる共有地を巡り、裁 判に発展するも、判決は「問題があったにしても、公共 の利益のために受忍すべき」とされ、住民側は敗訴。 地元漁協は、計画発覚当初は強く反対し、海上調査への 協力拒否。が、2003 年新漁協長の選出で一転協力へ。 他方、使用済核燃料運搬のため道路用地の買収や漁業補 償にまつわる問題が残されている。 2003 年、住民投票条例制定請求のための署名が法定数 の約 7 倍、5,514 人の支持を集めるも、住民投票は「議 会制民主主義を否定するもの」「あらゆる角度から審査 済」「日本では直接民主主義は成熟していない」等の理 由で、議会が否決(賛成 3、反対 17)。条例制定に至ら ず。 事実上の住民投票と言われた 2001 年の市長選(投票率 72%)で、推進派現職が慎重派を僅差で破り、5 期目の 当選。しかし慎重派・反対派の 2 候補者の合計投票数は 推進派を上回っていた。 2003 年市議会選挙では、反対派 4 名中 3 名が当選する も定数 22、推進派が多数を占める議会構造に変化無し。 同年用地買収の疑惑発覚を受け、議会は「市長不信任決 議案」を議論するも否決(賛成 6、反対 15)、推進派市 4 原子力資料情報室(2012) 5 西尾( 2005: 67)、原子力資料情報室(2012: 217) 5 ローカルに 徹する・闘 いの場を町 に限定する こと 「自 分 た ち の 町 の ことは自分たちで 決める」地元の住 民運動としての性 格を貫徹すること 6 代表的な町 民による運 動の呼びか けにより、 「普通の町 民」が主体 となること 地元の「良心ある 保守層」と、住民 の多数派たる「普 通の町民」が主体 となること 7 原発の代替 案の提示 8 反対運動の 長期的持続 性 原発なしの将来を 具体的に、前向き に構想できるだけ の人と産業(とそ のバックボーンと なる地域共通のア イデンティティ) があること 計画が明らかにな ってからの受入表 明までの期間が短 くないこと 長の解任には至らず。 住民投票条例制定へ向けた運動は、「むつ市住民投票を 実現する会」「核の『中間貯蔵施設』はいらない!下北 の会」 「『中間貯蔵施設』はいりません!住民の会」など、 市民グループが主翼を担い、住民投票は「市民自身が政 治課題を学ぶ最高の機会」であり、「住民の良識を信頼 すること」を訴えた。 上記市民グループの代表を務める野坂庸子や斎藤作治 は地元の「良心ある保守層」の代表格。「自分の意見を 言わない風潮が強い下北」で有権者 14%の署名を得て 住民投票の直接請求ができたことは「革命的」とされた。 しかし不正疑惑が残る法的根拠のない任意の「むつ商工 会議所による誘致賛同署名」(約 2 万人分)、2001 年の 市長選挙の結果、市民懇話会の報告書(市民 24 人の私 見を集約したもの)をもって、市長は「市民の総意」とし て捉えた。 市長による受入理由は、 「巨額の財政赤字解消」 「恒久的 な市の財源確保」「大学設立資金への活用」等々二転三 転し明確でなく、議会でも繰り返し追求されているが、 根幹には市財政の行き詰まりがある。しかし 施設の受入 にかかる莫大な交付金等に代わるような、市の財源確保 を可能とする有望な代替案は、議会からも市民からも提 示されなかった。 約 3 年での受入表明という異例の早さ。市長選挙や議員 構成、特別委員会の在り方などによって、市民が様々な 観点から中間貯蔵施設について学び、議論する充分な機 会や時間はなく、長期戦にはならなかった。 出典:要素と概要は平林(2013:44-49)を参照、むつ市の事例は筆者ら作成。 表1を概観しても、むつ市が施設を「お断り」できそうな要因は残念ながら見あたらない。 反対派がローカルに徹し、代表的な町民による呼びかけを行ったにも関わらず、推進派は 不正疑惑の残る用地買収や漁業補償を敢行し、公正な手続に則った住民投票条例制定請求 を否決した。むつ市では反対派の市長や議員の擁立もままならず、原発なしの将来をじっくりと検 討する時間的余裕もないまま、3 年という異例の早さで受入表明に至っている。推進派市長は不正 疑惑が残る法的根拠のない資料を根拠に「市民の総意を得た」と明言したのだ。 3.考察と今後への課題 追試の結果、むつ市の受入過程は次の 2 点で「お断り」すること以上の問題を提起していると 指摘したい。 まず、平林(2013)がお断り仮説で反対運動に内在的な要素と指摘したものが、すでに 運動に外在的な要素によって大きな制約を受けているという点である。例えば地元住民や 漁業従事者の抵抗に関わらず、先行して用地買収が進み、裁判においてさえ「公共の利益」 の名の下、住民の主張は取り下げられ敗訴となった。つまり運動に外在的で、構造的な要 素が大きな圧力となり「お断り」要素自体を形骸化しているのかもしれない。内在的要素 と外在的要素の連関を視野に入れ、ミクロとマクロの構造的分析が今後の課題と言えよう。 次に、反原発運動は単に原発受入の拒否を目指すのではなく、公正な民主主義を希求す る運動だという点である。本報告ではお断り要素では捉えきれないいくつかの興味深い観 察もあった。第一に 2001 年の市長選の投票率が前回の 48%から 1.5 倍に上がったこと、 第二に 2003 年の住民投票条例制定請求に有権者の 14%が署名したことなどは、投票率の 低下や政治離れが進む昨今の日本社会において特筆すべき状況である。これら 2 つの事柄は、む つ市民が如何に公的な場における意思表示の機会を望んでいたかを表わしていると理解できるの ではなかろうか。実際、署名運動の共同代表らは運動目的を「貯蔵施設の可否を問うことではなく、 むつ市における民主主義を実現すること」(斎藤・野坂他 2004:19)、「自分たちの手で、将来を選 択すること、つまり直接民主主義を実践すること」(2013 年調査)と語っていることは注目に値する。 要するに、反対派住民らは単に「施設の受け入れ」を拒否することを目指していたのではなく、如何 に自分たちの声を行政に届けるかといった、むつ市における民主主義の在り方を問うていたと考え られる。 署名運動の意義が「民主主義の実現」にあったとすれば、署名運動を単にお断り出来な かった一要素(条例制定の失敗)として理解するだけでは不十分である。推進派市長は日 本の直接民主主義は成熟度が足らないと指摘したが、むつ市における受入過程を鑑みれば、 成熟していないのはむしろ、むつ市における間接民主主義ではなかろうか。むつ市の事例 が提起していることは、地元の人々が中心となり町の将来を如何に描くか、という問題に 加え、描いた将来を如何に具体的に実現するか、といった政治的プロセスに関する問題で ある。ダール(2001)が指摘したような、人々の「政治的平等」や「政治への有効な参加」 の他、人々が自分で意思決定するに足る「情報や知識の普及」といった条件が満たされた 民主主義の原則に根差すプロセスの追求と実現が求められているのである。 3.11 後の原発立地においては、エネルギー政策の転換や原発に頼らない町づくりが大き な課題として提示されている。報告者らはむつ市の事例から、住民が積極的に政治的議論 に参加し、地域共通のアイデンティティをもとにした将来像を具体化するための、政治的 仕組み、体制作りの重要性も加えて指摘したい。 主要参考文献 茅野恒秀「第 IV 部解題」『「むつ小川原開発・核燃料サイクル施設問題」研究資料集』舩 橋晴俊・茅野恒秀・金山行孝編著,東信堂, 2013,1053-1060 茅野恒秀・吉川世海・川口創「使用済み核燃料中間貯蔵施設の誘致過程―青森県むつ市を 事例として」『法政大学大学院紀要』56,法政大学大学院,2006,171-187 原子力資料情報室編『原子力市民年鑑 2011-12』七つ森書,2012 斎藤作治・野坂庸子他「中間貯蔵施設・住民投票座談会」『はまなす』第 20 号,下北の地 域文化研究所・青森県国民教育研究所,2004,13-28 ダール, ロバート.A、中村孝文訳『デモクラシーとは何か』岩波書店,2001 西尾 漠「 推進 派巻 き返 しの 動き を一 皮め くる と―2004 年 原子 力事 情」『 原子 力市 民年 鑑 2005』原子力資料情報室編,七つ森書館,2005,60-72 西舘崇・太田美帆「なぜむつ市は核関連施設を受け入れたのか:原発「お断り」仮説の追試 を通して」『論叢』玉川大学文学部紀要第 55 号, 2015, 81-103 平林祐子「『原発お断り』地点と反原発運動」『大原社会問題研究所雑誌』No.661,法政大学大原 社会問題研究所,2013,36-51 3.11 and Possibility of Green Reconstruction: Lessons from Tohoku, Japan # Fumihiko SAITO 斎藤文彦 Ryukoku University 龍谷大学 Fumis96@world.ryukoku.ac.jp Abstract: On March 11, 2011, a mega earthquake and unimaginably large-scale tsunami hit the eastern coast of northern Japan. These natural disasters triggered nuclear power plant accidents in Fukushima. Thus, “3.11” came to be widely known as triple disasters. With more than four years after 3.11, reconstruction and recovery efforts are still underway. Some areas are making good progress for village relocation plans, but many of the affected still face difficulties. What is needed is community cohesion without which coordinated reconstruction cannot be realized. Koizumi area of Kesennuma city, Miyagi Prefecture, presents one rare and good example in which such cohesion can lead community-driven reconstruction processes. However, it is precisely this cohesion that is seriously under threat due to a very controversial sea wall construction. This construction issue is now regarded as a social taboo as residents do not wish their communities to be divided over this issue. Thus, Japan now is at critical crossroads. 1. Introduction: 3.11 as Triple Disasters On March 11, 2011, a mega earthquake of magnitude 9.0 hit the eastern coast of Tohoku region in northern Japan. About 30 minutes later, more than 650 km along the coast was hit by an unprecedented scale of tsunami. These natural disasters also triggered nuclear power accidents in Fukushima Prefecture. Three nuclear reactors of Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant (the First Nuclear Power Plant in Fukushima) complex operated by Tokyo Electronic Power Company (TEPCO) reached level-7 meltdown without much delay. Thus, “3.11” or the Great East Japan Earthquake Disaster (GEJED) is now widely known as triple disasters (Bacon and Hobson 2014). The affected area was widespread, but the main casualties and damages were concentrated in Iwate, Miyagi, and Fukushima Prefectures. The death toll of the 3.11 disasters is nearly 20,000. The number of wounded is more than 6,000. Those who are still missing are about 2,600. The number of houses totally damaged is more than 120,000. If we include partial damages, then the number increases into the magnitude of one million. As 3.11 is also the nuclear accidents, the wide areas surround the power plant complex are contaminated, and those who evacuated from these areas both voluntarily and involuntarily are numerous. Even as in the late 2014, more than 55,000 people are still on “temporary” evacuation from the three prefectures which are seriously hit by the triple disasters.1 3.11 undoubtedly affected Tohoku in many different ways. While proportionately the share of Tohoku in the national GDP was less than 10% Prior to 3.11, the region was still important for primary industries of This article is the result of two field trips made in September and October-November 2014, which was respectively funded by the Socio Cultural Research Institute and by LORC 4, both of which are based in Ryukoku University, Japan. During these visits, numerous peoples and organizations helped my research without which this writing is not possible. Daniel Aldrich kindly gave me elaborated comments on this paper. 1 These numbers are based on the information bulletin number 150 of the Fire Defense Agency (2014) (消防 庁). # agriculture, forestry and fisheries. The areas in Tohoku continued to supply not only food and natural resources but human resources as well, all of which were especially needed for sustaining economic growth in Tokyo and its surrounding areas since the 1960s. Thus, it is not an exaggeration to say that Tohoku served as a kind of colony to the Tokyo metropolitan area (Shinoda 2013). But as economic structures in Japan changed, Tohoku in the pre-disaster period started to suffer from serious socio-economic issues. As the primary industries could no longer attract the youth, many young people moved into cities, and those who remained in Tohoku was mainly elderly. It is precisely the senior people who were bearing the burden of working in the primary industries; in many instances, once they stopped their business, there would be nobody to continue the primary industry into a next generation. Depopulation and aging were more than a demographic phenomenon. Rather they had serious implications for political, economic, and social aspects. 3.11 accelerated the trends in many ways. Due to the compounded disasters, many lives were lost and houses were damaged. Many jobs were lost and, and it has been very difficult to reestablish business activities. Then the fear of radiation put many people in deep anxiety whether they can continue living in Tohoku. In some places, most of the youth and the working age people moved out of their original towns and villages. In places that are relatively close to Sendai, the largest city in Tohoku, the situation was relatively fortunate. Nonetheless, the problems that were already becoming apparent before 3.11 become even more serious in the post disasters period (Bacon and Hobson 2014: 198; Mori 2011). This is the context in which recovery and reconstruction have been pursued. Although there are numerous writings about 3.11 and aftermath, this article examines the dynamics of how recovery and reconstruction policies were implemented and how people have responded to these policies. One of the important questions is whether 3.11 would serve as an opportunity for transition to more sustainable society in the future. Even though 3.11 has been a traumatic incident whose scale and human suffering have been beyond description of any words, the disasters may be considered as an opportunity for revitalizing society. The notion of creative reconstruction has been controversial, and there have been ups and downs of this idea. To scrutinize this key concept is now extremely important as natural disasters are coming more frequent, partly due to the climate change, 2 and prevalent disasters inevitably affects both rich and poor societies in years to come (Ranghieri and Ishiwatari 2014). This article then focuses on in what ways can disaster-affected communities initiate overall recovery and reconstruction processes, as well as to what extent such initiative can result in effective realization of creative reconstruction. This focus is important not only in theoretical undertakings in relation to local governance, grassroots innovation and sustainability but also critical for realizing effective practices on the ground in post-disaster settings. This sort of investigation is timely as communities now are expected to play multiple roles in disaster risk management throughout the world (Ranghieri and Ishiwatari 2014). Based on the findings of two field trips made in September and October 2014, this article draws lessons from experiences of Koizumi in the city of Kesennuma, Miyagi Prefecture. Even in disaster-prone Japan, the destructions of 3.11 tsunami were beyond the imagination of most of the people in Tohoku region. But, as exemplified by Koizumi, in towns and villages where community preserved strong cohesion through associational activities and others, such conditions helped facilitate coordinated planning and effective implantation of recovery and reconstruction activities. In contrast, in places where society was fragmented, prompt recovery faced high-level of difficulties. Throughout such processes, local governments play an important role in facilitating dialogues 2 For the international disaster database, see http://www.emdat.be/database. between political and administrative leaders on the one hand and the local residents on the other. If one is serious about creative reconstruction, then articulated vision, continuous dialogues among diverse stakeholders, clear division of tasks, and highly orchestrated coordination of multiple tasks, all of such are necessary at times of extreme hardships (Saito 2010). It is therefore unsurprising that some local governments could not fulfill these functions even if they may wanted to do so. In places such as Minami Sanriku Town, the entire local government building was washed away and several staff members were died. It would be too much to expect for such local government with extreme constraints to implement highly ambitious policy of creative reconstruction. To examine the dynamics of policy proposal and its reception, this paper raises an issue of sea wall reconstruction as an example of undermining community cohesion in Miyagi Prefecture. This policy, initiated by the Prefectural Governor (Mr. Yoshihiro Murai), intends not to allow any more people to pass away due to future tsunami. Even though his reason may be understandable, ongoing constructions of about 9-meter-high sea walls across the entire prefecture are not appreciated by many local residents, due to various reasons. Yet, their disapproval of the gigantic sea wall is not what is openly discussed in local planning meetings. A main reason is that many local people put priority for housing reconstruction, and openly discussing the sea wall issue may tear local communities apart. If such break down happens, that inevitably affects housing planning, which nobody wants to see. Thus the incongruence of policy orientation and community cohesion has unfortunately increased in the post 3.11 period. There is no easy way out of the current situation. The new opportunities made available by 3.11 can be a double-edged sword. It may open up new opportunities. As Japan as recovered from ashes of destruction and war previously, the nation may prevail this time again in the long run (Pilling 2014). But the new opportunities may not be fully utilized when narrow-minded policy such as the sea wall constructions is blindly pursued. Tohoku in particular and Japan in general are now at critical crossroads. Choices that we may today will significantly affect whether more promising experiments will be conducted or narrow consideration with serious counter effects will prevail. It all depends on us. 2. Recovery and Reconstruction In the history of disaster recovery in several parts of the world, creative reconstruction has been advocated by political leaders, particularly on the occasion of several monumental human disasters. This trend is because large-scale disasters presented opportunities to reshape organizations and agencies that are otherwise difficult to accept reforms in ordinary situations. Sometimes disasters also solicit amendment over controversial policies and plans (Aldrich 2012: 152). However, our past experiences of creative reconstruction are mixed at best. Usually they resulted in top-down planning and command and control approach, which has proven ineffective as such inflexible approach is not responsive to complex and changing local situations. 3.11 has been no exception. For those who saw 3.11 as an opportunity to reflect over the ways in which socio-economic systems were structured and then to move beyond the national tragedies by overcoming such existing structures, the idea of creative reconstruction was very appealing. The Reconstruction Design Council (RDC) in response to the Great East Japan Earthquake was established by the government of Japan shortly after 3.11. On April 11, the Council announced that recovery and reconstruction do not only bring the affected areas back to what they were before, but they should be conducted in the spirit of creative reconstruction in order to realize more hopeful future (RDC 2011:71). In some circles, a relatively novel idea of green reconstruction was also discussed. This idea was proposed by World Wildlife Fund (WWF) in Indonesia in 2006 in response to Indian Ocean Earthquake and Tsunami in December 2004. WWF explained that “[G]reen reconstruction aims to improve the quality of life for communities and affected individuals while minimizing the negative impacts of reconstruction on the environment and maintaining the long-term biological diversity and productivity of natural systems” (2006: 5). WWF emphasizes the three as key principles of green reconstruction: sustainable development (socially acceptably, economically viable, and environmentally sound); effective participation of local communities and; strengthened and decentralized natural resource governance (WWF Indonesia 2006: 5). Thus, this notion of green reconstruction in considered as a sub-category of creative reconstruction. In Japan, the idea of creative reconstruction and of green reconstruction seemed to have gone through ups and downs since March 11, 2011. In relatively immediate aftermath of 3.11, the idea appealed to policy makers without many difficulties. Yet, because scale and magnitude of disasters were so large, and because the nuclear accidents compounded the entire situation, especially in Fukushima, recovery and reconstruction in affected areas has been very slow, and there have been significant delays in several key activities including housing reconstruction and economic recovery in most if not all areas.3 Then, critics started to voice their concerns. If we cannot make efficient recovery bring ourselves back to pre-3.11 conditions in meeting essential needs of the affected, in what sense can we really talk about creative elements in recovery and reconstruction, let alone making such endeavors in line with sustainable considerations? For them, such talks appeared as luxury and illusion. Some even mentioned that bringing the notion of creative reconstruction is irresponsible given slow progress in recovery efforts. It is also against the feeling of the affected as they have been struggling hard to meet their ends meet in very short time horizon. Thus, creative reconstruction appeared to fade away in day-to-day discussions, while such ideals may not have disappeared completely among high-level policy makers. Nonetheless, two initiatives may worth mentioning. The first one is a proposal to create a New Sanriku Fukko (Reconstruction) National Park by upgrading the existing conservation areas into a more integrated park along the costal areas in Tohoku. This proposal was made by the Central Environment Council of the Ministry of the Environment. Essentially, their idea was to create a new kind of park serving multiple purposes including the park usage as a memorial of the 3.11 disasters, as places for environmental education and eco-tourism, and as parks to preserve precious biodiversity in this part of Japan (Central Environment Council 2012).4 This proposal may emphasized the park creation and its use for eco-tourism excessively, yet their broad thinking in trying to preserve and use nature meaningfully in localities, which have gone through such traumatic experiences, deserves due appreciation.5 The second one is the initiative of Environmental Future Cities organized by the Cabinet Office. Cities are key producers of economic value, yet they also contributor major proportions of the greenhouse gases. Thus, it has become imperative to balance the competing requirements of economic viability and low-carbon considerations. The Japanese government initiated the Environmental Future Cities as human 3 Unfortunately, the repeated delays in recovery and reconstruction contribute to fading effects of 3.11, where ordinary people nowadays have little interactions with those affected by 3.11. 4 Please consult the site in Japanese, http://www.env.go.jp/press/15188.html. 5 IUCN advocates ecosystem-based disaster risk reduction (Eco-DRR) in which sustainable management, conservation and restoration of ecosystems contribute to reduce disaster risk. IUCN considers that the New Sanriku Reconstruction Park is in line with their Eco-DRR. centered-cities attaining environmental, social and economic values simultaneously, as the government thinks balancing these values are needed in Japan who’s population is rapidly aging. The Cabinet Office selected 11 cities and regions under this Future Cities initiative. Five were chosen from the affected areas of 3.11.6 This numerical representation itself can be interpreted as a reflection of a priority that government places on regeneration of the cities that are destructed by 3.11. While it could be argued that becoming Future Cities itself does not fundamentally alter planning of reconstruction and recovery from 3.11, being designated as such Future Cities certainly help boosts the morale of (former) residents and can be used as an opportunities for rebuilding the cities more in line with sustainable thinking.7 3. Case Studies in Miyagi Prefecture The three prefectures seriously damaged by the 3.11 disasters have both uniqueness and similarities. Fukushima is an extremely complex case due mainly to the nuclear power accidents. Although this is certainly a serious issue, as many writings are already available, this article would not look into Fukushima. Compared with Iwate, Miyagi has more diversity and merits due attention. Its capital Sendai is the largest city in Tohoku. While the places near Sendai can be benefited from urban economy, those that are far from it do not. The five main basic principles for reconstruction in Miyagi Prefecture are: strong resistance against disasters so that people can live without anxiety; reconstruction as a total endeavor accumulating all efforts of local governments and individuals; creative reconstruction not mere recovery; innovative local regeneration in trying to resolve contemporary social problems; and building a Miyagi model based on our traumatic experiences (Miyagi Prefecture 2011). Among the three prefectures, as Miyagi has been most closely linked to the mainstream economic growth of Japan, its reconstruction plan in the post 3.11 period also reflects neoliberal orientation (Shigihara 2013). Thus, it can be said that Miyagi presents characteristics associated with merits as well as demerits of such mainstream thinking. In contrast, Iwate is more rural and depopulation and aging problems tend to be more acute than in Miyagi. 3-1 Community-led Initiatives in Koizumi, Kesennuma City Within Miyagi, a unique example of community-driven reconstruction activities is found in the Koizumi of Kesennnuma city. The Koizumi area is located at the southern end of the city jurisdiction of Kesennuma, and is facing the ocean. In this relatively small village, 518 households existed before 3.11. 266 of them were either totally damaged or washed away by about 15 meters-high tsunami. Out of 1,810 residents, only 43 were died or missing. Even though the damages to houses were extensive, this extremely low rate of human casualties helped this village to embark on recovery and reconstruction agenda almost immediately after 3.11 (Mori 2012: 21). After 3.11, the local residents moved into evacuation facilities, and they immediately started to discuss how they could organize recovery and reconstruction without delay. This local initiative preceded 6 The site in Japanese (http://future-city.jp/) provides useful information. The government is not a sole organization trying to pursue creative/green reconstruction. There are NGOs and NPOs which have been emphasizing this sort of idea. One such example is an NGO called, the Forest is longing for the Sea, and the Sea is longing for Forest (森は海の恋人). The founder, Mr. Shigeatsu Hatakayama, 畠山重 篤 (1943 - ), fisherman to grow oysters in Kesennuma city, Miyagi Prefecture, was granted the Forest Hero Award by the UN Forum on Forest, for his tree planting activities. See the website of http://www.mori-umi.org/. 7 the formal efforts by the central and local governments. The key members formed two key institutions in late April 2011. The first one is an open forum entitled as Association of Those Who would like to Think about the Future of Koizumi (ATWTFK).8 This was an informal local forum where Koizumi residents would discuss how they would perceive the future of this area as well as to contemplate what sort of reconstruction they think would be needed. The second one is a Preparatory Committee for Village Relocation to Highlands. This Committee was entrusted with coordination of various activities in order to realize collective relocation of all those who would like to remain in Koizumi after 3.11. The key members of ATWTFK also started to look for resource persons who could possibly help them to plan and coordinate recovery and reconstruction agenda. Through some trials and errors, they contacted Prof. Suguru Mori (1973 - ), Hokkaido University. He immediately replied that he would be pleased to help the people in Koizumi and became involved in Koizumi in June 2011. In July, the key members, after discussions with Prof. Mori, proposed the following three ideas as their key principles in recovery and reconstruction efforts: collective relocation to highland; regeneration of local community that can give safety and comfort for all community members; and use of renewable energy for community regeneration. They thought that 3.11 is a new beginning, and it is not a simple recovery process. That is one of the reasons why they sought advise of experts from outside. Close collaboration between Prof. Mori and the people in Koizumi started to show rough but key ideas about their future. With the assistance and guidance of Prof. Mori, the survivors started regular discussions about their visions for future. The key members brought their preliminary plan to the city authorities, but then the city was not ready for approval as the central government was so slow to decide some of the major policies. The local leaders then directly negotiated with the Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism, which was in charge landscape planning in Tokyo. The Minister approved the broad direction of resident initiative of Koizumi in May 2012. The local planning gained momentum. In May 2013, all the villagers who would hope to be relocated to highland agreed to a plan in which who is going to reside in which plot. In the process of plot allocation, the key members, with consultation of Prof. Mori, thought it important to emphasize the four elements: rule making should be based on consensus of all those who would like to be relocated; relocation should respect community that existed before 3.11; relocation should balance considerations of equity with that of community bonds among villagers; and the relocation plan should pay more attention to human bonds rather than physical space itself (ATWTFK 2013: 47). The site preparation started in June 2013. All of these developments are very impressive as they are achieved ahead of so many other affected areas in Tohoku. In addition, this speedy response was not generated by top-down imposition. Instead, the enthusiastic grassroots men led and facilitated the entire processes. In this sense, Koizumi is a prime and rare example of endogenous reconstruction (ATWTFK 2013). If we apply the three principles of green reconstruction (WWF Indonesia 2006: 5), the accomplishment of Koizumi is indeed very interesting. The first principle is sustainable development (socially acceptably, economically viable, and environmentally sound). As the collective relocation plan is made by balanced considerations, it is reasonable to say that the Koizumi plan meets this criterion. Of special importance is a high-level care that the key leaders exhibited to the needs of the senior villagers who expressed their wishes for relocation together with others. The second one is effective participation of local communities. The ways in which Koizumi has been managing community-based planning amply satisfy this principle. Thus, the Koizumi example is probably something closest to “self-reconstruction” as 8 Please see the website in Japanese: http://www.saiseikoizumi.com. asserted by Ranghieri and Ishiwatari (2014: 19). The third principle is strengthened and decentralized natural resource governance. In this community the local forests have been managed as commons for long time. There were even some discussions that the forests that they have been managing should be used for relocation as this post 3.11 situation became indeed un unprecedented emergency.9 Thus, decentralized resource management was already taking place before 3.11. This practice has not been abandoned even if their attention has been shifted to settlement reconstruction. We could therefor conclude that the Koizumi case satisfies the criteria of green reconstruction proposed by WWF. Figure 1 Image of Village Relocation in Koizumi Source: http://www.saiseikoizumi.com/%E3%81%93%E3%81%AE%E4%BC%9A%E3%81%AB%E3% 81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/ There are several reasons why this kind of impressive achievement was made possible. The first reason relates to the background of this area. This area was incorporated into the city of Kesennuma in 2009 (Watarai et al. 2013b: 13).10 This incorporation was a part of the larger trends in the last 15 years in which the central government encouraged small local governments to merge to form the smaller number of large-size local governments. From the perspective of the central government, amalgamation of tiny local governments into larger ones can contribute to administrative efficiency. However, in the processes of merging, local identity and autonomy tends to be diffused if not lost in several incidents (Aldrich and Sawada 2015: 68-69). In the case of Koizumi, their area was the last administrative unit added to the city of Kesennuma. Upon the unexpected event of 3.11, the residents in Koizumi feared that the city authority might forget them unless they take initiative first and make themselves known to them. This anxiety was one of the reasons why the residents of Koizumi were so eager to take initiative from the bottom-up. They wanted to plan first without waiting the city to propose any plan to them (Mori 2012: 21). Second, the role played by Prof. Mori has been crucial. He experienced the Hanshin Awaji 9 But as the government pledged to secure funds for relocation site preparation, this idea subsequently disappeared. Personal interview 9 September 2014. 10 In fact, there was an idea that Koizumi would merge with the neighboring administrative unit in the south to form an independent local government, instead of becoming a part of the city of Kesennuma. This fact illustrates that the identify of Koizumi is not entirely rest with that of Kesennuma. Earthquake in 1995, when he was a graduate student. He was involved in reconstruction activities of post-tsunami disaster in Okushiri Island, which was hit by Southwest-off Hokkaido Earthquake in 1993. His experience of Okushiri was bitter. As community engagement was limited, the post-disaster recovery and reconstruction did not entirely accommodate aspirations of local residents. While houses, bridges and sea walls were rebuilt, a significant segment of local people decided to migrate out of the island. Prof. Mori was quite determined that this past mistake should never be repeated in Tohoku after 3.11 (Mori 2011). Third, the very characteristics of small and coherent community of Koizumi contributed to effective planning processes. Strong bonds and active associational activities that existed here before 3.11 demonstrate a high-level of social capital (Aldrich 2012). In Koizumi, all households are required to belong to the neighborhood associations (ATWTFK 2013: 9), and the attendance record of local residents in meetings and important occasions were nearly 100%.11 Along the Pacific Ocean coastal areas of Tohoku, there have been traditional associations for men and women. They have been in charge of several key activities in rural life including organizing festivals at local shrines as well as managing forests as community assets. While in other parts of Japan these associations vanished, they lasted up to the day of 3.11 (Tohoku History Museum 2008). Although no survey was conducted, based on the interviews of multiple key informants and regularity and high level of attendance of meetings and other important events, it is safe to conclude that this social capital was the asset behind the very fact that Koizumi has been a grassroots-driven frontrunner of recovery and reconstruction of post 3.11 period (Mori 2012: 22; Watarai et al. 2013a: 19). This capital appears to have enabled the key leaders to explicitly say that 3.11 is a new beginning not just bringing back to what was before the disasters.12 Thus, the combination of these factors has resulted in an excellent collaboration between local community and outside experts. In this collaboration, both played complimentary roles. The outside expert did not lead the process. Instead, he gave suggestions and facilitated the complex processes of deliberation and consensus building.13 The local residents owned the entire processed. They key leaders exercised valuable leadership in soliciting reactions from survived villagers and helped articulate common values of why they still appreciate this place as their future home in spite of the massive destructions of 3.11. Without such shared values and vision, gradual processes of consensus building could not be realized. It is only then specific matters were discussed and decisions were reached. The end result was that the locally-led initiative pushed the city authorities, not vice versa. This is precisely why the experiences of Koizumi stands out in comparison with other affected places in Tohoku (ATWTFK 2013). 3-2 Sea Wall Constructions along the Coast This unique success of Koizumi is now under threat. Huge sea wall constructions are pursued by the government, and are now indeed affecting many if not all communities along the coastal lines. As the casualties and damages by the 3.11 tsunami were so widespread, the government of Japan subsequently came to emphasize disaster preparedness in its policies and programs of recovery and reconstruction. Within the overall orientation, (re)building sea walls came to receive so much attention among the policy 11 Personal interview 9 September 2014. Although Koizumi has demonstrated social cohesion, this is not entirely free from problems. For instance, in Tohoku, many traditional institutions have been strong. But many of these institutions has been gender biased. It deserves much discussion that if rebuilding local community is critical, then in what ways gender and other equity considerations need to be applied in local settings. This is a serious question without any easy answers. 13 Another example of important role played by an expert is Prof. Mikiko Ishikawa in rebuilding Iwanuma City, Miyagi Prefecture (Ishikawa 2011). 12 makers. The Central Disaster Prevention Council, under the Cabinet Office, revisited the standards. In September 2011, the Council adopted a new classification of tsunami: “L1” type (this may take place once in cycles of 50 to 150 years; and “L2” type (this might take place once in 500 to 1,000 years). The central government soon allocated a huge budget for the sea wall constructions in order to cope mainly with “L1” tsunami in the post 3.11 activities. Within the three Tohoku prefectures that were seriously hit by the 3.11 tsunami, 370 kilometer-long sea walls are planned to be built with approximately 820 billion yen (approximately 7 million US dollars) (The Nature Conservation Society of Japan 2013: 3). Then, as the execution of this special reconstruction budget was deemed urgent, it was decided that environmental impact assessment would be “simplified” compared with normal applications in other public works. In Miyagi Prefecture, the idea of sea wall construction has captured the attention of Governor Murai. In Miyagi more than 10,000 people were dead by the 3.11 disasters. For the Governor, this huge casualty was politically inacceptable. He firmly determined not to repeat the same sort of tragedy in the future. One key solution, at least for him, was the sea wall constructions along the entire coastal lines. Within the prefectural government, a committee, who were comprised of administrators and disaster experts, elaborated the sea walls construction plan. The height of the sea walls is not uniform along the coast. The Miyagi coastal lines are divided into 22 sections. In each location, the size of the walls was determined by a combination of complex factors including historical records of tsunami and future possibilities of earthquakes. Roughly in the prefecture, the height of sea wall ranges from 7 to 11 meters.14 This construction has become an indispensable activity to achieve one of the important goals of the Prefectural Reconstruction Plan adopted in October 2011: Future Miyagi will be very resistant against future disasters (Miyagi Prefecture 2011). As a political slogan, it was understandable to adopt such policy; our children and grandchildren can live here without much anxiety of natural disasters. Figure 2 An Example of the Sea Wall Construction in Kesennuma City Source: the author. As the Reconstruction Plan declares that recovery and reconstruction processes should be consultative with local residents, numerous local meetings were held in respective cities, towns and villages. Then, the sea wall constructions shortly started to receive criticisms from several circles. For many local people who grew up in coastal areas, the sea wall constructions simply change local scenery and landscape. The gigantic concrete sea walls are simply too ugly to live with. But the problem is much more than the 14 See the document: www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/43036.pdf. appearance. Many started to question ecological viability. As such large-scale walls would disturb the natural flow of water from forests to rivers and to the sea, those who are engaged in primary industries started to have strong doubts about the whole idea. Their livelihoods depend on such ecological cycles and the sea walls have become nothing more than the obstacle for nature to discharge original functions. Fishermen who cultivate oysters are typical example. It is no wonder that the civic groups in several coastal places started to voice concerns mainly from the early 2012.15 Criticisms have also been made particularly by ecologists (Bacon and Hobson 2014: 9-10). More professional associations voiced their concerns as well. The Nature Conservation Society of Japan sent their opinion to central government in which they said the government should not pursue disaster preparation agenda at the cost of environmental conservation.16 The association of lawyers in Sendai also asserted their views against the prefectural government: the sea wall constructions should follow environmental impact assessment procedures more thoroughly as biodiversity is a critical rights-related concern.17 The numerous reports were also made by newspapers and magazines, and many of them were critical about a rigid and uniform way of the infrastructure constructions. Yet, what remained as persistent was the unchanging attitude of Governor Murai.18 What has become evident is that the ways in which participatory planning was conducted in many of the coastal areas tended to be very tokenistic in calling for the attendance of leaders of community organizations and commercial associations (Ranghieri and Ishiwatari 2014: chapter 33). Many of the affected people were unable or hesitant to participate let alone express opposing views explicitly. Thus, while administrative procedures of consultative decision making were duly followed, the substantive discussions were rarely conducted to cultivate insights into this complex matter. Although there were some administrators who were more sympathetic to diverse situations of each sufferer and attempted to appreciate specific situations of localities, such examples were not many. As a result, the situation is worrisome in many coastal areas along Miyagi Prefecture. It can be said that almost all local residents are against the construction of such gigantic concrete sea walls even though they may not express their opposition openly. Many of them are afraid to raise the issue in local meetings usually called by the local governments, because this agenda may divide their respective community into those who are in favor and those who are in opposition. This division could entail a serious result: ways in which a more important issue (housing planning and collective relocation) are discussed may be jeopardized. Such risk is something that nobody wants to incur in the post 3.11 period. Then, the sea wall issue is coming a taboo, against the will of most victims.19 The Koizumi area, which has been uniquely successful in organizing the community-led imitative, is no exception to the sea wall constructions. The local beach here was chosen by the Ministry of the 15 One such example is the Association of those who Study the Sea Walls (http://seawall.info/). Personal interview on 11 September 2014. Among the original members included the son of the founder of the Forest is Longing for the Sea, and the Sea is Longing for Forest. Personal interview of a key staff of this NPO on 10 September 2014. In addition, one fisherman in Minami Sanriku Town whom I interviewed on 1 November 2014, expressed his frustrations frankly. See his writing of Chiba (2013). 16 http://www.nacsj.or.jp/katsudo/higashinihon/2013/02/post-13.html. 17 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201407/20140725_13033.html. 18 What is puzzling is that he appears to be very inflexible compared to the Governor in Iwate Prefecture. There, the prefectural government is not imposing a top-down solution. Instead, it is ready to accept what comes out of discussions between lower level local governments and local residents. Thus, there have been no serious controversies over the sea wall constructions. 19 Personal interviews with several informants, 11 and 13 September 2014. Environment as one of the 100 Most Comfortable Beaches in Japan.20 But, as the entire village not far from the coast was washed away by the 3.11 tsunami, the sea wall constructions have been pushed by the government. On average, the proposed sea wall is 9.8 meter high and 90 meter wide at the bottom. In some places in Koizumi, the height is 14.7 meter, which is one of the highest in Miyagi Prefecture. The sea walls issue started to raise concerns both within and outside of this locality.21 This is a place that local community is enjoying a good reputation of social cohesion. Yet, despite impressive social capital, the taboo is applied here as well.22 Many residents do not like such a massive change of the beautiful coastal scenery that they have been enjoying. They have been proud of their local beach. But, they are afraid that raising the sea walls construction issue may seriously damage open discussions and frank exchanges of opinions in community meetings. Some of the key Koizumi leaders are even aware that the city authorities may take advantage of the situation: as local people are not opposing the plans of the sea walls construction, it would proceed as planed. As a result, many of the local residents are now feeling that “this is something that they can do anything about.” 23 In the long tern, however, this may jeopardize the trust between the local government and residents. Thus, the success story of Koizumi needs more thorough consideration. On the one hand, it is certainly commendable that the rapid and effective grassroots-led initiative in organizing their relocation plan resulted in convincing the authorities and thus obtaining approval from relevant authorizes. On the other hand, the sea wall construction issue is undermining the social cohesion that the Koizumi residents have been demonstrating. Without this sort of high-level social cohesion, the impressive planning processes could not have produced such accomplishment. As the sea wall construction is now proceeding, mainly pushed by inflexible and tokenistic participatory consultation by the local governments, the sea wall issue will unmistakably influence ways in which local communities along the Tohoku Pacific Coast is organized in the future in one way or another. As some of the individuals are deeply frustrated and as such frustration has nowhere to go, it is seriously troublesome. This is particularly so as once the gigantic concrete walls are built, not only the current generation but also future generations need to bear with perhaps the deplorable consequences of the man-made constructions. 4. Discussions The dual aspects of Koizumi raise several key issues both practically and theoretically. The hidden 20 The official website is http://www.env.go.jp/water/mizu_site/index.html. In December 2014 Nature Conservation Society of Japan sent their views to the prime minister (of the government of Japan), the minister of national Reconstruction Agency, and the governor of Miyagi Prefecture. 22 The very fact that the local residents are very hesitant to discuss the sea wall construction issue for the sake of preserving solidarity is related to the discussions of social capital. Aldrich points out that social capital is a double-edged sword. For those who are well connected with networks tend to outperform those without. These results are good for themselves but are often realized at the cost of those who are excluded from such networks. Such situation further marginalizes, either intentionally or unintentionally, those who are not well assisted by government and/or civic relief operations in post disaster period. In short, social capital further exacerbates the question of equity (Aldrich 2012:). While this argument is very useful, the story of Koizumi and other coastal areas of post 3.11 appears to be conceptually different from the one depicted by “negative side” of social capital. The negativity derives from the exclusionary effects of social capital. In the case of the sea wall construction, what the local residents fear is the social cohesion of their own communities, and they themselves are affected by it. In other words, possible negative effects of not-raising the construction issue publicly would fall on themselves as well. Thus, much more nuanced discussion of the negative effects of social capital is needed. 23 Personal interview with a key Koizumi person, 9 September 2014. 21 divide of the superficial approval to the construction and the deep-seated resentment against the sea walls among the Koizumi people may entail predictable and unpredictable consequences in the years to come. If this situation is analogous to a time bomb which may burst at some point in the future, this is almost a double tragedy that the 3.11 victims are going through probably unnecessarily. The 3.11 disasters caused direct and indirect damages to many people in Tohoku. Then, if the policy of the sea wall constructions especially implemented inflexibly by Miyagi Prefectural government is making a taboo which may act like a time bomb, this is a second disaster that the 3.11 victims will be suffering in the years to come.24 Apparently, this does not have to be. Ecologically, there are alternative activities. It is important to point out that there is a growing network of civic associations that is promoting more ecologically sound embankment which is also effective for disaster preparation and mitigation.25 The idea proposed by Prof. Akira Miyawaki, a retied botanist, is gaining growing acceptance. He has been promoting tree planting for many years. He suggests that we can use tsunami debris to build beds in which various indigenous tree species can be planted. This sort of embankment not only mitigates the power of incoming tsunami from seas, but also holds personal items that outgoing tsunami brings with it. Ecologically, this green embankment does not disrupt the cycles of nature in which water and air circulates. In addition, the forests, which will grow on the debris-made beds, can enrich water quality of the seas. As his idea started to attract the attention of many, a coalition NPO, the Great Forest Wall Project, was formed in 2014.26 Prof. Miyawaki is now recognized as one of the 100 Global Thinkers by the magazine, Foreign Policy.27 In the city of Iwamuna, which is located south of Sendai, the Hill of 100 Years Hope has been made. When the city was considering about urban zoning in the post 3.11 period, they have heard about the practices promoted by Prof. Miyawaki. Based on his idea, the city decided to make green embankments and forests. The tree planting was conducted on several occasions with participants of many citizens including a significant portion of those who are the suffers of the 3.11 disasters. The Hill is intended to serve for several purposes. One is a memorial of the 3.11 disasters. It is also to repose the souls of many who were killed by the 3.11 disasters. The Hill can also be used as an ordinary park where people enjoy all sorts of activities. Certainly, for a site where many people pray for peace and tranquility of those who were dead, green forests are more suitable than ugly and gigantic concrete walls. Figure 3 the Hill of 100 Years Hope in Iwanuma City (Source: author) 24 Interestingly enough, a recent self-evaluation report by the Miyagi Prefectural Government over the process of 3.11 disaster management only refers to one line (in 1000-page report) in relation to the sea wall construction: “we are considering how to design and implement the construction based on agreements with local communities” (2015: 904). 25 Hasegawa (2014) provides a good overview of pre- and post-3.11 situations of civil society in Japan. 26 See the official website of http://greatforestwall.com/. 27 See http://globalthinkers.foreignpolicy.com/#naturals/detail/miyawaki. The roots of the predicament in Koizumi go beyond ecological considerations. They arise from governance weakness. Especially what is significant is relative inexperience in forging cross-sectoral collaboration in social and economic regeneration in Japan. Even if participatory planning is adopted as an official policy in local governments in Tohoku, not many officials and administrators are well trained to implement such new process-oriented activities.28 This difficulty is even more compounded in the post-disaster settings. Quick results are needed in the situation whereby almost all kinds of resources were diminished. Thus, it is not entirely right to put any blame on one entity alone. The consequences that we are now facing thus result from lack of experiences of pre-3.11 situations (Ranghieri and Ishiwatari 2014: 3).29 The importance of pre-3.11 conditions is reinforced by the ways in which Japanese society in general has been organized. The following sort of system became the mainstream mechanism to generate economic growth which has become almost imperative in Japan since the second half of the 20th century. In respective cities, towns, and villages, it was encouraged to form an association for merchants and industrials. These associations formulated proposals, which then were brought to the attention of ministry in charge of each commercial and industrial development in Tokyo for securing budget support. Likewise, fishermen formed an association for fishing in each local government. They were connected to the ministry which was promoting fishing industry. Similarly, agriculturalists formed agricultural cooperatives, and their leaders negotiated plans and budgets with the Ministry of Agriculture in Tokyo. The role of local governments in this situation was complicated as they needed to coordinate their own planning with those activities that were implemented by these budgets provided by various ministries and agencies. But their authority was relatively limited as the government as a whole was operating more or less as a hierarchical bureaucracy where the notion of subsidiarity was guaranteed in paper without much substance. Accordingly in most of localities in Japan, the plans and activities were vertically planed and each sector was acting almost like a silo. There have been very limited experiences of cross-sectoral collaboration in order to renew local areas. Nor the local governments, which should be bear the role of linchpin across various professions and stakeholders, have gained sufficient experiences in playing such an important role. This lack of experiencing in orchestrating collaborative activities is a serious deficit in the post-3.11 period. Because the 3.11 disasters have been national tragedy, there have been new waves of social change in Japan. There have been noticeable examples of grassroots innovation mainly generated by a fusion of ideas between those brought in by outsiders and those who remained in the affected areas despite the serious sufferings. Some are related to marketing of products in primary industries.30 Others are bringing interesting ideas in urban regeneration and neighborhood renewal in serious damaged cities along the cost. However, because of inexperience of collaboration across different types of industries, the effects of such grassroots innovation remain very limited. On the one hand, this is understandable that grassroots innovation does not intend to change the society at large. On the other hand, precisely because we are now 28 A noticeable exception is the city of Higashi Matsushima. In this city, the city adopted the basic charter of urban regeneration in 2008, which became effective in 2009, two years before the 3.11 disasters. This charter articulated roles and responsibilities of the city authorities and other stakeholders. Thus, when the 3.11 disaster hit this city, the immediate evacuation as well as management of emergency shelters went with much less problems than in other places. 29 Discussions with professors at Tohoku University in Sendai, 2 September 2014. 30 There were numerous activities for promoting branding of agricultural and fishing products along the coast of the affected areas. (In Japan this is often called the promotion of the sixth industry.) Some of them have formed a loose alliance to promote their products in large cities. A good example is http://madehni.jp/. in the post-disaster period, it would be much desirable if one activity is linked to others for mutual learning and synergy creation. It would be much advisable if a web of innovations can generate more widespread and effective changes in the affected areas. The scaling-up of effects are truly needed particularly because Tohoku now is facing various issues (such as depopulation and aging) that have become even more acute due to the 3.11 disasters. Each small innovation is having a modest result is commendable in the post disaster period. But if these results as a whole can generate large-scale and enduring effects, that would be even better. It is thus very troublesome that Tohoku in particular and Japan in general are not equipped with useful mechanisms to realize the desirable outcomes. The sea wall construction issue adds another distress in this context. Even if this issue is not directly relevant to the discussions of community regeneration and urban renewal, as the policy of the sea wall constructions undermines social cohesion as seen in Koizumi and elsewhere, the sea walls issue is unfortunately having more repercussions than the Miyagi Governor understands. In order for one community-based initiative to engage with other activity, they need to share fundamental values. The sea wall issue raises a serious question of “green vs. concrete.” The ways in which participatory planning is organized have not seriously addressed how various aspirations of the affected (often competing with each other) can be appreciated and amalgamated as community-wide view through deliberation. The taboo, that is caused by the sea wall construction policy, is truly counter-productive in order to create societal foundation in which deliberation is explored in order to seek common values and orientations. Without such foundation, collaboration among diverse grassroots innovation cannot be built. 5. Conclusions 3.11 clearly accelerated and compounded the socio-economic background factors of Tohoku, Japan. This acceleration made problem solving even more difficult now than before. It is therefore truly a harsh setting in which speedy and effective recovery and reconstruction activities are desperately needed. The idea of creative reconstruction and its subcategory of green reconstruction encompass many different ideas and activities. It is fairly reasonable that these big ideas do not say one thing. Instead, there are several sub-categories and there could be many different ways to realize such ideas. There are some initiatives that can be interpreted to be in line with creative/green reconstruction. The community-led initiative of Koizumi is a good example of green reconstruction. Other ecologically sound reconstruction includes a growing civic movement of making green embankment using the tsunami debris as foundations for indigenous tree planting. Yet, on the other hand, many of these initiatives are piecemeal, and several of them are not really fluffing the criteria set by WWF Indonesia. Furthermore, their limited small-scale effects remain isolated instead of creating synergetic effects. What is most worrisome is that the policy of the sea wall constructions in the Miyagi Prefecture is undermining much needed social cohesion. The implication is beyond the narrow discussions of disaster mitigation of future tsunami. It is very unfortunate that this policy is shutting down open and frank exchange of views among the victims of the 3.11 disasters. Without this foundation of deliberation, any collaborative efforts across different stakeholders seem extremely difficult, if not possible. What the post 3.11 Tohoku embodies is what Japan as a whole needs to tackle seriously. Therefore, Tohoku in particular and Japan in general are now at critical crossroads. Even against the tremendous odds, it is commendable that some interesting grassroots innovations are unfolding. No matter how well-intended the government policies may be, if they are formulated in very narrow perspectives, they can be harmful when examined in broader perspectives. Choices that we may today will significantly affect whether more promising experiments will be conducted or narrow consideration with serious counter effects will prevail. The future is up to us. References Aldrich, Daniel P. 2012 Building Resilience: Social Capital in Post-Disaster Recovery, (Chicago: University of Chicago Press). Aldrich, Daniel P. and Yasuyuki Sawada 2015 “The Physical and Social Determinants of Mortality in the 3.11 Tsunami,” Social Science and Medicine, 124: 66-75. Association of Those Who would like to Think about the Future of Koizumi (ATWTFK) 2013 Handing over Beloved Koizumi to Our Children: Collective Relocation is a Gift to our Future, (Sapporo city: Minnna no Kotoba Sha),(小泉地区の明日を考える会 2013 『大好きな小泉を子 どもたちへ継ぐために : 集団移転は未来への贈り物 : 3.11 からの挑戦』みんなのことば舍). Bacon, Paul and Christopher Hobson 2014 Human Security and Japan’s Triple Disaster: Responding to the 2011 Earthquake, Tsunami and Fukushima Nuclear Crisis, (Abingdon: Routledge). Central Environment Council of the Ministry of the Environment 2012 Proposal for Reconstruction Utilizing National Parks along the Sanriku Coast, (Tokyo: Central Environment Council), (環境省・ 中央環境審議会自然環境部会 2012 『三陸地域の自然公園等を活用した復興の考え方(答 申)』) Chiba, Taku 2013 “Sea, Fishermen, and Seawalls” in Contemporary Philosophy, March 2013(千葉拓 2013「海と漁民と防潮堤」『現代思想』2013 年 3 月号). Elliot, David 2013 Fukushima: impacts and implications, (Basingstoke: Palgrave Macmillan). Hasegawa, Koichi 2014 “The Fukushima Nuclear Accident and Japan’s Civil Society: Context, Reactions and Policy Impacts,” International Sociology, 29(4): 283-301. Hatakeyama, Shigeatsu 2006 The Forest is Longing for the Sea, Bungei Shunjyu,(畠山重篤 2006 『森 は海の恋人』文春文庫). Hymans, Jacques E.C forthcoming “Veto Players and Japanese Nuclear Policy after Fukushima” in Frank Baldwin and Anne Allison (eds.) Japan: The Precarious Years Ahead, (New York: Social Science Research Council and New York University Press). Ishikawa, Mikiko 2011 “ Situation Report of Iwanuma City (Southern Part of Sendai Plain: Reconstruction with Love and Hope” Urban Planning, 91: 036-038), (石川幹子 2011 「岩沼市(仙台平野南部) の復興計画策定の実態報告:愛と希望の復興」『都市計画』291: 036-038). Miyagi Prefecture 2015 Great East Japan Earthquake Disasters: Record and Evaluation of Miyagi Prefecture in Coping with Disasters during the First Post-Disaster Year, (Sendai: Miyagi Prefecture), (宮城県 2015 『東日本大震災:宮城県の発災後 1 年間の災害対応の記録とその 検証』宮城県). Miyagi Prefecture 2011 Disaster Recovery Plan for Miyagi Prefecture, (Sendai: Miyagi Prefecture), (宮城 県 2011 『宮城県震災復興計画』宮城県). Mori, Suguru 2012 “Collective Relocation and Continuity of Communities: Choice of Koizumi, Kesennuma in Realizing Reconstruction, Center Report, 42(3): 20-25, (森傑 2012 「集団移転とコ ミュニティの持続 : 復興目指す気仙沼市小泉地区の選択」『センターリポート』 42(3): 20-25). Mori, Suguru 2011 “A Consideration of Architecture-Society Relationship in Practices toward the Rlocation Project based on Residents’ Proposal,” MERA Journal, 14(2): 33-38, (森傑 2011「住民 発案による集団移転計画にみる建築社会関係の一考察」『人間・環境学会誌』 14(2): 33-38). Nature Conservation Society of Japan 2013: 3 “Special Issue - Is the Current Sea Wall Construction Acceptable?, Nature Conservation, (日本自然保護教会 2013 「特集 このままでいいのか防潮 堤計画」『自然保護』第 534 号). Oh, Tomohiro 2013 “Fishermen’s plantation as a way of resource governance in Japan,” in Jin Sato (ed.) Governance of Natural Resources: Uncovering the Social Purpose of Materials in Nature, (Tokyo: United Nations University Press). Pilling, David 2014 Bending Adversity: Japan and the Art of Survival, (New York: Penguin). Ranghieri, Federica and Mikio Ishiwatari 2014 Learning from Megadisasters: Lessons from the Great East Japan Earthquake, (Washington, D.C.: World Bank). Saito, Fumihiko 2010 “Decentralization,” Mark Bevir (ed.) Sage Handbook of Governance, (Thousand Oaks: Sage). Shigihara, Atsuko 2013 “Can Liberalism and Sustainability be Put Together?” in Peace Studies, Vol. 40, (鴫原敦子 (しぎはら)2013 「自由とサステイナビリティは接合しうるか: 「創造的復興論」 再考」『平和研究』第 40 号「3・11」後の平和学). Shinoda, Hideaki 2013 “’Tohoku’ in Building Modern Japan: Beyond the Era of Militarism and Economic Growth,” Peace Studies, Vol. 40, (篠田英朗 2013 「日本の近代国家建設における「東北」:軍 国主義と経済成長の時代をこえて」『平和研究』第 40 号「3・11」後の平和学). Tohoku History Museum 2008 Folklore in Hadennya, (Tagajyo city: Tohoku History Museum), (東北歴史 博物館 2008 『波伝谷の民俗』). Watarai, Seiji, Satoshi Nakagawa and Susumu Uchiyama 2013b Current Situation of Reconstructing Disaster Affected Areas – The First in a Series of Can the Reconstruction of Tohoku Demonstrate the Next Generation Town Planning? , (Tokyo: Research Institute for High-Life), (渡会清治・中川 智之・内山征 2013 『連載 東北復興は、次世代型まちづくりの手本を示せるのか 第 1 回 復興まちづくりの今—復興まちづくりの全体状況を俯瞰する』公益財団法人ハイライフ研究 所 / NPO 法人日本都市計画家協会). Watarai, Seiji, Takanori Enya and Satoshi Nakagawa 2013a From the Ground of Reconstruction: Toward Sustainable Community Regeneration - The Third in a Series of Can the Reconstruction of Tohoku Demonstrate the Next Generation Town Planning?, (Tokyo: Research Institute for High-Life), (渡会 清治・中川智之・塩谷貴教・内山征 2013『連載 東北復興は、次世代型まちづくりの手本 を示せるのか 第 4 回 復興の現場から 持続可能な地域再生へ 地域が主体で考える仮設 住宅・高台移転』公益財団法人ハイライフ研究所 / NPO 法人日本都市計画家協会). World Wildlife Fund (WWF) 2006 Tsunami Green Reconstruction Policy Guidelines, (Banda Ache: WWF Indonesia).